75話 人体模倣実験
「うっ……ここは……」
アザレアが目を覚ますと、見覚えのない光景が広がっていた。
ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。
「……診療所、かしら。私は捕まって……そうだ!お父様は!?皆は!?」
「エゲルン殿は生きているよ。皆というのも数人は生きている」
「貴方は、暴竜!よくもみんなを穢したな!今に神の裁きが下るぞ!」
「それより具合はどうだ?不調があれば実験に支障が出る。暖かくしているつもりだが」
「え?……って、きゃあ!な、なんで私は裸なの!?」
「布はかぶせてあるでしょ」
ガチャガチャとうるさい手枷と足枷に恐れを抱きながら、きっ!と鋭い目つきでセイを睨め付ける。
自信の状況に驚く。気を失う前に身に着けていた装備は全て取り上げられ、視線を遮るものは顔以外を覆う白い毛布だけ。
聖女でありつつも騎士と共に軍事行動の経験もあるアザレアは理由を察しつつも、白く清潔で、まるで実験室のような部屋に恐怖が膨れ上がる。
「なっ、何をする気ですか……っ!」
「じっとしてろ。痛くて苦しいだけで死にはしない」
「それはよ――くないでしょう!そんなことを聞いて、私がおとなしくしているとでも!?」
「殺さないで上げるんだからいいだろ。ああ、お前の親の話な」
「ぐっ……」
伸びてくるセイの手をアザレアは見ていることしか出来ない。遅くもなく速くもなく、焦りも無く怯えもない。緩慢とした動きで毛布をめくりあげ、柔らかい体に触れる。
(ひっ――)
表情にこらえきれない怯えが宿る。セイの手がいやらしいから……ではない。
手の動きが、まるで家畜を検分する動きに似ていたからだ。
目の前に居るのは男性で、自分は女性。魔術と神術だけでなく、闘気まで身に着けているため八十年も生きていながら若々しさを保ち、周囲の評判から美しい自負もある。
しかしセイはもっと興味深いものがあるとばかりにアザレアの体を調べる。表面的な柔らかい肉ではなく、奥にある筋肉。さらに奥にある心臓。魔力回路。そして魔力を流した時の魔力の流れ。
「よし分かった」
十五分ばかり全身を検分すると、セイは納得したように離れる。
「はあっ……はあっ……いったい、何のつもりですかっ……」
「実験だよ。魔導書を読むようなものだ」
「はあっ?」
はぐらかすような返答に苛立ちを覚えるが、次に起きた光景に苛立つ余裕すらなくなった。
セイはまず全裸になった。
硬直するアザレアを無視して、セイは自分のほっぺたをペチンと叩いた。続いて胸元、腹、腰、そして太もも。最後にくるんっと回ると、そこにはもう一人のアザレアがいた。
「………………は?」
「うんうん。よくできてる」
アザレアはもう一人のアザレア、いや、アザレアに変身したセイを前に言葉を失う。八十年も付き合いがある体だ。もちろん鏡でしか見たことは無いが、間違えようがない。
寸分の狂いもなく、自分の体だ。
何をしたのか、何をしているのか。分からないが、アザレアの心が警鐘を鳴らす。不味いことが起きている。ここに居てはいけない。
しかし逃げる方法など無い。不思議なことに闘気も魔力も賦活出来ない。見た目通りの力しか発揮できない今のアザレアに出来ることは無い。
「あーあー……あーー‥‥‥もう少し高いか?あー……うん、これでよし」
「止めなさい。あなたは、取り返しのつかないことをしようとしています」
「知ってるよ。けど進んだ道を引き返すつもりなんてないよ」
すっと、柔らかい手つきでアザレアお腹の上に手を添え、呪文を唱える。
「【神よ、神よ、私は貴方の忠実なる僕なりて、恵みの奇跡をお借り申し、不妊に苦しむ同胞に恵みの憐れみを、受胎告知】」
「は?……ぐっ、あ、あああああああ、あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」
「うまくいった、やったぜ」
祝詞を唱え終わると、アザレアの腹部の中に何かが出来る。
いや、なにか、ではない。それが何なのかアザレアは良く知っている。身内にも、そして敵にも、良く使った技なのだから。
「な、なぜ、貴方が、私と同じ神術を……うっ!」
