80話 神の加護
ほんの数年前まで、アストラという王国があった。
この魔物に溢れる世界では珍しいことに国内には魔境が無く、かつ穏やかな気候となだらかな地形のお陰でとても豊かで平和な国だった。
とはいえ、人の世に真の平和など存在しない。そう、当時の国王に見初められ後宮に連れていかれたサンドラは確信していた。
『美しい。何より聡明な眼をしている。ぜひ私の妻になって欲しい』。王様にそうやってプロポーズされたならば、大抵の人は喜ぶだろう。王様という国で最も権力と金を持ち、どんな美女でも妻に迎えられる絶対的な存在に選ばれたのだから。
妻といっても七十八番目の側室だったと知って時は落ち込んだが、まあ妥協できる範囲だ。美味しい食べ物にふかふかのお布団が私を待っている。家族にはあまり会えなくなるらしいが、食い扶持が一人減るのだから喜んでくれるだろう。十歳だった当時のサンドラはそう考えていた。
しかし実際に後宮に入ってみると、想像とは違いとても大変だった。選ばれた女性しか入れない後宮は、選ばれた女性自身が侍従を兼任する。ほんの一部の女性たちは美容やおしゃれに精を出せるが、大半はそのほんの一部の女性のために働き持ち上げなければ死ぬのだ。
この世界は魔力やステータスシステムがあるため地球とは異なる点も多いが、それは上限値が高いというだけで一般人に違いはほとんどない。大抵の例にもれずアストラの王様は肉体的には一般人だった。
当然、夜の相手も大勢を相手にするのは不可能だ。サンドラが後宮に入った時には既に数人の女性がピラミッドの頂点に立っており、残りはどの女性の庇護下に入るかを選ばなければ生きていけない。部屋割りから飲食物、着替えまで全て後宮に居る女性たち自身が仕切っているのだ。
その情勢はもはや一種の治外法権に近い。人が死んでも法の裁きを受けることが無い、武力とは違うもので戦う危険地帯だ。
そんな場所に王様から直接見初められた女性が入ってきたのだから、既にいた女性たちにとっては一大事だ。その女性がまだ十歳でも関係ない。夜の相手はさすがに無理だが、喋り相手やゲームの遊び相手として仲を深め、将来的には正妻……とまではいかずとも、側室の中での一番くらいはあり得る。正妻が政治的に選ばれた政略結婚の相手であることも考えれば、側室の一番というのは最も王の寵愛を受けていると言っても過言ではない。
その座は絶対に譲れない。
王様の人を見る目は確かだったようで、サンドラはそんな様々な思惑と暴力と凶器が飛び交う中で生き抜いくことが出来たが、ある日全てが終わり、始まった。
セイが攻めて来たのだ。
『俺はセイ。暴竜のセイ。この国は俺が支配する。門を開けろ。開けないならば攻め落とす』
天を覆う黒い鳥が苛烈なメッセージを伝えた。
アストラ王国政府は必死に交渉しようとしたが、無駄に終わった。地平線まで大地を覆う魔物たちが攻め込み、アストラ王国は滅亡した。
この時にアストラ国王は死亡。王族も貴族も平民も全く関係なく死者が出た。その数は全国民の半数に上ったらしい。
サンドラが避難所と化していた後宮から出た時、美しく豊かなアストラ王国は廃墟になっていた。セイは決着が着いた国で無体な真似はしないが、同時に過度な支援もしない。どこかの国から連れていた元官僚がセイの代理となって再建計画を進めていたが、サンドラには関係の無い話だった。
『あんたなんかに出来ることなんてないわ』
『もう陛下は居ないのに、まだ生意気なのね』
セイが征服した土地では不正や賄賂は通用しない。元後宮組は芸術や美容に関する技能と知識があったためある程度はやっていけたが、ある程度止まりだ。色仕掛けもセイへの恐怖を覆すことが出来ず、生活は零落した。
サンドラはそんな中で妬みを受けながら生活していた。家族は行方不明だし死んだかもしれない。他の元側室たちのように権力者たちの情婦になる道も選べない。後宮で培った人を使う能力を活かしたくても、廃墟と化した国で使う場所が無いし、腫物のように扱われ入れるコミュニティが無い。
側室や愛人というのは権力者と夜を過ごす際にどんな機密を漏らされているか分かったものでは無い。さっさと暗殺か飼い殺しが一番なのだが、セイの徹底した支配の元では後ろ盾のない一般人を暗殺することすら出来ない窮屈なものであるため殺されることもなかった。
友人を頼って一年ほど生きていたが、生きる理由も夢も無い。十で後宮に入り、出た時は十八。身に着けた技能は廃墟の街では役に立たず、頼れる人もおらず、家族も頼れない。
