102話 地下農園
「まったく、はぐれるなと言った直後にはぐれるってどういう事なんだ。ちゃんと話聞いてるのか?」
燃え盛る部屋からなんとか抜け出し、部屋の外で待っていたショコラと合流すると、ミケが不機嫌そうに、わたしに言った。
「うぅ、怒らないでよ。ちゃんと聞いてるって」
「本当か?」
ジトリと疑いの目を向けてくる。
「それはもう、川の流れのように」
「思いっきり聞き流してるじゃねーかっ」
「にゃはは……」
わたしが取り繕うように笑っていると、「まあまあ」とショコラがなだめる。
「とにかく無事だったんだから、いいじゃないですか」
ショコラが言うのに、ミケはむぅと眉を寄せてため息をつく。
「一歩間違えば、ローストキャットになってても可笑しくなかったんだからな」
「低温でじっくり焼かれたらおいしくなっちゃう」
「いや、その感想はおかしいと思いますけど……」
わたしは頬に手を当てながら言うのに、ショコラが苦笑しながら突っ込む。
ショコラは口元に手を当てると、
「でも、どうしていきなり火が出たんでしょうか?」」
「罠だろ、罠。侵入者用の罠が張ってあるんだよ。ここから先はあんまり不用意にものに触れない方がいいかもしれないな」
「そうですね」
ショコラが頷くのに、わたしは少し首を傾けながら考える。
罠だったのかな。
それにしては、ちょっとおかしな所があったような気がしたけど……。
「どうかしましたか?」
「あ、ううん。なんでもない」
まあ、考えてもしょうがない。
わたしは覗き込んでくるショコラに首を振ると、チロチロと赤い光が揺れる隠し部屋への通路に目を向けた。
「それなら、ここからは一直線に深部を目指そっか」
ここまでは一応部屋を一つずつ見て回っていたが、ミケの言うとおり罠が仕掛けられているなら、不用意に見て回るのは逆に危ないかも知れないという事になり、わたし達は石の通路を真っ直ぐに奥へと進んでいく事にした。
通路を進んだ先にある階段を下りると、広くて天井の高い空間に出た。
「うわぁ……」
飛び込んできた光に目を細めながら、思わずわたしは感嘆の声を漏らす。
地下にこんな巨大な空間がある事にも驚きだったが、その部屋の内装も今までの景色とは随分違っていた。
ちょっとしたホールはありそうなくらいの広さの部屋の地面には腐葉土と落ち葉がされ敷き詰められていて、足を踏み入れると羽毛布団のようにふかふかする。
壁の辺りには紅葉した木々が生えており天井に付けられたライトから降り注ぐ柔らかい光を受けて、艶やかな赤と小金色の葉がキラキラと輝いていた。
地下の巨大農園はまるで秋の装いで、甘い蜜の香りが辺りを包み込んでいた。
なんだか、ここにいるだけで幸せな気分になってくる。
言われなければ地下だという事を忘れてしまいそうな美しい景色の中で、今すぐ落ち葉のお布団に包まって寝てしまいたい気分になる。そのままとろとろになってしまえたらいいのに……。
「はっ……」
って何考えてるんだわたしは。
ブンブンと首を振り、ふわふわした頭をはっきりさせる。
きっとこの秋景色と甘い香りのせいだ。
もし、広場全体に整然と並べられたガラスの試験管のようなものがなかったら、まるきり自然と区別がつかなかっただろう。
地面に覆いかぶさるように、ガラスの試験管が大量に並んでいる。自然物に囲まれた空間にあって、それはより異質さを際立たせていた。
「この中でMTTBを育てていたのか?」
ミケが試験管を見ながら呟く。
おそらくはこの中にMTTBが入っていたのだろう。
今はほとんどが卵の殻が破られたように破損し、中には何も入っていない。
蔦が絡まって完全に朽ち果てていた。
「痛ぃ……」
そんな光景を奇異の目で見ていると、ショコラが眉間に皺を寄せて頭を押さえて小さな声で呟いた。
わたしはそれを聞きとめて、ショコラの顔を覗き込んだ。
「ショコラ、大丈夫?」
