90話 ベルゼラード帝国
世界征服を開始してからもうすぐ四年になるころ、セイはハイディ神聖国に進軍していた。
「教皇から救援要請とは驚きましたね。僕はてっきり救世主たちとやり合うと予想していたんですが」
「私もです。ほぼ全員が深淵回廊に引き上げたと聞きます。セイ様の行動がハイディの逆鱗に触れていないようですけど、ベルゼラード帝国の暴威はまだまだ健在。行動が理解不能です」
「俺にも分からんが、神には神の視点と事情があるんだろ。俺への目的への障害にならないなら、運が良かったと受け取っておこう」
会話は穏やかな調子だが、その内容は現在のトトサワルモ地方で屈指に危険かつ重要度が高い。彼らはランク7のスカイスピードドラゴンに騎乗し移動している。当然セイが作った魔物なので極めて従順。訓練していないセイの部下たちでもしっかりと乗りこなしていた。
魔物が従順なのも理由の一つだが、馬具ならぬ竜具が高性能なのも大きな要因だろう。座っているだけで聖人さえ無気力にしてしまうほどふっかふかなソファーと風除けの加護を付与された結界は大抵の国の王族の椅子よりも上等で快適。戦争が終われば騎竜ごと世界に降ろすのもいいだろう。
「むすー」
行軍自体はとても快適だ。世界屈指、というか世界で最も強大なクロナミ国軍は世界で最も快適な移動手段を備えている。
しかしその中でも最高指揮官のセイは隣でぶー垂れている女性のせいで少し困っている。
「アザレア、そう不満そうな顔をするな。元ハイディ教の聖女であるお前にとってハイディ神聖国に攻め込むのは気後れすることだろうが、今回はあくまで救援要請に応えるだけなんだから」
「……でも、ベルゼラード帝国軍を撃退したらすぐに征服するんですよね」
「それは向こうの出方次第だな。大人しく俺の傘下になるなら良し。ならないなら頷くまで地位が高い奴から首を刎ねる」
「ほらやっぱり。呆れた。醜い支配欲は衰えませんね」
「ちゃんと俺の支配地ではハイディ教の信仰も認めているだろ。何が不満なんだ」
「……そうではありません」
「ではハイディ教の扱いを他の十一の大神たちと同等にしたのが不満か?それなら対応できないから地道に布教してくれ。信徒の数が増えて影響力が俺の手を離れれば考えよう」
「その時はセイ様も黙っていないでしょうに」
「そりゃそうだ」
要領を得ないアザレアの言葉にセイは不思議そうに返答する。所詮は暇つぶしの会話なのでどうでもいいのだが、相変わらず自分に心を開いてくれないのは悲しい。
まあ、捕虜にしたときは全裸にひん剥いて体を隅々まで調べて情報を自分に張り付けるという正気を失うようなことを目の前でしたのだから、嫌われていないだけ良しとしよう。
「アザレア様。アザレア様もこの機会に竜神教に改宗しませんか?きっとすぐに啓示を授かることが出来るでしょう」
「そっちは断るに決まっているでしょう!馬鹿馬鹿しい!」
「まあまあそういわず。気が付けばそこに居て、我らを守ってくださる偉大な存在を奉じることにアザレア様も抵抗など無いはずです。さあ、一緒に祈りましょうよ」
「マルガレット、その啓示とやら、俺じゃないんだけど何が聞こえているの?ほんとに」
マルガレットは元はライド国の魔術師長、つまりはアザレアの同僚だ。セイに膨大な瘴気を注入され魔物になってしまってからはセイの導きを受け、今では四獣たちのように褐色の肌と赤黒い目をした体に変貌している。
思考には影響を手を加えていないはずだが、魔物を軽蔑する人が魔物に換えられたショックはそれほど大きかったのだろうか。
セイには分からない話である。自分は地球では人間で、この世界に転生した時に魔物になったが、特にショックを受けた覚えはない。首を落としても死なないと分かった時も同様だ。
