閑話 7 ヒナルラ公国の最高権力者
ヒナルラ公国初代大公、アーゼラン・ウルディア。それは千年の歴史を持つヒナルラ国が生まれ変わって出来た新しい国、ヒナルラ公国の最高権力者となった十七歳の少女の名前だ。
たった十七歳の少女が国家の最高権力者になるなど極めて異常なことであり様々な者がアーゼランの商会を運営する能力や政治的な立ち回りの方法を知りたがっているが、本人にはそれらと同じくらい隠していることがある。
それは、前世の記憶があることだ。
前世の名前は高坂瑠璃。大学を卒業間近で死んだ女性の記憶を持っている。
瑠璃は一言で言えば、『優等生』だった。周囲から愛されて育ち、本人もその愛に応えるように学業に励んだ。品行方正でルールに違反しない。学生の本分は勉強であるという考えに乗っ取り勉強し、友人も多く、運動も欠かさず、真っ当な人間の生き方を苦に感じない人間だ。
そんな瑠璃は当然のように優秀な大学に入り、真っ当に大学生活を送り、留年することもなく卒業するに十分な成績を修めた。学業だけでなくサークル活動やインターンにも参加し、周囲への模範となった。
立派な人間だと言っていいだろう。
しかし、そんな立派な人生を送っている瑠璃にも内心では不満があった。
それは恋人がいたことがない事だ。
恋人がいたことがない。それ自体は悪い事でもないし、自責することでもない。
異性や恋愛、性行為に興味を持つのはどのような人間にもあることだが、興味を持つより先に踏み出す者もいれば踏み出さない者もいる。
学業に専念した。大学生として健全に活動した。結果として優秀な成績を修めた。その人生に恋愛が挟まる余地はなかった。それだけの話だ。学生時代が終わっても人生は続くのだから、何一つ問題にすることではない。頭のいい瑠璃はそれを理解していた。
しかし。
「ほらほら~いまお腹を蹴ったよ!瑠璃も触ってみてよ~」
「…………ウン。ゲンキナアカチャンダネ」
しかし、高校からの友人が妊娠した時は、ひっくり返る程驚いたものだ。
人生を見つめ直す程度には衝撃的だった。
その友人は瑠璃とは違い、あまり褒められない性格をしていた。
大学に入ると気が緩んだのか遊びにばかり精を出し、一年生の内から飲み会に入り浸り、気が付くと大学にも来なくなっていた。風の噂で彼氏が出来ただの、留年しただのとは聞いた時は残念だったが、そういうこともあるかと忘れることにした。
その友人は、どうやら彼氏と結婚するらしい。
学生結婚。学生出産。正気を疑う行動だ。常識的に考えてありえない。彼氏は同級生らしく、年齢も同じ。つまりは学生であり、収入がなく、面倒を見ることが出来ないということだ。
聞いてい見たら、実家を頼るらしい。なるほど、それなら生きていける。というか、それ以外に生きていく方法が瑠璃には分からなかった。
客観的に言って、もう人生は破滅だろう。学生が妊娠などありえないし、どこかに就職するときに履歴書にはなんと書くのだろうか。
彼氏も魅力がない。遊び人で頭も悪く、能力も低い。留年もしているらしいので、お馬鹿同士でお似合いねとでも言えばいいのだろうか。
瑠璃はまだ二十二歳の小娘だが、それでもそれまでの人生で培った知識と教養、常識から、この二人は社会の最底辺に堕ちた愚か者で、不幸になるしかない愚か者。少々大げさだが、そういう存在のはずだ。
(それなのにどうして、こんなに幸せそうなんだろう)
二人の顔には笑顔しか浮かんでいなかった。恋愛と妊娠で馬鹿になったのではないだろう。そう信じられる程度には付き合いのあった友人だ。
この二人は幸せなのだ。学生で妊娠するという非常識なことをしたのに。それで親を頼るという不義理を働いているのに、どういうわけか、この二人が不幸になるとは思えなくなるほど幸せそうだった。
いいや、一応、理由は考えられる。
人間は変わるものだ。知識が豊富な瑠璃は、遊び人が結婚を機に一途になるという話は聞いたことがある。だらしのない人が、妊娠を境に命の重みを知り人が変わることもある。知識として、知っている。
だからこの彼氏が真人間になることもあるだろう。瑠璃の常識と倫理観ではありえなくても、この友人と彼氏は、幸せになるのかもしれない。
ならば。
ならば、自分はどうなのだろう。
恋人がいたことのない自分は、良い出会いに恵まれるだろうか。
運命の赤い糸だの真実の愛だのだなんて信じていないが、それでもそのうち誰かしらと結婚すると考えている。
しかし、本当に、そうなるのだろうか。
自分は真面目に生きて来たのに。真面目に努力して来たのに。
この不真面目な友人たちのほうが、幸せになれるのではないか。
そう考えた時、瑠璃は初めて自分の人生に疑問を持った。
もっと遊んだほうが良かったのではないか。恋人を作ったり火遊びをしたり、そういう人生の方が良かったのではない。
いやいや。時間は戻らないのだ。ならば無駄なことは考えず、未来のことを考えたほうがいいのではないか。結婚が全てでもないのだ。
しかし、あの友人は、羨ましくなるくらい幸せそうで――。
「……あら?」
そんなことを考えていると、隕石に潰されて死亡した
「良かった!目を覚ましたぞ!」
「もう、心配させないでよ」
(……ここ、どこ?)
