87話 愚策
セイが世界征服事業を開始してからもうすぐ三年と半年になるころ、クロナミ国に天を貫く大樹が生えた。
「セイ様ー、注文の本が転送されてきましたよー」
「ありがとー七番の棚の入り口に置いておいてー」
正確には大樹の形をしたダンジョンであり、中身は図書館である。
地球人だったころからセイは読書が好きだったためこの世界でもたまに本を読んでいたが、世界的に見て文字が読めない人が多いためか本の数が少ないのが不満だった。そのためやりたいことの一つとして世界中から本を集めた図書館を創ろうと考えていた。
世界征服よりは優先できないため余暇時間で進めていたが、タイミたちに「休め!働くな!」と追放されたため本格的に着手し始めたのた。
……結局働いているのでは?と自問自答してしまうが、コミュニティの一員としてやらなければいけないことと、個人としてやりたいことは違うのだ。結果的にコミュニティの利益につながるとしても。
『順調そうだな』
「おっ、コククロ様。そろそろ人の世から失われた秘術とか教えてくれる気になりました?」
『教えるのはいいが、汝の野望が終わってからだと伝えたはずだ。汝の未来は時期に消えるか、無限に続くかの岐路は近いのだから。それよりダンジョンを保管庫として使うとは素晴らしいものだ』
「コククロ様なら思いついていそうですけど」
『たしかに我も構想はしていた。ダンジョンという形で世界の汚染をこの世界に馴染ませたのは我なのだから。しかし魔王の策略で力を失ったが故に活動できた時期がそもそもないに等しい。実現させたのは汝だ。誇るがよい。我も嬉しい』
外から見ると独り言のようだが、実際は術と時の神コククロからの神託とセイからの祈りで会話を成立させていた。
神託は情報の伝達であり、言葉以外にも喜びの感情が直に伝わってくる。
ダンジョンコアを改良して絶賛制作中の図書館、通称【永久記録大樹】。娯楽小説から田舎の王国の王室典範、地形情報に魔物の生態から物理学に魔導書まで、ありとあらゆる情報の記録と閲覧のために作られた情報の塊だ。
『ああ……やはり素晴らしい。我が勇者ミジュと共に夢見た光景が、我らとは全く異なるやり方、全く関わりの無い者が形にしている。人は我ら神々にすらできなかったことをやり遂げたのだ。ああ……ああ…………魔王との戦いで自滅式世界破滅術式を起動させない判断は正しかった』
「……今、存在することすら知らないほうがいい術式名が聞こえたような……。てかコククロ様。まだまだこれは未完成ですよ。トトサワルモ地方中に設置したダンジョンコアが地脈を通じて情報を送ってきますけど、これは仕組み上の理由で奉じられた情報しか送れません。本があるならば物理的に転送してもらいますけど、そもそも本として纏められていない情報は絶対に無理です。これを集めきるには時間がいくらあっても……というか、人類が続く限り終わらないと思います。まじで趣味なので、俺としては完成しなくてもいいんですけど」
『未完成で構わぬよ。我らはいつか神にも等しい存在に育つようにと人間を創造したが、その【いつか】がどの程度の未来なのかは時間の神である我にすら分からないのだ。完全性や全能性といった神ですら持っていないものを人間に求めるのは間違いだ』
目の前にいないのに上機嫌そうな顔が目に浮かぶ。セイもつられて嬉しくなりダンジョンコアへの情報のインプットと物理媒体の保管整理が速くなる。
そういえばナビがいればもっと早く、効率よく出来ると思うのだが、同型のナビゲーションシステムを貰えないだろうか。ナビはハナビに預けちゃったし。
「セイ様、緊急です!」
「ん?」
楽しい時間を切り裂くようにセイの補佐官……いや、引退したので、元セイの補佐官が図書館の壁を蹴り砕いて飛び込んできた。
「チャハン国が反乱を起こしました!代官は現地の国王により監禁!!農場が破壊されそうで、タイミ様とサンドラ様が手に負えないと!」
「え、あの二人でも無理?……ってチャハン国だと!?あのお茶の名産地のチャハン国か!?くそっ、俺が行く!畑がやばい!二人には礼の言葉を伝えておいてくれ!」
「か、かしこまりました」
「セイ様、急にどうしたんですか?反乱なんてよくあることでは?」
「茶葉と畑の土のサンプルをまだ採取してないんだよ!それに特産物だからと栽培方法も秘匿されてる!くそっ……平和的に進める方針の一環で完成品を買えばいいと思っていたが、まさか好物を質にするとは思わないだろ!!!