「神術……?ああ、神聖魔術か。良くて出来てるだろ。お前の真似だ」
「なあっ!?」
「お前は神聖魔術が使える。ならばお前と同じ体を使い、お前と同じように力を動かせば、同じ現象が起きるのも当然、そうだろう?」
「……ひっ」
絶句。言葉を失うとはこのことだ。
原理は分からない。だが目の前の怪物は、神の恩寵を受けた神聖なるこの体を読み解いて、神の奇跡を簒奪してみせたのだ。
その行為のなんと悍ましいことか。それだけのことをするには想像を絶するほどの努力があったはずだ。素晴らしいことだ。賞賛に値する。だと言うのに使い方を致命的に間違えている。
「よくできてるな、この魔術。自分の体で再現するにはちょっと時間がかかるぞ」
おそらくは賞賛らしき言葉が聞こえるが、頭に入ってこない。
腹からこみあげてくるのは悲鳴だろうか。それとも胎児が理解したくない意思を伝えようとしているのだろうか。
「う、お、ロロロェェ……!」
「汚い」
精神的な負荷が大きすぎたのだろうか。胃が決壊したらしい。捕まえてから目が覚めるまでの四日間は固形物を摂取させていなかったのは幸いだったか。
次に目を覚ました時も彼女の扱いは変わらない。王女にして聖女だった彼女の使える神聖魔術は多岐にわたり、学びを得る絶好のチャンスなのだから。
場所が変わりトトサワルモ地方の中央よりやや北東。森の中にセイが一人でいた。最近は軍を率いて行動しているが、こればかりはセイが一人でやらないといけないのだ。
「これで四体目、この辺の土地神は降伏しないんだな」
「当然だ……っ、ようやく魔法を使えるようになったのだっ!貴様こそ、魔法を使っていながら、神への階梯を登り始めていながら、なぜこのようなことをっ……」
「いけね、まだ生きてた」
「——がっ」
セイが踏み殺したのは瘴気を帯びた巨大な蟹の様な生き物、魔物だ。
もっと言えば、セイと同じ種族・ダンジョンコアだ。
この世界に自然発生するダンジョンはマスターを選び、ダンジョンのコアを守らせることで成立している。基本的にダンジョンマスターはダンジョンから出ることは無く、一生をダンジョンの防衛と拡張に一生を捧げる
しかし極稀に人間や人間並みの知能を持ったダンジョンマスターは自己を改造し、ダンジョンコアと合一することで自立し、セイの様に外に出てくることがあるのだ。
彼らは総じて膨大な魔力と強大な力を持ち、大抵の場合は災害級の魔物として討伐される。しかしさらに極稀に、魔物としての本能を制御しどこかの土地の守り神の様に振舞う事例が確認されており、これを土地神と呼称する。
この土地に住んでいた土地神もランクは9、傘下の魔物の数も五万を超え、かなり大きな魔境を支配していた。こればかりは部下の手柄には出来ない。魔物は自害させるに限る。
「いただきます」
「————」
物言わぬ躯となった、一応は数少ない同胞の肉を美味しく料理してから食べる。高位の魔物は血の一滴まで最高級の素材であるように、ダンジョンコアの素材も全てが最高級の素材だ。
そして、魔物は同胞を食べる時が一番成長する。当然煮込み鍋だ。
『魔力が百万増加しました』
『魔王の欠片【鰓】を吸収しました』
『【魔王の鰓】が【魔神の欠片】に統合されました』
『【魔神の欠片】が【魔神体】に覚醒しました』
『【神格;迷宮神】の神性が上昇しました。権限が上昇します』
「さて、あと一か所か。もう五日も離れてるし、さっさと終わらそう」
出汁ごと飲みつくした後は殻をかみ砕いて捕食した後、セイは次の土地神の元に向かう。
「お帰りなさいませ。資料を整理しておきました」
「ありがとう。次は……ああ、そうそう。人里にあるんだった。行ってくるよ。ドア閉めといてね」
「かしこまりました。次までに屋上にも出入り口を作っておきます」
土地神を探すと言っても便利なレーダーがあるわけではない。至近距離まで近づけば分かるが、さすがに百キロも離れていれば感知できない。
ゆえに居場所は傘下の者に調べさせた。セイは進軍した国々を逆走し、地元の領主や国王から聞き出した情報をもとに土地神の支配領域を割り出したのだ。
種族・ダンジョンコアの姿は千差万別。ただでさえ動物から無機物、果ては人間さえなれるのだ。見た目での判別は不可能だ。
