第十三話 嗚咽
ダンジョンとは、今の人類にとって欠かせないものになっていた。世界のいたるところに大きさはさまざまだがいくつもの階層になっている、人工ではない構造物が存在している。その中でも無限に近い魔力を発しているもの。それがダンジョンだ。
そして中からは異形の存在、モンスターと総称されているそれらが無限に湧き出してくるのだ。そう、無限に。それらを人類は討伐して糧としてきたのだ。資源としてだけではなく、新たな武器や防具、モンスターからとれる魔石は生活や文化の発展などに役立てられていて、ダンジョンの話に触れずに人類史を語ることが出来ないほどに人間の生活に密接になっていた。
しかし、ダンジョンには分かっていないことが多すぎる。何のために存在するのか、どんな原理でモンスターを生み出すのか、何者が作ったのか。そして、中に入っていった者の半数以上の詳しい死因も不明だった。そう、モンスターはただただ狩られるだけだはないのだ。収穫するだけの畑とは訳が違う。
命を懸けて戦い、奪い取るのだ。
「これが、ダンジョンについての簡単な説明ですよ~」
ダンジョンに向かう道中の馬車の中で今日も豪華な金糸で刺繍された白地の法衣を着たエリスが、ふぅと息を吐きながら背もたれにもたれかかる。両手を太ももの下に入れてしまうのはいつもの癖だった。
馬車の天井には鉄のかごの中に入ったルビーに似た透き通った緋色の宝石が暖かい光を放っている。それのお陰で馬車の中は外よりも遥かに過ごしやすかった。理はその原因を石が赤外線を発しているのではと睨んでいた。
「えっと、ダンジョンがどんなものかは大体わかったけど、なんで行くかまだ聞いてないんだけど。いいかな?」
理は腰に下げたナイフの重さと冷たさが落ち着かないため、聞きながら座り直している。
「モンスターを倒すとステータスのレベルが上がるんですよ~。そうすると、筋力とかの数値も上昇して強くなるんです~」
その事実に軽い酩酊を感じた。この世界では人々の強さの基準がはっきりとしていて、それを上げるのもとても単純明快という、彼から見たらあまりにも現実離れしていてスポーツなどでどんなに努力しても結果が出ない人の事を、嘲笑っている気がした。文化の差という言葉では足りなかった。
「つまり、舞は僕にもモンスターを倒せってこと?」
舞は大きく頷く。それに対して理は天を仰ぎたくなった。それは、倒すと言っているが、実際は命を奪うのだと類推する。能力の問題ではなく、心の問題で果たして自分にそれが出来るのかと、自問自答しはじめた。無意識にナイフの柄に触れて、撫でる。
行きの馬車はそんな微妙な空気だったが、ガーランドは出発した時からずっと眠っていた。
ダンジョンがあるのは、これと言って特産物がない小さな宿場村の隣にある森の中にあった。その森の中で柔らかな木漏れ日を浴びて行った奥、気が遠くなる程の年月をそこで過ごしたであろう、巨大な木の根と根の間が入り口だった。あたりは金属の甲冑隊が居て、四人を出迎えた。
「それじゃ、俺が先に行くから。次に勇者様、お前、エリスの順番だ。甲冑隊はそのまま入り口を守っていてくれ!」
それだけ言うと入り口が狭いからまず最初に背中の大剣を放り込むと、直ぐに自分も穴に潜り込んで行った。怖いもの知らずなのか、舞は臆することなく、足から穴に入って行く。理がしゃがみ込んで穴を覗き込むと、「みきやぁー!」と言う凄い勢いで遠ざかっていっているのか、ドップラー効果のかかった叫び声が聞こえて来た。結局は怖かったということだ。
「これ、出てこれるの?」
「大丈夫ですよ〜。その滑り台と登り用の階段が二重螺旋を描いているんです。滑った方が速いので、こっちが入り口、この木の反対側にある階段が、出口になってます〜」
「えっと、それなら僕は階段でゆっくり行くよ……」
理がそう言って、立ち上がって振り向こうとした時、エリスが予想外に近い所にいた。
「えい!」
「え?」
エリスは小柄だからか、全体重を利用して理をダンジョンの入り口に押し込んだ。理は反射的にそれを耐えようとしたが、滑り台の摩擦係数はかなり低いのか、直ぐに落ちていく。仰向けのままで。
「ぐだぐだしていたら押し込んでいいって、マイさんに言われているんです〜! だから文句はマイさんにお願いしますね〜」
「うわぁぁー! 止まれ止まれ!」
理は木の滑り台を猛スピードで駆けていく。予想外の態勢で急に滑り出したことで、情けない叫び声を上げながら滑り落ちていく。
