#5 「酒と拳」
私の名前は閑乃。
年齢は…20代。ここへ来る前は、トーキョーの大学院で生物の研究をしていた。
このグンマーの地では「圏域」化以来、独特の生態系が発展しつつあると研究者界隈ではもっぱらの噂になっていた。
私はその噂に強く興味を惹かれ、いてもたってもいられずに休学届を出し、研究調査のためにやってきたという訳だ。一応、身分は今も学生。
そんな状況のグンマーの中で、一風変わった場所がカッパピアという廃遊園地を中心とした小高い丘のエリア。
タカサキ・シティの外れに位置するこの場所は、私のように圏域へ足を踏み入れた者たちが大勢集まっている。
なんでも、ここは精霊の力によってグンマー特有の「瘴気」から護られたいわば聖域だそう。
園内では入圏者たちの交流が活発に行われていて、情報収集や探検、調査のための仲間を募っている光景が、ここでの日常だ。
私が今いるのは、自分の拠点として時々使っている、丘の外れの小さなテントの中。
日中なので、グンマー圏特有の激しい日射と湿気で、テント内は蒸し暑くてたまらない。
「シズノ。そこいらで小耳に挟んだんだけどねェ」
うだるような暑さを気にもかけず、自信に満ち満ちた声が口火を切った。
それもそのはず。精霊は人間のように、気候に体調を左右されることはあまりないからだ。
彼女は私の精霊の一人、ドンリュウ。
若い女の見た目。高い長身に、豊満な身体つき――かなり魅力的な容姿だと思う。
そんな彼女と話していると、一体どちらが上の立場なのかわからなくなってくる。
主たる私を差し置いて、彼女が私たち"3人"を取り仕切ることが常だからだ。
「イソベ・オンセン近くの雑木林で、何やら怪物が出没しているそうじゃ」
「どんなカイブツなの?」
「左様。なんでもひどく暴れ回り、田畑を荒らして、家畜を喰らうそうな」
「そんな…ひどいッス!」
若い―というよりは幼く、しかし感情のこもった声がテントに響く。
声の主は私のもう一人の精霊、テンカ。
浅黒い少年の見た目で、カラテの道着のような衣服に身を包んでいる。
背丈は小さいが筋骨隆々で、顔立ちは精悍。彼はその鍛え上げた肉体を武器にした格闘を得意とする、心優しく強い精霊だ。
イソベ・オンセンはカッパピアの北に位置する。温泉街としてかつては栄えたものの、
グンマー圏特有の「瘴気」が特に濃い一帯となっており、近寄ろうとする者はいない――よっぽどの物好きを除いては。
「そこでじゃ!その化け物を倒して我らの名を上げようではないか」
薄々想像してはいたが、案の定の言葉が飛び出してきた。まったく、ドンリュウらしい考えだ。
「そうね、いいかも!顔が広くなるのは悪くなさそう。そうと決まればまずは徹底武装だね。タカサキの石器宙で役立ちそうな武器を…」
「性に合わん。却下じゃ」
ドンリュウがピシャリと言う。ムッとなって言い返してしまう私。
「油断してるとあっとゆーまにやられちゃうでしょ!なめすぎだよ!」
「まったくおぬしはいつも騒々しいな…淑やかなのは名前だけかの?」
「オイ、名前をバカにすんなって!すごい腹立つ!」
「ふ、二人とも落ち着くッス…!」
腹の虫は収まらないが、テンカの言う通りだ。
…ドンリュウと話していると、いつもこの調子になってしまう。
ギクシャクした雰囲気になってしまったが、ともあれ、イソベ・オンセンへ向かうことにした。
◆◆◆
イソベ・オンセンにほど近い河原に面した雑木林の入口。
入圏者からの情報を総合すると、最後に目撃されたのがこの場所。
化物はこの林の奥に消えていったという。
「この中に怪物が…」
「しっ!…気配を感じるッス」
危険を感じたテンカが、私をかばうように右腕を広げながら囁く。
精霊の気に反応して呼び寄せられたのだろうか…雑木林の奥から、ガサッ、ガサッ…という音が聞こえ、次第に大きくなっていく。
やがて、私たちの目の前に姿を現したのは――
私の背丈よりもだいぶ上―2メートル位の位置だろうか―に、鋭い眼光が光る。
巨大な体躯。大きく開かれた口の中で二本の鋭利な牙が輝き、細長い舌が泳ぐ。
「アオダイショウ…?」
咄嗟に、私は呟いた。
特徴的なオリーブ色の見た目からして、アオダイショウで間違いない。
何の変哲もないヘビが、「瘴気」の影響で巨大化したもの…それがこの怪物の正体らしい。
「早速現れよったな!」
私の指示を待たずに動いたのは、ドンリュウ。…全くもう!
