97話 敗北
その日、神の国では五万ぶりの大騒ぎが起こっていた。
「一体何が起こっている!?暴竜は我らの味方ではなかったのか!?」
一万年前に神になった若い神が悲鳴を上げ、近くにいる者たちが無言で同意した。
五万年に没した生命の勇者メテオが残した負の遺産の一つ、空中戦艦バミューダが突如として浮上。八大災禍と呼ばれる神域に届いた怪物たちが神の国に進軍を始め、その一人は味方のはずの暴竜だった。
そう、暴竜だ。世界を創造した大神であるハイディと同格であり兄弟でもあるコククロとシャヌマ―の加護を受け世界に平和をもたらそうと努力している未来の同胞。そう思っていたがなぜか攻め込んできた。
何かの間違いではないか。多くの神々がそう思ったが、救世主たちと交戦を始めたあたりでハイディの言葉が間違っていたことに気が付いた。
「ハイディが間違えたというのか!?神々の長であるハイディが!?」
「こ、こら!!滅多なことを言うな!ハイディが間違えるはずがなかろう!!おそらくは、ここ数日で魔王軍残党の邪悪な神々にそそのかされたとか……」
「――みんな見てみろ!!スレイが出撃したぞ!!」
空中に浮かんだモニターの様なものに地上の様子が映っている。そこにいるのは数年前に神になった剣術に限れば神々の中で最も強い若き神。
「そうか!スレイ殿は暴竜の師匠、とりあえず勝てるはず!」
「いや待つんだ!たしか頑丈な体になったことで調子が狂ったと言っていたはずだ!彼女は弱体化している!本当に勝てるのか!?」
「それにまだ神としては弱い彼女が地上に降りるなど危険すぎる!三十分と持たずに体が霧散するぞ!!」
少人数の集まりを作っていた若い神々はその言葉にはっと我に返る。そう、極めて強力な力を宿しているとはいえ肉体を持たない神々は地上で活動できない。正確には活動できないわけではないが、時間経過で霊体が霧散し、霧散しきると復活には数万年という時間を要する。
世界の危機ともなれば消滅も覚悟で降臨するが、神になり立てで神の力の蓄えがほとんどない彼女が地上に降臨すれば消滅は避けられないだろう。
しかし、それを彼女が知らないはずもない。承知の上だろう。
きっと弟子にケリをつけに言ったのだ。そう考えた彼らはスレイを尊重し戦いを見守ることにした。
「おおっ!スレイ殿の勝利だ!」
そして十五分後、暴竜は細切れになった。もはや勝ったも同然。細胞よりも小さくしたのに時間経過で復活するのは恐ろしいが、救世主たちが封印具をもって近づいているのだからもう気を抜いていいだろう。どうせ残りの八大災禍は暴竜には劣るのだから。
しかし、突如として鳴り響くサイレンが彼らの頭を強制的に起床させる。
「何事だ!?」
「お、おい!あれを見ろ!」
「空が……赤い!?こんなものは見たことが無いぞ!?」
「暴竜は何をやっているんだ!?」
暴竜を中心に世界が綻び始め、神々の目から見ても超膨大な魔力が渦を巻き始めた。しかし目を惹いたのはその後、何故か空が赤くなったのだ。
「そ……そんな、馬鹿な。あれは、魔王の時と同じ……」
ハイディが珍しく、恐れるように僅かに言葉を発する。その真意を理解出来たのはハイディと同じ、五万年前の、魔王を始めとする異世界の神々がこの世界に攻め込んで来る以前から存在している最古参の神々のみ。
そして恐怖を嗤うことも無い。当然だ。ハイディ以外はあの時のことを思い出して言葉を発することも出来ないのだから。
