エピローグ
今回は二話同時投稿です。こっちは二話目。
「今すぐ軍を再編し攻めるべきです!!あの男を許してはなりません!!!」
再建されたハイディ神聖国の教皇の間。教皇の前で、一人の聖堂騎士が慟哭と共に嘆願している。名はフロイト。年は老境の手前。引退していてもおかしくないだろう。けれど誰もが知る信仰心と人々を愛する心を見込まれて聖堂騎士に選ばれた聖人だ。
しかし今の彼は穏やかだった顔を憤怒と憎悪に塗りつぶされていた。
「落ち着け、フロイト」
「これが落ち着いてなど居られますか!あの男は、あの魔王の如き悪魔は!邪な心でハイディを侮辱し弓を引き、神の国に攻め入った!そのせいでこの世界は無茶苦茶です!教皇陛下、あなたはあの戦いの後にあった神託を聞いていないからそんな平気な顔が出来るのです!あの男が、あの男が放った災厄のせいで多くの者が命を落とし、人の住める土地も七割も狭くなったのです!!!もはや人類が元通りの世界にまで復興するには千年はかかるでしょう!!
これ以上の悲劇を防ぐためにもあの第二の魔王を早急に殺さなければならないのです!放っておいたら何をするか分かったものではなりません!」
血の涙を流しているかのような形相で教皇に迫る。命に代えてでも訴えなければならないという使命感に駆られているのだろう。セイのせいで家族を失った恨みもあるだろうが、その心に最も多く占めているのは他者を思う善性だ。
彼の思いは正しい。誰も賛同しない独自の価値観に基づいて多くの犠牲を出す危険人物など捕縛して処刑するべきだ。彼の考えに賛同するものも多いだろう。
しかし教皇は表情を動かさず、淡々を答えた。
「フロイト、君の故郷はオルグレンという街だったな」
「は?はあ、その通りです。覚えていただいて光栄ですが……話を逸らさないでいただき――」
「あの街は三日前に吸血鬼に襲撃された。知っているか?」
「なっ!?」
表情が驚愕に染まる。大切な故郷だ。それが襲撃されたのだ。驚かないはずがない。
「加えて聞こう。ある国が魔物の群れに襲われ救援を要請している。ある街では領主が横暴を働き始め反乱が起きそうだ。ある村は突然全ての住民が失踪した。これは君が賛同者を集めているこの三日のうちに起きたことだが、知っていたか?ああ、ちなみに君の管轄で起きたことだ」
「……いえ」
フロイトは言葉に窮し、顔を歪ませる。話の流れが望まぬ方向に向かっている。けれど、自分の手札ではこれを覆せるものが無い。
そしてなにより、自分の倫理観が覆してはならないと告げている。
「では私が国々に暴竜を打倒しようと話を持ち掛けたが、およそ半数はそんな余裕はないと返答し、もう半分は関わりたくないと答え、残りの僅かな者たちは忠誠と信仰を保ち暴竜の味方をすると答えたことは、知っているか?」
「…………いいえ」
勢いが落ちた。顔は俯き、自分の無知を恥じている様だ。
「フロイト。私は君たちのように神託を受け取る力はない。だがそれでも百年に渡り教皇という地位に就き続けているのは、君たちの誰よりも同胞の暮らしと安全のために尽くしてるからだと自負している。
フロイト、我が任命した神の騎士よ。深淵の向こうに帰った怪物を追うのではなく、神に仕える者の一人として、同胞を守るために剣を振るってはくれないだろうか。信仰の心も足りぬ私の言葉を聞き遂げてくれるなら、どうか」
玉座から立ち上がり、段差を降り、首を垂れた。
警備の者たちが動揺する。それ以上にフロイトも慌てふためく。
「あ、頭を上げてください、教皇陛下!御身の信仰を疑ったことなど一度もありません!……頭を下げるべきは、私の方です。私は悪の心に負け、道を踏み外してしまうところでした。これからは心を引き締め、己の職務を見失わない一層努力いたします」
一礼し、退室した。その表情は表面上は綺麗なものに戻っていた。
「フロイト殿、本当によろしいのですか?」
「構わん。あの教皇陛下のことだから何か他の目的もあるのだろうが、今の言葉に嘘は感じなかった。しばらくは、信じてもいいだろう。同胞を守るという前提を蔑ろにしてはいけないというのも真理だ」
「では他の者たちへの説明はお任せしても?」
「……原稿を書いてほしい。心に訴えかける適切な説明は不得意なんだ、知っているだろ」