「セイ様、先行していた第二部隊と第四部隊、及び四獣部隊がハイディ神聖国に到着、会敵したとのことです。ですがベルゼラード帝国の兵はいても、幹部以上は誰もいないとのことです」
「ふむ、となるとやはり戦場になるのはその手前の砦か」
「おそらくは。――ん、第九部隊が幹部の一人と遭遇したと――」
空気を割る轟音が報告を遮る。熱線がこの上空一万メートルまで届きさらに上空へと消えていく。熱気が空気を焼き暴風結界の外は喉が痛くなりそうだ。
「な、なんですかあれは!?」
「心配するなアザレア。味方だ。俺とセレーナが共同で開発した『炎龍の息吹』。リーメールに持たせていたんだ……けど、いきなり使う程の強敵がいたのかな。急ごうか」
「セイ様!もう始まってますよ!!」
「見れば分かる。飛竜共、このまま突っ込め。連結技だ」
セイが率いる第一部隊、総勢百名。スカイスピードドラゴンは一人一匹ずつ支給されている。
その全てが魔力の糸を伸ばして相互に繋がり始めた。
「キュォォォォオオオン!!!!」
セイが征服した国の一つが使っていた秘術、合唱曲。複数人が魔力を繋げあい、個別に発動するよりも遥かに強力な技にする技法。
これを魔物でも使えるように改良したのが連結技である。百のドラゴンたちはまるで一本の矢のように立体的に隊列を整え、戦闘にいる竜を中心に魔力が渦を作る。
急降下。直径一キロの隕石が落下するような衝撃波と共に地表を目指す。
「――ッ!」
地表に誰かがいる。焦っている様だが、同時に動きは冷静、杖を天に向けると、杖の先から炎の星が放たれる。
火属性魔術の上位スキル、炎王魔術レベル8の使い手が放つ魔術、【蓋炎星】。あまりに巨大なスケールに自分たちが小人になったかのように錯覚するほどだ。セイたちを飲み込み上空の雨雲一瞬で消すだろう。風の結界が何秒もつか。
「アザレア、マルガレット。それにニャヌフェルラ」
セイの言葉に待機していた三人が無言で魔術を発動する。
光属性魔術の上位スキル、光神魔術レベル10の使い手。生命属性魔術と闇属性魔術と水属性魔術の複合上位スキル、冥活海魔術レベル7の使い手。そして無属性魔術の上位スキル、混情魔術レベル5の使い手が合わさって発動するとっておき。
アザレアは神聖属性とも呼ばれる神の力が宿った光の塊を創造。マルガレットは並列して生命が生まれる泥の様な海を展開。最後にたった一人で構成される第十一部隊の魔術師、ニャヌフェルラが全ての情報を固定し、反転し、混ぜ合わせる。これに限って言えばセイがやるよりも高度である。
「「「【神喰の冥海】」」」
風の結界が破れる前に、光を飲み込む黒い液体が内側から生まれ落ちた。まるで海が上空に浮かんでから落下してきたような絶望的な光景。三人そろって発動するこの魔術はまともに喰らえば復活した邪神さえ一撃で葬るだろう。
人の身を飛び越え神の領域に到達した者が、三人がかりで発動するのだからその威力は察して余りある。恐るべき威力と熱を持つ【蓋炎星】と拮抗、互角よりやや優勢。あと五秒で完全に飲み込み、砦ごと殺すだろう。リーメールたちを巻き込まないように急いで避難させなければと隊員の一人は考える。
しかし無用な心配だ。ベルゼラード帝国の大将軍とその側近。彼らは今日までクロナミ国が世界を征服しきれなかった理由の一つなのだから。
地表でもう一つの星が輝く。色は赤。炎ではなく、闘気の赤。澄み切った綺麗な赤だ。
地表にひびが入る。恐らくは蹴り上がった際の反動。セイの目でも追いきれないが、周囲の状況から察するに正解だろう。
「ちぇりきゃああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫。この距離でも耳が痛くなるほどの大声。気合の表れだろう。
しかし大げさではない。その生き物は身の丈を遥かに超える、優に十五メートルはあるであろう巨剣を振るい、二つの拮抗する極大魔術を諸共切り伏せた。
「うそでしょ!?」
「拮抗したときに消耗したのでしょう」
「にゅう、それにしたってこっわ」
「猿人系獣人種、しかも原種だな。情報以上にに強い」
ベルゼラード帝国。その頂点にいる大将軍とその側近たち。最盛期でも二十人。たったそれだけでクロナミ国と同等の速さで国と落としてきた恐るべき相手。
「あっちは全員いるな。予想外だ」
セイの顔が険しくなる。眉を顰め計算をやり直す。
ベルゼラード帝国はセイ達とは違い征服した土地の全てで略奪を繰り返しているため資材も情報も回収が不可能に近かった。四獣たちの活動も亡命希望者の救出が優先だったため情報も乏しい。
今までとは状況が異なる。今までも情報が不足している状況で戦闘になることはあったが、ここまでの戦力差は無かった。セイが連れている軍勢全部となら、対等以上だ。
しかし今回の目的はハイディ神聖国からの救援に応えて来たため、兵士たちは多くをハイディ神聖国本国に向けている。この場に居るのは第一部隊と例外が少し。勝てるだろうか。一時的な撤退も考慮するべきだろうか。
砦から少し離れた場所に飛び降りる。飛竜たちは全滅。まあいいだろう。帰りが大変だが、数字に見合った働きだった。
(幸いにも敵側にいるのは幹部だけ。兵士たちはいないのか。恐らくは巻き込むことを嫌ったんだな。だが――っ!?)
「速ッーー」
「将軍ッーー」
砦の奥で何かが煌めいた。そう気が付いた瞬間、セイは本能的に剣を構え、斬りかかる。この世界に転生してからの超膨大な戦闘経験によるものだ。
膨大な魔力と闘気で自己強化した身体能力で使う縮地からの斬撃。一瞬を数えきれないほどに分割した僅かな時間で距離を詰めた。A級冒険者でもなければ反応は不可能。それでも死ぬ。対応まで出来るのはS級冒険者並みといえる。
「あらあら、噂と違ってよりカッコいいお顔。踏みつけたらどう歪むのかしら」
しかし、それどころか、その女性は逆にセイを斬ってみせた。
赤と黒が入り混じった特徴的な髪。他者を威圧する武威。嗜虐的な笑みと厚い化粧が特徴的な女傑。
かつてベルゼラード王国の貧民でありながら救国の英雄と称えられ、今ではベルゼラード帝国で最も残虐と名高い悪漢、セイと双璧を成す【虐殺神】であり【殺戮将軍】ことジュリエ。
ハイディ神聖国の教皇と並び、セイが最も警戒する相手だ。
実年齢は五百を超えているはずだが、肉体的には二十歳と言われても信じてしまいそうなほど若々しい。まるでトトキを見ている様だ。
「まだ気が付かないの?」
「なに……いてっ!」
「【残り気】。ふふ、暴竜なんて呼ばれてもこの程度なのね」
ばん、と音が響き、左腕が飛んだ。斬撃を空中に置き、時間差で放つ遅れた斬撃。見たことはある、しかし使い手はそうそう居ない。
そしてこの威力はセイも遭遇したことが無い。龍の如き頑強さを持つセイの肉体が、あっさりと切り裂かれた。
だがそれ以上に驚くことがある。
「いてぇ……」
腕を切り落とされた。その程度ならどうということは無い。
だが、痛い。痛いのだ。ありえないことに。
このセイだけでなく、全ての個体のセイが痛みに声を上げていた。
「聞いたことがあるかしら。神話に曰く、勇者シュガーは神と戦うためにハイディより魂を斬る剣を授けられたって。それがこれ。ハイディ神聖国の宝物都市から奪ったの。これならあなたが相手でも通じると思ったんだけど、予想が当たってよかったわ。
