プロローグ
新しい小説を始めました。
「これも読み終わった。……そろそろ帰るか」
夕暮れ時の図書館で、そう呟いて最後の本を閉じる少年。
名前は打浪静穏。高校2年生の17歳だ。髪は短く背も平均的で平凡な容姿な少年だ。
読書が趣味である静穏は時間を見つけてはいつでもどこでも本を読んでいるが、今日は寒いのでいつもの公園ではなく図書館に来ていた。
(うるさいな……せめて注意する素振りでもしろよ)
帰る前に新しい本を借りようと本棚に向かうと、途中で子供の遊び声が聞こえてくる。
公園で子供が大声を出すのは構わないが、図書館で大声を出すのはルール違反だ。子供がルールやマナーを理解できないのは仕方のないことなので目を瞑るが、傍にいる保護者が気にせず雑誌を読んでいる姿には不快感を覚える。
良識ある人間として注意するべきだと思うが、静穏は行動しなかった。
不快には思う、しかし波風を立てるのは辞めたほうが良い。もめ事を解決する形であれどもめ事の当事者にならないほうが良い。そんな大衆の正義に囲まれて育った一般人として静穏も目を背け、本を選び続ける。
(ここらの本は全部読んだな。こっちの棚に手を出してみるか?お、この本は天音がおすすめと言っていたな。これにするか)
十冊程度選び取ると受付に向かう。途中で財布からカードを探していると、何かが頭部に当たる。
「いてっ」
「あっ!ご、ごめんなさい!」
痛む頭部をさすりながら飛んできたものを見ると、それは本だった。子供向けのページ数が少ない本だが、カバーがカラフルで硬いものだ。さらに飛んできた方を見ると子供たちが本を投げ合って遊んでいる。視界の隅に職員が鬼の形相で向かっているのが映る。
最後に目線を足元に向けると、小学生低学年くらいの子供がびくびくしながら静穏を見上げていた。
「あのう……だ、大丈夫ですか?」
黙っている静穏に子供が青ざめていく。相当怒らせてしまったと感じているのだろう。
静穏もそれに気が付き笑顔を作る。愛想笑いを作るのは静穏の特技だ。
「俺は大丈夫だよ。少し痛いけど、ちゃんと謝りに来てくれたから、怒ってないよ」
「は、はい……」
「あっちの子たちと違って君だけはちゃんと謝っているんだから、過剰に自分を責めちゃだめだよ。ほら、お母さんが呼んでいるよ」
こっちをみている保護者と職員にも愛想笑いを向けて静穏はその場を後にする。
正直かなり痛い。激痛だ。しかし相手が謝罪に来た以上、静穏は怒るべきではない。そんな正義に従い大人の対応を選ぶ。
(落ち着け……落ち着け……そうだ、徳を積んだと思っておこう。きっといいことあるさ)
静穏は自分に道理を言い聞かせる。命に関わるものでないのだから。子供相手にムキになっても仕方がない、と。
「あの、頭大丈夫ですか?」
「は?」
受付で手続きをすると、職員の女性から攻撃を受けた。
「あっ、ええと!本が飛んでくるのが見えて、頭に当たっていたので!だ、大丈夫かなって!」
「ああ。なるほど。……ご心配ありがとうございます」
罵倒を受けたのかと心が折れかけたが、何とか持ち直す。
「打浪さん。このシリーズ好きなんですか?」
「いや、友達に勧められたからだよ。まあ、あいつとは趣味が合うからきっと好きになると思――、待った。なんで俺の名前を知ってるの?」
「……私、同じクラスですよ」
「え“」
静穏は思わず相手の顔を凝視する。童顔の女性かと思ったが、単に高校生だからだったようだ。黒髪に黒目。髪は肩程度で切りそろえている。体型は普通で――。
(だめだ、分からん。みんな一緒に見える。こんな奴いたか?いや、クラスメイトの半分しか顔と名前が一致しないけれども)
静穏は読書が出来ればそれで満足であるため、常に一人だ。そのためクラスメイトのことを記憶していなかった。
名札を見ると、【白井】と書いてある。それでようやく「そういえば点呼の時にそんな単語を聞いたような……」という所まで思い出せた。
「あと、席は隣ですし。文芸部に勧誘したこともあるんですけど、覚えてませんか?」
「……ごめんなさい。そういえばそんなこともありました」
静穏は羞恥で顔が赤くなる。他人に興味がなかったので忘れていたが、指摘されると記憶が呼び起こされる。
(今のクラスに振り分けられたときに、本を読んでいたら隣の席のやつが話しかけてきたな……。こいつか。全然結びつかなかった)
