96話 最強の敵
セイの主観的な認識において、この世界で神になることは比較的簡単だ。
勿論絶対的には難しい。しかし英雄的な功績を打ち立てたものや、神域に辿り着いていると称えられたもの、さらには人間社会には知られていないが神がずっと見ていてくれたものが死後に、神に昇格する事例が極稀に確認されているのだ。
人が死後に神になったという実例があり、達成は困難だが条件もだいたい分かっているならば、それは十分に簡単な部類に入るだろう。セイにとって、そもそも神は物理的に実在すると断言できないものだったのだから。
スレイは神の領域に辿り着くどころか通り越していたと称えられていたが神に昇格しているかどうかは、なんとも言えなかった。数多くの前例に照らし合わせると、神になっているのは間違いない。
しかしそもそも資料に残っている情報がどこまで事実に即しているのかが分からない。神になった者たちがいるのは間違いないが、その生涯や功績、どの程度の時間経過で生前と同じように活動できるようになるのか。セイの思想が世界的に見て異端的すぎて頼れる資料も先行研究も無かったのだ。
それゆえに死んだはずのスレイが神々しいオーラを放ちながら目の前に現れた時、セイは驚愕は少なく、歓喜と納得と恐怖の気持ちが沸き上がった。
また会えたという歓喜。
やはり神になっていたのかという納得。
そして、目の前に敵として立ちふさがっている恐怖。
「俺が相手をする!船の守りと救世主たちの相手はみんなに任せた!」
他のメンバーが船の守りに向かった姿を尻目にスレイに接近する。
スレイは強い。病と呪いに侵された体とは思えないほど最高効率で動き、超強化した動体視力でも追いつけないほどに早い連撃、当然のように飛んでくる斬撃、的確に首を刎ねる剣戟。どれをとっても超一流という言葉でも足りないほど。周囲を飛んでいる救世主たちですら足手纏いだ。
セイでなければ相手に出来ないだろう。
「へえ、これはなかなか」
「あれから七年、鍛錬を欠かした日はないさ!」
「知ってますよ。空からずっと見てましたからね」
「マジですか!?それは恥ずかしい、なあ!!」
さらに接近。剣術比べでは勝ち目はないため純然たる膂力による勝負に持ち込む。狙いは剣ではなく肘、脇、胴に肩。剣を持っただけの格闘術比べなら勝機はあるため顔が当たる程に近い距離を保ったまま殴りかかる。
「まだまだ未熟ですね。たった七年では埋まる差ではありませんよ」
セイの首が落ちた。刀身を掴みナイフのように短く握り直して剣を振るうとストンと首を落とされた。
「おや、船は落とせませんでしたか」
「――、差は、多少は埋まってるのさ」
スレイの斬撃は通常攻撃で距離を飛び越える。剣の一振りで空を飛ぶ竜を切り捨てる彼女の剣は今回もセイだけでなく背後の空中戦艦バミューダも落とすつもりだったようだが、セイがギリギリで剣を当てて逸らしたのだ。
バミューダがないと神の国に入れない。生命の勇者が作ったこの船は空中戦艦だが、その本質は戦闘能力ではなく移動能力にある。彼の故郷では異界への入り口と噂されたバミューダの名を冠するこの船は世界の壁を越えることを目指して製造されており、結果的には上手くいかなかったが神の国への扉を開くほどの力を持っている。
セイにも同じころは出来なくもないが、分析にどのくらい時間がかかるか分からないなら、船の方が安牌だろう。
「ふふ、弟子の成長に私も鼻高々です」
「じゃあどいてくれよ。あなたは秩序になんて属さないだろ。神を守る理由はないはずだ」
「ええ、ありません。ですが、弟子の暴走を止めるのは師匠の役目です。傭兵が死ぬのは世の常ですが、貴方の事だけは心残りでしたから」
「そうかい、気にかけてもらえるのは嬉しいよ」
セイの表情が久々に心から綻ぶ。世話になったのは一年程度とこの世界に転生してからの人生の中では短い方だが、ララの次に会った人たちだからだろうか。彼女とライオスたちの傭兵団【修羅】には世話になった。武術の大半の基礎を教わった日々は今でも昨日のように思い出せる。
ぼこぼこにされただけの日々だった気もするが、午前にダンジョンで午後に稽古、家に帰ればララがいる一番楽しい時期だった。スレイと話しているとあの頃を思い出してしまう。
だが、今は殺し合いの最中。お礼の言葉ではなく、殺意と技で返礼だ。
「貴方が敵なら、俺も出し惜しみはしない!【変身・巨人形態】!!」
セイの肉体は万物に干渉し支配下に置く。土も、鉄も、他者も、魔物も、邪神でも。
そして、大気でも。
「む?これは……大気を肉体にしているのですか。しかしその程度で……」
もしも宇宙からこの星を見ている者がいれば、超巨大な台風の目を確認できただろう。天候を書き換えるほどの大嵐が巻き起こり、その中心にいるセイに集まっていく。
セイから空気のビームが放たれる。風属性魔術【真空砲道】。その名の通り攻撃魔術ではなく空気の道を作る補助魔術だ。しかしセイが使うと岩盤を砕くほどの威力を誇り、並みのS級冒険者に満たない者は対応できない。
つまりスレイなら余裕で対応でき……ずばん!