そのまま滑り台の一番下まで辿り着いた理だったが、そこにも悲劇が待っていた。滑る間隔が狭く、理が滑っている途中でブレーキをかけられなかったため、無様な姿のまま、停止する。それを舞は見下ろしながら鼻で笑った。事の元凶のエリスはしっかりと小さなお尻を下にして滑ってきた。
「全員そろったな。時間がないからさっさと進むぞ。」
レクスはそれだけ言い残すと、背中の大剣を引き抜いて薄く壁が光る洞窟の奥に入って行ってしまった。その間髪入れさせずにひぱっていく感じは今の理にはありがたかった。立ち上がって適当に服の埃を払うと後を追いかけた。
「エリスちゃん、どうして壁が光ってるの?」
「ダンジョンの壁にはものすごく小さな魔石、魔力が固まって常温でも結晶でいられるものが、たくさん含まれているんですよ〜。それがダンジョンの奥深くから溢れ出す魔力に反応して光っている。と専門家の人が言ってました〜」
ぱやぁ〜と擬音がしそうな笑顔付きで答えた。舞はエリスの頭を撫でて「ありがとね」と呟き、ガーランドの後を追う。
暫く四人で進んで行くと、突然ガーランドが左手を横に上げて通せんぼした。
「ガーランドさんどうし……」
「静かに」
ガーランドは洞窟の奥をじっと見つめている。壁が発光しているおかげで暗くはないが決して明るいとは言えない為、先を見通す事は難しかった。
「足音……だいぶ軽い。ゴブリンだな。数は一体。後ろでしっかり見ていろ。難しい事を重ねるよりも、こっちの方がやりやすい」
ガーランドが前に進みはじめたその時、脇道から一匹の化物とでも言うべきものが出てきた。一見すると人の様だが身長は低く、肌の色は緑と黒を混ぜたような色。眼球は頭蓋骨が飛び出しているんじゃないかと思う程、前に出ていた。ぎゃぁ、ぎゃぁ、と上げる声も耳障りで、醜い。その手に持つ剣も相当に古いのか、刀身が欠けていてヒビも入っていた。つまり、側にいて欲しくないと理性的に悟らせるほどの存在だった。
「ゴブリンと戦うのは久々だが、何も変わっていないな。進歩が見られん」
ガーランドは、前に出した。大剣を手首だけの動きで回して、剣の腹でゴブリンの手を打つ。くぐもってはいたが、確かに破砕音が響いた。その証拠にゴブリンは左腕をだらんと下げて、右腕一本で剣を握っている。左手で右の二の腕を抑えても、剣先は地面から上がらなかった。
しかし、ガーランドは動きを止めない。自分の全身を使って大剣を回転させて、思いっきり振りぬく。その速度は凄まじく、突風を起こして後ろにいた三人の髪を揺らした。後は、硬い物同士がぶつかる音とびちゃっと言う水が弾ける音だけだった。
「えっと、ガーランドさん。ゴブリンはどこに?」
舞にこの光景は心が耐えられるギリギリの線なのか、顔が青ざめてスカートの裾を強く握っている手は震えていた。
「吹き飛ばした」
それ以外に何がある。さも当然だ。常識だ。と言わんばかりに、ガーランドは平然と応える。理でさえもガーランドの向こうに見えた後景からは目を逸らしていた。
それは、地獄絵図とでも言うのか。生物をミキサーにかけてあたりにぶちまけたかのようになっていた。壁にはゴブリンのものであった赤い血がべっとりとつき、骨の破片、肉や内臓の切れ端も所々に引っかかっている。
舞の呼吸が速くなる。自分の胸元を掴み、動機を抑えようとする。
「ガーランドさん、吹き飛ばしちゃダメじゃないですか~。魔石が回収できません! って、だ、大丈夫ですか~!?」
エリスが舞に駆け寄って背中を擦る。そして、先程と同じ詠唱を唱えて舞に光をふりかけていく。吐き気にも多少は効果があるのか、舞の呼吸は一息ついた。
「あの、わたしも……これと同じ事を、しないとダメですか?」
「いや、俺を模倣しろとは言わん。取り敢えず、自分で考えて体を動かしてみろ。勇者殿のステータスだとゴブリン相手なら死ぬことはないだろ。それに、エリスがうるさいから魔石が取れるように吹き飛ばさないでくれ」」
舞は何も言わずに頷いて、鞘から剣を引きぬこうとしたが、何度も刀身と鞘がぶつかりあってガチャガチャと音を立ててしまい、時間をかけて引き抜いた。
「相手の目をまっすぐと見ろ。臆するな。睨みつけて、相手の動きを予想しろ。戦いの駆け引きは剣を交える前から、始まっている!」
臭いに釣られてきたのか、同族の骸の残骸を踏み越えてゴブリンが一匹だけ歩いて来た。その瞳には復讐と言った怒りの類はなく、ただ単純に同族が敵を倒せずに発生したお零れを手に入れた、相手を倒せるかどうかすら考えない、本能に支配された瞳だった。
胸に手を当てて大きな呼吸を繰り返し、緊張を抑えこもうとする。なけなしの覚悟で心を固めて、前を向く。視線が合わさったのは一秒に満たなかったが、ゴブリンは舞に向けて走り出した。剣を頭の上に掲げるように振りかぶりながら。本能をむきだしにして、武器を持ってちかづいてくるその形相はただの女子高生には恐怖の対象でしかなかった。
