74話 ライド国滅亡
「開門!開門せよ!第一陣の騎士たちが帰還したぞ!」
夜が明けてライド国の外門に血の臭いが漂っていた。
「うぅっ……いっ、痛く……ないぞ!本当だ!」
「無理をするな、あと少しの辛抱だからな」
門の外に集まる多数の人影。騎士に兵士、その多くは負傷兵だ。
ライド国の戦士たちはセイたちに対抗するために待ち伏せしたが、二百名中八十名が戦死した。彼らは決して弱くなかったが、犠牲者の割合が圧倒的に多いのは単に相性が悪かったからだ。
魔物退治を専門とする神官戦士もいるが、その大半はトトサワルモ地方中に散らばっている。ライド国はあくまで故郷。滞在していたのは対人戦が得意な神官戦士がほとんど。人間としての知性を保ったまま魔物と融合し肉体強度を飛躍的に上昇させたセイの配下たちとは分が悪かったのだ。
「早くこちらへ!」
「なんて酷い瘴気なのっ!私たちだけじゃ足りない!」
「見習いの子たちも連れて来て!治療師よりも祈祷師が必要だわ!」
その中でもセイと直接戦って負傷した兵士たちの傷は酷いものだ。誰もが手足の一本や肉体の一部を失い、膨大な瘴気に汚染されている。もしライド国が信仰深く仲間意識が強い共同体でなければ捨てれれるか、慈悲で殺されるかだろう。
「なんて酷い瘴気なの……はやく浄化しないか皆魔族になっちゃう」
「そうさせないために私たちがいるんでしょ!早く祈るわよ!」
待機していた祈祷師と呼ばれる女性たちがハイディに祈りを捧げると、負傷兵たちの体が微かに輝き、うめき声が少しだけ和らいだ。
「ああああ……あ”あ”ア”ア”ア”!!!」
「たすけっ、はヤク、ダズげデくれっ!!」
しかし一瞬の輝きをかき消すように、瘴気が勢いを増す。セイが植え付けた膨大の瘴気のこもった植物が常に体内から汚染を続け、既に変異は始まっている。腕にうっすらと黒いごつごつとした岩の様な鱗が浮かび上がり、口元には牙が伸びて来た。
勢いは増し、負傷兵たちも苦しそうだ。
「あ、ああアア”あ”ア”!」
「くっ、私たちでも無理だわ!聖女様に――」
「ええ。私の出番ですね」
祈祷師たちの後ろから女性が祈りを捧げると、祈祷師たちとは比べ物にならない圧倒的な光の奔流が迸る。
光の奔流は負傷兵たちを包み込んだかと思えば瘴気を中和するように染み込んだ。
「う”う”、うっ……すうっ―――」
「くうっ……くぅっ……」
「良かった!症状が落ち着いたわ!」
「ありがとうございます!聖女アザレア様!」
「同じハイディの信徒として当然のことをしたまでよ。それより……酷いことをするのね、暴竜」
アザレアと呼ばれた女性は悲しそうに目を伏せ、慈悲深い視線で負傷者たちを見つめる。聖女とは一般的に神に仕える女性信徒の中でも一際優れたものに与えられる尊称だ。冒険者や騎士の様に誰かから明確に与えられるわけではないが、周囲からそう認識されることはその人物が一角の者であることの証明だろう。
特にここは信仰深きライド国。大半の聖女の様に治癒の腕前や献身深さだけでなく、ハイディの加護と純真培養された一点の曇りもない教義への忠実さを持っている。この世界で最も聖女らしいと言えるかもしれない。
「聖女様!我らを置いて行かれては困ります!」
「今は有事、もしも国内に侵入者がいれば御身にも万が一のことが起こる恐れが……」
「そんなことを言ってはいられません。世界を穢す神敵の絶滅こそ我らの使命。私の八十年に及ぶ研鑽も、この時のためだったに違いありません」
「その通りだ。先ほど、ハイディより神託があった。神敵セイに聖なる死を賜れと」
診療所に男性が入ってくる。アザレアと同じ銀髪だ。素人目にも隙が無いと分かる立ち振る舞いと、血と泥に塗れた姿は彼が先ほどまで戦っていた証だ。
