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第七話 涙は世界の底へと落ちていく

「あと、娘がいるのだが他国に留学していてな。帰ってくることが難しかったのだ。なので紹介はすまぬがまたの機会になる」


 全く悪びれない表情で謝罪を口にした。舞はいまだに手の甲を制服で拭っていて、理に至っては早く終わってほしいと言わんばかりに適当な相槌しか返さなかった。


「ほかにも大臣など名前を覚えて貰いたい人物が何人かはいるが、君達も疲れているだろうし、一気に沢山覚えさせても悪いので今日のところはここまでにしようと思うのだがどうかね? 異論はないようだな。それでは……」


 自分で質問しておいて答えさせる気が無いのか、ラミステルはすぐに自分の中で完結してしまった。そして近くの侍女を手招きで呼び寄せると耳打ちをし、侍女はすぐに部屋から出て行ってしまった。


「それではサカキバラ殿は部屋と食事の準備ができるまで湯あみでもしてきてほしい。先程の侍女に火をたかせに行かせたので他の者に案内してもらうがよい」


「分かり……ました」


 舞の前に一人侍女が出て来て、そのまま二人で部屋から出て行ってしまう。謁見の間では王が椅子に深く座り直し、各々がどこかリラックスし始めた。しかし、理はそんな王の前に出てきた。というよりも、出ざるを得なかった。


「あの、王様。僕はこの後どうすればいいですか? 出来ればお風呂に入りたいのですが」


 ラミステルは眉間を寄せて先程までとは打って変わって固い声で答えた。


「すまぬな。この城には浴場が一つしかないのだ。ならば男は我慢して女性に譲るべきではないのかね? もしも、二人で入りたいというのならば話は別だが、二人は見たところそんな関係ではないのだろう?」


「そう、です」


「なら、下がれ」


 ラミステルはそう言って乱暴に手を振った。有無を言わせずに事をはぐらかし適当にほうりだしたのだ。理は僅かに震えるほど強く手を握りしめ、絞り出すように返事をすると、ラミステルの前から離れ、背中に視線が痛いほどに刺さるのを感じながら、独りでこの部屋から去って行った。それを呼び止めるものはこの間の中にはただ一人としていなかった。


 理が部屋なら出ると、目の前の巨大な窓から冷えた風が吹き込み理は身を縮める。そしてその窓の向こう側のバルコニーのベンチに座って湯気が上っている紅茶を飲んでいた舞がテーブルの上にカップを置いて、理に手招きする。隣に立つ先程の侍女は彼女の置いたカップに冬季のポットで紅茶をつぎ足す。


「思ってたよりも早かった。ねえ、すこし話さない?」


 理は返事を言う代わりについさっきまでは舞が座っていたベンチのすぐ隣の腰を下ろした。侍女は彼の前に新しいカップを置いたがその中身は空で、侍女も入れようとする気配すらない。理はカップの中を覗き込むと白く染まるため息をこぼしながら小さく笑った。その様に気付いた舞はポットを奪い、熱いと呟きながら理のカップに注ぎ侍女に突き返した。


「それにしても、大変なことになっちゃったね……」


 侍女の事は気にしていないというよりも無視すると言わんばかりに、理に話しかける。


「大変で済めばいいけど」


 舞は魔王を倒せという重責を押し付けられたのだ。それがどれほどの苦しみの向こうにあるのか魔王の影すら見れない二人では、測り知ることもできなかった。いくら肉体や能力が勇者のそれだったとしても、精神はテストでさえ投げ出したくなる女子高生だ。そんな彼女がこんなことを難なく成し遂げるよりも二階から目薬をさす方が圧倒的に簡単な話だった。


「そう、だね。……私、もう地球に帰りたいって思ってる。まだ何もしてないし、何も見てないし、何も試してないのに。こんなよくわかんない場所に居たくなんかない。何なの、魔王って、スキルって、勇者って、万理の書って……」


 舞は外の景色を見ながらつぶやくように言った。彼女の手に持つ紅茶のカップにはわずかに波紋が出来ていた。ランプの火なのか二人の眼下の一望できる世界にともる光はゆらゆらと揺れていて飽きることがない。しかし地平線に広がる世界は月光ではあまりにも暗く見通すことが出来なかった。


「僕も早く帰りたい。その為に出来る事ならしたいけど、榊原さんの助けになる事は出来ない。助けようとしたらむしろ足を引っ張ってしまう。本当に完璧すぎて笑っちゃうよね、僕のステータス。本当にごめん。こんな役立たずで。けど、そんな僕でよければ話し相手くらいにはなるよ」


「それならさ」


 外を見るのをやめて舞はまっすぐに理を見据える。そしてソーサーの上に静かにカップを置いた。


「わたしとあんたは駅の階段ですれ違うだけの関係じゃいられなくなった。もう赤の他人がこの二、三時間で運命共同体になっちゃった。だからさ、そんな他人行儀な呼び方じゃなくて、名前で。舞ってよんで。わ、わたしもあんたのことは雑魚理って呼ぶから」


