夏に向かって
七月に入ると、太陽の日差しも刺すような熱さに変わり始め、北海道らしからぬ気温の日が増えてきた。
ここ十年ほどで温暖化の影響は如実に現れ始め、俺が学生の頃はこんなに暑くなる事はなかった記憶がある。
雨は平年並みに降り、山ではいよいよ蝉も鳴き始め、暑さ以外は北海道らしいカラっとした気候だが、雨上がりに太陽が出ると、蒸し暑さを感じるほどだった。
とくにマイコたちにとっては堪らない蒸し暑さだろう。と感じていたが、風通しの良い畑ではそうでもなさそうだった。
しかし朝はとても清々しく、鳥の囀りで目を覚ますテントでの起床は、俺に健康的な体と心を与えてくれていた。
マイコもここ最近で一気に大人に近づき、毎日見ている俺でさえその変化に気付く速さで成長している。
蔓や葉、花に関してはそれほど変化は見られないが、芋? の部分である体の方は中学生ほどになっていた。
白い髪も肩にかかるほど伸び、顔つきもより大人っぽくなり、身体的にも成長していて、胸も膨らみ始め、くびれも出来てきた。
さすがに下のほうまでは親として見るわけにはいかないが、というより、マイコ自身がそういうところを隠すようにもなった。
心境の変化はそれだけではなく、美容やお洒落にも興味を持ち始めた。
毎日のようにスカートとブラジャーを作りたいと葉っぱを要求する。そして隠れるように上手に土の中で着替える。
必要なくなった衣類はそのまま土に埋め、栄養としているようだ。
初めは邪魔になるだろうと思い、脱いだ衣服を渡すように言ったが、マイコはそれを怒りながら拒否し、「お父さんのパンツと一緒に洗わないで!」と言われる父親の気持ちが分かり、寂しくなった。
体に泥を塗ることも多くなった。
今まではときどき泥遊びのようなことをしていたが、最近では遊びではなく、美容目的で塗っているようで、土が乾いていると水を欲しがり、わざわざ泥を作り肌に塗る。
太陽の日差しも強くなり、日焼けが気になるようだ。
俺としては少し焼けた肌の方が健康的で好きだが、そもそも芋にあたるマイコには、それは良くないのかもしれない。
かと言って日陰を作ろうとすると嫌がり、日差しに我慢できなくなると潜る。
ほかにも、自分の葉の手入れをする時間も増えた。
三本ある蔓を一本ずつ手繰り寄せ、黙々と葉を一枚一枚掃除する。
中でも青い蕾は丁寧に掃除し、綺麗になると眺め、納得したように小さく頷いている。
意外にも、葉や蕾にはお洒落をせず、それで満足する。
どうやら植物にとってはすでにこれがお洒落であり、完成された姿のようだ。
しかし蔓を綺麗に伸ばす事は難しいらしく、何度も伸ばしては手繰り寄せを繰り返し、最後には俺を呼ぶ。
その姿は愛らしく、俺を呼んでくれるまであえて待つ。
今までスマホやパソコンで動画を見て時間を潰していたが、マイコやほかの子供たちを眺めているだけであっと間に時間が過ぎ、すでにそんな物は必要なくなっていた。
土に触れる事が、こんなにも楽しいことだと知らなかった今までの人生は、一体なんだったのだろう?