「兄さま!?それは本当ですか!?」
「俺が偽りを口にするとでも?」
「あ、い、いえ。そういうわけでは無くて……」
「ふふ、冗談だ。許せ。そして真実だ。先ほど父上……陛下がハイディより神託を賜った。世界中にいる信徒たちにも同様に神託が下っているだろう。暴竜ももう長くない」
アザレアだけでなく、周辺で聞いていた者たちも歓喜と使命に浮かされ静かに高揚する。顔には強烈な笑顔が満ち、拳を強く握りしめる。偉大なるハイディの忠実なる信徒として生きていたが、大抵はかつて神の声を聴いた者たちが残した記述を元に神の意思に沿う事しか出来なかった。
しかし今回は違う。世界で最も偉大な存在の威光を背に受け、邪悪なるものを撃つ。その純然たる事実に高揚しているのだ。
「それではさっさく私たちも門の外へ行きましょう!暴竜を討つのです!」
「落ち着きなさい、アザレア。ハイディは拙速を嫌い巧遅を好む。まずは体勢を整えてからだよ」
「おっととっ、その通りですわね。……って、あら、少し寒くなってきましたわね」
「ああ、少し寒く…………馬鹿な」
「お兄様?空を見上げて何を……」
二人だけではない。周囲にいたもの、だけではなくライド国の全員、それですらなく、周辺諸国を含めた全員が空を見上げて驚愕の表情を浮かべていた。
まだ夏なのに、雪が降っていたのだ。
それも、膨大な瘴気が込められた。
「この国を後回しにするわけにはいかないんですかい?」
「ああ。ハイディ教の戒律は全ての国の法を優越する。異端認定されれば国王ですら裁かれる絶対的な権力だ。世界征服するには必ず潰さなくてはならない。
それにアデライドからの依頼でもある」
「アデライド……?ああ、八大災禍のリーダー、【悪霊王】のアデライドですか。セイ様、いつまであんな奴の言うことを聞いているんですか?セイ様より上の立場の人がいるなんておかしな話じゃないですか」
「その通りです。今は何をしているのかすら不明で役立たず。この次に殺しに行きますか?」
「するわけないだろ。あの女が何をしているかは把握しているから。耳目を俺に集めておくのも指示の一つなんだよ」
「ですがセイ様、八大災禍を抜けるのには私も賛成です。特に危険なのがあの【猫手】。実質的にはセイ様の部下の分際で同格のつもりのクソジジイ。セイ様の安寧のために殺しておいた方がよろしいかと」
「【猫手】かー……あのおっさん頭の良さを悪意に全振りしてるから苦手なんだよなー」
「では!!!!!!!!!!!」
「殺さないって。不穏分子の排除とかタイミの仕事だから。てか、俺に敵意を向けてくるやつなんていっぱいいるだろ。特に【寒封天】のお前ら、故郷を征服された後も何度も俺を全力で殺そうとしてきたあの頃が懐かしいよ」
「そっ、それはどうか忘れていただきたく……」
「記憶にございません」
「あほ」
ライド国からほどほどに離れた丘の上で、セイを中心に三十人ほどが集まって陣を組んでいた。
陣と言っても戦術における陣形ではない。各自が規則的に並んで特殊な魔術陣を描いているのだ。
これは儀式魔術の一種であり、以前読んだ魔術書に書いてあった水属性天候魔術にセイが体内に蓄えた膨大な瘴気を混ぜ合わせたオリジナルの術式だ。当然魔術師ギルドに知られれば禁呪に認定され、使用者は国際的指名手配されること間違いなしだろう。
しかしセイは気にせず膨大な魔力と瘴気を込めて発動し続ける。ルールとは破るためにあるのだ。破った先に破らなかった場合よりも良いものがあれば踏み越えることに躊躇いは無い。
