恐るべし二十四歳の里香
「あ、あのさぁ~。いきなりで悪いんだけど……」
夕暮れも近づき、そろそろ夕食だという時間が来たとき、モジモジして照れるように里香が言った。
言葉を詰まらせ、お願いするような口ぶりに、トイレか? と思ったが、里香のお願いは全く違った。
「私、泊まるとこないんだよね……それで~、もし、良かったら、ここのテント……泊めてくれる?」
「無理」
即答だった。
当たり前だ! 何故俺のテントに里香を泊めなくてはならない! というか、家に帰る気は無いのか! 一体ここに何しに来たんだ!
「今までどこに泊まってたんだよ?」
「そこの……公園の、ベンチで……寝てた……」
たしかに田舎の公園なら勝手に寝ていても文句は言われないだろう。それでも、いい歳をした大人がすることではない。ホームレスか!
「風呂とかは?」
「銭湯に行ってた……」
「飯は?」
「コンビニで買ってた……」
あそこの公園からコンビニまでは、往復四十分以上掛かる! 里香は逞し過ぎる!
「家帰れよ!」
「……だって私ん家石川だよ! 少しくらい良いじゃん! ねぇ~お願い。いいでしょ~」
甘えた声で言っても無理なものは無理だ。というか、里香は早く帰って再就職先を探したほうが良い。
「あっ、もしかして、金ないのか?」
「貯金なら五百万以上あるよ!」
「‼」
それが今日一番驚いた。
この歳で五百万!? あり得なくない? そんなにあるなら家でも借りろよ!
「だったらビジネスホテルに泊まれや! 駅前にあるべや!」
「え~! 駅まで一時間以上掛かるじゃん!」
「バスで行けば三十分で行けるわ!」
「ねぇ~そんなこと言わないで~。テントが駄目なら、畑だけでも貸して~?」
金があるのにここで野宿する気なのか! と思うと、里香の吝嗇さに驚かされる。里香はどういう思考をしているのだろう?
「なんでそこまでしてここに居たいんだよ? っていうか、はっきり言うけど、ケチ臭い!」
あまりの図々しさにはっきり言うと、里香はうっという顔をして目を逸らした。そして渋々その理由を話し始めた。
「……零に、少しでも償いがしたいの……私が何も知らないで零を育てたから、零の子供は死んじゃって……もし私でなく、他の人が零と出会ってれば、零はもっと幸せになったんじゃないかっ、て…………私なら……私なら少しはマイコちゃんの手助けできるよ! 優樹だってマイコちゃんが死んじゃってから悔むの嫌でしょ!」
マイコが死ぬ……? そんなことは考えたくもない! 俺にとってはマイコもこの子達も俺の全てで、それを失うなど、考えただけでも死にたくなる! だが、ケチ臭さとこれは、全く関係ない!
「だったら、家でも借りて、毎朝来ればいいだろ! 金持ってんだからケチケチすんなよ!」
「だって! たった五百万だよ? これ無くなったら私、生活出来ないよ!」
だってたった五百万? たった五百万? 五百万だよ! こいつはいくらあれば満足するのだろう?
「だったら働けよ! うちは成金禁止なの!」
「別に私は成金じゃないよ! ねぇ~お願い~、家賃なら毎月一万は払うから~」
くそっ! 足元を見やがって! 毎月小遣い一万の俺には、魅惑の額だ! だが、金をいくら積まれようと、ここは俺達のテリトリーだ!
「駄目だ! 帰れや!」
「ええっ!」
断固拒否すると里香は驚きの声を上げ、肩を落とした。しかし! やっと諦めたかと思った矢先、テントにしがみついて、とんでもない事を言い出す。
「やだ! 私は絶対ここから離れない!」
クソ餓鬼か! マイコより年上なのに、どんだけみっともない事をしているんだ!
「あわぁ!」
想像を絶する里香の姿に、マイコも目を丸くして驚きの声を上げた。怖いわ里香ちゃん!
レイを失い、その子供さえ殺してしまった里香には、いくら醜態を晒してでも償いをしたいのだろう。今はまだ幸せの中にいる俺だからこそ、その気持ちは痛いほど伝わった。
植物でさえ驚くあまりの惨めな姿に、もしかしたら里香は俺の未来の姿かもしれない。そう思うと、里香の願いを断る事が出来なかった。
そんなわけはない! だってあれだよ? もっと上手なやり方ってものがあるんじゃないの? 完全に駄々ッ子の力技って、子供か!
「もう私はここから動かないから!」
「う……」
これがマイコなら可愛いで済むが、二十四のデカイ大人がこれをすると、狂気の沙汰だ! 言葉が出ない。
しばらくその状態で呆然と佇むと、里香はこれでもダメかと思ったのか、今度は口を開けて固まっているマイコに駆け寄り、懇願し始めた。
「ねぇ? マイコだって私がずっと一緒にいた方が良いよね? 私がいれば毎日ゼリー貰えるし、面白い話だって聞けるんだよ? ねぇ? マイコも私が一緒にいた方が良いよね?」
「わ……ま……」
迫るように顔を近づけ、諭すように脅迫する里香に、さすがのマイコも動けず、言葉を詰まらせる。
「ねぇ? そう思うでしょ? マイコ?」
「…………」
「ねぇ?」
「わ……」
「ねぇ?」
「…………わぁっ!」
諦めた!
