開花
いつものように朝早くからのモーニングコーヒーを二人で楽しんでいると、突然マイコが俺達を呼び、咲いた! と教えてくれた。
一センチほどの青い花びらの中に、薄い黄色の雄しべと雌しべ。一輪だけだがとても鮮やかな色をしている。
起床したときには毎朝確認していて、そろそろだとは思っていたが、やはりその瞬間は嬉しかった。
その日の午前中にはほかの蕾も次々開き、緑の葉の中に青い花が顔を見せてくれた。
だが、花が咲き始めるとマイコは俺達に、テントの中に居ろ! と言うようになった。
娘に突然そう言われ悲しくなったが、里香に理由を聞くと、受粉するための蜂や蝶が来る妨げになるそうで、零のときも同じように言われたらしい。
そろそろ親離れの時期だと、高校生ほどに育ったマイコを見て分かっていたが、なんか寂しい。
いつもは近くに居るだけで落ち着かない里香と、肩を並べてテントの中から見ているが、それが全く気にならないほどだ。
それに、マイコがまるでゲリラ兵士のように頭を隠しポーターを待つが、なかなか来ない。
キョロキョロ周りを見渡して、蜂が来るたびドキドキしているマイコを見ていると、親としては手を出したくなる状況だが、これも大人になるためにマイコには必要なことだと、里香も俺も優しい目になった。
そんな状態で待つ事二時間。やっとマイコの花に蜜蜂が来た!
マイコは蜂が驚いて逃げないようじっと覗き込み、蜂が一つの花の蜜を吸い、次の花に移るのを、目を輝かせて見つめている。
蜜蜂は忙しなく蜜を吸い、また次の花へ移る。そのたびにマイコは何か喋るよう口をパクパクさせる。
しかし四つ目の花を吸った蜜蜂は、トウモロコシを越え、かぼちゃの花に行ってしまった。
この悲劇に、マイコは寂しそうにするかと思ったが、「わぁー!」という大きな喜びの声を上げ、万歳するように畝から飛び出した。
相当嬉しかったのか、その花を手繰り寄せ、ニヤニヤしながら覗き、俺たちにこの花の蜜が吸われたとアピールする。
その姿に、俺達は笑ってしまった。
植物にとって、花の蜜を吸われるという事は、どれだけ嬉しい事なのか考えた事はなかった。
だが今、目の前で喜ぶマイコの姿を見て、俺にとってはどれくらい嬉しいのかを考えてしまった。
両手を上げて声を出す。まるで優勝したような気分なのだろうか? それともプロポーズが成功したくらいだろう……か?――‼
子供の目の前で隣に座る女性の唇に見入るなど、俺はまだまだ親として失格だ! そして里香も、恥ずかしそうに目を逸らすのはやめて欲しい!
そんな幸せな日々が続き、俺はあの事件の事をすっかり忘れてしまっていた。
その日母は病院へ、里香は自転車で銀行へ行き、畑には俺だけしか居なかった。
すっかり油断していた俺は、ペットボトルのお茶が切れ、新しいのを取りに家に入り、のんびり冷蔵庫を物色していた。
すると突然、「きゃあぁぁぁ!」という短い叫びのような声が聞こえたと思った瞬間、眼球がガタガタ揺れ出し、強烈な目眩で立っていられなくなった。
叫び声はすぐに消えたが、わんわんともの凄い音量を浴びているような状況はしばらく続き、その中でマイコの叫びだと気付いた。
だが、急いで戻らなければ! と分かっていても、這って歩く事もままならず、転がるように玄関に向かった。
玄関まで来ると、眼球の揺れは無くなったが、立ち上がろうとすると世界が曲がる。
それでも立ち止まっている時間が無い俺は、何度も転げながらなんとか畑に向かった。
やっとの思いで畑に着くと、黒いスーツを着た二人の男が、よろよろと黒いワゴン車に乗ろうとしているのが見え、てっきり、マイコが攫われた! と思い、かなり動揺した。
慌てて畝を確認すると、マイコは彼らを睨み付けるようにじっと見ていた。
それに安心した俺は、目眩で気分が悪いのもあり、男達に叫ぶことも無く立ち去るのを見届けた。
男たちが畑に踏み入ろうとしたのを見つけたマイコが止めたお陰で、畑は荒らされる事も無く、ほかの子供達も無事のようで胸を撫でおろした。すると、物凄い吐き気に襲われ、しばらく寝転ぶことになる。
成長し、助けを呼ぶためでは無く、武器として使ったマイコの叫びは、今までの金切り声では無く、オペラ歌手のような美しい声だった。だがすでにその破壊力は、建物の中に居た俺でさえ動けなくするほどの凶器と化していた。
あれをもし間近で食らえば、死ぬだろう。それほど目眩と吐き気は治まらなかった。
およそ十分。やっと吐き気は治まり、まだ頭は揺れているが起き上がる事が出来るようになると、騒ぎになっていないか確認した。
しかし短時間の美しい悲鳴は、覗きに来るほどのものではなかったらしく、音波による影響は狭い範囲だったのか、騒ぎになる事はなかった。
兄弟たちを守り、無事だったマイコは、俺が起き上がるまで心配そうに呼んでいたが、「大丈夫だ」と声を掛け頬を撫でると、ホッとした表情を見せ、畑にいないと駄目だ! という感じで両手を地面に叩きつけ、怒った。
その表情からは本当に心細かったのが伝わり、反省した。