瑠璃は気がつくと、子供になっていた。
自分の名前はアーゼラン・ウルディア。年齢は五歳。
突如高熱を出して寝込み、一週間たってようやく目覚めたらしい。
混乱から立ち直った瑠璃改めアーゼランは情報を集めて、自分は転生したのだろうと結論を出した。
だろう、というのは実証しようがないからだ。
自分は確かにこの世界で生まれ育った記憶があり、両親や家族への愛着もある。しかし同時に、高坂瑠璃という人間だった頃の記憶と感情も、とても夢だとは思わないほどにははっきりと覚えていた。
これらの事実に整合性を付けるために出した結論が転生だ。証拠はない。だが、そう考えたら納得がいく。
そして自分には貴族として婚約者がいると聞くと、気が付いたときには親に力が欲しいと宣言していた。
(あれから十二年。思えば遠くに……いえ、全然思っていたのと違う場所に来たものね)
アーゼランは書類を捌いていた手を止め、物思いにふける。
この部屋は大公になったアーゼラン専用の仕事部屋だ。
元ヒナルラ国の国王が執務に励んでいた部屋であり、今ではアーゼランが自分専用に改造した結果、国中の全ての情報が集まる国家の頭脳だ。
少し前まで議会制を採用していたため作った議会そのものは存続させている。
頭脳であるアーゼランが考え、心臓である議会で議論する。今のアーゼランに対等なものなどいない、今のアーゼランは明確に国家の最高権力者だ。
結婚相手を決める権利が欲しい。ただそれだけのために力を求めていきついた場所としては、どうしてこうなったと嘆きたくなるものだ。
運命の相手なんているとは思っていない。だが、誰と結婚するかは自分で決めたい。本当にそれだけだったのだ。
(それもこれも、全てはこいつが)
「ん?どうした?」
「いいえなんでも?手が止まっているようですが、もう作業は終わりましたか?」
「とっくに終わったよ。お前にも【念写】の魔術を教えようか?」
「助かりますわ!」
向かいの机に一人の男性がいる。このアーゼラン専用の部屋に。アーゼランとよっぽど親しくなければ入れない部屋に。もし異性であれば、特別な仲を疑う程に。
その男性の名前はセイ。正確には、一般人型分割体。セイが作りアーゼランの下に派遣している肉体の一つだ。
「そうカリカリするな。俺たちは同じ目的を持った同士だ。そうだろう?」
「ええもちろん。『この世界の文明水準を地球と同程度に引き上げる』。そのために、私たちは共にいるのですから」
この世界の文明水準を地球と同程度にする。それがセイとアーゼランが手を組んでまで成し遂げようとする目的だ。
アーゼランが作ったトト商会は地球の製品を再現してこの世界で覇権を取っているが、それは地球の方が絶対的に優れているわけではない。ただ、地球の方が時代が進み、洗練されているだけだ。
アーゼランとセイは地球の知識があるため再現できるが、二人が極まった天才性で新商品を作っているわけではない。地球で見たことのあるものを再現は出来るが、発展させることは出来ないのだ。
セイとアーゼランからすれば、この世界は古い世界だ。正確には地球でも何でもないが、地球で言えば中世程度の文明。何もかもが杜撰で、満足できるものがほとんどない。
ゆえに、この世界の文明を発展させるのだ。
あと何百年かはこの世界で生きていくのだから。地球程と高望みが過ぎるが、最低限満足できる世界にしたい。
それが前世という形で異世界の知識を持っている二人の野望だった。
(セイさんと出会えたことは幸運だけど、正直、身の置き方をはっきりしてほしいのよね。ヒナルラ国の王族を殺した危ない人たちの仲間でもあるし、この国の……いえ、私にとっての重鎮でもある。
冒険者としての地位もあるし、たぶん私が知らない場所にも私が知らない分身を派遣しているのでしょうね)
セイの絶対的な武力を頼りにしていたが、最近では戦争も少ないので武力ではないく事務能力で助けられている。
紙の束に手を当て何らかの魔術を使うと数秒で内容を理解し、紙の束には文字が焼き付けられる。
視界を操作し複数の紙に書かれた内容を一瞬で理解し、【念写】の魔術で文字を入れる。この高速作業を可能とする【魔力操作】と【高速思考】と【分割思考】。
ポーズとしてペンを持っているが、おそらくはルーティーンの一環であり本来は必要ないのだろう。
正直、セイが居なければこの国は回らなくなるほど多くの比重で助けられている。感謝するべきだが、セイがいなければアーゼランもやる気をだし国を預かることもなかったで、少し複雑な気分だ。
「……げ、してやられた」
セイはそう呟くと、手に持っていたコーヒーカップを置き、明後日の方向を向き虚空を見つめた。
「どうしました?」
アーゼランは問いかけるが、返事はない。かつてないほど真剣な顔だ。眉間にしわを寄せ、どこか怒りと困惑が混ざった鋭い眼光でやかんを拭いている。
時間にして五分程度そのまま硬直した後、セイは悔しそうに口を開いた。
「すまん。本体が強敵と戦っているからリソースを集中させるために、この体は休眠させる。……たぶん三年くらい。どうしても必要な時はこの体の頭部に念話で話しかけてくれ」
「え?そこまで強いんですか?」
「ああ、今の俺はS級より強いが、無敵じゃない。事前準備をしたらA級でも一割、S級なら六割。S級より強いトトキやスレイなら、準備をしなくても俺を間違いなく殺せるだろうな。
今回の敵は時間がかかるだけだから危険ではない。おやすみ」
そういうとセイがソファーで横になり、寝息を立てた。
「もっと、説明してくださいよ」
突然の職務放棄に起こりペしぺしと頬を叩くが、返事がない。
頭を抱えた末に従者のコーネリアスに寝室まで運ばせて、アーゼランは急いで新体制を構築し始めた。




