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打たれた頬をおさえ倒れ込んだヒロミは、さらに、降下艇内でのニアミスの際に感じたような、鼓膜を押さえつけられるような空気の圧迫感を覚えた。
「「失せろ!!」」
目を見開きヒロミを睨みつけるネーリアの操士は、だが口は一切動かしていない。にもかかわらず、ヒロミにはぼんやりとだが確かに、そのメッセージを”感じる”ことができた。
(心韻……!!)
それは周囲の空気をまるごと揺さぶり、ヒロミの体内にその意志をぶつけてくるような、それでいて体の芯が呼応するような、音でもただの振動でもない、重みのある圧倒的な感覚だった。これがネーリアが意思疎通や通信にも用いるという”心韻”と呼ばれる手段なのであろう。
操士は振り返りもせず立ち去り、従者二名とヴォイミたちがぞろぞろとそれに続いた。この場はようやく収まったようだ。集まった者たちも皆、それぞれの作業や持ち場へと散っていった。
博士はヴォイミ数機にアームで持ち上げられ、どこかへ運ばれようとしている。手足をバタバタさせながら、相変わらず弁護士がどうこうと何やら喚いているが、もはや聞き取れない。案内役か世話役らしきネーリアも数名続いているが、距離を空け相手をするのも嫌がっているように見える。
(酷い扱い……)
「ご挨拶が遅れました。私、クロカワ様のお世話を担当いたします、フェイミと申します」
突如背後でそう声がして、博士の方をぼんやり眺めていたヒロミはビクッとした。綺麗な地球の言葉だ。ヒロミはまだ呆然としゃがみ込んでいたが、振り返りかろうじて笑顔を作った。
「は、はじめまして、フェイミさん。ヒロミ・クロカワです、ヒロミでかまいませんよ」
ヒロミがそう言いながら立ち上がるのを待つと、彼女は軽く会釈をして続けた。
「ご滞在中にお使いいただくお部屋まで、ご案内いたします。お荷物は研究試料や器具などは先に研究施設の方に送らせております。ヒロミ様の私物と、私物か判断のつかなかったものはお部屋の方へ運ばせていただきました」
「ありがとうございます!」
操士の周りにもいたような、フードを深く被った姿の女性だ。この星、この国での従者やお世話係といった立場の一般的な装束なのだろう。言葉の通じる相手がいること、そして初めて丁寧に対応されたことで、ヒロミはようやく安心感を覚えた。
「お世話になります。これから宜しくお願いします!」
改めて姿勢を正し、ヒロミはフェイミに笑顔で告げた。
部屋までの道中はひどく複雑だった。狭い通路を抜け、階段やリフトを上り、ようやく開けた場所へ出たかと思うと、まだ港の格納庫の壁沿いの通路だった。
(覚えられるかな……)
一人での移動は大変そうだと、ヒロミは若干不安になった。
見下ろすと、先程まで乗っていた機体も含めて数十機のヴォイアクーが並び、整備員や飛び回るヴォイミたちの整備を受けている。吹き抜けの空間になっており、見上げた先の階層のはるか遠くには数機のヴォイアースの姿も見える。
「あの……、フェイミさん。色々と聞きたいことがあるのですけど、いいですか?」
何から尋ねていいか分からないくらい、ヒロミには聞きたいことがたまっていた。
「はい、何でしょう」
「私たち、何かまずいことをしてしまったんでしょうか……」
再び眼下のヴォイアクーを見つめたまま、ヒロミは言った。
「ニアミスした件も、私たちには何が何やらさっぱりで」
「あ、失礼いたしました。私たちの国の者が到着早々無礼なことをしてしまい……、お詫びいたします。」
「ううん!いいんです。ちょっとビックリしたけれど……。何か気に障るようなことしてしまったのか気になっちゃって」
「あの、お怪我はありませんか?」
フェイミは思い出したように心配し始めた。
「それは平気です」
二人はやや歩みを緩めて話し始めた。フェイミがゆっくりと口を開く。
「色々と……独特なことが多くてご不便をおかけすると思います。我々の社会は身分や階級、立場などによる上下関係を非常に重視しておりまして、特に国を代表する操士ともなりますと、対等に話をできる者も限られまして、私どものような立場では結果を受け入れ、飲み込むしかないという場合がほとんどになってしまいます。
ヴォイアクーの件はおそらく、好意的に解釈すれば、悪天候の影響でたまたま偶然が重なった、ということかと思います。再突入が可能な機体はこの港にはあの一体しかありません。そのような軍用機が航路をお互いに把握していないなどということも、通常はあり得ません。トワ様ともなれば操縦のミスなどもありえないでしょうから……。
