嵐
夏の小さな花火大会が終わり、すっかり静けさを取り戻した翌日の早朝。
いつもとは少し違い、里香は昨日の酒のせいか、まだ寝ていた。
俺はそんな里香を起こさぬよう家に入り顔を洗い、一日の準備をしていた。すると突然母から、台風が近づいている、と教えられた。
俺たちは最近スマホを弄っていない。そのため母に教えられるまで、全くそのことを知らなかった。
今年の台風は一度だけ直撃したが、その時はまだ子供たちも小さく、風は強かったが怪我をするようなものではなかった。だが、今台風が直撃すれば、向日葵とトウモロコシのような背丈の高い子供たちは、大怪我を負いかねない。
慌ててテレビのチャンネルを回し、嘘であってくれと願いながら台風の状況を調べた。
すると、今回の台風は日本海側を通り、新潟県を越えた辺りで北海道を目指し進む、と丸い進路図が出ていた。
台風は風も強く、海水温が高いため温帯低気圧にはならず、そのまま台風として北海道を通過するらしい。
しかし、北海道の利点とでも言うのか、それは四日後の事の話で、早い段階でそれを知ったことはかなり大きい。
それだけの猶予があれば、なんとか対策を立て、子供たちを守る準備が出来る!
母に礼を言い、すぐに畑に戻り、テントで未だにぐっすり眠る里香を叩き起こした。
「里香……里香!」
俺の呼びかけに、里香はう~んと唸るが、全然起きない。
「おい! ……おい!」
肩を揺すり名前を呼ぶが、それでも里香は不機嫌そうに唸り、反対を向くだけ。
たしかにいつも里香は寝起きが悪い。ほとんどは俺より先に目覚め、それに気付き俺が起きるが、たまに俺が先に起床しても、しばらく里香は起き出してこない。
それに昨日は、あの後上機嫌になった里香は子供たちの前という事も忘れ、俺にやたらベタベタ触るほど酔っぱらっていた。さらに、しばらく一緒の寝袋で寝ようとダダをこね、気付いたときにはいびきをかいて眠る始末。
そんな里香がなかなか目を覚まさないのは分かるが……というか、起きてはいるが、俺を完全に無視して眠ろうとしている。ビックリする。
俺がここまでして里香を起こすのは初めてだ。なのに里香は、熟年夫婦のように相手もしてくれない。
図太いというのかなんと言うのか、普通は非常事態では! と思わないのだろうか。少しイラっとした。
しかし今は里香の助けが欲しいのは事実だ。そこで、そっちがその気ならと、昨日の仕返しに強引な作戦をとった。
背中を向ける里香に添い寝し、無理やり右腕を首と枕の隙間に通して腕枕をし、左手で寝袋の上から里香の腹に手を回し、引き寄せるように体を密着させた。
その行動に里香は驚いたようにビクッとしたが、それでも眠気の方が強いのか、起きない。
その態度に、これでも駄目かと思い、さらに攻撃を仕掛けた。
強めに抱きしめ、里香の耳元に顔を近づける。
こんなに近くで里香の寝顔を見たのは初めてで、キュンとしたが、臭ってくるアルコール臭で冷めた。
それでもさらに顔を近づけ、耳に息を吹きかけた。
里香はさすがにそれに驚き、大きく体を動かしたが、それでも寝た振りを続ける。
さすがにこの態度には頭に来た!
里香の頭を抑え、狙いをつけて両鼻に指を入れた。
すると、ここでやっと里香は体を起こし、俺にビンタ一発入れ、起床した。
「あんた! 何がしたいの!」
「何がしたいって、お前を起こしたい以外に何があんだよ!」
逆に里香は何をされると思っていたのか疑問だ。
「で、なんのようなの変態!」
アレだけされて寝た振りしていた奴に言われたくないが、これでやっと本題に入れる。
「台風が直撃しそうなんだよ。それで、何か対策しなくちゃなんないんだよ」
「台風? 北海道も台風来るんだ?」
いつの時代の人なのか、里香は昨今の温暖化の影響を知らないのだろうか。それにしても事の重大さに気付いていない。
「んなことはどうでも良いんだよ! それより、子供達を守る準備しないとマズイんだよ!」
寝起きのせいなのか、里香はボサボサの頭で欠伸をしていて、頼りない。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。どうせ北海道に来る台風なんて、石川のに比べたらたいした事無いんでしょう?」
そう言われても、俺は石川県に来る台風の規模を知らない。しかしそれは、北海道に来る台風の規模を知らない里香にも同じ事が言えた。
「お前北海道の台風舐めんなよ! 最近じゃ本州と変わらないクラスだって来るんだぞ!」
「へぇ~」
へぇ~、って!?
