103話 女王の苗床
「はぁはぁ……」
舞う土煙に荒い息をつく。
男の体の中に詰まっていたのは、やはり腐葉土だった。スライムのようにウネウネと動いていてミケの剣を絡み取ろうとしていたものも腐葉土で、今は粘液性を失いパラパラの土となって剣から落ちている。
ミケは剣についた残りの土を払い落とすと、わたしに視線を移した。
「知ってる奴だったのか?」
「ううん」
ミケが訊くのに、わたしは首を振る。
ただ、ちょっと嫌な感じがしただけ。
わたしは、日記の最後のグシャグシャな字を思い出す。
確か、あそこには体を乗っ取られたとか書いてあったような……。乗っ取られたという事は乗っ取るものがいるという事で、この様子から考えて乗っ取ったのは――。
わたしが記憶の糸を手繰っていると、パッと灯りが消えた。
「な、何?」
突然の暗転に、わたし達はキョロキョロと辺りを見回す。
灯りが消えたといっても、完全に真っ暗になったというわけではない。微かなぼんやりとした灯りが辺りを照らし、景色を青く浮き上がらせている。
灯りが消えたというよりも、これはむしろ、
「夜になった?」
という表現の方が正しいように思えた。
おそらく室内を照らす照明が、昼モードから夜モードに切り替わったのだ。
夕暮れモードがないのは情緒としていかがなものだろう。などと、ちょっと場違いな事を考えていると、ズズズと地面が震える。
「何か……来る」
一際大きな試験管がパリパリと音を立てて割れたかと思うと、中から巨大な木樹のオブジェが姿を現した。
それはなんとも奇妙な形をしていて言葉に表しにくい。
強いて言うなら、巨大な手を二つつけたまるで蟹みたいな下半身を持ち、上半身は女性の姿をしている。
その女性の形をした上半身は細い体の胸に手を当て何かを訴えかけるように大きく口を開いたままの表情で固定されているように見えた。
それは、わたし達の背丈の何倍もある巨大なMTTBだった。
MTTBが手のような下半身を地面へと突き刺す。
「っ?!」
それを合図に、まるで命が宿ったかのように地面の腐葉土が波打つようにうねり始めた。
そして、それと共に街に出現したのと同じ形をしたイカのような形をしたMTTBが数体姿を現す。
しかし、十分に成長しきっていないのか、それは街に出現したものよりもかなり小型な姿をしていた。
「女王型か……」
それを見て、ミケが顔をしかめた。
「女王型?」
わたしが訊くと、ミケは「ああ」と頷き、
「MTTBの中でも一番危険とされている型だよ。苗床を作ってMTTBの子供を大量に産むという性質を持ってる。こいつが住み着いた近隣一体はMTTBに溢れてそれは悲惨な事になるって話だ。今ニャルハラにいるMTTBの多くは女王型によって生み出されたものというのが通説で、女王型は見つけ次第真っ先に討伐すべき対象であると通達されているわけだが……」
ミケはふっと息を吐き出すと、
「MTTBの種なんて滅多に見つかるものじゃないのに、どうやって養殖なんてしてるのかと思ってみれば、まさか街の地下で女王型なんてものを飼ってたとはな。そりゃ街にMTTBが溢れるわけだよ」
「ど、どうするんですか?」
ショコラがMTTBとわたしとミケの間を落ち着きなく視線を行ったりきたりさせながら訊ねる。
「どうするって決まってるでしょ。わたし達で倒すのよ。あいつ倒さなきゃ終わらないんだから」
「そ、そうですよね……」
わたしはキッと目の前の敵を見据えると、ショコラに言った。
ショコラがぎゅっと手に持った孫の手を握り締める。
わたしも刀を握る手に力を込める。
しかし臨戦態勢に入るわたし達に、ミケが冷や水を掛けるような冷めた声で言った。
「いや、逃げる」
その言葉に、わたしは思わずミケを見る。
「なんで逃げるの。真っ先に討伐すべき対象だって今自分で言ってたのに、放っておいたら大変な事になるのに」