豪華絢爛な宮殿の廊下をフロイトたちは進む。暴竜に恨みを持つ者たちだ。殺してやりたいという憎悪を抱えていながら、まだ理性もある者たち。
同胞を守るという倫理観と、その全てを投げ捨ててでも暴竜に殴りかかりたい衝動。相いれない二つの気持ちを抱えながらも理性で心を落ち着かせている。
「暴竜を見逃すのはハイディの意思に反しているのですが、良いのでしょうか」
「良くはない。だが理想通りのことが出来ないのが我ら人間だ。いつかの未来でハイディの意思が実現するためにも、今は耐え忍ぶべき……ん?」
曲がり角の向こうから声が聞こえる。無限光の者たちの声だ。
しかし、バミューダで聞いた気がする声もする。こんなところで聞こえていいはずのない声だ。
動悸がする。動悸を抑え静かに進む。向こうもこちらに近づいている。来てほしくない。その時が訪れてほしくない。
「げ、フロイトさんだ」
「最近は仕事をほっぽり出して政治活動?暇してるのね」
「私ですら働いているのに、暇そうで羨ましい」
嫌みをぶつけてくる三人の娘どもも今日ばかりは気にならない。それ以上に無視してはいけない生き物が、その隣にいた。
「始めまして、フロイトさん。バミューダで俺と戦った中にいましたね。腕の良い剣士だったのでよく覚えています。
俺はセイ。この度、無限光に新しくできる技術室の室長に就任しました。これからは同胞としてどうぞよろしくお願いいたします」
青年が笑顔で握手を求めてくる、ように見える。
しかしそんなはずはない。そんなことはあってはならない。
視界が歪む。心臓が体に悪い鼓動となって脳を揺らす。認めてはならない、認めていいはずがない。
しかし、何度瞬きしても目の前の幻覚は消えず、何秒待っても悪夢から覚めない。
「き、さまぁぁあああああ!!!!!」
理性と衝動の天秤が傾き、必殺の剣を振るってしまった。
「早速もめ事ですね」
「分かっていたことだ。見返りの方が大きいなら問題にならない」
それなりに近い場所で起こっている武技と魔術のぶつかり合いを聞きながら、教皇は側近たちと愚痴をこぼす。
「……今からでも追い出しませんか?私も不快感が強いです」
「我慢せよ。暴竜が暴れて人類の生存領域が大きく減っても、死傷者があまり出なかったのは暴竜が世界中に配置したシティコアのお陰だ。そしてシティコアの維持管理と改良、調整が出来るのは暴竜だけ。ならば味方にしない理由はない。
人類の早期復興には絶対に必要な人材だ。彼の持つ知識と人脈が手に入るなら、同胞を七割失ってもお釣りがくる」
その冷酷な判断に側近たちは恐れおののく。理屈は分かる。だが確かな信仰を持つ者が、同胞の三割を確実に生かすために七割を殺すような判断はなかなかできるものではない。
いくら未来のためといっても、だ。
「それに、今の人類に身内争いをして言う余裕はない。そうだろう」
教皇の手には、古くも確実な予言の書が握られていた。
「セイ様!アーゼラン様!大変です!」
「ん?」
「ぜえ……ぜぇ……何事ですか……」
終末の戦いと呼ばれる事件から五年の時が過ぎた。セイはヒナルラ公国でアーゼランに闘気を教えていた。長生きには最も確実かつ低リスクの方法だ。
「空島から大変な予言が、世界中に配布されました!」
「予言?どれどれ」
使用人から渡された紙を開く。
閉じる。
「マジか?」
「ちょっと、私にも見せなさい」
渋々と差し出し、アーゼランも目を通す。
彼女もマジで?と言いたげな顔をセイに向ける。
「他にも手紙は無い?」
「こちらに。そちらの紙は予言を記したもので、こちらは空島の女王からのお手紙です」
「女王?あの国って王様は不在で姫様しかいないって聞いたけど……ああ、就任したのか」
「勝手に納得してないで私にも見せてくださいよ」
真面目な顔をしているアーゼランの傍で、セイは頭を抱え、そろばんをはじく。
計算結果が出る。計算不能だった。
「読み終わったんですけど、これは本当ってことですか?」
「だろうなー……人類、滅ぶかも。世界連合でも作らなきゃ対応できないだろうな」
再び予言書に目を通す。そこにはこう書いてあった。
『百の年が明ける時、魔王は復活する。人類よ、備えるべし』、と。
完結しました。今まで読んでいただいてありがとうございました。
次回作もそのうち投稿します。
今作のいろいろは活動報告に書きます。