俺の起こし方が悪かったのか、それとも寝起きの里香は元々こんな感じなのか……とにかく今の里香では話にならないと、一度顔を洗いに家に入るよう促すと、それを聞き入れた里香は、顔をポリポリ掻きながら家の中に入っていった。
その間俺は、どうすべきかと畑を睨みながら、Google先生で対策を考えた。
――しばらくすると、顔を洗いさっぱりした里香が、コーヒーを持って戻ってきた。
「天気予報見てきたわよ。たしかに何か対策をしなくちゃ駄目みたいね?」
肝が据わっているというのか、母というのはこういうときどっしりするというのは、今も昔も変わらないようだ。
渡されたコーヒーを受け取ると、里香はいつものように朝のブレイクタイムを取り始めた。
俺としてはすぐにでも行動を起こしたいが、そんな里香を見て、焦っては駄目だと落ち着く事にした。
「で、どうする気なの?」
腰を下ろした里香は、さっきまでとは違い、とても頼もしく見えた。
「杭を打って、ビニールハウスみたいのを作るか、板か何かで畑全体を囲もうと思ってる」
ネットで調べると、支柱を立て、支えを作るなどもあったが、それはどれもまともな成長を遂げた植物に対しての話で、細っそりしたうちの子達には向かないものばかりだった。
そこで俺は、風そのものから子供たちを守る作戦を考えていた。しかし里香はその案を否定した。
「それじゃあ駄目よ。杭を打つにしても、あの子達の高さなら全然足りないわよ? それに、もし風に飛ばされたりしたビニールが当ったら、あの子達怪我するわよ?」
まるで建設現場の作業員のようなリスクアセスメントに、驚いた。
そういえば里香は元看護士だった。だからそういうリスクを考えるのは常識なのだろう。とても頼りになる。
「じゃあ、支えを作って、それでなんとかするか?」
「マイコやかぼちゃはそれでなんとかなるかもしれないけど、トウモロコシと向日葵は幹が細いから駄目よ」
それは俺も同感だ。やはり里香がいてくれて助かる。俺一人ではまともな対策が出来そうに無い。
「そうだよな。やっぱり畝ごとプランターに移して避難させるしかないか?」
これは出来ればやりたくない。マイコのように、全ての子供たちが自ら出られれば問題ないが、俺たちが掘り起こせば根を傷めかねない。いくら非常事態といえど、子供たちを傷つけるようなことはしたくは無い。
「それは駄目よ! ここまで成長した子供たちにそんなことをしたら、将来に響くわよ! この子達は今が一番大切な時期なんだから!」
やはり里香は天に選ばれるべくしてここに来たのだろう。植物に対する知識はほとんど無くとも、子供を育てる本能は俺以上に備わっているようだ。
「はぁ~。どうすればいいんだ……参っちまう……」
農家の人の凄さが身にしみて分かった。今までなら、台風が来てもこんなに悩んだ事は無い。それが植物を育ててみて、初めて台風の恐怖を知る。農家の人は、毎年こんな思いをして野菜を作っていると思うと、敬意すら感じてしまう。
「そんなに考え込まなくても平気よ。この子達は私達の子供よ? 台風如きでやられることなんて無いんだから安心して」
俺も子供たちも、良い母を持ったものだと感謝した。しかし、何もしないわけにはいかない。
「里香。何か良い案ないか?」
本来なら父として皆を引っ張らなければならないが、そんな小さなプライドのせいで子供たちに被害が及ぶくらいなら、初めからそんなプライドなど持たなければ良い。そう思い里香に助けを求めた。
「そうね……」
さすがの里香も、こんな事態の対策などすぐに思いつくはずも無く、考え込む。
「…………そうだ! てるてる坊主を一杯作るってどう?」
やっと出たと思った策が、まさかのてるてる坊主とは、里香も態度には出さないが、相当追い詰められているようだ。
「…………はぁ~」
それは無理だとツッコんであげるべきだが、ため息しか出てこない。
まともな策も思いつかず、二人して肩を落としていると、マイコが目を覚したようで、モゾモゾと頭の蔓を揺らし始めた。
