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第十一話 悲しみを忘れるために

 コンコン、と分厚い木の扉をたたく音が響き、返事を待つ前に開かれる。蝶番が軋み、扉から漏れ出した光がその向こうの古井戸に座っていた青年を、寂しく照らす。


「やっぱりここに居ましたか」


 青年は頷くこともなかったが、その侵入者は草をかき分けながら歩き、彼とは反対側に背中合わせで座った。

 柔らかな月明かりがその小さな空間を超自然的に見せ、遠くから聞こえてくる音楽が控えめに飾り付ける。

 そのまましばらく時が流れ、音楽を聴き続けたがその間ずっと、青年は顔を上げなかった。


「あの後、勇者様は私に本当に申し訳なさそうにしながら、何度も頭を下げてきました」


「それは……ごめん」


 理の声に覇気はない。ポツリと呟くように、尚且つ自分を責めるように。自分自身を両腕で抱くようにして体を縮める。


「それは別に良いです。私は侍女ですから代わりに謝罪を受けるくらいは当然です。ええ、周りの目線がどんなに痛くても耐えるのが仕事ですから」


「ごめん……」


「はぁ~……何なんですか、その自分が全て悪いみたいな態度は。正直、腹が立ちます」


「ごめん……」


 謝る事しかしない理に、ミレーナはため息をこぼす。

 そしてまた暫くそのまま風が流れるだけの時間が過ぎたが、やがて気の抜けたキュポンッと言う音が理の背後から鳴った。

 そのあまりにも場違いな音に理が振り返ると並々と赤ワインが注がれたグラスを差し出された。


「……僕は元の世界の法律で、まだお酒が飲めないんだけど」


「私もまだこの国の法律では飲んではいけませんよ。けど、知ったことではありません。この国の法律なんて守ろうとは思えませんよ。それに、お酒は飲みたい時に飲む。それが一番お酒に対して真摯な付き合い方だと思いませんか?」


 理はそう言われて押し付けられたグラスを、思わず受け取る。

 そしてミレーナはエプロンのポケットからもう一つグラスを出すと、そこにワインを注いで、自分も飲みはじめた。


 辺りには葡萄の芳醇な香りが漂い、それだけで理にもこのワインがそれなりの品だと言う事が分かってしまった。


「気が付きましたか? このワインはこのお城にあるワインの中でも値段では一番を争うものですよ」


「……勝手に飲んで平気?」


「後で下町で売っている安酒を詰めて戻しておきます。どうせこの国の王族はワインの味なんて分からないので、問題ありません」


 理はグラスを揺らし、波紋を眺める。水面には自分の情けない顔が映っている事に、嫌気が差した。あまりの無様さに。

 やがて、自分の中の葛藤が馬鹿らしくなってしまい、一気に飲み干してしまった。僅かな苦みと共に葡萄の華やかな香りが喉を通る。


「なんだか昨日とは立場か逆ですね」


「まだ出会って一日しか会ってないけど」


 昨夜はミレーナが泣いていて、そこに理が来る。そして今夜は理が泣いている所に、ミレーナが来る。全くの逆だった。

 空になった理のグラスにミレーナがおかわりを注ぐ。そして、その無駄に高いワインに潤いを求めるかのように理は飲み下す。

 さらに情けない事にアルコールに背中を押されて理は喋り出した。


「舞の言ってくれたことはもちろん、嬉しかった。自分も大変なはずなのに、僕の事を考えてくれているんだな、こんな事を宣言してくれるんだな、一緒に帰ろうって言ってくれるんだなって。甘えてしまいそうになる。けど……」


 グラスを強く握りしめる。背中が震えて、より一層惨めに見えるその姿をミレーナは、優しく見つめ続けた。


「舞は勇者だ。僕とは違う、重責がある。この世界中の人の願いを、あんなに細い背中で受け止めて戦わないといけないんだ!」


 声を荒げて心の内をさらす。それはもう、破れかぶれとでも言うべきか、自殺する直前の叫び声とでも言えるものだった。


「それがどんなに辛い道なのか僕には想像も出来ない。途中で投げ出したくなったりしてしまうと思う。だって、この世界で誰一人出来ないから舞は魔王なんて倒さないといけなくなったんでしょ!」


 理の頬は僅かに赤く染まっている。アルコールで血流が大分速くなっているようだったが、その落ち着いた独白には影響を及ぼす程ではなかった。むしろ、適度なアルコールは舌を滑りやすくさせてくれる。