死という選択肢が目の前に現れるようになった。それは日に日に大きくなる。すぐに選べないのはただ死にたくないからであり、いつか自分は自分から死を選ぶのだろう。
そう考えていたのだが、ある日もう一度人生が変わる日が訪れた。
『あなたがサンドラだな。噂を聞いて来た。俺の部下に成れ』
(人生って分からないものね)
商家という比較的勉強できる家に生まれたとはいえ、子供でも働く必要がある平民はあまり勉強に時間をさけず、より多くの時間を勉強に充てられる貴族の方が賢くなる傾向にある。
だというのに八年も後宮を生き抜き国王を操り国政にまで介入したサンドラの能力は極めて高い。セイにスカウトされた後は優秀な補佐官の一人として働いている。
そんなサンドラの主であるセイは、将軍たちとの直通の通信機を手に取った。
『セイ様ぁ!もう無理です助けてください!あいつら強すぎますよ!』
「カピタ。大丈夫だ、お前なら出来る。何も正面から戦う必要はない。大切なのは必要な戦力を必要な場所に送ることだ。たしかにニアサダンの連中は勇猛果敢で魔術も武術も秀でていてダンジョンからとれるマジックアイテムのおかげで武装も優れている。
しかしやれるだけのことはやれ。いざという時は俺が助けるから。信じているぞ」
『いざいざいざいざいざいざいざいざ!!!!だから今がいざという時なんです!既に兵士が半分も死にました!包囲網を作った周辺国家も七か国中四か国が向こう側に離反!残りも敗戦気分に入りました!』
「あー……確かに無理だな」
セイは目を覆い天を仰ぐ。
何とかなると思っていた。現実に絶対はないが、彼我の戦力と物資と情勢を見れば、まず間違いなく……数字で言えば八割がたこうなる、くらいのことは言える。
しかし今回は残りの二割に傾いたようだ。まだ情報をすべて聞いたわけではないが、カピタの声と通信機の向こう側から伝わる喧騒からしてさらに悪い方に傾いたようだ。
……まあ、そういうこともある。セイがラキア国で参加した戦場でも平兵士の矢が偶然将軍に当たってそのまま負けたということもある。ニアサダンの連中は火山で生まれ死体は火口に投げ込む風習があるためか火属性の親和性が高く、人体を消し炭にするレベルの火属性魔術を使える者がたくさんいる。
事故が起こる可能性が沢山ある相手だ。想定していた負けるかもしれない可能性に傾いてしまっただけの話。
「仕方ない。もったいないけど全部を地図から消そう。カピタ、出来る限り避難民を連れて撤退しろ。空間属性魔術を使える俺の部下と移動要塞を七つ派遣するから」
『了解しました!』
通信が切れた。カピタは凡庸で教科書通りの動きしか出来ない男だが、同時にどんな時でも模範的な動きが出来る優秀な将軍だ。セイの指示通り、出来る限り多くの命と物資を危なげなく連れ帰るだろう。
「セイ様、もしやとは思いますが……」
「ああ、魔物を使う。そのためにシティコアを配布したんだ」
「……」
「そういやお前の故郷に攻め込んだ時も魔物を使ったんだったな」
「ええ。今でも覚えていますよ」
セイは意識を切り替え元の作業に戻る。こうしている今もカピタの居る戦場の状況は動いているが、セイの下にはトトサワルモ地方の四分の三もの土地から情報が集まってくるのだ。陳情も報告も膨大すぎる一つの事に構ってはいられない。
「で、なんか用?サンドラ」
「……失礼、動揺していました。ごほん。
セイ様、そろそろ勇者王シュガーの末裔を自称していただきたく思います」
「ああ……俺そういうのいやだから名乗らないよ。何度来ても答えは同じ」
「ですがハイディ神聖国を取り込むのはこれが最も有効です。名目上は併合し、実質的にはセイ様の傘下の一つとして扱う。勇者王シュガーは勇者様方の中でも光と法の神ハイディに召喚され、死後は神になり、現在ではハイディに次ぐ神として信仰されています。ハイディ神聖国の教皇たちのようにセイ様もシュガーの末裔を名乗れば十分に戦えます」
サンドラの現在の担当はハイディ教に関する全て。
クロナミ国が支配するトトサワルモ地方の四分の三もの領土にいる全てのハイディ教徒、そしてまだ勢力を保っているハイディ神聖国への対応だ。
「しかしだなぁ……俺、そういう嘘は嫌いなんだよ。世界が違うからもう会えないとはいえ、両親や爺ちゃん婆ちゃんとの繋がりを否定することになるし。てか俺が異世界人ってことは結構知られてるし手遅れじゃない?」
