第五話 巫女と騎士
二人はミラに見送られた後からギュッと目を瞑ったままでいた。そのまま暖かで掴みどころのない浮遊感に包まれていた。それは二人にとっては未知の感覚だったが、不思議と恐怖はなかった。重力が無ければ慣性も感じられなかった。理は途中で目を開こうとしたが、まるで光だけで作られたかのような世界だったために、少し開いたかと思ったらすぐに閉じてしまった。
やがて空気が肌寒くなり、足元に固い感触が当たる。ゆっくりと重力が戻り、埃っぽい香りや炎が頬をチラチラと焼く感覚が訪れる。理がもう一度目を開くと今度はどちらかというと暗いところだったために、すぐに閉じられることはなかった。
真正面には同じタイミングで黒曜石の瞳を開いた舞がいた。そしてこの石で作られた密閉空間には二人が来る前からいたのか、肩を揺らしながらへたり込む少女がいた。少女は髪も瞳も光を放つような金色で、白を基調とした膝丈のローブには華美ではなく品のいい金糸で飾られていた。朱に染まる頬は玉の汗が浮かび、長い金髪も疲れを表しているかのように光の反射の仕方がよわよわしかった。
「はぁはぁ、よかったです……。成功しました」
少女は手にしている木製の杖を使って立ち上がろうとしたが、全身が疲れ切っているのか少しその小さなお尻が持ち上がると、すぐに石の上に落ちてしまった。舞はすぐに少女に駆け寄って背中を支えてあげると、吃驚したのか目を見開いたが恐る恐るゆっくりと体重を預けた。
「すみません……」
「私は別に構いませんが……。衛藤! あんたまたなんかやったの? 私だけじゃ飽き足らず次はこの子に!」
舞は理を睨み付けた。悲しいことに駅で舞を押し倒して抱きしめてしまった理は、彼女にかなり悪いイメージを持たれてしまっていた。それもセクハラ方面の。
それは全くの誤解で偶然が重なっただけだったというのに。だからと言って目の前にふらふらになっている明らかに年下の女の子がいたからと、すぐにその責任を追及するのはあまりにも結論を急ぎすぎだった。理は小さく「あの子には敬語なのにな」と呟くと二人に向き直った。
「僕は何もやってないよ。それに榊原さんに対しても偶然が重なっただけだから」
「あいつが言っているのは本当?」
もはや理は苗字すら呼んでもらえなくなってしまった。それもかなり乱暴な呼び方で。一方舞の腕に中で疲れたように息を吐いていた少女はふるふると首を横に振った。
「私が疲れてしまったのは勇者様をお呼びいただけるようにお願いしていたからでなんです〜。もう、お腹がペコペコなんです〜」
舞よりもはるかに丁寧な言葉使いでそう答えて、わずかにほほ笑みながらお腹をさすった。しかし少女はすぐに「あれ?」と呟くと舞と理の顔を交互に見た。
「召喚される勇者様はお一人だけのはずなのですが、何故か勇者様が二人いますね〜。もしかしてこれは私の強い願いが届いた結果大成功したという事なのでしょうか!」
それを聞いて理はすぐに反論しようとした。彼は自分は勇者ではなく、偶然巻き込まれただけで力なんて何も持っていないことを説明したかった。下手に誤解させたままだといいことは無いと考えていた。早めに伝えておくことで後で知った時の衝撃を取り除きたかったのだが、突然開いた鉄製でこの部屋にある唯一の扉が盛大に音を響かせながら開いた。
「エリス。うまくいったのか」
扉から現れたのは背が高く肩幅も広い男だった。白銀に輝く鎧に身を包み、胸元には勲章なのかたくさんの小さなメダルが輝いていた。左耳には刃物傷の跡が残って居て、いかにも武人といった具合だったが腰にも背中にも武器と呼べるものはなかった。
「はい。上手くいきましたよ。見てください、二人も来ました〜」
「確かに二人いるな。聞いた話だと普通は一人だってことだが。まいいか。俺にはよくわからんが、少なくとも失敗ってことはないだろ。王様と王子様がが首を長くして待ってるからさっさと行くぞ」