ようやく固めた覚悟も虚しく、舞は目を瞑って適当に剣を振る。声を上げなかっただけ、上出来だろうか。タイミング、軌道、狙い。最初はそれら全ての要素が滅茶苦茶で、ゴブリンが剣の間合いに来る前にすでに振り下ろしてしまった。剣は石の床を虚しく打ち、火花と甲高い音を立てる。
その時のゴブリンは勝利を確信した。それもそうだ。向こうは剣を振り終わり自分はこれからだ。ただでさえ素人だというのに、防ぐ手立ても全く見当たらない。ゴブリンにそこまでの知能があるかはさておき、目立った敗因はなかった。
理は思わず駆け寄ろうとして一歩踏み出していた。しかし、自分にできることの限界を知っていた。弱さを知っていた。その事実が足を地面に縫い付ける。
「グギャァー!」
ゴブリンは大きく跳ねて、確実に一撃で仕留めようと体重をかける。舞には躱そうとする予備動作も、受け止める気配も全く無かった。理がどうにか手を伸ばして舞に届かんとするが、足を動かすことが出来ない者に、そんな物は与えられなかった。理がもうダメだと、目を瞑った時、閃光が駆けた。
舞は手首を返し、剣を無理やり振り上げて、ゴブリンの腕ごと剣を吹き飛ばす。その時の舞の剣は、文字通り輝いていた。僅かに黄色みを帯びた輝きか剣を包み、燐光を振りまく。薄暗い洞窟の中でのその姿は、神にも等しく美しかった。
そのまま光りを纏った剣で、ゴブリンを肩から脇腹にかけて二つに切り裂いた。返り血を盛大に浴びて、汚物に塗れてもその剣の輝きが衰える事はなかった。その程度では汚しようがない、神に愛された強い光だ。勿論、舞も頭から真っ赤な血で染まってしまった。
「舞……」
理が一歩、二歩とゆっくりと近づいて行く。舞はカランと音を立てて剣を手放すと、剣の輝きも霧散する。そして肩を抱きながら崩れる様に両膝を付いた。子猫のように背中を丸めて震わせながら、小さくなる。もう自分の感情の抑えが効かなくなった証のように、盛大に嘔吐する。何度も何度も、からえづきを繰り返す。自分の中のものを全て吐き出して、悪い物を全て排除しようとする、本能だった。
理が背後まで来て背中に僅かに触れると、ビクッと震わせた為、理は手を引いたがすごい速度で振り返った舞に手を掴まれてしまった。そしてそのまま引き寄せられて、舞は理を抱きしめるように胸元へ頭を近づけた。
「ま、舞! どうしたの」
理がその事実に対しての驚きは、舞が怯えるように震えている事にかき消された。
「ご、ごめん。けど、今だけは……うッ、生きてる。理は、しっかりと心臓が、動いてる。ううっ。わたしも、生きてる」
榊原舞は、勇者になった。その使命は世界を救う為に魔王を倒す事だ。それだけが真実ならば聞こえがいい。それだけが事実ならは勇者という存在はどんなに素晴らしいか。しかし、それだけでは言葉が足りない。まず、レベルが一の状態で魔王を倒すのは不可能だ。純粋な戦力は勿論、ほんの少し前まで女子高生だった舞には戦闘の経験が全く無い。
ならばどうするか。簡単だ、鍛えるしか無い。戦い方を覚えて、レベルを上げるのだ。その為にはモンスターを大量に倒す、もとい殺すしかない。そうして行き着く先が魔王の殺害だ。世界の救済と言えば聞こえはいいかも知れないが、見方を少し変えると、この世界の人々は舞に命を奪ってくれと、大量虐殺者になってくれとお願いしたのだ。そしてこれは、ほんの最初の一歩。これから先は何千何万という命を葬らないといけない。
こんな所で彼女の心が折れてはいけない。命を奪う事を忌避してしまっては舞のこの世界での存在理由がなくなってしまう。この苦行に耐えるしかないのだ。ここで使命を放棄してしまったら、それこそこの世界の人々に何をされるか分かったものじゃない。
結局勇者とは、虐殺を綺麗な言葉でラッピングした存在なのだ。
ほら、君は命を奪った。僕達の常識だとそれは、簡単に許しちゃいけないことだよ。けど、おかげで君の仲間は生きてる。受け入れるしかないんだよ。ひれ伏すしかないんだよ。この世界では命を奪うのは当たり前なのだと。そして、それが舞に課せられたたった一つの使命なんだ。こんな所で躓いていられない。躓く訳にはいかない。たとえ再び立ち上がるのが遅くても、もう一度立ち上がれるならそれで良いじゃないか。いくらでも回り道をすればいい。
理は心の中で語りかける。その言葉が舞に伝わっていても、いなくても理は防具と衣服が汚れる事も考えず、抱きしめ返すことしか出来なかった。