あの赤く染まった空は世界のエラーサイン。世界に不可逆かつ致命的な何かが起こる証。放置すれば世界が滅びる何かが起こっている証だ。
「け、結果が出ました!あちこちで異常な災害が発生!龍脈から魔力も奪われています!天球盤にも亀裂が入り始めて……あ、あと十五分で世界が滅びます!!!」
「なぁ……っ!」
若い術の神が悲鳴のような報告を上げる。ハイディは咄嗟に冷静な返しが出来ない。
仕方のない事だ。しかし仕方が無いなどと言っている暇もない。
「ハイディ様、降臨の許可を!」
「消滅も覚悟の上です!なんとしてでも暴竜を止めなければ!」
「待ってください!暴竜を倒しても、この流れが止まる保証は出来ません!おそらく逆に止める手段がなくなるかもしれません!」
「なんだと!?では説得するしかないとでもいうのか!?不可能だ!!!」
「そうだ、不可能だ」
「ハイディ様!?」
「暴竜は放っておけ。それより、コククロとシャヌマ―を探せ!これほどの事態を引き起こすならば、人間ではなく、あいつらが主導しているのだろう。研究者としての気質の強いあいつらなら近くで見ているはずだ」
「は……ぇ、……も、もしそうだとして、止めるのを協力してもらえるのですか?」
「我の兄にして弟たちだ。我が直接命じれば断らないだろう。……そうだ、どうして気が付かなかったのか。ヴィーナと同じように、この五万年であいつらも狂ってしまったのか。瘴気払いの儀式の準備をせよ!今度こそ堕ちた同胞を正気に――!?」
熱くなった言葉の掛け合いを、神の国すら揺るがす魔力の奔流が止めた。
モニターを見る。そこには神々の目から見ても、まるで神のようだと形容したくなるほどの圧倒的な存在がいた。
神域の如き魔力操作でもなお取りこぼしてしまう幾億幾兆分の一の魔力が漏れ出ると、嵐となって救世主を振り払う。異常な光景にスレイでさえ身を伏せる。
魔力で風属性魔術を発動して嵐を起こるならば理解できる。風属性の魔力が精霊のように周囲の法則を塗り返す事象も知っている。
だがこれは無属性の魔力。魔力は属性を纏わせなければ物理的な事象を起こしにくいという事実が意味をなさないほどの、圧倒的な魔力の奔流。セイが強いとは言っても明らかに異常な光景だ。
体がバラバラになりそうなほどの嵐が収まる。セイの周辺の大嵐が異常だったが、その影響は世界全土の及んでいる。嵐の正体は超強力な【念動】だが、動かされた大気は本物の嵐を起こし、雲と山を巻き込んで遠くの何かを壊した。
「全力、というわけですか。セイ」
嵐が収まり人間体に戻ったセイは見た目だけなら少し清潔なオーラを纏っただけだ。神々しい、と言うのだろうか。
だが、圧が重く、存在が遠い。スレイは昔、次元龍と対峙した時のことを思い出す。魂の大きさとでもいうものの圧倒的な違い。人々が神託を受ける時に感じるという、まるで空の上から届いているかのような存在の遠さ。
神になったというのに、まるで人の身で神と対峙しているかのようだ。そう少し笑い、剣を握り直した。
『ああ。済まなかったな、スレイ。あなたを前にして、先の事なんかを考えてしまっていた。これ以上は無い。全力であなたを殺す!!』
セイが腕を突き出し、握る。魔術の系統で言えば【念動】の一種だろう。
しかしその力は凄まじく、どの救世主の攻撃も、集中していないスレイの斬撃すら弾いた空中戦艦バミューダの甲板を粉砕した。
(しまった!これは船を守るのが目的か!)
