第八話 出会い
この閉塞された、井戸の底のような空間の侵入者に気が付いたのか女性は扉の方に目をやる。
何かに恐れていたのか入ってきた理を確認すると、安心したかのように小さくため息を吐く。そして白いハンカチで涙を拭い、ほんの十秒ほどで表情を整えると立ち上がり理に一例した。
「お見苦しいところを見せてしまって大変申し訳ありません。それで、どうかされましたか? お客様」
その所作に先程までの悲しみは全くなかった。そのことが理にはあまりにも痛々しく見えた。
泣きたいときに泣けずに、泣きたくなったらこうして人気のないところで怯えながら涙する。そして他人にはひたむきに隠し続けるのだ。
その強さがあまりにも危なく僅かな事で崩壊しそうなことから、悲しみも相当なのではと理は考えた。その力の強そうな紅眼になにを見てきたというのか。
その若干荒れている一つ縛りの紅い髪はどれだけの苦労を表しているのか。
そんな彼女を見つめている理は話しかけられるまで動き出すことが出来ないでいた。金縛りとも違う、体が石になったわけでもない。
感情、意識、感覚、それらのすべてが彼女に対してのみ向けられて鋭敏になる。
それ故にほかの異物が入る余地などなく、この小さな世界は彼女と自分自身のみで完結してしまったいた。
「……あ、ああ。どこか寝れるところでも探していたんだ。なければここからの出口を聞こうと思って人を探していたら、偶然あなたが通りかかって、後をつけてきたんだ」
この時の彼女は理にとって非常に魅力的だった。エプロンドレスに包まれた肢体は舞よりも女性らしさを主張し、強気な感じとやつれた姿の混在、その危うげさが彼女の魅力を更に引き立てていた。
「なるほど、前にそのような人のことをストーカーと呼ぶと聞いたことがあります。なので非常に不快ですが私は仕事をしなくてはいけません。客室に案内するのでついてきてください」
彼女はそう言うと面倒なものを全て振り払うかのようにさっさと扉に向かって歩き出してしまった。しかし、理の横を通り抜ける時に彼の耳元に口を近づける。
「私の涙を見た責任、取ってもらいますからね」
その言葉でようやく我に返った理が振り返った時にはもう、扉が閉まろうとしていた。
急いで理が彼女を追いかけて歩きつ続ける事数分、廊下はこれまでの景色とは打って変わって殺風景で質素なものになっていた。絨毯も敷かれておらず、壁にかかる光源の数も少ない。
「ところで、あなたはどういった方なのですか? 城内の不審者は衛兵に突き出すのも私の仕事の一つなのですが」
その質問に理はなんて答えた者かと考えるが、嘘を言ってしまって本当に衛兵に突き出されてはかなわないと思い、自分で分かった居ることを話すことにした。もとより、隠す理由も大して持っては居なかった。
「なんて説明すればいいのかな……。今日、勇者召喚が行われたことは知ってる?」
「成功したのですか?」
侍女は突然立ち止まり、彼に詰め寄る。その瞳はあまりにもまっすぐで、求める答えを得るまで絶対にあきらめないということを悠然に物語っていた。しかし、目じりはまだ濡れていた。
「い、一応成功したって言っていいと思うよ。少なくとも、勇者の力を持った人はこの世界に来たから」
その答えに侍女は腕を力なくダランとさせると、彼の反対側をすぐに向いてしまったので表情は読み取れなかった。
「それで、あなたはその勇者の話とどういった関係があるのですか? 暗殺ですか?」
「そんな物騒な事しないよ。僕はその勇者召喚に巻き込まれてここにきてしまっただけ。ステータスを見ればすぐにわかるよ」
苦笑交じりに、ついでに自嘲も混ぜて答える。しかし侍女は真偽を問い詰めることなく小さくため息を吐くと廊下に無数にある木の扉の一つを押し開ける。
中には本当に寝泊まりする事だけを考えられた部屋になっていた。一組の机といす。あまり大きくない石造りの暖炉に木のクローゼット。唯一の窓の下にはシンプルなベッドが置かれていた。
「ここ、勝手に使ってもいいの?」
「ええ、構いませんよ。見ての通り飾りもなければ調度品もないどうせ無数にある客間の一つなので、事後承認でも全然問題ありませんよ」
侍女はそう言って火の気のない鍋が掛かった暖炉の前にしゃがみ込むと適当な大きさの薪を傍らの箱から取り出し、積み重ねる。そして、後ろから理が覗き込むと、火が付いていた。
ライターもマッチもないどころか全くにして火種は無かったにもかかわらずにもだ。そして、その不思議は理の好奇心を揺り起こした。
「どうやったらこんなに直ぐに火が付くんですか?」
「何と言われても、ただの魔法ですが。……もしかして魔法の事を全く知りませんか?」
理は頷く。しかしその後にミラヴェールが似たような事を言っていたことを思い出した。
「そうですか……。私が教えても良いですが、今日はもう遅いので説明は明日にさせて下さい」
「分かった。期待してる」
「それにしても、あなたが魔法を知らないと言うことは、勇者様も魔法を知らないのでは? それで魔王と渡り合えるということは、勇者のステータスはどれだけ凄いのでしょうね」
侍女は羨むでも僻むでもなく、憎しみもなく、ただただ嘆くかのように、事実をそうつぶやいた。
「さて、少しすればお湯が沸くかと思います。私は夕食の支度をして来るので、その間に体を拭いていてください。体を拭く布と着替えはそこのクローゼットの中に入っています。それでは」
