二十二世紀、犯罪は絶滅しました
◇
「署長ッ! 事件です! 本当に『事件』が起こったんです!」
桂サツキは部屋に駆け込むなり声を張り上げた。
事件という単語を嬉しそうに連呼して。
「け、桂クン!? 事件なんて物騒な……!」
「はい、事件です! あぁ これ一度言ってみたかったんですよっ!」
「あのね、ウチは警察博物館なんだよ? 事件とか犯罪とか、そんな物騒な話をもちこまれても……困るんだけど」
署長と呼ばれた大門は、気弱そうに眉をハの字に曲げて身体を縮こめた。
しかしサツキは所長の様子などお構い無し。
ばんっ! と両手を所長の事務机について、瞳を輝かせる。
「殴られて怪我をしたんですって! これって本物の事件ですよね!? えぇと、確か『傷害事件』っていう」
サツキは楽しいことが起きたとばかりに瞳を輝かせる。
卵のような輪郭に、ぱっちりとした目。とび色の瞳に気の強さを感じさせるキリリとした眉。
小顔美人ではあるのだが、ボブカットの黒髪に婦警帽、そして青っぽい制服。服装はどこか作り物めいていて婦警のコスプレ感が漂っている。
「サツキ君ね、『傷害事件』なんて言葉、辞書には使用注意の注釈のある禁句のひとつだよ……? 使い方には気をつけてくれないと怖いじゃないの……」
『署長・大門』と書かれたネームプレート、短い角刈りに黒いサングラス。恵まれた体格の老紳士だが、声はとても弱々しい。
ちなみに黒いトンボの目玉みたいなサングラスは、大昔の職業「刑事」のボスがかけていたことに由来するらしい。
「ですから! これは傷害事件ですね、間違いなく」
ふふっと分かった風な顔をして、形の良い顎を細い指で支えるサツキ。
桂サツキの胸で『警察博物館・案内係』と彫られた、星型の真鍮製ネームプレートが輝きを放つ。
あぁ! 素敵!
待ちに待った「事件」が起きた……!
さよなら退屈な日常!
と、思わず酔いしれるサツキ。
もはや過去の遺物となった小説や映画(※双方とも情操検閲済み)で描かれているのは、今は無き恐ろしい人間の行い「犯罪」の数々で溢れていた。
非人間的な犯罪行為。それは、傷害、窃盗、強盗、それに……殺人まで!
今では考えれない悪逆非道な行い。
恐ろしい人が他人を傷つける行為。公共の場では、今や口に出すことさえ禁止されている言葉たち。
しかし、サツキにとってそれらは刺激に満ち、甘美な響きにさえ感じられた。無論、口には出さないが。
二十一世紀の半ばまで、そうした犯罪が当たり前のように、それこそ連日連夜起きていたという。
未開の旧時代、負の遺産、犯罪行為。
二十二世紀になり完全管理社会となるにつれ、恐ろしい犯罪は激減、平和な時代が訪れた。
にも拘らず、こうして事件が起きた。
突発的な事故なのか、故意なのか。それはまだわからない。
けれど不謹慎だとわかっていても、「婦警マニア」のサツキにとって一度は味わってみたい状況に他ならなかった。
「事件、犯罪……傷害事件! うひひ、キター!」
「サツキくん声が大きいよっ!?」
ここは――国営『警察博物館』の展示室。
十畳ほどの部屋の壁には、ジュラルミンの盾や警棒、手錠、警察手帳などの警察グッズの数々が陳列されていた。他にも二十世紀末から二十一世紀にかけて実際に警察官たちが身につけた、制服を着たマネキンが立っている。
部屋の中央には安っぽい事務机が五つ。一番奥がボス、署長の事務机だ。
それぞれの机の上は調書や犯人のモンタージュ写真が乱雑に積み上がり、煙草(※模造品)の吸い殻が、うず高く積まれていた。
署長背後の壁には大きな『 冤罪 』と毛筆で書かれた額縁が飾られている。
室内には「順路→」の立て看板があり、当時の警察署内の様子が見学できる。
二十二世紀、犯罪は地上から消滅した。
不要となって閉鎖された警察署は、改装され警察博物館となった。そして歴史的に価値のある「史跡」として一般に公開されている。
サツキはここでは子供達に大人気の「婦警さん」の格好をした案内係。
署長は本当は「所長」なのだが、展示物の一つとして警察署の署長、ボスを演じている。
「サツキくん、傷害事件なんて連呼されちゃ困るよ。そんな恐ろしい事件は、未開の大犯罪時代……前世紀の遺物ですからねぇ」
大門は気弱な声で、博物館の案内係サツキにかろうじて反論する。
争わない、逆らわない。大抵の人間はみんなこうだ。
「それはそうですけど、斜向いの『過去歴史機械資料館』の所長さんが誰かに殴られたって……。怪我をして病院に搬送されたんですよ?」
「ひぃいい!? 痛そう、無事だったのかねぇ」
「えぇ、怪我は浅くて、命に別状は無いそうです。でも誰がやったかわからないらしくて」
「物騒だね……。平和なこのトーキョーでそんな恐ろしい事がおこるなんて」
「しっかりしてください署長、これはチャンスですよ!? 警察博物館の威信にかけて、事件を解決! 来館者を増やす……!」
拳を握りしめ、ふんすと鼻息を荒くするサツキ。
「お、おぉ……!? サツキくん、なるほど、その手がありましたか」
ここは理想都市、パラダイス・トーキョー。
人類の理想を具現化した都市。
二十二世紀、人々は超人工知能によって管理され、食料や富の配分、恋愛や結婚、生きがいといった「全てのもの」を与えられるようになっていた。
