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戦い

 ここまでの遠出は、里香が来てから初めてだった。

 もし里香が俺たちの前に現れず、一人でマイコたちの世話をしていたら、こんなに余裕を持って買い物などには出られなかっただろう。そう考えると、里香との出会いが、初めから決められていたような運命さえ感じ、同時に感謝を感じた。


 そんな幸福感に満たされた俺は、早々に必要な部材を買い、帰宅した。

 本当なら、里香に感謝の印として何かプレゼントでも買って行きたいところだが、今の俺にはそんな金銭的な余裕は無く、かといって花の一つでもと思ったが、それはマイコが嫌がるため断念した。


 俺は本当に里香に世話になりっぱなしだ。いつかお礼の一つでも……と考えると、無性に里香の手を握りたくなり、とても暖かい気持ちになった。

 畑に戻ってもその想いは消えず、理香に手を出すよう言い、その手を握った。


 感謝。ただその想いだけだったが、それは人間本来が持つ最高の感謝の表れではないかと思った。

 里香にはそれが通じたのか、少し照れくさそうにはにかみ、何も言わず離した。


 夫婦? 恋人? 俺たちの関係はよく分からないが、また一つ何かを学んだ気がする。

 そして、この日初めて俺たちは愛の共同作業をする。

 

 少し語弊はあったが、愛の共同作業といっても、俺たちがした共同作業は台風対策だ。だが、愛があったのは事実だ。

 子供たちを想い、愛情一杯に家にあったハンマーで支柱を打ち込む。

 俺が支柱を支え、里香がそれを叩き込む。

 初めての共同作業は、二人とも慣れていない作業のため、里香がときどき俺の手をハンマーで叩く。


「あおっ!」

「ゴメン! 大丈夫?」


 軍手の上からといえど、本日何回目か忘れるくらい叩かれると、さすがに骨にヒビが入ったのではと思う。


「次は私が押さえるから、今度は優樹が打って」


 里香は俺の手を叩くのが申し訳なく、替われと言うが、俺も里香の手を叩きたくない。それならまだ叩かれている方がマシだと、断る。


「いや気にしなくていいから、このまま続けよう」

「でも……」

「だったら、あとで撫でてくれ」

「えっ! うん。分かった」


 こんなやり取りをもう何度も繰り返している。里香も何故だかそれに納得し、作業を続ける。しかし里香の命中率は一向に上がらない。


「おわっ!」

「ゴメン!」


 父が母に何度も手を叩かれ声を出すたび、マイコは驚いたようにそれを見て口を開ける。 

 マイコも、なんとなく俺たちが何をしているのか分かっているらしく、興味深そうに見ている。


 そんな支柱の打ち込みも一時間ほどで終わり、手がボコボコになることは無かったが、それでも右手の甲は綺麗なピンクになっていた。

 そこで休憩を入れ、約束どおり里香に優しく撫でてもらう事にした。


「ゴメンね。私ハンマーなんて使った事無いから……」

「俺もだよ。だから気にすんな」


 照れくさいが、里香にこうやって擦ってもらえるのなら、あの苦行も悪くない。

 そんな俺達を見てマイコも心配したのか、俺を呼び寄せ、叩かれた手を出せと言ってきた。

 それに期待して手を出すと、マイコは優しく手の甲を撫でてくれた。

 里香には悪いが、正直マイコに撫でられた方が嬉しい。

 そんな感情が顔に出てしまったのか、それを悟った里香が、早々に休憩を終わらせ作業の続きをすると言い、俺の幸せな時間は終了してしまった。


 休憩後は支柱にビニールを巻き、性能を確かめる作業だった。

 ビニールは台風が来るまでは取り外しておくが、それでも一度組み立てる必要があり、一番逞しいトウモロコシに協力してもらい試行錯誤した。


 途中いくつかの改善点と支柱の打ち込みが足りない事に気付き、手直しをし、余分に多く手を叩かれながらなんとか形にすることが出来た。

 その甲斐もあり、俺たちは自信を持って台風に挑む事が出来た。