そう言うと、侍女はさっさと部屋から出て行ってしまう。
理は言われた通りに服を脱ぎ、このままではまた訳のわからないことに巻き込まれては堪らないので、お湯を絞った布で手早く体を拭く。
彼も気付かずに疲れが溜まっていたのか、予めクローゼットに入っていた服とシャツを着ると、ため息を吐きながら、椅子に崩れるように座った。
そのまま腕を枕にして机の上に伏せて規則正しい呼吸を始める。ちょうどその時に、お盆を持ちながら器用にドアを開けた赤髪の侍女が戻って来た。
「寝てしまいましたか……。起きて下さい。私が折角あなたの夕飯を運んだというのに、寝てしまって食べれませんでしたなど私は認めません」
机の上にお盆を置くと理の肩を揺する。これから深い眠りに沈んで行こうとしていた彼は、小さく呻くと顔をあげた。
「おはよう……」
「おはようございます。はやく夕飯を食べてしまって下さい」
「わかった……。色々あったからか、もうお腹が減って仕方がなかったんだ」
理が机の上から手を退かすと侍女が食器を並べる。メニューはシンプルにパンとスープのみだった。
しかし、スープの中の具材はいくつかの野菜と大きく切られた肉がゴロゴロ入っていて、立ち昇る湯気が彼の鼻孔を心地よく刺激する。
「いただきます」
銀の木のスプーンで大きな肉を一つ救うと、その大きさに見合うほど、口を開ける。
「美味しい。けど、食べた事がない感じ。鶏肉に近いけど癖がなくて脂も結構ある」
「あなたの居たところには居なかったのでしょうか? ミルミルと言うこんな感じの耳をした生き物の肉なのですけど」
侍女は手のひらの指を揃えてピンと伸ばし、頭の上に持って行く。理はそれを見てウサギみたいだと思っていたが、声には出さなかった。
何もないところから水や火を出せる世界ならば、本当に手を頭の上に持って来た生き物が居てもおかしくはないなと、無駄な事を考えてしまい、声には出来なかったのだ。
「あの……。ずっと忘れていまいたけど、あなたの名前を聞いてもよろしいですか?」
理が丁度ものを呑み込んだところを見計らって、質問する。言動はどことなく侍女らしくない彼女だったが、そういった小さな気遣いはやっぱり彼女の職業を表していた。
「僕は衛藤理。衛藤が苗字で理が名前」
「エトーさんですね。私はこのフェルディウス王国の城で侍女をしているミレーナです。よろしくお願いします」
くるぶし丈のスカートを持ち上げて、少し体全体を下げる、型に収まったかのような挨拶をする。
「こちらこそよろしくね。ミレーナさん。僕とこの世界でまともに会話をしてくれたのは、ミレーナさんが初めてなんだ」
それを聞いて一瞬呆けたような顔になったミレーナは、急に笑い出した。声を噛み殺そうとしても、漏れだし、思わずお腹を抑える。
「え、どうして笑うの!?」
「それって、あの。王族の方々に対して、失礼に当たるのでは?」
そう言われて、理はやっと気がついた。理が今言ったことはひっくり返すと王族の人達はまともな会話ができない存在だと、言っているのと同じだと。
「いや、別にそんな事考えてないよ。ただ僕は……」
それから理は何も言えなくなってしまった。言い訳をするでもなく、反論することも彼にはどうしても出来なかった。むしろ、したくはなかった。ミレーナは笑いすぎて涙まで出てきたのか、目元を指で拭う。
「別に構いませんよ。私は今の発言を報告したりなんてしません。むしろなんだかすっきりしましました。何ででしょうね。この国で一番偉い人が悪く言われたのに」
ミレーナはベッドにシーツを敷き、枕カバーをかけて綺麗に整えるとそこで丁度理が食べ終わったのを確認すると水差しから、木のコップに水を注いで彼の前に置く。そしてお皿などをお盆の上に乗せはじめた。
「それじゃあ私はそろそろ行きますね。調理場の後片付けをしないといけないので。この水は勝手に飲んでくれて構いません。明日の朝になったら朝食を持ってまた来ますね」
お盆を持ち上げると凛とした真っ直ぐな姿勢で歩き出す。ドアの前で頭を下げても、直ぐに部屋から出なかった。
「ところで、エトーさんは明日からどうされるのですか?」
それは非常に曖昧な質問だった。明日一日の事を行っているのか、当面の事を行っているのか。それとも理自身のこれからの一生の事を言っているのか。
たとえそれが全てであったとしても、今の理には目の前のことしか見る事が出来なかった。
そうして一分か、五分か。それとももっとかも知れないがそれなりの時間が過ぎた時に彼が言えたのは事実のみだった。
「今は何かあったとしても、出来ないと思うんだ。だから今は自分に出来ることを探そうと思う」
赤と黒の瞳が見つめ合う。燃え上がり暗闇を照らし、その黒の中に隠された物を探し出そうとする。しばらくそうして二人は見つめあっていたが、ミレーナは見切りをつけたのか「失礼します」と言って部屋から出て行ってしまった。
心なしか緊張してしまった理は椅子に深く座り直す。
「僕は……ふあぁぁ。もう寝るか」
靴を脱いでベッドに潜り込むと彼のいつもの癖で横を向く。すると、ドアが少しだけ開いているのに気が付いた。そして、その僅かな隙間から、絹糸の様な赤くて細いものが見える事も。
「あの……。もしもあなたが盲目でないと言うのなら、私にもあなたの明日からを手伝わせて下さい」
その言葉の意味の答えを見つけ出す前に、彼は深い眠りについた。この日に起きた事は大きすぎた。