それにしても交渉するつもりか?征服した国々から適当な隣国に攻め落とさせたせいで、俺の怖さを直には知らないからかこんなバカなことを……?あ、この本はこの紙に掛かれた通りに並べておいて」
「分かりました。いってらっしゃいませ」
図書館の整理を手伝ってくれていた司書に手にしていた紙の山を押し付けて、チャハンに転移した。
チャハン国。セイ曰くお茶が美味しい国。中堅国家の一つ。謎の理由で征服しに来たセイの軍隊に抵抗し、普通に負けた。そんな本当によくある国の一つでしかなかった。
しかし今では周辺国家から一目置かれていた。その理由は、皮肉なことに征服者であるセイが気に入ったお茶葉を栽培していたからだ。
セイは基本的には平和を良いものと考えている。戦争も争いも好きだが、人間の社会では平和が……一番の基礎である人間が死ににくく健やかに育ちやすい状態が理想的だと考えている。
だからこそ、征服した後は現地の人間を活かそうとする。その土地に生きる人々がその土地の作物や特産品を生み出したのだから、発展させるのもその土地の人たちが向いているだろう、と。
しかしこういった完成品は献上させるが、生み出す過程は現地住民に任せる方針が、現地住民を付け上がらせてしまった。その気になればいつでも殺せるし、武力を持って反乱を起こせばすぐにその気になるのだということを、言葉でしか伝えていなかった。
反省しなければ。しかしとりあえず殺そう。情報は死霊魔術で死体から抜き出せばいいし。
「ち、父上、やはり、いまからでも兵を下げ、謝りに行きませんか……?ひぃ!」
「お前は臆病でいけないなあ。私の後継者であるならば、もっと堂々とせぬか」
「し、しかし、【暴竜】の武威はまさに神のごとし、です。それに武力だけでなく政治力にも優れています。恐らくは周辺諸国で包囲網を作り、我々が消耗するのを狙ってくるはず。その気になれば順番に一か国ずつ攻めさせ、我が国の兵士たちを削ってくることも可能です。どう考えても勝ち目は皆無だと――」
「これこれ、過剰な臆病さは冷静な判断を出来なくさせる。お前もこの本を読んだだろう?なら私の考えが理解できるはずだ。この……」
チャハン国国王は一冊の本を聖典のように天に掲げる。
「この【獣殺しの指南書】を読めば、戦争の全てが分かるのだ!!」
指南書。何かの技術を指導する手引書のことであり、この世界ではほとんど存在しない貴重品だ。
識字能力が低いというのも理由の一つだが、そもそも情報を共有しようという考えがない。こまごまとした勢力が乱立しているため周りは敵だらけ。秘伝や秘術として情報を秘匿し、村単位や家単位の口伝でのみ共有しているのがほとんどである。
当然チャハン国も同じようなもの。農業に秀でているのは農家だけ。この土地のこういう場所に、この土地で取れる植物を植えて、どのタイミングでどの程度の水や肥料を上げると美味しい茶葉が出来る。こういった情報は全て口伝だ。
「父上、たしかにその指南書に書いてある内容は正しく、論理的だと思います。けれど暴竜に勝てるとはとても思えません。愚かな真似はおやめください」
「ふんっ、愚かなのはお前だバカ息子。よく読め。【どれほど強大な敵であれ、無限の力を持つ者はいない。適切に兵を運用し力を削げば勝ち筋はある】と書いてあるだろう。これは私の人生最大の山場。我らの先祖が積み重ねた七百年の歴史が、征服者の首に届くのかという挑戦なのだ」
「父上……っ!」
「それに、周辺国も我が国の食料は欲しがっている。時期に寝返るだろう」
「ちち……、いえ、陛下、それは…………」
一国の王の下にも秘伝の情報は入ってこない。技能やその習得方法など部下に任せていればいい。王とは人の管理が役目。だが、ある日臣下に献上されたのが【獣殺しの指南書】である。個人の武術の習得方法から戦争の常道、奇策、切り札などなどが事細かに書かれていた。