空を見上げれば雪雲が物理的な常識を超えて巨大化している。ライド国の三倍ほどの面積にまで巨大化しているのに、ライド国の上空から全く動いていない。それにゆっくりと下降を始め、防御結界をすり抜けて瘴気が可視化出来るほどに蔓延し始めている。すでに国内に瘴気が蔓延し始め、魔物化が始まっていてもおかしくない。
ここまでで一日。時間の猶予は長く見て三日くらいだろう。
「あと一日あれば十分だな。更地にしてやろうぜ」
セイは邪悪に微笑むと、全身の血管の圧力を操作し破裂させる。体表が裂け、血が流れ、地面に着くと泥やマグマの様に粘性を帯びながら広がって行く。
波打つ海の様に揺れ、肥大化する。
セイの体を流れる黒い血は液体化したダンジョンにして魔物を産み落とす生命のスープ。粘性の高い液体を放置した時に出来る玉のように命が生まれ、混ぜ合わせることでさらに強力な命になる。
ランク1の魔物の元が生まれ、混ぜてランク2に、3に、4に。肥大化と圧縮、融合、さらに圧縮してもう一度融合。繰り返すことでこの世に在ってはならない生き物が出来上がる。
「ごぼぼぼぼ」
「きゅるるるる」
「ぐるる」
中から出てきたのは魔物だ。竜種、スライム種、植物種、アンデット種、水生系に魔獣系、分類不明の単一種などなど。最低でもランク4。高ければランク8。それに膨大な瘴気で非常に強化された個体たちだ。
数は十秒あたり五匹。周囲の地形を分解しては魔力に還元し、自身の心臓部にあるダンジョンコアを経由させることで瘴気に変換し、黒い血から魔物を産み落し続ける。
「……セイ様、エルフの森を焼いたときも思いましたが、見栄えが悪すぎます」
「やっぱり?まあ心配するな。征服した後に支配する場所ではやらないから」
「今回は根絶やしでしたっけ」
「いやそっちはどうでもいいけど、住めない土地にはするよ」
セイの周囲に集まっていた兵士たちも核命血と勝手に呼んでいるセイの血を飲んで一時的に能力値を膨大に上昇させる。その上がり幅はこの世のバフ系のポーションの中でも最上位であり、相性がいいという理由もあるが、これ以上の効果を求めるなら命を削る禁忌のポーションしかない。
副作用で魔物化が進むが、既に己の生き方を決めて彼らにとっては些細な話だ。
その様はまさしく百鬼夜行。天井より見つめる神の目には、魔王の転生体にすら錯覚する悍ましい景色を作り上げながら、ライド国を亡ぼす一手として歩み始めた。
翌日、ライド国には地獄が広がっていた。
ライド国の防御結界はこの世界でも最上位の性能を誇るが、空気や水、光までは遮断していない。本来は遮断する瘴気も排除しきれず、重い空気や雪と共に一緒になって入ってきてしまった。
その量は手に負えないものでは無いとばかりに必死に片っ端から浄化していたが、勢いを増す瘴気と、下がり続ける寒気についに限界を超えた。その結果は悲惨なものだ。粘性を帯びた瘴気は土地と人に纏わりつき、人々は魔族に変わってしまった。
「城門の前に救いを求める信徒たちが!」
「陛下!どうかご決断を!」
「あれは同胞ではありません!ただの魔族、魔物です!この世界を汚染する生き物、聖なる死を賜ることが唯一の救い、そうではないのですか!?」
「分かっておる……だが……」
「皆の言う通りです!魔族は神の前に死ぬべき、ならば私も死ぬべきなのです!邪魔をしないでいただきたい!!その手を放しなさい!!私は自分の手で自害いたします!!!」
「うっ、うううううっっ、し、しかし!まだ治す方法があるはずです!!」
「そんなものはありません!ないからこそ!私たちは同胞だった者たちを手に掛けたのでしょう!!……ううゥウ”……私ヲ、まだ人であル内に、神の御許へ行かせて下サ”い!!!!」