……ってあら、聞こえているかしら?負け犬はちゃんと悲鳴を上げなさい。それともあなたって部下を目の前で強姦されるほうが傷つくタイプ?ならそうしましょう」
魂を斬る剣。肉体を分割してはいるものの、全ては魂で繋がっているセイにとっては天敵ともいっていい。存在は聞いたことがあったものの、神話と史実は同じではないと理解しているため候補からは外していた。迂闊なことだ。
このまま負傷すればトトサワルモ地方で一般人に紛れて活動している残り十の個体だけでなく、大精霊たちと戦っている本体にも影響が出る。それは不味い。ならどうすべきか。
そう、自爆すればいい。
かつて原種吸血鬼さえまとめて葬った【分解魔法】の奥義、【界没自壊】。あれなら相手に傷つけられることなく、敵を全滅させることが出来る。この距離ならハイディ神聖国にも致命的だが、まあそれはいい。
「セイ様!ご無事ですか!?」
「先走らないでくださいっていつも言ってるでしょう!?」
「私たちも微力ながら――くっ!」
「ジュリエ様!こいつらは俺たちがやっちまっていいんですよね!?」
「相手は百人、こっちは十人。一人当たり十人ならこっちが勝てるぞ!」
「んーそれもいいけど、何人か綺麗な子も欲しいから私もそっちに行くわ。こいつ、斬られてから動かないのよ。近づいたら反撃してきそうだけど。心の殻にこもってるのかしら」
だが、今回は周りに部下がいる。部下が死ぬのは仕方ない。戦争なのだから。だが、勝つためではなく、自分が、自分だけが生き残るために、意図的に見方を殺すのは、良くないことだ。
そう、良くないことだ。してはいけないことだ。しては、大切な誰かに顔向けできないなることだ。もういないが、墓前に立てなくなるようなことだ。
ではどうするか?
簡単だ。
真正面から、勝てばいい。
大切なのは、すべきことは、その勝てるラインを超えること。
「セイ様!今助けに――」
「全員下がれ」
「えっ」
「俺がやる。お前らは逃がさないように結界だ」
「――りょ、了解!聞いたなお前ら!」
視界の端で部下たちが砦の外に散っていくのが見える。これで安心だ。
久しぶりに、集中できる。
「愉快な人ね、私たちに一人で勝つつもり?」
「ああ」
「――不愉快な人ね」
「眉を細めないほうがいい。化粧が割れて老けた顔が見えてるぞ。な、後ろの奴」
「うえ!?俺か!?ちょ、まっ、ジュリエ将軍そんなことはありませ――」
ジュリエの顔が言葉通り不愉快そうに歪む。後ろの剣士が平手で首がはじけた。
「怖いな。おばさんのヒステリーって。ははっ」
「挑発のつもりかしら。安い言葉ね」
「ならそれで部下を殺してるお前ももっと安くなるだろ。流刑地育ちは頭が悪いな。お姫様を嬲って楽しむんでいると聞くがおっと」
巨人の如き剛力で剣が振るわれる。闘気で拡張された聖剣はランク10の魔物さえ瞬殺するだろう。
「なっ!素手で!?」
「そんな馬鹿な!?」
セイの顔に、久しぶりに純粋な笑みがにじみ出る。
目の前には強敵。
今のセイはS級冒険者並み。そんなセイと互角が七人、格上が二人。
まず負けるだろう。だが、だからこそ楽しい。
今までセイが培ってきたもの、全てを出し切れそうだ。
出し切れなけば、死ぬ。出し切っても勝てるとは限らない。
確かなことは、負ければ部下も殺される。
勝たなければならない。自分のためにも、自分以外のためにも。
「さあ、挑ませてもらおう。もちろん俺が勝つが」
「部下の前で全裸にして靴を舐めさせてあげるわ。雑魚蜥蜴」
トトサワルモ地方の覇者を決める最後の戦いが始まった。