そして確信した。この本の通りに行動すれば。たとえ暴竜の首も取れる、と。
「俺が書いた指南書が原因ってまじ?」
「はっ!反乱の首謀者の息子が密告してきました!」
「そっかー……ルヴェアに教わった兵法を纏めたからよく出来た内容だと思ったけど、そういう馬鹿に使われることもあるのか……あー……情報の流布に気を遣わないといけないのかなー……」
「いかがなさいますか?密告者は首謀者の助命を嘆願していますが」
「いやーそういうわけにもいかないだろ。仮にも俺の代官を監禁して反乱を起こしてるんだ。動員された兵士たちにも情勢にも影響がデカすぎる。兵士たちは皆殺しで、首謀者の首も刎ねる。
まー首謀者に全責任があるってことで、その首一つで納めるのが精々だな。子ども扱いはしてやらんよ」
チャハン国上空でセイたちは意思を纏める。
武力で征服しているのだから、反発を起こそうという人たちの考えも理解できる。
しかし、子供の喧嘩ではないのだ。どれほど力に差があろうとも、剣を向けてきた以上は敵である。適切に制圧して、全体を見た時に最も利益になるように対応する。そこでは命に重さなど無い。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「ない。見た感じ、どの兵士もE級冒険者程度の雑魚だ。五十人くらいはD級冒険者並みもいるかな。まあ五分で終わる」
セイは魔力を視認できる魔術を使って眼下に広がる兵士たちの魔力量を確認する。正確なステータスは分からないが、事前に集めた情報と合わせれば大まかな能力値は分かる。
「おい!人が飛んでいるぞ!?」
「なんだと!?魔族か何かか!?」
地上に落ちると兵士たちに気づかれるが、誰も近寄ってこない。練度の低さが伺える。なんでもついこの間までは兵士ではなかった者たちらしい。徴兵され、兵士になったばかり。
しかしどうでもいい話だ。いろんな人間関係の影響があっても、最後の決めるのは自分自身。己の意思で戦場にいるものは生け捕りにすべきではない。いや、生け捕りにしてあげようなどと考えるべきではない。どれだけ力の差があっても、そんな思い上がるべきではない。
それは相手を子ども扱いするということだ。
言い換えれば、相手を人間扱いしないということだ。人間と自認するならば、周囲にいる敵兵五千の人間全員を対等な相手と見なし、尊重して、殺す。
「【奪命領域】」
セイが魔術を一つ使うと、E級冒険者相当の約四千九百五十人の兵士が死んだ。能力値にして約五百の生命力を吸い取るこの生命属性魔術は、一定以下の実力の生命の生存を許さない。
「【不死者兵作成】【魔物合成】」
死体に変った生き物たちに瘴気を注ぎ込むと、ランク2のゾンビになる。続けてダンジョンコアとしての力を使い合成。ランク2のゾンビが約五千が、ランク3のゾンビソルジャーが約千に。さらに続けてこねこねするとランク4のゾンビエリートソルジャー百になった。
「【索敵】【共有】【能力値増強】【肉体分解・再構築】【土砂混合】【炎属性付与】【風属性付与】【空間属性付与】【生命力変換:全能力】【時間延滞:生命】。狩れ、ゾンビたち」
D級冒険者に倒せるのはランク4からランク5程度。ステータスに表示されるランクは4でも、セイの魔術で超強化され、実質ランク6、一体で全滅させられるゾンビ百体を相手に生き残れる道理はない。
「さて、密告者とやらの話でも聞きに行くか。うまくいけば茶葉の全権を貰おう」
チャハン国の反乱鎮圧の知らせがサンドラの下に届いた時間は、反乱発生の知らせから一時間と経っていなかった。