わたしが声を掛けると、ショコラはトロンとしたほんのりと赤みがかった表情でわたしを見ると「大丈夫です」と、力ない声で言った。
「ちょっと、酔っただけですから……」
「酔った?」
わたしがキョトンとして返すと、ショコラは周囲に目を配りながら、
「この部屋……。微かですけど、気化したアルコールが舞ってます」
「アルコールって、お酒が舞ってること?」
わたしが訊ねると、ショコラはコクリと頷く。
え、そう? よくわからない。確かに甘い香りは漂っているけど、蜜の香りって感じだしこれがお酒の匂いかと言われると、頭の上にクエスチョンを浮かべてしまう。
「本当に微かですから、わからないのも無理ないですよ。でも、ショコラはお酒弱いのでよくわかります。もう頭が痛くなってきましたし」
そう言うと、ショコラはこめかみを押さえた。
「ルナさんも、いい匂いだからってあんまり吸わない方がいいかもしれませんよ。すぐ酔っちゃいます。ルナさんだってそこまでお酒強くないんですから」
「う、うん」
妙な説得力に思わず頷いてしまったけど、よくよく考えたら、なんでショコラはそんな自信を持って言えるんだろう。
「っていうか、わたしってお酒弱いのかな?」
そもそもわたしはお酒なんて飲んだ事ないし、強いも弱いもまだわからないのでは。
わたしがそんな事を考えていると、それが顔に出ていたのか、ショコラがジトッとした目をわたしに向けてきた。
「ウィスキーボンボン二個で前後不覚になって、ショコラのおっぱい揉んだクセに……」
「え?」
「なんでもないです」
ショコラが繕い笑いを作ってヒラヒラと手を振る。今なんか、ボソッと変な事言ってたような気がしたんだけど。
「とにかく気をつけてくださいね」
「うーん、なんか釈然としないけど」
まあ、ショコラがそう言うなら気をつける事にしようかな。
そんな事を話しながら、わたし達は部屋の中央に置かれた一際巨大な試験管へと歩を進めていく。
そして、膝元まで来た時だった。
「誰かいます!」
警告を発するように、ショコラが鋭い声を飛ばす。
「……!」
遅れて、わたしも気がつく。
部屋中央の一際巨大な試験管の前に、白衣を来た猫の男が立っていた。
ここで研究をしている猫だろうか。
白衣、研究者……。
そして、体から香る甘い匂い。
ふと、わたしはそこで先ほど見た日記の事が頭をよぎった。
本当に直感だったけど、あの日記は彼が書いたものではないかと思ったのだ。
確かあの日記を書いた猫の名前は――。
「レイン?」
わたしが声を掛けると、白衣の男は振り返ると微笑を浮かべた。
そして、ゆっくりとした足取りでわたしの方へと歩み寄ってくる。
そしてわたしのすぐ近くまで来た時、
「――――」
口を開きかけた、彼の首がゴトリと落ちた。
「キャッ」
「……っ」
ショコラが短い悲鳴を上げる。
わたしは最初、目をパチパチと瞬かせていたが、
「ミケっ」
すぐにミケを見た。
銀色に輝く剣が白衣の男の頭のなくなった胴体の上に乗っている。
ミケの素早い刺突によって、突き出された一閃が男の首を切り落としたのだ。
「なんで……?」
「よく見ろ。皮だけだ」
ミケは視線で落ちた首を見ろと促す。
それを追ってわたしも視線を落とす。すると、落ちた首の傷口からバラバラと零れるように腐葉土が流れ出て、まるで風船が萎むかのように男の顔がひしゃげていく。
「土……?」
わたしが呆然とみつめた時だった。
「くっ」
首を切断され棒立ちとなっていた胴体の、切断面からウネウネと黒いスライムのようなものが伸び、ミケのウィングドエッジの刀身を絡める取るかのよう巻きついた。そして、瞬く間に刀身からミケの腕へと這おうとする。
「つっ!」
わたしは猫村正の柄に手をかけ一気に引き抜くと、男の体とミケの剣の間の僅かな隙間に剣 閃を通し、スライムのようなものを切り裂く。
「この!」
そして、刃を返すと首のない男の体を無数に切り刻み細切れにしていった。




