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止まらない刻

 ――その夜、夏の夜虫の涼しい鳴き声のする寝袋の中で、なかなか寝付けずにいる俺に、里香が零について話し始めた。


「……零の写真はこれ一枚しかないの」


 零の写真が入った手帳を優しく指で撫で、寝袋に入る里香は静かに言う。


「……なぁ、嫌なら別に話さなくてもいいんだぞ? 俺は別に気にしないから」


 俺に気を使ってなのかもしれないが、里香の元気がなくなるなら、知る必要は無いと思った。


「ううん。優樹だから聞いて欲しいの……いい?」

「……あぁ」


 言ってしまった方が里香にとってはすっきりするのかもしれない。


「零の写真はね、一枚しか撮ったことないの。私も誰かに知られて、連れて行かれたら嫌だったから。でも、今思えば、もっと写真を撮っておけば良かった……」


 里香は突然涙を流し始めた。


「本当はね。もっと、……もっと一緒に居れると思ってたのに……知ってたんだ。……零は私より、長生きしないの……」


 それは俺も気付いていた。おそらくマイコは今年で最後だろう……


 仮に来年も自然薯のように子芋ができても、おそらく動く事は無いだろう。きっとただの芋のようになり、成長していく。それはマイコも含め、全ての兄弟に言えることだった。


「別にいいべや、それが寿命なんだからさ。俺たちが人間感覚で考えすぎなんだよ。写真だって、そんなものは必要ないと思うぞ」

「うん」


 里香は小さく頷いた。


 こういうとき、なんと言えばいいのか分からず、自分の気持ちを素直に話す事にした。


「里香は零の子供を育てられなかった事を悔やんでるんだべ?」


 里香は頷く。


「だったらそれは無理だよ、零がどう思ってたかも分かんないし。だからそれ抱えて生きていくしかないべよ。それが命に手を出すってことなんだからさ」


 昔札幌に住んでいたとき、雀の雛を育てた事がある。

 たまたま雀がベランダに巣を作り、雛が孵った頃、一羽しかいなかった親鳥が窓ガラスにぶつかり、死んでしまったからだ。

 それが不憫だった俺は、代わりに育てる事になったのだが、仕事も忙しくまともな世話が出来ず、雛たちは次々死んでいった。

 そして最後の一羽がようやく雀らしくなった頃、雛を殺し続けた事が嫌になった俺は、一日くらいはと、夜飯を与え、雛を置いて朝までゲームセンターに逃げた。

 最後に見たときは元気にピーピー鳴いており、大丈夫だと思っていたが、家に帰るとその雛はすでに息絶えていた。何が原因か分からなかった。

 しかし雛の最後を思うと、おそらく親がいない夜が寂しく、それが原因だと思った。


 そう思ったとき、何度も自分を責めた。

 俺がもっとしっかり親の務めを果たしていれば、あの子達は今頃、子供を産み幸せな人生が送れた。

 俺がもっとちゃんとした大人なら、あの子は暗い部屋で寂しい思いをしなくて済んだ。

 俺と出会わなければ、あの子たちは空も知らず死ぬことなどなかった……


 そんな想いばかりに苦しみ、命に手を出すという事は、自分の人生の全て捧げなければならないと学んだ。

 そして、そこで犯した罪の罰は、死ぬまで自分を責め続けると覚悟した。


 今でもその子たちが俺を親だと思い、懸命に口を開け、餌をねだる姿や、撫でると安心したようにした顔が忘れられない。


「うん……分かってる。でも……」

「やめやめ。こんな話してもなんにもなんないべや? 少なくとも俺は今、あの子たちの面倒を見ないといけないの。そういうのは地獄に行ったとき考えろ」


 蔓だけ出し眠るマイコと、昼間より静かにしている子供たちを見て、そんな後ろめたい気持ちで接するのは失礼になると思った。

 あの子達にとって俺は唯一の親である。そんな俺が弱々しくてどうする。あまり情けない姿は子供には見せられない。


「それでも辛いなら、帰っていいぞ? というか、お前いつまでいる気だ?」


 里香は目を逸らし、口を尖らせた。


「……マイコが、芋に……なるまで……」

「いも? ……マイコ芋んなんのか!?」

「……うん」


 いもってなんだ!? 食べる芋か? それとも、マイコが田舎臭いという意味か? なんか知らんけどとても失礼だ!