スレイが空中に逃げたことを確認すると、結界がバミューダを覆う。より強力な攻撃をする前に仲間を隔離したのだ。
『【災禍の箱】【虹の泉】』
発動した魔術は二つ。
一瞬で手の中に箱を作り、弾け出るように災害があふれ出た。万物を溶かすマグマが、人々を洗い流すかの如きオリハルコンの硬さと水の粘性を兼ね備えた圧倒的な大津波が、落ちる巨星が、生命が生きられない空気が。今までのこの世界であれば神や英霊が降臨するレベルの災害が量産され生まれ落ちる。
そして足元の空中に空いた穴からは無数の魔術があふれ出す。水に溶けた夜が世界を引き裂き翡翠色の風が毒素を振りまく。深淵がどこかからか悪魔でも死霊でもない怪物を召喚し黄金の都が軍隊ごと顕現する。
夜属性、翡翠属性、深淵属性、黄金属性。暴風属性、破壊属性、破滅属性、理属性、禁忌属性、崩壊属性、電磁属性、霧属性、鏡属性、傷属性、野蛮属性、終焉属性などなど。この世界には存在しない属性の魔術。
その全てが絶対に初見であり誰であろうとも少しづつ確実に傷を負わせる。世界を食いつぶすほどの魔力量で成立させた、セイの机上の空論だった必殺技だ。
「次元斬踏【流霊】」
対するスレイは次元剣術の派生技、次元斬踏を使う。歩法の一種であり、武術のみで空間を跳躍する。目的地は上空。セイの引き起こした全てが見えるならどこでもいい。
迫りくる万象をすり抜け、到着する。
「【界端】」
剣を振るうと世界の端っこが生まれた。地上に向かって放たれた斬撃は星を切り裂き二つにする。
幅が一ミリに満たない剣の厚みと同じなのが救いだろうか。それともセイは結界を全部切られた事実に自信を失うだろうか。
『焼け死ね』
平然と再生したセイは続いて火属性の魔術を一つ使う。初級魔術の【加熱】。もしくは人間たちは規模の大きさから別物と分類するだろうか。
物を温める魔術だが圧倒的な魔力量で発動したそれはセイを中心に一瞬で気温を千度上昇させた。一瞬が二回で二千度、三回で三千度。すぐに神であれど生きていられない温度になるだろう。巻き添えで海が沸騰しだしたがスレイを殺せるなら許容範囲内だ。
「これは、相性が悪いですね。仕方がない……」
スレイは己の心臓に手を当てる。発動するのは禁忌の技。
「【魔王の心臓】、解放」
神ですら恐れるほどの膨大な瘴気があふれ出す。世界を浸食して、世界を異世界に塗りつぶす。
それは魔王の心臓。かつて勇者たちがバラバラにして封印した肉片の一つ。魂を失ってもなお他者に寄生し復活しようとする性質を持ち、寄生主に膨大な力を与える禁忌の物質だ。
セイもたくさん取り込み魔神の体に組み替えた。しかし油断は出来ない。
大量の魔王の欠片を取り込んでようやく互角だったのに、相手も魔王の欠片を使いだしたら天秤が敗北に傾きだすのは当然だろう。
『ボケたか!スレイ!!!!!』
しかしセイの頭を満たすのは恐怖と危機感ではなく、怒りだった。
『あなたの優れた点は剣術のみ!!!そんなバランスを崩すものを使いだして、俺に勝てるはずがないだろう!!!!!』
セイは全ての魔力を一つの魔術の発動に回す。目の間に魔方陣が浮かび上がり、神々しい光を放つ。
円形の書類の様な魔方陣の中心に、印を押すように張り手を叩き込む。
『この世に属さぬもの、一切の存在を許さず、【追放令】!!!!』
セイでさえ詠唱が必要なほど高度なその魔術は統治属性魔術の【追放令】。この世界に属さないものを、この世界から追い出す魔術だ。
魔法陣から広がる光は世界を包んでいく。空を、大地を、人を、海を。魔物も魔族も邪神も悪神も瘴気も、等しくこの世界から消えていく。聖域化をベースに作られたこの魔術の前に異世界に由来するものなんて存在できない。
もちろん、魔王の欠片も。
「――がはっ」