「問題ありません。セイ様が異世界人であることはあまり話していないんですよね。なら……」
「昨日別の体で話したよ」
「なんでですか……」
「いや、普通に酒の席で順番に自分語りしたときに」
「……」
サンドラが絶望したように顔を顰めた。
「いいえ、いいえ、いいえ。それならそれでやりようはあります。厳密に同じものであるとは証明できませんが、セイ様と神話の勇者様方の出身世界や一族のルーツを同じものだということにしましょう。それなら――」
「何度も言うがそういう嘘はつかないよ。ここまで武力で我を通して来たのにそんなせこいことはしたくない。それで死ぬならそれまでのことさ」
サンドラの絶望したような顔がさらに深くなった。皺が残らないか不安だ。
「セイ様……いえ、そうですね。セイ様のお力をもってすれば、既に残骸としたハイディ神聖国なぞ一ひねりですよね」
「いや普通に負ける可能性もあるぞ」
「え”」
「無限光のメンバーは勿論だが、深淵回廊に派遣していた三千人の聖人と千人の予言者、そして三百人の救世主を本国に呼び戻したと報告があった。正真正銘の神の加護を受けた連中だ。全員がユニークスキルを有しているという噂だが、俺でもまだ噂以上の情報は入手出来ていない。断言できることなんてないよ」
サンドラは驚愕に震え、同時に怒りが目覚める。
セイの方が情報を持っているのは知っているが、早く報告してほしい。報告とは部下から上司へだけではなく上司から部下へもあるのだ。
「……だとすると、時間内に間に合うのでしょうか。今の教皇も地位が危なく、過激派も台頭していると聞きますが」
「んーその辺は絶対に無理だと思うけど……んーどうやって説明するか」
セイはペンを唇に当てて少し虚空を見つめる。
「サンドラ、もう撤回させたけど、俺は大抵の宗教勢力から異端認定されてるよな」
「はい」
「なんでだと思う?」
「はい?……えーと、それはセイ様が彼らの土地や信者を攻撃したからで……」
「ああ、違う違う。もっと根本的な話。言っちゃうと、【正統】があるからだ」
「正統……ハイディの説く教えの正しい解釈をめぐる話ですか?」
異端が生まれるのは正統が前提にあるから。
では、正統とはどうやって決まる、いや、決めるのか。
「そうそう。五万年前の魔王との戦いより前は神々が地上にいたから神の意思を神に直接聞けた。けど今はそうじゃない。神々は地上を離れ、声を聴けるものは限られている。代々伝わる聖典の中身に、加護を受けたものの言葉や神託で曖昧な教義を形作る。そして曖昧な教義を決めた者たちが集まって【正統】を決めるんだ。
で、こっからが重要。曖昧な定義を決めたのってどんな人か分かる?」
「それは勿論【ハイディの加護】を受けた者、ですよね」
「正解。他の宗教と違って、ハイディは……ハイディ派の神々は実在しているんだ。愛と生命の女神ヴィーナや、術と時の神コククロとかと違って、眠りについていない、神託や神の加護を与えられる唯一の派閥だ」
神の加護を与えられる。さらに言えば、人類に未曽有の危機が迫った時は直接的に御使いや英霊を派遣してくれる。
いくら信仰は見返りを求めるものでは無いとはいえ、この差は大きい。
「だからこそ【神の加護】はとても重要だ。なにせ実態がつかめないハイディが明確に注目していて、『この者は私の教えに忠実である』という証明だからな。
ゆえに、今の教皇じゃ絶対に抗えないよ。聖人も予言者も救世主も、全員が【ハイディの加護】を受けているんだから。その総意は教皇程度の権威に太刀打ちできる物じゃない。特に救世主の上位四人は加護のさらに上、【ハイディの祝福】や【ハイディの寵愛】。噂の一つには【英雄神の運命】を授かっているなんて話もあるんだからな」
笑うようにセイはサンドラにいかにハイディ教の勢力の大きさを教える。
その姿にサンドラは少し奇妙さを感じた。
「ん?どうした?」
「その……ハイディ教の戦力の恐ろしさは十分に理解できたのですが……それだとセイ様は世界を征服できないのでは?」
サンドラの把握している戦力では負ける。たぶん。
対してセイは、そんなことかとばかりに、軽く返答する。
「何の問題も無いよ。俺に考えがある」
セイはいつものように朗らかに笑う。
そんな笑みを見て、サンドラはなぜか、とても嫌な予感を覚えた。
「……」
部屋の入口で会話を聞いていたタイミは、一人だけ嫌な予感を確信に換え急いで自分の部屋に戻っていった。