 天気予報のとおり台風が近づくと、午前中までは太陽が見えていた空が徐々に黒い雲に覆われ、生暖かい風が吹いてきた。

 風は次第に強くなり、テントをガサガサ揺らし始めた。

 俺たちは合羽を着て、囲いをした子供たちを見守り、戦いに備えた。

 マイコもこの気象状況を素早く察知し、蔓を半分ほど自分の部屋に仕舞い込んだ。


 ――強くなる風に、アスファルトを濡らす雨の匂いを感じると、横殴りの雨が降ってきた。いよいよ開戦だ。

 マイコが嫌がるため、畑の周りの見える範囲の草刈は一切しておらず、腰下ほどの長さまで伸びた雑草が音を立て揺れ出す。だが、その雑草がいくらか風を緩和してくれているのか、思っていたより子供たちに襲い掛かる風は強くは無かった。

 これならなんとか凌げそうだと、里香と目を合わせ頷くが、それは台風が来て一時間ほどの間だけだった。


 ――しばらくテントの中で様子を窺っていたが、いよいよ本気を出してきた台風は、重石をかけ強化したテントをひっくり返してやろうというくらい容赦なく風雨を強めた。

 それでも手を傷め、想いを込めて作った囲いは、俺たちの期待に応えるように子供たちを守ってくれている。しかしそれでも緑の細い支柱を見ると、今にも飛ばされそうな気がして、堪らず俺はテントを飛び出し、微力ながら体を盾にしてトウモロコシの列の支柱に加勢した。

 それを見て里香もテントを飛び出し、マイコがいる畝の支柱の盾になった。


 ――一体どれほど耐えればよいのか分からないが、それでも俺たちは風が治まれと願いながら耐え続けた。

 幸い風は温かく、合羽とフードのお陰で寒さは感じないが、時折背中を強く押されるような強風と、どこからか入り込む雨で濡れていく体は、体力を奪っていく。


 ――何も考えず、ただ目の前の子供たちを見つめ、じっと耐える。

 すでに体も顔も雨でビチョビチョ。手までふやけてきたが、それでも神様は俺たちに与えた過酷な試練を続ける。

 そんな中、里香がぶつぶつ独り言を言い出した。


「大丈夫。大丈夫だから」


 この嵐の中で滅入って来たのかと思ったが、里香は目の前のトウモロコシに声を掛け、安心させようとしている。

 それを聞いて、心の奥底で何人かは駄目になるかもしれないと思っていた俺に火が点いた。


 何が何でも子供たちを守る!


 そう思うと、全員でこの嵐を耐えようと、子供たちに声を掛けた。


「頑張れよ。倒れても俺が直してやるから。だから絶対に折れるなよ」


 そして、子供達だけではなく、心強い支柱にも声を掛けた。


「頼むから持ってくれ。ハンマーで打ち込んだのは悪かった。それでも頼む!」


 嵐の中、合羽を着た二人の男女が畑で野菜に話しかける。必死に子供たちを守っていると、突然そんな考えが浮んできて、笑いがこみ上げて来た。


 俺たちは頭がおかしい。俺がそんな人間を見たら、何があったのかと驚き、絶対に知り合いに馬鹿にして話す。だけど、今笑いが出てきたのはそういう想いからではない。

 俺にはこんな馬鹿げた事に真剣に付き合ってくれる里香がいて、それを受け止めてくれる子供たちもいる。こんな幸せな事は無い。


 お金、名声、地位、権力、名誉、人々は色々なものを欲しがり、実際俺もそうだった。

 芸能人のように有名になり、大金を稼ぎ、ちやほやされ、良い家に住み、良い家庭を持つ。そんな人生が送れたら最高だと思っていた。

 だけど今はどうだ。仕事も無い、お金も無い、友達もいない。誰に聞いても俺は人生のどん底だと言うだろう。


 だが、そんなものは幸せになるのには全く必要なかった。


 里香がいて、マイコがいて、トウモロコシがいて、かぼちゃがいて、向日葵までいる。幸せは全部ここにある。

 それを教えるために神様は俺に試練を与えたのだろう。俺は恵まれている。

 そんな幸せな笑いが込み上げる俺の顔を見た里香は、台風で頭でもやられたの? みたいな顔をした。しかし俺が、「最高だな!」と言うと笑みを浮べ、「しっかり見張りなさいよ!」と返事をした。