スレイが吐血する。当然だ。自分の心臓を魔王の心臓に置き換えて、それが消滅したのだ。ここまでのダメージに加えて心臓を失ったダメージが重なればさすがのスレイも死――。
(やっべ、しくった)
あと十秒もあれば死ぬというのに、全く目が死んでいないスレイを見て、セイは失態に気が付いた。脳裏にはトトキに言われた予言の様な助言が浮かんでいた。
――『A級冒険者にもなれば、心臓を潰しても一発くらいなら全力の一撃を放ってくるから、油断しないようにね』
スレイが足を踏み出す、先ほどの次元斬踏。直感的に接近してくると理解する。
(構築、次元凍結)
セイは咄嗟に空間属性より深くまで干渉できる次元属性を組み合わせて次元を凍結する。
しかし全く意味をなさない。まるで小さい魚が網をすり抜けるように、セイの次元凍結をスレイの次元斬踏をすり抜ける。純然たる技量の差だ。
両者の距離が消える。剣の間合いだ。セイに防ぐ手段はない。あとはもう自分の肉体の強度を信じるしかない。
耐えられるはずだ。スレイの技は剣のみ。細胞よりも小さくされてもセイは死なない。封印術も使えない。出来るのは時間稼ぎのみ。そして救世主たちは巻き込まれて死んだし、神々も降臨するより早くセイはもう再生できるようになったから心配いらない。
そう、スレイにセイを殺せる技は無い。
しかし、なぜか自分の万の理屈が全く安心材料にならない。
死ぬ。なぜか分かった。きっと理屈ではない、本能というやつだろう。
この世界にはステータスがある。身に着けた技術はスキルとして表記され、熟練度に応じてレベルとして明確化される。
レベル1で初心者。
レベル3で一人前。
レベル5で一流。
レベル7で弟子を取れる。
レベル10で大きな国の最上位。
トトキは格闘術レベル30で、セイは剣術ならレベル25相当。
そしてスレイは剣術ならレベル999相当だ。
「さようなら。ただ一人の、私の弟子」
剣が振り下ろされる。
セイの脳裏に、時間を逆行するように過去の記憶がよぎる。
立ちふさがる救世主たちが。
世界征服を放り投げたことが。
最後に戦った暴獣が。
征服した国々が。
セレーネの実験が。
タイミの忠誠が。
トラストの奇襲が。
コククロとシャヌマ―との邂逅が。
ライド国を責め滅ぼしたことが。
部下たちと共にかけた戦場だ。
リリとの決別が。
ヴィクティと出会った大切な日々が。
吸血鬼たちを滅ぼしたことが。
酒場で働き善良な娘を弟子を取ったことが。
一人で放浪した日々が。
砂漠で助けてくれた魔族たちが
アーゼランに申し訳ないことをしたことが。
魔法使いと戦ったことが。
獣人奴隷を助けて世話をした大切な日々が。
八大災禍に入った感動が。
龍神たちを出会った衝撃が。
トトキと過ごした日々が。
オデットたちに申し訳ないことをしたことが。
ベルナの世話をしたことが。
アーゼランと出会った喜びが。
ソフィアに感じた劣等感が。
ハナビと過ごした楽しい日々が。
アサルに娘を押し付けた申し訳ない気持ちが。
ルヴェアたちと砦にいた日々が。
トレフェンの下で戦場に行ったことが。
ララが死んだ、あの時の思いが。
スレイたち修羅の皆に世話になった日々が。
倒れていたララと出会った時の喜びが。
廃村の人たちがダンジョンに自分の足で入っていき、その首を刎ねた気持ち悪さが。
この世界に転生し、小さな石ころに宿った時が。
(――あ)
死ぬ寸前に見る走馬灯だろうか。
違う。これは、スレイの剣技だ。
――次元剣術奥義、【運命斬絶】
セイの歴史が書き換わり、ダンジョンコアが破壊された。
(――)
両断された以外は綺麗な体のセイから力が抜ける。最後の力で落下方向をバミューダに替える。
視界の先で、スレイが消滅した。顔は見えなかったが、なんでか微笑んでいる気がした。