あまり考えたくないケースとしては、気まぐれに飛び回っているのを邪魔されて、機嫌が悪かっただけ、ということもあるかもしれません……、が、そうであっても、申し訳ありませんが我々には何もできないのです」
博士の望むような”客を乗せる”ための機体、という概念自体がそもそもなかったようだ。その点に関しては冷遇されているのかと疑った自らも恥じた。
「トワさま、というんですね。シーロトワミに乗っていた方は」
「機体名までよくご存知ですね。ヴォイアースはこの星に伝わる神話からとられた、ちょっと変わった名前が多いのですが」
「もともと興味あったんです。特にあの機体は本当に素敵で……」
「えぇ、分かります。ヴォイアースは完全自律型ではないのですが、ある程度は意思を持っている生命体でもありまして、機体の方からも選ばれなければ、能力があっても操士にはなれないのです」
「そうなんですね」
「そんな中でシーロトワミに選ばれる操士というのは、その機体と共に多くの国民にとって憧れの対象なのです」
「あのとき……、博士には何をしようとしたのかしら、私はてっきり武器を取り出すのかと思ってしまって、思わず飛び出しちゃったんだけど……」
「私もよく見ておりませんでしたので、その件には何も申し上げられないのですが」
「いえ、ありがとう!気にしても仕方ないものね。操士の方々とはこの先接することもほとんどないでしょうし、気持を切り替えなきゃ」
「ただ、お気をつけください、我々ではとても操士様方の行動を遮ることなどできません。次に同じようなことがあった場合、身の安全が保障されるとは限りませんので……」
フェイミの言葉を聞くヒロミの視界には、ふと向かいの壁沿いにも同じように設けられたキャットウォーク状通路に、トワと呼ばれた先程の操士と同様のボディスーツを身に纏った女性――おそらくヴォイアースの操士なのだろう――と、その従者と思しき女性が向き合って会話している姿が映った。
従者の方はやはりフードで表情までは見えないが、操士の方は小柄でツインテール、くりっとした大きい瞳が目立つ、地球人の基準で言えばかなりの美少女に見えた。
「ピナ様ですね、主席操士のトワ様に続く、第一操士団に属する六名のうちのお一人です」
フェイミはあまり視線を向けずにそう話した。
「なんだか随分お互いににこやかに話しているように見……」
すると、ピナは従者の首に両腕を回し、上目遣いで甘えるように見つめると、そのまま顔をすり寄せ、唇を重ねた。
「――!!」
ヒロミは驚きで言葉を失い、思わず足を止め一部始終を目で追ってしまった。
「こういったこともよくあるものでして……」
慌てて向き直り、ヒロミはそう話すフェイミの後を追った。
「あ!あの……、上下関係を重視するって聞いたから、その……」
「ご存知かもしれませんが……、我々ネーリアは皆、所属する王城の”女王”の抱える”蛹室”から生まれ、そこに還ることで、次の世代へ命をつなげていきます。自然な交配や繁殖行動は皆無な生活の中、自ずと擬似的な恋愛のようなものに耽る者も多いのです。
特に操士の方はそのその寿命が極端に短く、行動を咎められることもほとんどありませんので……、勿論お互い本心から求め合っていることもあるのかもしれませんが、侍女の側からすれば色々と承知の上で応じているのだと思います」
「よく……あるんですか……」
「あまり大っぴらに、ということもありませんが、特に隠すようなこともありませんね」
「ヒロミ様ももしどうしてもとおっしゃるのでしたら、世話係としては全力でお相手させていただきますが」
「え!?い、言いません!言いませんよ!」
少しこちらに顔を向けたフェイミからは、相変わらず表情は読み取れないが、わずかに微笑んでいるようにも見えた。
「生きるのに必要ない器官など、あっても仕方ありませんから、慰め合うか自分で慰めるかしてもおかしくはないでしょう?」
「い、いきなり何の話をしてるんですか……!」
「軽蔑されますか……?」
二人はいつしか軍港の喧騒を抜け、静かな居住エリアへと進んでいた。急な問いにヒロミは返答に窮した。
「この星が外部との接触を拒んでいるのには、そうした影の部分、タブーな領域に触れたくない、触れられたくない、という思いもあると思うのです。あなたには早いうちに、そういった部分を踏まえた上で、ネーリやネーリアについて、知ってもらいたいと思いました。この星に興味をお持ちでしたら尚更」
「あなたには」ということは、何かそうではない前例でもあったのか……、そこには何らかのフェイミの意図が込められているようにヒロミには感じられた。ヒロミ自身は決して、特異なもの、特殊なものへの好奇心だけで訪れたわけではない。が、そう思わせるような行為をしそうな何らかの危惧があるのか……、疑問が湧きはするが言葉にはならなかった。