巧妙に、無自覚のうちに行動を誘導され、思想も好みも行動さえも、自らが選択し行動していると思わされる。
「管理されていると感じさせない」完全管理により、人々は平穏かつ、満ち足りた暮らしを営めるようになった。
ゆえに、争いや犯罪など起こり得ない。
他人を傷つけるという発想が無く、今では『ボクシング』でさえ相手選手を殴らない。殴る真似をし、拳の勢いを互いに褒め合い、最後には称え合って引き分けとなるほどに。
無論、全ての人間がこの「理想郷」に賛同、満足しているわけではないのだが――。
「とにかく署長! 我が『警察博物館』の名にかけて、事件をズバッと、解決しちゃいましょう! それに私、犯人をおもいっきり逮捕してみたいんです!」
手錠をジャラつかせ、腰のホルダーから銃(※模造品)を引き抜き構えるサツキ。
銃を突きつけて逮捕! 勾留し地下の取調室で話を訊く。罪人の称号たる「犯人」となった人間は人の心を失っている。
ゆえに美味しい「かつどん」を食わせ、悪いことを反省させて正しい道に戻す。そのあとは……たしか人民裁判にかけて、死刑! 火炙りか懲役刑、そんな罰をうける……。
大学の時からハマった古典映画や小説(※検閲済み)では確か、刑事や警察の出てくる物語はそんな筋書きだった。
「とはいえ、何をどうすればいいのやら……」
大門署長は腕を組み考え込んだ。
本当の警察業務、犯罪の捜査なんて実際はやったことがない。ましてや傷害事件を解決するとなると尚更だ。
「それを考えるのが警察署の仕事ですよ!?」
「そうだ! サツキくん、犯人に呼び掛けてみたらどうだろう? 街角の掲示板に張り紙をして、悪いことをしてはいけません……って」
「うーん、署長、なんだか違う気がします」
「そう?」
昔は「ケータイ」や「情報端末」や「SNS」とかいう便利な情報伝達のための道具もあったらしい。しかし今は博物館でしかお目にかかれない代物ばかり。
情報を得るには紙の新聞、あるいは街角の掲示板となる。人々はそれで満足しているし幸せに暮らせている。誰も何も不自由していない。
窓から見える町並みは、歴史書で見た「ショーワ」時代のようにレトロ風。
空は夕焼けで、今日の業務の終わりも近い。
家路を急ぐ大人たち、道路で「けんけんぱ」や「めんこ」で遊ぶ子供たち。
遠くからプーパーと豆腐(※合成品)売りのラッパの音が聞こえてくる。
時おり馬車のような車がゆっくりと通りすぎてゆく。
あれはすべて電動車なのだとか。蓄電池で動く「モーター」という機械は今や誰も作れない。
作り方を知っているのはSAIだけだが、一般人は特に知る必要もないらしい。蓄電池もしかり。多くの技術はSAIが安全に管理してくれている。
「私、事件を解決できる人、知ってます」
サツキが夕焼け空に視線を向け、つぶやいた。
「え? サツキくん、そんな人いるの……?」
「はい! 探偵さんです」
サツキの言葉に大門はサングラスの奥で目を瞬かせた。
「たん……てい? あぁ、思い出した。確か、民間の捜査代行業だっけ?」
「それ! それですよ! 事件の起こった現場に居合わせて、事件の謎を解いてくれる……っていう」
難事件を解決する。そんなすごい職業の人が大昔はいたらしい。
探偵はフラリと事件の現場に現れる。
色々な小説や映画(※検閲済……以下略)で見て、その活躍は知っていた。推理して秘密を解き明かす、それが探偵のお仕事だ。
過去にはそうした「探偵」たちが、確かに活躍した記録が残っている。名探偵コナンや名探偵ポワロなどなど、歴史上の人物として記録されているのだから間違いない。
「なるほど、名案だねサツキくん。で、探偵さんはどこにいるんだい?」
「……そうですね。さすがに小説みたいに都合よく現れてはくれないでしょうから。ここは無難に『過去人材派遣センター』に問い合わせをしてみてはいかがでしょう?」
「わかった。ボクから電話してみるよ。現場に派遣してくれるように頼んでみる」
大門はようやく自分お仕事だとばかり、黒い電話の受話器を持ち上げて、ダイヤルをジーコ、ジーコと回しはじめた。
『過去人材派遣センター』とは、過去に生きていた貴重な人材を冷凍保存し、必要なときに解凍、派遣してくれる施設だ。
管理は全てSAIが行っていて、電話ひとつで最適な人材を派遣してくれる。
例えばフランス料理のシェフが必要になれば、人材派遣センターに頼めばよい。古代の文字が知りたければ、考古学者を頼めば良い。
そうした貴重な人材は、主に二十一世紀中に募集、あるいは捕獲され、マイナス270度で急速冷凍保存された人たちだ。
未来への扉、永遠の命の切符を手に入れて、眠りについた幸運な人たちなのだとSAIは言う。
要請に応じて解凍された後は、記憶処置を施され現場に派遣され、すぐに働き始めてくれる。
総人口5億にまで激減した二十二世紀においては、とても貴重な人材、即戦力として重宝されている。
中には寝起きの悪い人もいるらしいが、大抵はすんなり状況に馴染み、対応してくれるのだとか。
「……明日の朝、一番で現場に向かうって」
「ありがとうございます、署長!」
「じゃ、今日はここまで」
ビシッと敬礼をすると、踵を返し事務室を後にした。
さぁ、どんな探偵さんがくるのかしら。
サツキは足取商店街でコロッケを買い、足取りも軽やかに家路についた。
<つづく>