そういって男はすぐに出て行ってしまった。少し休んで元気が戻ってきたのかエリスはそのあとをすぐに追い、その二人に引っ張られるように舞が後を追い、残ったのは自分の事を説明するタイミングを失ってしまった理だけだった。彼は一回大きくため息を吐くと部屋から出てドアを閉めようとしたが、閉められなかった。まるで何年もそのままで錆び付いてしまったかのように、びくともしなかった。理がそれに困っていると舞が引き返してきた。
「何やってるの。こんなのも閉められないなんてトロいわね」
そういうと女子には似つかわしくない力で開いた時よりも大きな音を響かせながら閉めた。理は男子の中では非力な方だった。晴れに日にはスポーツに明け暮れているというよりは、木の下で本を読んでいる方が彼の性根にあっていた。しかし、それでも女子に力で負けるのは不可思議だったのか、彼の中では力の入れ方がよくなかったことにしてしまった。
二人は長い長い廊下をエリスと男につられて歩いていた。その道のりは侵入者を警戒しているために、まっすぐ最上階にはたどりつけない設計になっていた。現に今さっき階段を上ったばかりなのに今は階段を下ろうとしている。この城で働く者の一番最初の仕事は城の構造を覚える事だということが、国民には有名な話だった。
道中では全くと言っていいほどに誰にも会わなかった。その為、理は楽だという理由でランニングシューズだったが、舞のローファーが石でできている床を叩く音がよく響いている。廊下のいたるところにカンテラや理と舞が見たこともない鉱石が眩い光を放っていたが、角はどうしても暗く、人気のなさがむしろ恐怖に近かった。
「すみません、どうしてこんなに人気が無いんですか?」
「このお城の侍女さんはみんな、必要じゃない時以外は陰から私たちのお世話をしてくれているんですよ〜。何でもずっと昔の王様が妻以外の女を侍らせるなど我慢ならん。と言って侍女さんは常に隠て仕えることにして、今もその風習が残ってるんです。指示をもらわずに出くわしてしまったら〜、減給らしいですね。もちろん言えば、隣を歩いてくれますよ。さらにこの先は玉座に近いので立ち入りが制限されていますし今はちょっと例外で、この先の玉座の間に人が集まっているのでなおさらなんです〜」
エリスがまだ幼さが残る間延びしたですます口調でそう言った。さっきまでは固い敬語だったのだが、緊張がほぐれてきたのか、彼女の素がわずかに見えたしゃべり方だった。
「変わった風習か。日本じゃとても見れない本職の侍女に会ってみたいな。彼女たちなりの苦労とか聞けるかもしれない」
「なに、あんたメイドさん萌えだったの? キモチワル」
そう言って舞は両腕で自分を抱きしめ理から一歩離れるのだった。気持ち悪を片言で言っているあたり本心では思っていないのだったが、理に入るダメージは十分だった。彼は心の中で彼女の前では不用意な発言は気をつけようと密かに誓わせるのだった。もちろん彼はメイド喫茶には行ったことはなかった。どんなところなのかという興味はあったが、それは知識欲の域を出ておらず、奉仕してもらったりご飯に愛を入れてもらいたいとは思っていなかった。彼はそこで働く人たちを所詮はバイトでサービスの一環だからと思っていた為に、本職の人たちに会えると聞いて、興味が出てきただけだった。
「そんなに会いたいのでしたら、手を……」
「おい、ついたぞ。無駄話は後にしろ」
エリスが喋ろうとしたところでタイミングが悪く、男に途中で止められてしまった。目の前には巨大な木の両開きの扉があった。右半分には美しい女性が、左には鎧に身を包んだ青年が彫られていた。それはどちらも過去の偉人で、この国にとってはかけがえのない存在だった。廊下を挟んで扉の反対側にはバルコニーになっており、そこから王都が一望出来た。
男が扉に手をかけ押し込むと、薄暗い廊下に光があふれた。