「おや?」
「やっぱりな!スレイ、その体を使いこなせてないだろ!」
右腕を少し削られたスレイにセイが風に乗って急接近する。大気の鎧を纏った飛び蹴りは当たれば神の肉体を持つスレイでも一撃で粉砕するだろう。回避か防御をしなければならない。バランスを崩したスレイは咄嗟に左腕だけに剣を持ち換え逸らそうとする。
「ぐっ……」
「ずっと呪いと病に侵されていたあなたは、そんな高性能の肉体に慣れていない!ははははははははは!ステータスに表示される能力値が十倍に跳ね上がっても、百分の一しか引き出せないなら実質弱体化だろうが!剣術ばかりで頭が悪いのか死んでも変わらなぐああああ!」
「口が、悪いと、何度言えば分かるんですかぁっ!」
わずかに身を引き、こちらに倒れて来た相手を踏み込みながら切る【流麗凪】。修行時代の頃をなぞるようにセイは胴体を切断される。
しかも何故か異常に痛い。おそらくだがこれは神気。魔を祓う力を持ち、つまり魔物であるセイにとっては毒にも等しい性質を持つ力だ。致命傷にはなりえないが痛みで思考力を削がれてしまう。
「ハイディ殿より授かった神剣の力を思い知りましたか!原理は分かりませんがこれに切られるとあなたは死ぬそうですよ!覚悟!」
「死ぬってか、それは光属性と生命属性を複合した封印術だな。知らないで使ってるのか」
「ああ。そういえば死ぬじゃなくて封印って言っていた気もしますね」
「ばか!ばーか!物忘れの激しいくそババアめ!」
「失礼な!興味がなかっただけです!」
「じゃあやっぱただの馬鹿だろ!!!」
「馬鹿馬鹿うるさい!剣術だけでなく口の利き方もしっかり教えるべきでしたか!」
スレイは時間の流れを曲げ限りなく同時に連撃を放つ武技【時霞】を放つ。ほぼゼロ秒で放たれ、ほぼゼロ秒で到達する必殺技。スレイの技量と神剣の性能が合わされば復活した古の大魔王ベアルザディの肉体さえ切り裂くだろう。当然セイの肉体程度は切り裂けないはずがない。
神剣の封印能力も恐ろしい。斬られ奪われた感触から考えるとおそらくはかつて魔王にもやった封印方法と同じもの。
つまり、物理的にバラバラにして小分けにする封印術。極めて力技であり美しさの欠片も無いが、どうしても殺せない魔王を封印出来た事実からも分かる通りセイですら封印出来るだろう。
限界までバラバラにして、力技で脱出できないほどに頑丈な箱に入れて、魔術で干渉できないほどの対魔力性能が高い加護を施す。これらの条件を達成できれば、セイですら逃げられない。
魔王を相手にした時と同じ恥も外聞もない力技の封印術を持ち出されたと考えると評価されているようで嬉しい気もするが、そんな場合ではない。
スレイならセイをバラバラに解体できるし、救世主たちなら小分けにしたセイを補完できるし、ハイディたちなら個々のセイの魔力操作を押さえつけられるだろう。
しかし、そんなものは机上の空論だ。
「舐めんな!俺はずっと、あなたのような俺より強い奴を想定していたんだよ!!」
この世界で最も強いスレイを相手に出来るのは、セイが二番目に強いからではない。
スレイにぼこぼこにされてから、ずっとずっとスレイを倒す方法を考えていたからだ。
飛ぶ斬撃がセイの大気の鎧を当然のように切り裂く。
そして、その斬られた感覚は斬撃よりも早くセイに辿り着く。
「なんと!?全て避けた!?」
「俺の親友が言うには、獣人の中には体毛が斬られる感触で太刀筋を読んで避けるやつがいるらしいぞ!この技も同じさ!」
「ぐうっ!!」
「どんだけ腕が立つと言っても斬撃は一直線!そして大気の鎧は俺の肉体の一部!ならば斬られた感触を覚えてから避ければいいの、さ!!!」