「それなのに、僕まで舞の背中に寄りかかることは出来ない。もともとここに僕が来てしまったのは僕の不注意から始まっているんだ。だから舞を突き放すしかなかった。彼女が勇者らしく居られる為には僕っていう存在は邪魔なんだ! あんな事を言ってくれる舞だ、僕に危険が迫ったら責任を投げ出してでも助けてくれると思う。けど、違うんだ。世界を救わないといけないのに、僕って言う一個人を救いながら出来る訳がないんだ! こんなに、僕に当たりが厳しい世界で」


 舞には理の事を考えずに戦って欲しい、その互いを考える優しい気持ちが二人をすれ違わせてしまった。


「僕は舞の重荷になりたくない。だから見捨てて貰うしかないんだ。隣に立つことは出来ない。僕が余りにも惨めすぎて、比べてしまう。だからこそ、優しさが痛いんだよ」


 その言葉を聞いたミレーナは暫く反応が取れなかった。あまりにも考え方がしっかりしていて、馬鹿正直過ぎた。

 ここまで他人を考えて自分を貶められる人に、彼女は今まで会ったことがなかった。だから反応に困ってしまった。

 しかし、その悲痛な声を聞いているうちにミレーナの中に自分も話さなくてはいけないことがある事に気がついた。


「オサムさんは、この世界は好きですか?」


「いや、別に。まだ分からない」


 理は適当に答えを誤魔化した。曖昧なことを言って明言を避けてしまった。


「私は、この世界が大嫌いです」


「え……?」


 今度は、理が呆気にとられる番だった。明け透けとした不謹慎な言葉に、驚いてしまった。


「私の周りの、小さな幸せの箱庭を壊して奪ってくこの世界が嫌い。魔王が現れるという大きな危機を他の世界の人に救ってもらってる仕組みが嫌い。この国の在り方も嫌いだし、大きな宗教も嫌い。戦いが嫌い、魔法が嫌い、この世界にある、何もかもが嫌いなんです……」


 もう、グラスに注ぐことも面倒になったのか、ミレーナは侍女にあるまじき、ビンから直接ワインを煽った。


「だからせめて私の周りだけは良くしようと頑張ったのですが、やっぱりダメでした。私の弟までも無残な方法でこの世界は奪っていきました。そうして諦めていたのですけど、なんででしょうね。オサムさんに会ってから不思議と期待してしまうんです。後一回だけって思ってしまうんです。この世界の人ではないからでしょうか、もう諦めてしまった夢も、もう一度夢見てしまうんです。そうだ、この責任もいつかオサムさんにとって貰いましょうか」


 ワインを飲み干してしまい、ビンを傍らに置く。井戸に座りながら足をブラブラさせて上空の月を見上げて、その果てしない距離に思いを馳せる。


「ミレーナさんの願いって、何なんですか?」


「本当に、単純で簡単で当たり前ですよ。せめて、私の近くにいる人達には毎日を笑って楽しくごしてもらい。多少は貧しくても構いません。ただ、それだけなんですよ。そのために、私が勇者になりたかった。世界を救えるだけの力がほしかったんです。そこまでの力が必要になってしまったんです」


 それは元の世界、日本ではほとんど聞くことのできなくなった願い。

 自己的なことや目先のことばかりの話ではなく、願うまでもないはずの物なのだ。それを手に入れるために、圧倒的な力を求めている。

 その事実に理は返事をすることが出来なくなってしまった。そのことを察してなのかミレーナは理の前まで歩いてくると、手を差し出した。


「オサムさん、私と一曲踊りませんか? わずかにここまで音楽が届いてくるので、ちょうどいいです」


「い、いや。僕は踊れない……」


「大丈夫です。私も踊るのはこれが初めてですから。あ、スカートの裾は踏まないようにしてくださいね」


 ミレーナは煮え切らない理の腕を無理やりつかみ立ち上がらせて、記憶を探りながらダンスの態勢をとる。

 片方の手をつなぎあい、ミレーナは理のもう片方の手を自分の腰のあたりへと導き、自分は方に手を添える。そのまま二人は音楽に合わせてゆっくりと回るように適当にステップを踏む。

 ミレーナが理を引っ張るようにリードし、理はしぶしぶついていく。音楽が加速し二人の動きも速くなる。ミレーナの胸のロケットが月明かりを悲しそうに反射する。

 その音楽が終わるまでの僅かな時間だけ、二人は互いに見つめあい悲しみを忘れた。満天の空はその二人を無視してキラキラと瞬いていた。

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