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「私たちは記憶を継承できるとされています。実際、星々や自然現象にまつわる様々な神話や伝承を、私たちは生まれながらに「知って」いますし、それらは現在においてもヴォイアクーの名前などに受け継がれています。勿論そうした言い伝え的なもの以外にも、はっきり見聞きした過去の出来事を、少なくとも私個人はいくつも「覚えて」います。
しかし時々――、分からなくなることがあるのです。それらは本当に私個人が記憶し、知っていることなのか……、当然のことながら、実際に見聞きしたのは個体としての私ではない、私より前の世代であることもあります。であるにせよ……、私が知っている、受け継いでいることには、偏りがあるように思えてならなくなるのです。
私たちはこうした生活環ゆえに歴史を正確に記録し、思い返すということを自然としなくなりがちです。それゆえに、時系列というものを意識することも少なくなっていきます。はるか昔のものごとと、たった一日前の記憶が同等に思い出せる。かと思うと、一世代、二世代前に何があったか、まるで思い出せなかったりします。これは一つの生命体として非常に不自然なことなのではないかと――」
いつしかフェイミは目を見開き、己の手の平を見つめながら真剣な表情で語っていた。
「申し訳ありません、話がだいぶ逸れました……。具体的に申しますと、例えばこうした王城はどういった方が設計し、拡張してきたのか、前回、前々回のユーフの襲撃は主に誰の功績によって防ぐことができたのか……、そうした記憶の一切がなぜか抜け落ちているのです。
勿論歴史的な事実の記録は今現在も残されていますし、文献や映像などで辿ることはできます。ただそれらを時系列の中で認識しようという感覚が、我々の普段の生活では著しく欠けているように思うのです。
そこにどんな意味があるのか分かりません。考えてはいけないことなのかもしれません。中央区画の広場は……、あの場所には本来、何か、もしくは誰かを称え、顕彰するための存在がある、もしくはあったのではないかと……、時折どうしようもなくそんな考えに囚われてしまうのです。何か大事なものを忘れているような、けれども何一つはっきりしたことは思い出せず、もしかしたらただの思い過ごしなのではないか、と……」
思いがけず深刻そうな、それでいてとらえどころのないフェイミの話に、ヒロミはどう反応してよいものか分からずにいた。
「奇妙な話をしてしまいました」
フェイミは振り向いて少し口元を緩めた。
「ただご安心ください。これは私個人の感覚的な話で、我々ネーリアや、少なくともこの国が公式に過去の歴史を改ざんしたりしているということではありません」
「も、もちろん分かります」
「こんなことを話してしまうのもこの場所だからこそ、なのかもしれませんが……」
通路はいよいよ生物の体内のような様子となり、足場も柔らかく周囲には脈打つような、低い鼓動のような音が響いていた。壁面の表面は湿り、細かく枝分かれした血管のような線がうっすらと走っているのが見える。二人は突き当りまで行き着いた。取っ手らしきものが備え付けられ、かろうじて扉状のものであることは分かるが、その外観は同じ場所に何重にも手荒く粘土を塗り重ねたような不均一さで、凹凸が目立つ。変化を続ける生命体の内部に一時的に設けられた構造物であることをうかがわせた。
「こうした意識の働きも……、この生活環を維持するための自己防衛本能の一種なのかもしれません。皆が個人の名誉を求めれば、それは個体としての生への執着にも繋がってしまいます。無意識のうちに我々はそうした記憶を均一化しようとしているのかもしれない、と……そんなことを考えていまうのです」
フェイミが触れると扉部分が奥に引っ込み、ゆっくりとスライドして開いた。
「二重の扉になっています」
内部からは、一段と高温多湿な空気が漏れ出した。港に到着した際に浴びたような、消毒用と思われる霧のような物体が天井と側面より二人にふりかけられ、他にも目では認識出来ないレベルの大きさの、おそらくヴォイキアと呼ばれている種であろう虫型の機械が、わずかな羽音をたてながら二人の周囲を飛び回り衛生状態のチェックをしているであろうことが分かった。先程から聞こえていた鼓動の音も一層大きく響くようになり、揺れているようにすら感じられた。
「我々がここに還る際には……、自らその時期を悟ります。私自身にまだ実感はありませんが、体力の急激な低下や主に意識の混濁がその前兆だとされています」
二枚目の扉に向かいながら、フェイミはゆっくりと話を続けた。
「いきなり長々とこんなことを話してしまうのも、既に私の意識もおかしくなってきているのかもしれませんね」
そう冗談めかしてフェイミは肩をすくめた。
「そ、そんなこと……」
ヒロミが応じる間に2枚めの扉がゆっくりと開いた。
内部は暗く、ヒロミの目が慣れるよりもまず、猛烈な熱気が押し寄せた。空気はあまりに重く、ヒロミは思わず咳き込んだ。次に認識できたのは臭気だ。それは石鹸を使った後の浴室のような甘ったるさもあり、生ゴミか何かのようなすえたにおいもあり、それらに血液や排泄物などをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような、形容し難いものだった。加えて上空から漂ってくるのは、ヒロミの知る限り精液の臭いだ。そこには生命が生まれ死に行くまでのあらゆるものが渦巻き、充満しているようにヒロミには感じられた。
「ここが我々スマーリ国の蛹室となります」
鼻を突き上げまとわりつく臭気に顔をしかめていたヒロミだったが、徐々に視界が順応し、周囲の様子を認識できるようになった。
「――!!」
フェイミの説明に対してヒロミは何か言いかけて息を飲んだ。
眼前には白い長球状の物体、ネーリアの蛹が、数え切れないほど並んでいた。それらはお椀を伏せたような半球状の構造物の表面に、見渡す限り縦横に配置されている。視界に入るだけで数千はあるだろうか、それら蛹は整然と並んではいるが、それぞれが脈打ち、内部からスケイルヴェールを放つことで個々に微妙に異なる色合いで仄かに輝いている。都市の深部であることを忘れさせるような圧倒的な光景に思えた。が同時にヒロミは、これまで地球でも幾度となく目にしてきた植物に大量に産みつけられた虫の卵や、異様に変形した虫えいのような密集した集合体を目にしたときの反応にも通じる、ある種の悪寒を覚えさせるような独特の不気味さも感じずにはいられなかった。