「マイコは芋臭くないぞ! お前、家が田舎だから馬鹿にしてんのかよ!」


 俺が変人扱いされるより腹が立った。


「ち、違うよ! マイコはアイドル並みに可愛いよ! べ、別にそういう意味で言ったんじゃないよ!」


 里香はガバっと起き上がり、さっきまで泣いていたのに、少し怒るように言った。


「じゃあなんだよ!」


 里香はまた目を逸らし、唇を噛み、逡巡した。

 

「……きっとマイコも……最後は牛蒡みたいになるよ……」

「あ……」


 なんとなく察しは付いていた。マイコは自然薯のようなもので、冬を迎える頃には眠りに入り、もう目覚める事はないだろうと思っていた。


「零もだんだん体の色が変わって、最後は牛蒡みたくなったから……きっと、マイコもそうなるよ……」


 植物である以上、それは避けては通れないだろう。しかしだからと言って、無理矢理温かな場所に置き、冬が来たと分からないようにすることはしたくない。それはマイコに対する虐待でもある。


「零は……最後はどうなったんだ?」


 里香には辛い話だが、聞いておかなければならない。


「……だんだん硬くなって、最後は、ただの……芋みたく、なっちゃ……た……」


 俺には里香を泣かせるような趣味はないが、それでも辛そうに話す里香に質問をぶつける。


「芋みたくなった零はどうした?」

「…………畑に、埋めた……」

「埋めた? それから見に行ってないのか?」

「うんうん。毎年ちゃんと墓参りしてるよ!」


 マイコたちが自然薯のような存在なら、もしかしたらまだ生きていて、成長し続けているかもしれない。もしそうであれば、また牛乳を与えれば動きだすかもしれない。そう思い里香に尋ねた。


「そのとき、蔓とか、零っぽい草とか生えてなかったか?」


 俺の考えは外れていたようで、里香は首を振り、否定した。


「私もそう思ったけど、零たちは動き出したら、それが最後なんだと思う……だってそうでしょ! 植物が動くこと自体おかしいと思わない! 普通の植物なら、そんなカロリー使えばすぐ死んじゃうと思わない!」


 それは図星だった。いくら体が小さいとはいえ、あれだけ元気に動き回るマイコが、液体摂取だけで生き続けているのはおかしいと思っていた。


「きっと!」

「もういい! ……それ以上言わなくても分かるよ!」


 認めたくないわけではない。ただマイコたちにはこの話は聞かれたくないと思った。もしかしたらもう聞かれているかもしれないが、俺たちの声が聞こえていても眠り続けるマイコを見ていると、悲しくなった。


「さっきも言ったけど、里香が辛いなら帰ってもいいんだぞ? マイコたちの恨みは全部俺が貰うから」

「それは私が他人だから関係ないって言ってんの!」


 今はそうは思っていない。俺たちにとって里香は、すでに母親と変わらない存在になっている。


「たしかに血とか言う話をしたらそうかもしんないけど、それはここにいる皆そうだろ? お前はもう関係ない他人じゃないよ。ただ、恨みつらみは全部買うけど、マイコたちの幸せも全部俺が貰う。だから里香は帰っていいぞ?」


 これだけは俺の物だ! いくら里香でも譲れない。

 俺のドヤ顔に腹が立ったのか、里香は俺のわき腹を殴った。


「あんたの今の顔、私のパンツ見るときの顔だったよ!」

「ち、違う! な、なんでお前のパンツ見てそんな顔しねぇといけねぇんだよ! 第一俺、黒とか嫌いだし……」

「へぇ~。やっぱり白とか水色とか、明るい色のほうが好きなんだ?」

「な、なんでだよ! お、お前には関係ねぇーし!」

「私が白いブラ付けてるとよく見るじゃん?」


 女性は意外と気付いているらしい。

 健康的な日焼けした肌に黒いシャツ、そこに白。それもブラジャーとなれば見ないわけにはいかない。里香は意地の悪い女だ。


「と、とにかく! 帰るなら俺は止めねぇかんな!」

「私は帰らないよ。ここの生活は楽しいもん。それに私が帰ったら、優樹寂しんじゃないの?」

「いや。マイコたちがいるから別にいいよ」

「……あんたたまにグサッと来ること言うね!」

「あ、それと。マイコがアイドル並みに可愛いは言い過ぎだわ。俺だってそこまで親馬鹿じゃないから分かるよ」


 里香は鬱陶しそうに俺の顔を見た。


「あんた……その顔気持ち悪いわ。何ニヤニヤしながら言ってんの?」

「う、うるせぇーな! 別にいいべや!」


 夏が来る。 


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