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「な、何だ、遠慮なく言ってくれ……」
トワの表情にはやや当惑の色が見えたが、先程までの狼狽ぶりは消え失せ、これまで通りの気位の高い振る舞いを回復したかに見えた。ヒロミはこれまでの経緯と、安定した通信手段の確保が今後の研究活動に必要なこと、そのための手助けをしてほしいことなどを告げた。トワはやや意外といったふうにヒロミを見返し、言い放った。
「たやすい。……そんなことでいいのか?」
「お願いしていいんですか!嬉しい、有り難うございます!」
満面の笑顔で返すヒロミに対し、トワのスケイルヴェールはまた少し赤みを帯びた。
「労働局の窓口の方にはまったく取り合ってもらえなくて……、途方に暮れていたんです」
「あぁ、もしかして……、あの緑色の瞳の女か」
「そ、そうです!トワさんもご存知なんですか?あの……目つきが鋭いというか……」
「役所の手続きに関しては我々でも避けられんからな、あいつは相当に気難しいと評判なんだ」
「フフ!なんだか意外です、トワさんとこんな話ができるなんて」
トワの髪色は更に朗らかな色彩へと変わった。自然とトワの顔にも笑みがこぼれ、やがてスケイルヴェールに若干冷たい色味が混ざったかと思うと、やや目を逸らし気味に言った。
「そ……、そんなことだけで本当にいいのか?せっかくの機会だ、こんなことは滅多にないぞ……」
困惑や照れなどを示す色なのかもしれない。これまではっきりとネーリアのスケイルヴェールの色の変化を間近で見ることはなかっただけに、ヒロミはその様子に強く心を引かれた。そして、何かを思い出したようにぐっとトワに歩み寄って言った。
「じゃもう一つお願いします!」
「え、あぁ……」
トワはたじろぎ応じた。
ヒロミは足取りも軽く自室へと戻った。「うまくいく」どころではなかった。懸念していた問題の解決に加え、ヒロミのわがまままで聞き入れてもらえるようだ。フェイミが自信ありげに言ったのも、こうした結果を予想してのことだったのだろうか――?トワの性格、人柄の問題か、もしくはネーリア固有の何か知られたくない面を知られた際などにとる言動のクセのようなものでもあるのだろうか。なぜ急に植物が、なぜ彼女が歌を……、と不明な点も多いが、ともあれ良い方向に事態が進みそうなことはヒロミにとっては有難かった。
自室の扉付近には既にフェイミの姿はなかった。
トワの話した通り、手足のがっしりしたヴォイミが5~6体、わずかなモーター音とカシャカシャという動作音を立てながら、窓際で作業を開始していた。窓側全面に張られたおそらくガラス状の材質の窓を全て、厚みのある強度の高いものへと付け替えているようだ。突き破って伸びていた植物も、ヴォイミらによってズルズルと室内へと引き戻されている。
先程まで異常なほどに肥大化し枝葉を広げていた植物たちは、既に眠るように沈静化していた。日照に関係する何らかのネーリ独自の環境の影響により、ホルモンに異常をきたしたのであろう。現状では荷物を置いておいた部屋の奥から一斉に窓際に向けて伸び広がったかたちだが、明日また日が昇り同じ勢いで生長が進めば、この植物たちが部屋を埋め尽くしてしまってもおかしくはない。早急に何らかの対策をする必要があろう。既に壁や天井まで茎をはわせている株もあり、一人の力で全てを処理するのは難しそうだ。またヴォイミの手を借りることになるだろうか……、そもそも適切な準備もなくネーリア含め他の生物や環境そのものにいきなり地球の植物を接触させることなど、当然ながらあってはならないことだ。生長が早まった、というだけならまだ双方にとって影響は少ないかもしれない。だが今後どんな作用を引き起こすかはまったく想像がつかない。トワがこの空間に溶け込むように歌を歌っていたのも、ほぼ間違いなく持ち込んだ植物の影響によるものであろう、そうヒロミは推測した。植物の周囲には破れた窓から入り込んだ虫たちによるものと思われる大量のスケイルヴェールが、飛び交った軌跡に沿うように残されていた。中にはまだピンポン玉ほどの大きさの甲虫のような生き物が、山のように積もったスケイルヴェールの中でゆっくりともがいているさまも見受けられる。動きのないそれ以外の場では、おそらくはより小型の生物が、既に息絶えて横たわっているのだと想像できた。何より月明かりを反射し輝きを放っていた粒子が、いたるところで徐々に光を失い、白い砂のような塊へと変わっていくさまが、そのことを物語っているように感じられた。この状況が、地球の植物に誘われ近づいた結果なのだとしたら――
ヒロミがそんなネガティブな思考にとらわれていると、ヴォイミのものとは異なる高らかなモーター音が響き、やがて窓の外を眩しくライトが照らした。大きく張り出したベランダ状の部分へ、一機のテントウムシのような形状の小型ヴォイアクーが降下して現れ、青白いスケイルヴェールを一瞬放ちゆっくりと着地した。この室外に設けられた外周通路へと通じる広大な空間は、地球で言えばヘリポートのように、このような小型機が離着陸するための場でもあるようだ。ヒロミは駆け寄った。逆光ではっきりとは見えないが、その操士はトワだ。
ヒロミのお願いとは、ヴォイアースに乗ってみたい、というものだった。いくら遠慮なくとはいえ、戦闘兵器であるヴォイアースにおいそれと他星からの訪問者を乗せるわけにはいかない。よほどの事態でもない限り、特別な訓練なしには副操士の操縦席へも立ち入らせることはできないということだ。ある意味当然だろう。訓練どころか発音器も受容器もなく心韻でのやり取りが一切できない地球人であっては、そもそもこの星の機械は操れない。だが自家用機として使用している小型ヴォイアクーであれば、乗せるのに何の問題もないとのことだ。トワの私用機であれば降下艇とはワケが違う、乗り心地もよくヴォイアースほどではないにせよスピードも出せて自由に飛べる、ということだった。ヒロミは目を輝かせ「ぜひ!」と懇願した。そうして自室へと戻り自家用ヴォイアクーに乗り込んだトワが、客人を迎えに来たのだ。
「待たせたな」
操縦席からトワが声をかけた。その表情には初対面のときの高貴さに加え、ヒロミへの多少の親しみの情も見てとれた。険しさは失われていた。その声質はか細くやや震え気味で、フェイミとも違う子供っぽさの残るような不安定さも感じたが、同時に心地よい響きとしてもヒロミの耳へと届いた。改めて、輝くスケイルヴェールをまとい、月明かりを受け長い髪をなびかせる堂々とした彼女の姿を
「美しい」
と感じずにはいられなかった。ヒロミはトワの差し出す手をとり、ヴォイアクーに乗り込んだ。並んで座る二人を乗せた小型機は、羽を広げ軽やかなモーター音をたてて舞い上がると、スケイルヴェールを散らしネーリの夜空へと飛び立っていった。