 幸せは意外なところにあるようだ。

 


 日が落ち、辺りが暗くなってくる頃には風は静まり始めた。

 今回の台風は足が速かったようで、暴風域は思ったより早く通り過ぎたようだった。


 これだけ風が弱まればもう大丈夫だと判断した俺は、里香に先に風呂に入って来いと声を掛けた。

 すると里香は、子供たちの状態を一人一人確認し、分かったと言って家に入って行った。

 その間俺はテントに異常は無いか確認し、畑の見回りを続けた。そして里香が戻ると交代で風呂に入り、疲れをとった。

 しかしのんびり風呂に浸かる気にはなれず、早々に出ると畑に戻り、テントの中で里香と温かいコーヒーを飲みながら談笑する事にした。


「里香がいてくれて助かったよ」 


 心の底から感謝していた俺は、この想いを里香に伝えたくて仕方がなかった。


「何、気持ち悪い」


 いきなりどうしたのという顔をする里香には、この想いは三分の一も伝わっていないようだ。


「いや、里香がいなかったら子供たちを守れなかったから、ただ単に感謝したつもりなんだけど……」


 舞い上がっていたのは俺一人だけだったようで、なんとも言えない空気になった。


「それが気持ち悪いの! まだ私の事他人だと思ってるの!」

「えっ。あ、いや……すまん」


 そんなつもりは毛頭ないが、たしかにそう言われれば俺の言い方は悪かった。


「……別に怒ってるわけじゃないけど、優樹って、ときどき傷つく事言うね?」


 自分ではそんなつもりはないのだが、人から見れば悪い癖なのだろう。


「……悪い」


 折角いい気分だったのに台無しだ。別に里香のことを言っているわけではない。俺が里香に対しての礼節を忘れていた事が悪いのだ。


「……ゴメン。私もそんなつもりで言ったわけじゃないから……やっぱり、私たちはそんな関係じゃないもんね……」


 里香も雰囲気を悪くした事を気にして謝ったが、それでも最後の言葉は心に刺さった。


「……そんな関係って、何? 俺たちはそういう関係じゃないのか?」


 里香はもう他人ではない、立派な家族だ! そんな悲しい事は言わないでほしい。


「……ねぇ? 優樹の言うそういう関係って、何?」


 ん? 何か話がややこしくなってきた。俺の言うそういう関係と、里香の言うそういう関係は何かが違うようだ。


「えっと……つまり俺たちは家族みたいなもんで、だから里香は他人じゃなくて……つまりそういう事」

「ん? よく分かんないんだけど? 私は他人だけど、家族みたいなもの? 兄弟とかそういう事?」

「いや違う。家族だけど兄弟ではなくて、母親的な……違うな。なんて言うか、その……なんだ……」


 だんだんなんの話をしているのか分からなくなってきた。


「恋人? そんな感じ?」

「う~ん……ちょっと違うな。恋人まで行ってないけど、すでに恋人を超えたみたいな……そんな感じ」

「う~ん……」


 とうとう里香まで首を傾げ唸り出した。


「……と言うか、なんの話だっけ?」


 なんでこんなに悩んでいるのか分からなくなり、飽きてきた。

 するとこの質問に対して、里香はコーヒーを置き、無言で俺の太ももをグーで殴った。


「熱っ、イテッ! 何すんだよ!」

「あんたが大切な話してんのに変な事言うからよ!」


 それほど大切な話をしていて、何について話していたかを忘れる話など、それほど重要に思えなかった。


「大切な話ってなんだよ! そんな話してたか?」


 もう一発太ももに拳が降ってきた。


「熱っ!」 

「もういい!」


 里香にとっては重要な話だったようで、ふて腐れてしまった。面倒臭い。


「悪かったよ。もう一回ちゃんと話そうぜ?」


 機嫌を取るわけではないが、重労働を一緒になってこなしてくれた里香に、こんな思いをさせておくのは忍びなかった。


「……じゃあキスして?」

「はぁ? ……気持ちワリィ」


 最後にもう一度俺の太ももに一撃を入れた里香は、その後すぐに機嫌がよくなった。

 こうして台風の危機は去り、全ての子供たちは夏を乗り切る事が出来た。 


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