非難の目を向けると、ミケはジロリと刃のような目をわたしに向けた。
「う……」
その、鋭さに思わず、わたしは臆してしまう。
「確認しただけで十分だ。あれは、俺達三人で相手をするには荷が重過ぎる」
「そんなのやってみなきゃ、わかんないじゃん」
わたしが食い下がると、ミケが諌めるように言った。
「お前は勝てると踏んでるみたいだが、自称強者の直感ほど当てにならないものはないんだよ。俺はそれでパーティを全滅させて仲間を皆殺しにした奴を知ってる」
「……」
ミケは少し遠い目をすると、周囲を見回しながら続ける。
「安全マージンって言葉を知ってるか? この部屋はあのMTTBが作り出した苗床。女王のテリトリーで、いわば俺達は敵の胎内にいるようなもんなんだ。ここで戦うのは完全に定石に反してる。お前のその場の直感で戦って、俺やショコラが死んだらお前どうする?」
「死なせないもん。わたしが命に代えても守るから」
わたしがきっぱりと言うと、ミケはなぜか目を見開いてわたしを見た。
そして、目を細めると、
「ちっ、これだから家猫は……」
吐き捨てるようにミケが言った。
「家猫は関係ないでしょ」
わたしが眉を寄せて睨むと、
「で、どうするんだ? お前がリーダーなんだから、お前が決めろ」
「……」
わたしはショコラを見る。ショコラは不安そうな顔をこちらに向けていた。
それからミケに視線を戻すと、
「……ミケの言う通りにする」
癪だけど、ミケの言っている事は多分正しいと思うし。わたしだって、無茶な戦いはよくないって事くらいわかってるんだから。
「いい判断だ。二人共全力で逃げるぞっ」
ミケが宣言するのにわたしとショコラも頷くと、踵を返すと来た道を駆け足で引き返す。
行動するとなれば早い。しかし、相手の行動はそれよりも早かった。
「A――――」
調律音階のような揺らぎの無い声が部屋中に響いたかと思うと、地面の腐葉土が微振動を起こし、まるで粘菌のように部屋の中を大移動していく。
「……っ」
そして、それはまるでわたし達を逃がさないという意志を示すように、部屋の出入り口を塞いでしまった。
「ちっ、入り口が……」
ミケが腐葉土で埋まった入り口を見つめて、悪態をつく。
「うわぁ、逃げられなくなっちゃったね」
「お前……、嬉しそうに言うなよ」
ミケが呆れたように言う。え、いや、普通に言ったつもりなんだけど。
「きゃあっ」
ショコラの悲鳴。
見ると、追いかけてきていたミニイカサイズのMTTBがショコラに飛び掛る所だった。
「こいつっ」
わたしは猫村正を縦に振ると、飛び掛ろうとするミニイカを切り落とす。
「ショコラ、大丈夫?」
「は、はい」
尻餅をついているショコラに手を貸して立ち上がらせてあげると、わたしはミケに向き直った。
ミケはまだ他に出入り口があるのではないかと考えているらしく、周囲を注意深く見回していた。
「ねえ」
「ちっ、ないな。こんだけ入り組んでるんだから他に入り口があってもおかしくないんだが……、なんだ?」
わたしが声を掛けると、ミケが愚痴っぽく零しながらこちらに目を向ける。
「ねえ、ミケ、やっぱり戦おう。もし、あいつが街に出たら大変な事になっちゃう」
「いやもう街は十分大変な事になっちゃってるから、これ以上は誤差だろ。犠牲者が一人から十人になったら騒がれるが、十人から百人になれば見方を変える。百人から千人、千人から一万人になったら、もはやその多少で騒がれる事はない。それが世の中ってもんなんだよ。正義は感謝されてナンボ、無知な正義感は身を滅ぼすぞ」
「でも、わたしはなんか嫌なんだもん」
わたしは、むぅと頬を膨らませてミケを睨むと、
「それに、やっぱり逃げるのってわたしあんまり好きじゃないし」
「嫌とか、好きじゃないとか。お前ってほんとに、感情論ばっかの家猫な……」