「一体……一体どうすれば……、と、とにかく!アザレアは魔術師長を封じなさい!!他の魔族に落ちかけている者も隔離し、聖水を飲ませて落ち着かせるように!兵士たちよ、城門前の魔族たちは浄化の魔術で落ち着かせるんだ!」
「陛下!外門が破られました!大量の魔物が街中になだれ込んでいます!」
「騎士たちを向かわせろ!一か所に集まっている今がチャンスだ!魔術師たちに一掃させるんだ!」
「すでに返り討ちにあっています!先頭を進む暴竜が邪悪な力で信徒たちを操り、同士討ちをさせています!」
「なっ――」
「ぞ、続報です!防御結界が雪の重みに耐えられず、装置が壊れました!間髪入れずに魔物が壁を乗り越えています!どうかご指示を!」
「あ、あああああ、ハイディよ、私は一体どうすればばばばっばばっば………………」
街中も地獄のような光景が広がっていたが、それは王城の執務室も同様だ。
ライド国国王、エゲルン・ランドは信仰に篤いハイディの敬虔な信徒だったが、敬虔であることと軍事的に優秀であることは全く別の話だ。ハイディ教が明確に人類の中で最大勢力を誇ること千年。ハイディ教に逆らうものはおらず、ましてや強力な騎士や兵士を多数輩出しているランド国を軍を率いて襲ってきたものなど存在しない。突発的な強力な個人は同じく強力な個人で返り討ちにしていきた。
しかし今回は違う。敵は神話に語られる魔王の様に悍ましい化け物を率いており、人間さえも魔物に換えてしまう深淵の使途。急に近くに現れたために騎士を差し向ければ返り討ちにあい、翌日には国中が瘴気に汚染され、さらに翌日の夜が明けるころには国民の半数が魔物になっていた。その中にはハイディの剣、第二の聖女と称えられる魔術師長まで含まれている。
絶望的だ。たった三日でこの地獄絵図だ。どれだけ図書を漁っても前例がなく、愛する臣民にして同胞を手に掛ける決断も出来ない。
邪悪に魅入られたかつての同胞は、聖なる死を賜ることが唯一の救いである。そう理解しているし、それが正しいと考えている。しかしその手を振り下ろしたことは、玉座に着いてからの三百年間一度も無かったのだ。
若き日の様な前線に立つ騎士ではない。他者よりも神に近い階梯に在った年月が、決断を鈍らせてしまっていた。
そしてその葛藤は致命的だ。
「【我に従え】」
風属性音魔術【拡声】によって、邪悪な魔力を含んだセイの声がライド国中に響き渡る。
セイの声、つまりは、魔物への命令権を持つダンジョンコアの声が。
ぐさり。
「え――」
「あ、れ?」
エゲルンが振り向くと、アザレアの胸を、魔術師長の黒い腕が貫いていた。
「なんて神々しい。あれこそ真の神に違いありません」
魔術師長は晴れやかな笑みを浮かべ、祈る様に両手を合わせる。その笑みに一点の曇りもなく、迷いの晴れた美しい祈りだった。
「【我の僕よ、我の僕でないものを殺せ】」
続いて響いた声にはさらに膨大な瘴気が籠っていた。正常な人間であれば悍ましいと感じる声も、完全に魔物になった魔術師長にとっては神がもたらす託宣のように感じているのだろう。
その顔は恍惚とした歓喜に溢れ、魔物になったことで上昇した能力値を生かして鉄の鎖を引きちぎり、魔力を練り始めた。
「ああっ神よ。私の献身をお受け取り下さい!!」
「魔術師長!使命を忘れてはいけません!目を覚まして下さいませ!!くっ、お父様、いったん避難しましょう!」
「ひっ、避難と言っても、いったいどこに!?」
「どこかにです!ひとまずは兄さまと合流しますよ!」
アザレアとエゲルンは屈辱と絶望を押し殺しながら魔族に落ちた同胞たちを退け、生き残りを探して王城を飛び出した。
当然のようにライド国は滅び人の住めない土地になったが、その努力は僅かな生き残りを生んだ。