 そう言った舞はまた外を見てしまう。ただでさえ暗かったので、理には彼女の表情が見えなかった。そして理は笑い出した。お腹を押さえようとしたが、紅茶を持っていることに気が付き、零さないように必死になった。


「なんで笑うの雑魚理!」


「だって、回りくどいし、事実だけど、雑魚は余計だし」 


 理は苦しそうに返事をする。しかし、笑いはなかなか収まらなかった。顔を朱に染めて悔しそうに右手を握りしめた。


「あ~もう! ともかく、わたしたちはこれから互いに助け合いましょうってことだから! 最初は雑魚理が頼ってばっかだろうから、いつか後悔するくらい頼ってやる!」


 そう言うと舞は城の中に入って行ってしまう。呆然とする理に控えていた侍女が「ティーセットはそのままで構いませんので」と短く言い残すと、舞を追いかけて行ってしまった。それから五分程外の景色を眺めていたが、流石に体が冷えてきた為に理も中に入った。


 行先もなく、戻る場所も頼れる人もいなくなってしまった理には、ただただ廊下を歩いて適当なところで階段を下りる事しかできなかった。これでは浮浪者と大差なかった。廊下は静まり返り物音ひとつしない。適当な扉に手をかけてみても全て鍵がかかっていて、中を見る事すらできなかった。


「こんな事なら無駄話しないで、人の呼び方でも聞いておくんだったなぁ。疲れた、眠い、お腹すいた。景色も変わらないし暇だな。目の前に万理の書があれば楽なんだろうけど……そうだ! ステータスオープン」


 愚痴をこぼし始めた彼が思いついたのは暇つぶしも兼ねた現状確認だった。ステータスとは未知のものだったので、今後の為に目を通しておこうと思ったのだ。今度は理の目の前にA4ほどの大きさの半透明の板としか言えないものが出てきた。それを歩きながら目を通すと宙に浮いている板は付随してついてきた。


 アイテムストレージと書かれたところに触れると、他の文字が小さくなり詰められ、出来た空間にアイテムストレージの説明が現れた。


【アイテムストレージ lev,1】

 ステータスプレートを出せば物をしまっておくことが出来る。上限容量五十キログラム。中に入っている限り劣化はしない。ただし、単体で重さを無視できない生物はしまえない。残量四十八キログラム


「もう既に何か入ってるのか」


 理がそのことに気づき、下に唯一並んでいた項目のカバンをタッチすると触れた手の中にカバンの取っ手が白い光に包まれながら現れた。それを引っ張り出してみると、その全容が現れた。


「これ、僕のスクールバッグだ。中身は……教科書も入ってるし、落としたと思ってたスマホも入ってる。やっぱり圏外だけど。これってやっぱりミラさんがやってくれたのかな」


 彼が黒の二つ折り皮財布の中身を確かめてみると、そこには見覚えのある硬貨は一枚もなく、紙幣に至っては入ってなく、一枚のメモ用紙しかなかった。代わりに女性の姿が見て取れる鋳造品の銅貨と銀貨が十枚ずつ入っていた。


「誰だろう、これ」


 自分の財布の中身の行方よりも今入っている硬貨の方が気になった彼は廊下の壁のランプにかざしたが、かたどられた文字が読めず降参し、今度はメモ用紙を開いた。


 これ以上に無から有を与えるということは出来なかったので、あなたのお財布に入っていたお金をこちらの世界の物に変えておきました。こんな事しかできなくてごめんなさい。ミラより


「ミラさんのおかげで少なくとも無一文じゃないわけか。ミラさんには今度会った時にお礼を言わないと」


 全てをアイテムストレージにしまい直し、理が独り言をつぶやきながら別の欄に触れようとすると、不意に彼の前の十字路を赤い影がすごい速さで駆け抜けて行った。


「あ、人。すみません、道を教えてください!」


 彼のその叫びに築いたのか気付いていないのか、その赤い影は全く速度を落とさずに別の角を曲がってしまった。そのあまりの速さに何秒か呆然とした後に、理も走って追いかけた。彼の視界にちらつく濃紺のエプロンドレスはその駆ける人の仕事を物語っていて、城の中を駆け抜けるのはあまりにも不自然だった。


 理の息が上がりは始めたとき、その侍女は木と鉄でできた分厚く重々しく古めかしい扉を蝶番が軋む音を響かせながら押し開け、中に入って行った。後を追いかけた理が扉をくぐるとそこには絵になりそうな世界が広がっていた。


 夜露に濡れた草花は綺麗にカットされた金剛石のように月光を乱反射させ、この広くない壁に囲まれた中庭を幻想的に魅せる。上を見上げると正方形の中心に青白い月が控えめにその存在を主張する。壁を上る蔦は天空の美しい乙女に手を伸ばす。

 そして何よりもこの空間で目を引くのは、苔むした石造りの古井戸に腰掛ける一人の侍女だった。彼女は赤く泣きはらした瞳を空に向け、零れ落ちる光の雫をただただ静かに井戸の中に、世界の底に向けて落としていた。

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