マイコはこの脅迫に耐え兼ね、バンザイしてそうだと体全体を上下させた。顔は完全に引き攣っている!
人の心が読み取れるマイコだからこそ、その恐怖は半端なかったのだろう。
結局マイコを人質に取られた俺は断りきれず、渋々里香とテント暮らしをする事になった。
これから寝付けない日々が続きそうだが、夏はやって来る。
七月も終わりに近づき、夜も月のお陰で明るくなり、里香とのテント生活にも大分慣れた。
最初の頃は里香の香りと近すぎる距離に苦しめられたが、今では寝つきは悪いものの、なんとか睡眠時間は確保できていた。
里香はそんな俺とは違い、初日から先にテントに入り、あっという間に寝てしまった。
今までの公園での寝袋生活ではまともに眠る事が出来なかったのか、無防備に涎を垂らしながら眠っていた。
どうやら里香にとって俺は、公園で寝るより安心できる男らしいが、可愛らしい寝息と寝顔は悶々させる。
しかし、子供たちの前でそのような事は考えても出来るはずが無く、綺麗な夜空を眺める時間ばかり増えた。
父が事故死し、妹と弟はまだ結婚もしておらず、早く孫の顔を見たい母は文句も言わず、それどころか風呂やトイレ、洗濯機に食事など、まるで娘のように理香に接する。
それを気にした里香は、五万円の生活費を母に渡した。それがまたいけなかった。
母はさらに里香を気に入り、「家に泊まれ」と言い、それを里香が「これ以上迷惑を掛けられない」と返すと、母はさらに悪循環のように里香のことを気に入った。
だが、母にはとても気を使う里香だが俺には違い、洗濯物は外に干すが、黒やピンクの下着はテントの中に干す。一応俺には確認したが、外に干させるわけにもいかず、かと言って家の中に干せと言えば遠慮する。それに俺としてはそんなに悪い気はしない。どちらかと言えばお願いしたいが……まぁそれは冗談だが……本当に冗談だが。――それを許すと、隠す素振りも見せず堂々と干し始めた!
他にも、寝るときは寝袋の中でズボンを脱いで寝るのだが、少し油断するとそのまま這い出す事がある。だが、それを注意しても決して慌てることなく、最近では、「私達の関係だから別にいいでしょ?」とか言うようになった。
これは完全にその気があって誘っているのだと、かなり期待したが、小遣いをやろうだとか、もっとお洒落な服を着ないとモテないだとか、どうやら俺のことを男としてではなく、弟のように思っているらしく、今度下着を盗んでやろうかと思っている。
しかし子供たちの世話には大助かりだ。
毎日マイコの相手をしてくれて、暇を見つければほかの子供達に声を掛け、病気になっていないか心配してくれる。
ただはやり俺には目に毒で、捲り上げたTシャツからヘソやブラジャーがチラチラ見え、目のやり場に困る。そして俺がそれをチラチラ見ている事に気付くと、ニヤリと笑う。変態だ!
それでもマイコと楽しそうに話す姿を見ていると、これも子育ての試練だと感じる。
そんな里香と過ごす時間が増えたマイコは、にゃにゃにゃ言葉が多くなった。
「にゃにな、にゃ。にゃにゃ、なっ! にゃりゃ、わぃにゃ……」
前以上に口数が多くなり、会話が趣味になっている。それもこれも、全て里香の影響だろう。
「そうなの? でもそれじゃあ駄目。ちょっと見えるくらいがいいのよ……」
かぼちゃの世話をしながら二人の会話を聞くが、何故里香がマイコの言葉を理解できるのか不思議でしょうがない。
「わぁ。にゃい、にゃいな。にゃにゃ、にゃー。わぁ、にゃいにゃ……」
適当に里香が答えているわけではないようで、きちんとマイコはそれを理解しているように、自分の蕾を指差し、花が咲くように小さな手で示す。
「そうでしょ。やっぱり男の子はそっちの方が好きなのよ。マイコは……」
どうやら、男を魅了する細かなお洒落について会話しているようだ。やはり女性同士なら会話が通じるようだ……そんなわけはない! なんで里香は分かるの!? どういう事!?
自分の言葉が通じる里香がいるため、マイコはあれから毎日里香と遊ぶ事を優先するようになった。正直寂しい。
それでも、やはりマイコにとって俺は頼りになる父親のようで、本当に困ったときは里香ではなく俺を呼ぶ。
とくにキリギリスや殿様バッタのような大型の葉虫が現れた非常時などは、嬉しい事に真っ先に俺を呼ぶ。父としてはその瞬間だけはスーパーマンになった気分だ。
それで気づいたのだが、マイコは葉を食べる虫やアブラムシなどを恐れるが、蛇やスズメバチには全く怖がらず、捕まえようとしたり枝でビシビシ叩きちょっかいを出す。この時は本当に困る。
俺はスズメバチの一匹くらいなら怖くないが、蛇に関しては駄目だ。
そんなときは里香が活躍する。
家の畑に出るのは青大将くらいで、強い毒を持つような蛇はいないのだが、一メートルを超える長さの蛇にも、里香はそんなことはお構い無しに捕まえ、見せてくる。
逞しいのは分かるが、ちょっとふざけ過ぎである。
そんな勇ましい里香が加わり、子供たちも次々花を咲かせ始めた。そして、一番最後に、いよいよマイコが花を咲かせる番が回って来た。