白井は笑っているが、その口の端が引きつっているのを見れば傷つけてしまった程度のことは静穏とて察しが付く。
「あの、もう上がりなので、一緒に帰りませんか?好きな本についてお話したいんです。おうちは学校の方ですよね?」
「はい……分かりました……」
恥ずかしくて申し訳なくて、敬語になってしまった。
「へー、じゃあ天音さんとは幼馴染なんですね」
「そうだよ。家が隣同士なんだ」
雑談しながら帰り道を進む。本の話題が終われば共通の知人についてだ。お互いに交友関係が少ないが、一人は該当して静穏は一安心だ。
「昔からあいつが絵本を読んでってせがんできてな。それがいつの間にか絵本が漫画になったり小説になったり。まあ、最近じゃあ本以外の共通の話題がなくて疎遠だけどね」
「なるほど。でも仲が悪いわけじゃないんですよね。天音さん、文芸部の部長として忙しいのに、打浪さんの話を振ると元気よく返してくれるんですよ」
「まじか。それは知らなかった」
二人が歩いていると、交差点の先にコンビニが見えてくる。
「ちょっと腹が減ったから寄っていくわ。じゃあね」
「ちょっ!気が早いですよ。私もお腹が減っています」
「そう。じゃあ一緒に」
「はい……あれ、あそこにいるのは光輝君たちですね」
「知り合い?」
「クラスメイトですよ?」
「ごめんなさい」
コンビニの中には確かに見覚えのある男子がいる。クラスの中心人物で、さすがの静穏でもすぐに思い出せる人物だった。
信号が変わり横断歩道を渡る。静穏は財布の中身を思い出しながら何を買うかを考える。
――そのため、気が付くのに遅れた。
コンビニに入ると、レジの人は黒い服装の男の会計をしているらしく、レジを開けてお金を弄っている。
――ように見えた。
「早く金を詰めやがれ!死にてえのか!」
「………………強盗?」
突然の非日常。
レジの人にナイフを突きつけて手元には口を大きく開けたカバン。唾を飛ばして興奮気味に吐いた言葉。
間違いなく強盗だ。
レジの人は青ざめた顔で震えながら金を詰めているが、手が震えているので全く詰められず却って強盗を怒らせている。
通報。静穏の脳裏にはその単語が浮かぶが、体は想定外の事態に硬直し動けない。
「きゃっ!」
「てめえ!何してやがる!」
静穏の傍で悲鳴が上がる。思わずそちらを見ると、白井が携帯を取り落としていた。
おそらく通報しようとしていたのだろう。しかし緊張して落としてしまったというところか。
勇敢な行動だが、中途半端に終わった行動は事態を悪化させる。
「ま、まさかもう警察に!?こ、この女っ!」
強盗はナイフを構えて白井に突撃する。恐怖のあまり白井は尻餅をついてしまう。
逃げることが出来ない状況で、男性がナイフを構えて迫ってくる。死という単語を連想するには十分な状況だ。
「う、うおおおおおおおお!」
「なっ!」
そこで静穏は、咄嗟に強盗にタックルをしかけ突き飛ばす。
静穏の脳裏には、【逃げるべきだ】という正論が真っ先に浮かんだ。目の前にはナイフを持った危険人物がいて、自分以外を標的にしている。ならば自分は逃げようと思えば逃げられる。そのうえ標的にされているのは良く知らない他人。死んであまり心は痛まないだろう。少なくとも自分が死ぬ危険を冒す理由はない。
しかし、静穏は【逃げる】という選択に激しい拒絶感を覚えた。
負けるのはいい。失敗はいい。無能なことや能力が低いこと、それに応じて失敗するのは仕方のないことだ。要件を引き受けていても、自分ならやれると自分の能力を見誤ってしまうことも能力の低さの一環だ。仕方のないこと、で許容できる。
しかし、逃げだけは違う。
いま静穏の目の前に居るのは普通の人間だ。年齢はおそらく中年。運動しているようにも見えない。ナイフを持っている危険人物。その程度だ。絶望的な差がある相手ではない。
そして静穏が逃げれば、隣にいる人間が死ぬのだ。絶対に勝てないなら構わないが、もしかしたら勝てずに殺されるかもしれないという程度のことで逃げるのは、静穏の本能が許さなかった。
「こ、このがきゃああああ!」
「うっ!」
しかし、強盗がナイフを持っただけの中年でも、運動もしていない男子高校生の静穏からすれば十分に致命的な相手だ。静穏は強盗の顎を狙い携帯を叩きつけるが、同時にナイフが胸に突き刺さる。
心臓を刺された。不思議と静穏にもそれだけは理解できた。
「打浪君!だい――」
意識が急速に失われ、静穏は絶命した。