大蛇を前にして、堂々と仁王立ちするドンリュウ。彼女の手のひらの上に液体の球が生まれ、次第に大きくなっていく。
次の瞬間、球が大蛇の方向へ勢いよく伸び、炎となって襲った。
「酒」をアルコール燃料として炎に変え、敵を焼き尽くす。それが、酒好きの彼女の戦法なのだ。
炎は大蛇の体全体を覆った――と思ったが、次第に勢いを弱めていった。
「おやおや」
こいつの体の表面にある鱗は、かなり分厚く、頑丈らしい。
ドンリュウの火炎放射すら無効化してしまうのだから、相当なものだ…。
「ちょいと酒でも入れようかねぇ?」
まずい!暴れる化け物を倒しに来たのに…「あの姿」で暴れられては、元も子もない。
「ダメに決まってるでしょ!」
最終手段【酒を飲んで暴れる】をアッサリ発動しようとするドンリュウを、私は慌てて静止する。
「こいつは…厄介ッス…!」
ドンリュウの炎が利かないとなれば、テンカの武術で真っ向勝負しても歯は立つまい。
大蛇は大きな体躯のくねらせて、木々を素早く飛び移り始めた。
腹についた突起を利用して、木や枝を器用に登る…アオダイショウの習性だ。この動きを止めないことには、攻撃の狙いも――
「そうだ!」
私は、咄嗟に閃いた。
「ドンリュウ!お酒!アイツに!」
「ふむ」
瞬時に私の意図を汲んでくれたらしい。掌をくるりと上に向けるドンリュウ。
再び酒の球を作り出し、大蛇の口が大きく開かれた隙に二発、放った。
球は大蛇の口の中ではじけ、飛沫を上げる。大蛇の眼光がやや、鈍ったように見えた。
酔って動きが遅くなった奴が、バランスを崩して木からゆっくりと崩れ落ちてくる――狙い通りだ。
「ダァァァァアッ!」
ドンリュウが作ったチャンスを逃さず、テンカは青いオーラを身体から放ちながら、勢いよく飛び込んでいった――大蛇の、口の中へ。
「ちょっ!?」
突然のことに、私が驚きの声を上げた…のとほぼ同時に、破裂音と共に、尾の先から青白い光が飛び出してくるのが見えた。
地響きと砂埃を起こしながら、大蛇は地面に倒れ込む。
「よし」「や、やった!!」
白い炎を上げてゆっくりと燃えていく大蛇。
その身体が全て燃え尽きるころ、白い灰の中で何かが光っていることに気が付いた。
◆◆◆
「でかしたぞ、シズノ!おぬしの作戦の賜物じゃ!」
その日の夜。カッパピアのテントの中で、ドンリュウからお褒めに預かる私。
大蛇の燃えカスから見つかったのは…金の延べ棒。私がギリギリ持てる位の量だ。
他の入圏者に知れたら面倒なので、こっそりとカッパピアへ持ち帰るのには苦労した。
ひとつひとつは小さいが、かなりの数だ。もしそれなりの所で換金すれば、かなりの額になるだろう。
カッパピアの入圏者たちの間では、早くも今回の一件で話が持ち切りになっている。
その上偶然にもお宝を手に入れられたことで、ドンリュウはこの上なく上機嫌だ。
それと、私にとっての「お宝」も――巨大アオダイショウの、これまた大きな鱗。
燃え残っていたのを一枚持ち帰って来た。グンマー圏の生態系を知る上での貴重な資料だ。
うっすらと透き通った鱗は、テントの灯りを浴びて彩雲のようにキラキラと輝いている。
「テンカ、あの果敢な攻撃、ようやったの!今後も鍛錬を怠るでないぞ」
「嬉しいッス!」
相変わらずな上から目線。
ちょっぴり気に入らない私は、テンカにこっそり話しかけてみる。
「威張っちゃってさ~、ドンリュウ」
「でも、この3人じゃなかったら倒せなかったッスよね!ドンリュウさん、シズノさんの機転に感心してたみたいッス。確かにちょっとぶつかったりすることもあるけど、自分たち、いいチームだと思うッス」
「ん…まあ、そうかもだけど」
どこか釈然としない…けど、まあそういうことにしておこう。
ドンリュウの強さは、仲間、そして自分の力を信じ切っているところだ。戦いや勝負に勝ったとき、彼女が無邪気に喜ぶ顔を見るといつもそう思う。
テンカが大蛇の口に飛び込んでいったとき…少しでも不安に感じてしまった自分が、なんだか悔しい。
「…私ももっと頑張るよ、その、リーダーとして」
「ウッス!」
「うむ!お主は戦いでこそ真価を発揮するからの。やはり名前に似合わず、骨のある女子よ」
「なっ…!だから名前のことは関係ないでしょ!」
「あー、また始まったッスね…」