「お待ちしておりました」
「あれ、誰?俺が来るって知ってたの?」
「はい」
最後に訪れたのは、普通の村だった。山の中に二十人程度が住む廃村一歩手前の集落。廃れているが、人々の顔に悲壮感はなく、どこか賢者の隠れ家思わせる空気が漂っている。
話しかけてきたのは十五歳程度の少女だ。栗色の髪に化粧っ気のない素朴な容姿。地味な装飾のローブを身に纏う姿は見習いの魔術しか治療師と言ったところか。
「ダンジョンコアか。年齢も、見た目通り、か?」
「今年で十五になります」
ぺこりと下げられた頭を見ながら少しだけ驚く。いや、本当は驚くべき程の事ではないのだが。最近は平気で人の身でありながら百年以上現役の超人を相手にしすぎたせいで感覚が麻痺していたのだろう。
「一般人の顔をした者を傷つけるのは気が引けるけど、一応ははっきりさせよう。降伏する?それとも死ぬ?」
「まずはご案内させて下さい。我が神より神託を授かっておりますので」
「まじかよ」
にこりと薄く微笑む顔に、今度は好ましい意味で驚く。評価を上げた、と言うべきか。見た目通りの年齢。魔力量もダンジョンコアとしては大したことは無く、戦闘能力も精々騎士一人分程度だろう。
だというのに、圧倒的に格上のセイを相手に凪いだ気配を変えない。自分が殺されないことを理解しているだろうが、もし自分が逆の立場なら震えていただろう。
「どうぞこちらへ」
村の奥にある社、そのさらに奥ににある洞窟に足を踏み入れる。
暗くはないが、明るいとも言えない。寒くもなく暖かくも無い。心地のいい空間だ。警戒しながらも進んでいくが、怪しいもの、害あるものは見当たらない。我が神、と言うのは邪神や悪神の類ではないと察していたが、いったい誰だろうか。
「……」
「どうしたの?」
「……失礼しました。我が神から聞いていた人物像との差異が大きく、戸惑ってしまいました」
「その神って、俺も知っている神様?」
「ええ。この世界の誰もが知っています。あなたのことも、あなたからの祈りと通じて知ったとのことです」
「へえ」
突き当りにある扉を開け、さらにその先へ降りていく。【気配探知】で周囲の状況を把握できなくなった。この場所が通常の空間でないことが理解できた。
歩き続けると、気配と重圧が大きくなる。空間の魔力の密度が恐ろしく高い。この体のセイを軽く凌駕し、今までの中で一番……いや、そういえば、過去に一度、似たようなことがあった。
「お身体に不調はありませんか?」
「少しきつい。君はなんで平気なの?」
「神の加護がありますので」
「なるほど」
言葉通りの意味だろう。【○○の加護】というユニークスキルにはその神からの重圧を軽減すると思われるという内容の研究を見たことがある。
…………一つだけ、理解した。というよりも思い出したことがある。以前にもこれに似た場所を歩いたことがある。
ここは、神域だ。
それも、主は龍皇神ワクシャクに匹敵する。
「着きました。この先はあなただけが進めます」
「案内ありがとう。ええと……名前を聞いていなかったね」
「ルミナスと申します」
「ありがとう、ルミナスさん」
微笑むルミナスを置いて先に進む。最後の間には壁画が書いてある。
異形の獅子。頭部は獅子で、尻尾は蛇。背中から生えているのは翼。キマイラ、と言うのだったか。それが星を飲み込もうとしている。客観的に見て、不吉な予言の類だろう。
しかしセイはその意味を理解し、真っ直ぐ進むと、壁が壊れ、新たな扉が現れる。
『おや?これは、夢……?んー?』
扉を抜けると、そこは宇宙だった。
いやいや、そんなはずはない。しかしそうとしか表現できない。宇宙の様な空間で何故かある透明な硬い床を踏みしめ、進む。なんとなくだが体が透き通っている気がする。なぜだろう。
『おおっ、おおおおおっ!よく来たのう!』
中心に座す神が言葉を発して来た。壁画に書いてあった通りの異形の獅子。しかし邪悪な神々のような瘴気は発しておらず。神々しさに満ちている。
会ったことは無いはずだが、確かに知っていた。なぜなら、セイが信仰している神の一柱なのだから。
一目見て理解した。あれは、世界を創造した十二の大神の人柱、『創造と空間の神』シャヌマーだと。