セイの最大の特徴はその肉体の特異性にある。己の思うがままに肉体を弄り、万物と合一化出来るため、神経を集中した大気の鎧を斬られる感触で斬撃の軌道を呼んだのだ。
避けられないなら、肉を切らせて骨を断てばいい。さらに改良して、自分の外周に作ったもう一枚の肉体を斬らせて、相手を斬ればいい。セイの対スレイを想定して作った変身形態の一つだ。
そして、もちろん攻撃にも転用できる。
「【空巨拳・連打】!!」
宇宙からでも分かる程の大気を圧縮して作った大気の鎧は【森神】の本気の形態を上回るほど巨大だ。その身長は五キロにも達し、斬られる前提とはいえ大きさだけで武器になる。
圧倒的な空気の密度を誇る肉体を拳に換えて殴りかかる。どれだけ腕が立とうとも所詮あいての武器は剣一本。津波のように迫りくる空気の拳の群れを剣で防ぐなんて――。
「【剣域】」
「やっぱ防げんのか」
セイの目には納刀しただけに見える。しかしかき消された空気の拳に伝わる力は無数の斬撃と分かる。
(俺が殴るよりも早く剣を振ってかき消したのか?……ちっ、やっぱ、稽古つけてもらってた時には、本気だったわけないよな。底が見え――)
「【無窮割】」
納刀の音が耳に届く。それ以外は届かない。
細胞よりも小さくなったセイに、無数の救世主たちが群がりだした。
眼球は無い。肌は無い。耳も無い。しかし全てが見えている。どれだけ小さくされようともセイが死ぬことはない。困難なのは復活までの時間であり、問題なのはそれより早く封印されそうなことだ。
波でも振動でもない何か、おそらくは魔力が感覚器官となりセイに情報を届ける。セイを倒したスレイはバミューダに向かっている。他のメンバーを殺すためだろう。戦艦ごと破壊しないのは動力が爆発するのは恐れているのだろうか。
大ピンチだ。
しかし、セイの頭の中は恐怖ではなく疑問が湧き出ていた。
(負けた、のか。なぜ、こんなに圧倒的に?)
スレイは強い。それは知っている。世界最強だ。稽古をつけてもらった時に本気を出していなかっただろから、本当の全力はセイも知らない。しかし断片的な情報からおおよその力は分かる。
スレイは強い。セイよりも強い。しかし、ここまで圧倒的ではないはずだ。負ける可能性があっても、ここまで一方的には負けない。
(くそっ。スレイを相手に手こずってる場合じゃないってのに。神の格の高さと戦闘能力は比例しないが、この次のハイディこそ本命。こんなとこで負けている場合では……って、そうか。だからか)
疑問が晴れたセイを魔力を回す。肉体が微細化している今なら普段よりもずっと楽だ。
【分解魔法】で世界を解き、【構築魔法】で原初の魔力を取り込む。世界を揺らして魔力を引き出す極伝で世界を砕き、大気を取り込んだ肉体をさらに奥深くにある空間と時間軸にすら組み込み、世界の根幹へと接続する。
「なんだこれは!?」
「今すぐ止めないと!……ど、どうすれば!?」
「スレイ殿!小さく斬りすぎて、これ以上何をすれば有効なのか分かりません!」
「【王水砲撃】!……だめだ!全部すり抜け……いや、取り込まれてる!?」
(全力を出したいって言うなら、後先のことを考えちゃだめだよな)
それはセイの最終兵器。世界を終わらせる必殺技。最後に使ったのは大陸龍を倒した時だが、いまならもっとうまく使える。
この世界の表面にある物質世界が崩壊する。世界という原初の建築物、神々が最も力を持っていた時代に作られたものを取り込んでいる。無限にも等しいエネルギーがセイに集まり、異常な演算力で完全に制御する。
神の如き魔力操作でもなお取りこぼしてしまう幾億幾兆分の一の魔力が漏れ出ると嵐となって救世主が振り払う。異常な光景にスレイでさえ身を伏せる。
この力の完全制御した姿こそ、セイの最後の力。
「【無敵モード】、発動!!!!」