しかし一つ気になったのが、言葉の方には相変わらず変化が見られない事だ。
行動や考え方から知能も成長しているのは分かるが、言葉は無理のようだ。
マイコ自身もとくにそれは気にしている様子も無く、自由気ままな言葉で喋る。
それでも指の動きや手の形も加え、上手くコミュニケーションを取るようになり、何を求めているのか分かりやすくなったが、やっぱり親としては、「パパ」または「お父さん」と呼んで欲しい。
何度か発音の仕方を教えたが、マイコには興味が無いようで、すぐに違う遊びを始めてしまう。
だがそもそもマイコは植物であり、喋る事はおろか、動き回る事さえありえない。
そう考えると、それだけで十分な才能であり、マイコから触れてくるだけでも俺は与えられ過ぎていると感じ、これ以上のものを求めれば、神様のバチが当る。そう思い余計な事は教えない事にした。
ほかの子供達に関してはそれほど大きな成長は見られないが、それぞれが蕾を膨らませ、かぼちゃは黄色い花を咲かせ始めた子もいる。
まだまだ小さく頼りないが、それでも立派な花だ。
そのうち向日葵も、トウモロコシも、マイコも花を咲かせれば、畑は一気に賑やかになるだろう。
それはマイコも気付いているらしく、蜂や蝶を見つけると、ここの畑は良いよと呼び込むように手招きしていた。
貧弱だったトウモロコシもしっかり育ち、ほかの兄弟よりは小さいが、負けじと張り合うように米のような蕾をひっそりと付け始めている。
マイコもとくに二人には気を使っているらしく、葉の掃除をしたり、話しかけたりと、色々と世話を焼いていた。
そんな子供たちの成長に合わせ、最近ではマイコとの栄養の取り合いを考え、栄養剤を少し改良した。
米のとぎ汁と牛乳に加え、果物の缶詰の汁を混ぜ与えている。
マイコにも当然同じものを与えているが、植物にも味の好みがあるようで、マイコは桃汁に牛乳を少し加えたものが好きで、蜜柑は嫌いなようだ。
嫌いなものを与えると味が分かるのか、飲んでいるのは髪からなのに、渋い顔をして、「おぇ~」と言いながら舌を手で擦り味を落とそうとする。柑橘系は駄目らしい。
目には沁みないらしく痛がる様子はなく、不思議な体質に神秘を感じてしょうがない。
あの一件以降、家の畑を覗きに来るものはいなくなった。と言うより、誰も俺と目を合わせることが無くなった。
母は何も言わないが、おそらく周りは、俺は頭がおかしくなり、危ない奴だと思っているのだろう。
だが俺にとっては、そんな些細な事はどうでも良い。
着せ替え人形には可哀想なことをしたが、そのお陰でこうして幸せな時間を過ごせるのだから。
人形にはきちんとお礼を言いたいが、さすがに言葉は通じず、仕方がないので、服を着せ毎日髪を梳かす事しか出来なく、本当に申し訳ない。
警察の方も、約束通り巡回してくれて、声を掛けてくることはないが、来てくれるだけでも本当に感謝している。日本の警察官は素晴らしい人ばかりだ!
そんな平和な日常を取り戻し、今日も子供たちに話しかける。
最近ではなんとなく気持ちが分かるような気がしてきて、葉の色や開き方で機嫌が良いとか、調子は悪くなさそうだとか、会話をしている気分になっていた。
だが、やはり一番手を焼かされるのがマイコだ。
近頃は声による会話にハマっているようで、やたらと会話をしたがる。
「まにゃまにゃ、ま! はま、わしゃわ。わあ! わぁ、わ……」
全く何を言っているのか分からないが、両手を大きく動かし、女子高生のようにキャッキャッと喋る。
そのうえ、きちんと顔を合わせ聞いていないと、拗ねる。
一度それに捕まるとしばらくつき合わされ、上手く相槌を入れ、聞いているとアピールしなければいけないのは、正直疲れる。
そしてどこで覚えたのか、話が終わると、「じゃあね!」という感じでいきなり両手を振り、俺が手を振り返すと眠るフリをして畝に潜る。
そしてしばらくすると出てきて、指弄りや土を捏ね、寛ぎ始める。
これが日に三回は必ずある! 娘というのは、父親にとっては理解できない事が多すぎる!
そして歌が好きなようで、よく歌う。
声も随分大きくなり、窓を開けているとはいえ、茶の間にいる母にまで聞こえるようになった。
そのうえ下手くそときた!
音痴なのかそれが正解なのかは分からないが、音階の抑揚がハンパない!
不協和音ではないが、わ~お~、わ~お~、という感じで歌い続ける。
そして勝手にヒートアップし、わあっ! とタクト代わりの枝を振り上げフィニッシュ。
見ていて面白いが、熱くなると葉がワサワサするほど頭を降るため、蕾や葉が痛まないかと心配になる。
そして静かになったと思えば、「蔓を伸ばせ!」と俺を呼ぶ。
手が焼ける子ほど可愛いと言うが、俺にはほかにも子供がいて、マイコばかりに構っていられない! が、やっぱりマイコは食べてしまいたくなるほど可愛い。
今のは別にそういう意味ではない! 目に入れても痛くないという意味であって、俺はマイコもほかの子も、食べようなどと思ったことは一度もない!
そんな幸せな日々が続いたある日、すっかり騒動は治まったと思っていた家の畑に、麦わら帽子にリュックを背負った女性が顔を出すようになった。