マイコもなかなか寝起きが悪く、目を覚ましてからしばらくしないと頭を出さない。家の女性陣は血の繋がりは無いが、そういう家系らしい。
「どうする? いっそ農家さんに聞きに行ってみる?」
里香もお手上げのようだ。だが、その案が一番まともなような気がした。
しかし農家の人に聞いたとしても、ネットで書かれているような事しか言われないだろう。
「おそらく聞きに行っても、俺たちの畑と本業の人の畑じゃ、聞いても話にならないと思うぞ?」
里香はやっぱりそうだよねという顔をして、ため息をついた。
「せめて風が無ければなんとかなるのにね……」
里香がボソッと言った言葉で、ピンと来た。
「それだ! 雨なら屋根張って水を流せばいいだろ? だったら風も同じように考えれば良いんじゃね?」
「どういう事?」
里香は言葉の意味が分からず、首を傾げた。
「畑全体を囲おうとするから駄目なんだよ。だったら一人一人囲いを作ればいいんだよ?」
「どういう意味?」
里香はまだピンと来ていないようで、不思議そうな顔で俺を見る。
「だから。例えばトウモロコシがあるとするだろ。そしたら、こうやって四本の支柱を立てて……」
人差し指でトウモロコシを例え、その周りに四本の杭を打つように指を指した。
「そうか! 後はその周りにビニールでも張ればなんとかなるかもね! でも、台風の風ってかなり強いよ? それで持つかな?」
やっと理解した里香は頷き賛成したが、きちんとリスクも考えている。だが、俺はそこも考慮済み。
「俺は地元だから、大体の風が来る方向は分かるから、そこに向かって四角じゃなくてダイヤの形に受けるんだよ。そんでもって、周りに貼るビニールにも少し穴開けて、風を逃がせばなんとかなんじゃねぇのかな?」
「う~ん。なんとも言えないけど……」
里香が渋るのも分かる。俺だって風を受け流すという考え方は間違ってはいないと思うが、それが崩れ、子供たちに被害をもたらす可能性は捨てきれない。里香はそれを恐れているのだろう。
「どうする?」
それでも何もしないよりは断然いい。そう考え、里香に助言を求めた。
「そうね……それでいこうか? でも、もし嵐の中それが壊れたらすぐに対処できるよう、そのときのことも考えておこう?」
「ああ。そのほうがいい」
臆病なほど慎重な里香に、普通の人ならビビり過ぎだと思うかも知れない。だが子供を育てるとなると、これくらい慎重になるのは親として当然だ。
「よし! じゃあ、そのときのために、もう一つ支柱を用意して……」
やっと台風対策の見通しがついたころ、マイコが起床し頭を出した。
マイコはまだ寝ぼけているのか、何かを探すように頭をキョロキョロさせている。
これは俺たちがちゃんといるか確認するのと、今自分が向いている方向を確認しているためだ。
マイコは植物だが、寝相があまり良くなく、眠ったときと起きたときで向いている方向が違うときがある。人間の場合は、よく寝返りを打つ子ほど健康だと聞くが、それは植物にも当てはまるのだろうか?
今日のマイコも、眠るときはテントを向いておやすみなさいをしたはずだが、今はあっちを向いて頭を出した。
「おはよう」
「おはよう、マイコ」
俺と里香が声を掛けると、マイコは俺達に気付き振り向いた。その顔はまだ眠たいようで、目が半開きになっており、ゆっくり何度も瞬きをしている。
まだ眠たいのであれば無理に起きなくても良い気もするが、体質なのか本能なのか、いつもこんな感じでぼーっとし、声も出さず口をパクパクさせおはようと言う。
それでもここまで起きると、五分ほどで元気に動き出す。
普段はマイコが元気になる頃には俺たちのコーヒータイムは終了し、子供たちの世話を始める。そして七時前くらいに朝食をとり、一日が始まる。
今日もいつもと同じように朝食をとり、九時を過ぎた頃に、俺はホームセンターに一人で台風対策の買い物に出かけた。