「家猫ですが、何か?」
お互いに、ジト目を送り合う。
「大体、飼い主さまだって、相手のレベルはちょっと高いくらいが丁度いいって言ってたじゃない」
「いや、あの人はかなりゲーム脳だから……。っていうか、そんなの真に受けてんじゃねぇよ」
ミケははぁとため息を吐くと、
「仕方ないな。これ以上は無理だ。戦うぞ」
「うんっ」
ミケが女王型のMTTBを見て言うのに、わたしが頷く。
わたし達がマゴマゴとしている間に敵は少し形態を変えたようだ。
下腹部は完全に地面の腐葉土と一体化し、根を張ったという表現がしっくりくる姿へと変えていた。
そして、自分の周囲の粘菌のように動く腐葉土を、ひたひたと自分の体へと登らせると、体に鎧を纏わせるように覆っていく。
体を包み込むと、その上から艶やかに紅葉した落ち葉が腐葉土の鎧の表面をコーティングしていった。
細かった体は腐葉土と紅葉の鎧によって色鮮やかに包まれ、女性然とした容姿をその下に隠すと、一回りも二回りも大きな甲冑を着込んだ多脚の騎士の姿をした化け物へと姿を変えていた。
ズンという音と共に落ち葉が舞ったかと思うと、巨大な柄が腐葉土から生える。
紅葉の鎧を身に纏った騎士はそれを掴むと、一気に引き抜いた。
巨大な土くれの剣がMTTBの手に握られる。
もはや完全武装という感じだった。
おそらくさっきまではオフの状態だったのだろう。
それが、今完全に戦闘体勢に入ったのだ。
これ以上放置しておくと、相手がどんどん強くなってしまうかもしれない可能性があった。
ミケが逃げ道を探すのを切り上げて戦う事を決めたのも、このまま逃げ道を探して見つからなかった場合に、極限まで強化された相手と戦わなければならなくなるリスクを考えての事だ。
戦うと決めたなら早くした方がいい。
わたしはショコラを見ると、
「じゃあ、ショコラ。そういう事になったから」
やや事後報告的にショコラに伝える。
「はい」
ショコラはふるふると微かに体を震わせていた。
「怖い?」
「はい……」
ショコラが頷く。無理もない。
あのMTTBからわたしもかなりの圧力〈プレッシャー〉を感じている。ショコラならもっと感じているかもしれない。
それでも気丈に返事をしてくれる様子は可愛くて思わず抱きつきたくなっちゃう。今は自重するけど。
かわりにわたしはショコラの手を握り締めた。
「大丈夫だよ。わたしがショコラを守るから。だから、ショコラは安心してわたし達の後ろで回復に専念して」
「ごめんなさい。ショコラ戦力にならなくて」
申し訳なさそうに、ショコラが目を伏せる。
「何言ってるの。ミケも治癒師〈ヒーラー〉は重要だって言ってたじゃない。パーティの命運はショコラの手綱捌きに掛かってるんだから。鵜飼いで言えばショコラは鵜使いでわたし達は鵜なのよ」
「いや、その例えはなんかおかしいような……」
ショコラが苦笑いと共に首を傾げる。
わたしはショコラに向けた笑顔のままで、チラリとミケを見ると、
「ミケもわたしが守ってあげるね」
「いらんわ」
「むぅ……」
そこまでばっさり言わなくてもいいのに。
「ルナ」
「な、何?」
突然シリアスなトーンで、名前を呼ばれたので、ビックリして思わずビクっとする。
「命に代えてもなんて言うなよ。命に代えられたら俺が困る。俺はお前を死なせない為にここに居るんだからな」
「……っ。えっと……うん」
すごい真剣な顔で言うから思わずどぎまぎしてしまった。わたしは誤魔化すように俯くと、コクンと頷く。
「A――――」
MTTBの咆哮が部屋に響き渡った。
巨大なMTTBが、誘うように剣を振っている。
「二人共、準備はいい?」
わたしは二人が頷くのを確認すると、
「じゃあ、あの頭足類の親玉をウッドチップに変えてやりましょう」
部屋の中央に居座る、紅葉の甲冑を着込んだ巨大なMTTBへと向かっていった。




