第41話:鳥籠の勇者
2年半前。討伐軍は魔王軍本拠地の最下層……最終決戦の舞台にいた。
道を辿れば屍累々。討伐軍の人間兵も、魔王軍の魔族兵も……彼らが人生の最期に放った、痛烈な血の匂いが充満していた。
残っていたのはたったの三人。レイムル、リリィ、そして勇者ルネサンス。
そして、彼らの目の前にその男はいた。
「いよいよ王手ね」
「ああ……領内の魔族は全て殺したぞ。あとはお前だけだ、魔王アスカリオ!」
椅子に腰かけていた3mを超える大男。その強烈な邪気が三人を包み込んだ。
「魔族など、まだ幾らでも産みだせるわ。これは終わりではない、始まりだ。我が覇道のな」
「強がったって無駄よ」
「たった三人か……舐められたものだな」
マントを外す魔王。隆起した筋肉に包まれた腕を出し、両手を徐に地面に翳す。
一瞬、地面が浮き上がったのかと錯覚させられたが、浮き上がって来たのは、地面下に詰まっている『闇』であった。
「むおっ!?」
闇が三人の視界を包み込んだかと思うと、壁に叩きつけられていた。
何度立ち上がっても、何度立ち向かっても、その闇に抗えない。
「がああっ!」
レイムルが闇で作られた魔手に首を絞められている。
「レイムルを放せ! 第陸式、光切裁!」
寸でのところでルネサンスの輝魔法が魔手を切り裂いた。ホッとしたのも束の間、その勇者の横を、暗魔法の圧に当てられたリリィが吹っ飛んでいく。壁に激突し、大魔女と呼ばれた彼女ですら立ち上がる事ができない。
「さ、三人がかりなんだぞ、こっちは!! 何故、傷一つ付けられない!?」
「光の当たらぬ場で生きて来た私を、温室育ちの貴様らと一緒にするな」
――格が違う。俺は、敵わないのか……!?
初めての登山で空気の薄さに畏怖の念を抱く様に。勇者の膝は、未知の恐怖に震えていた。
***
そして現在。勇者は同じ魔王を相手取り、互角の戦いを繰り広げている。自分でも驚くぐらい調子が良かった。良かったのだが……。違和感を覚えずにはいられない試合展開であった。
――おかしい。こんなはずはない。
詠唱を行いながら、勇者は考えていた。
討伐時代、魔王の恐ろしさはその底知れない魔力にあったのだ。それをたかだか4,5分神通力を消費した程度で、詠唱を始めるかだろうか?
否、そもそもが魔王の強さはこんなものでは無かったはずなのだ。確かにルネサンスの先制攻撃で片側の視力を奪った。だがそれでも、あの魔王の本領は、自分達討伐軍三人が束になってようやく試合の体を成すはずの、デタラメな強さ……。
――あの強力な魔法が、失われている。もしくは、隠しているのか?
何れにしろ、ルネサンスのやる事は決まっている。この補給した神通力で、あの魔王に輝魔法を浴びせかけるだけだ。
奇しくも同じタイミングで、魔王も詠唱を終えた。
「ルネサンスよ」
「……」
「驚いたぞ。二年前より数段強くなっている。たった一人で、私とここまで戦えるとは」
「戦える、じゃない。お前は敗けるんだよ。俺の手によって、もう一度」
「分かった。貴様はそれでいい。そうなる事を、望め。そして私を愉しませろ」
魔王は両手を地面に翳す。
――あれは、暗魔法第弐拾式……!! 不味い、あれを発動されたら!
その構えが、何を意味しているか悟った勇者は、猛ダッシュで距離を詰める。
「なっ、何だぁ!? 闘技場に真っ黒な球体が……」
「勇者ルネサンスが、あの中に閉じ込められた!?」
しかし、反応がコンマ5秒遅かった。発動したその禍々しい魔法が、地面下の闇を浮き上がらせ、勇者を包み込んだ。その名も……。
「闇籠……!!」
「ほう、よく覚えていたなルネサンス。その通り、『あの時のあれ』である」
悪寒がルネサンスの背中を走り抜ける。二年前に感じた絶望感を思い出したから。
「斬り抜けて見ろ。今度は一人で」
闇の中から、真っ黒な拳が顔を出し、ルネサンスに殴りかかる。
「何の……うあっ!?」
拳をかわしたルネサンスだったが、その真後ろから現れた掌底に吹っ飛ばされる。
何とか受け身を取ったものの、次は後ろから後頭部への蹴り。気絶を懸命に堪え、剣で薙ぎ払う。するとお次は真横から、剣状の闇に脇腹を狙われる。ギリギリ、ルネサンスの剣速が上回り闇が引っ込んだ。
「どこから来る……どこから……!」
予測不能の闇領域の中、勇者は肩で息をしていた。
まだ絶望はしていない。この魔法にはかなりの神通力を消費しているはず。そこまで耐えきれば、きっと逆転できる。そう信じて疑わない。
「甘いぞルネサンス。そこだ!」
外から響く魔王の声に、従順な闇が反応する。
背後の闇から出現した二本の腕。流石のルネサンスも背後からの不意打ちには反応できず、羽交い絞めにされてしまった。
「くそ、放せ!」
その必死の声も空しく、前方から拳が飛んで来た。単発ではない。勇者は闇雲に動くより、打ち終わりまで耐える事を選択。二発、三発……終わらない!
「がっかりさせるなよ勇者、その程度脱出できずして何が勇者か!」
球体の外から戦闘神の声が飛ぶ。勇者は、それを戦闘神からの激励と受け取った。
殴られながらも眼を閉じて、二年間血道を上げて、自らを鍛え直して来た日々を思い返す。たった一人でも、世界を救える様に。
魔王を倒したあの日に生まれたのは、勝利の喜びではない。独力では歯が立たなかった屈辱であったのだ。
「二年前の……俺じゃない!」
背後に向けて、光尖を放ち絡んでいた腕を撃ち抜き、拘束から脱出する。
直後に休まず、残った神通力全てを、愛剣ツヴァイハンダに集中させる。
そして先程魔王の声がした方向を向き、剣を振りかぶる。
――俺一人で、この闇を切裂き、魔王を殺す。やらなければならないのだ!
「輝魔法剣、第壱式……」
――裂夜!
振るわれた剣は勇者の手を離れ、一直線に魔王のいる方向へ向かって飛ぶ。
闇球にぶち当たると、辺りの闇を消滅させながら、勢いを維持して飛んでいく。
「何!?」
闇でルネサンスから見えないという事は、魔王からも肉眼では見えないという事だった。
闇から唐突に現れた輝きの剣に、魔王は対応しきれない。
「かっ……はっ……」
そして勇者の剣は、魔王の額に突き刺さった。
その光景を見とめた観客は……。
「うおおおおお! ルネサンスゥゥゥ!」
「世界を救ったぁぁ!! 私達の勇者様ー!!」
沸きに沸いた。消滅した闇から現れた勇者を、祝福する歓声だった。




