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第一話 回想

「ごめんな……さい」


 彼は自分に残っている僅かな力で、短い謝罪を口にした。しかし、その声も感情も涙もすべて冷たい石畳と夜の闇に吸い込まれるように消えて行った。


 彼は自分が謝りたかった人に、その謝罪が届くことは決してないことを知っていた。誰よりも知っていた。なぜならその原因を作ったのは紛れもなく自分自身なのだから。それでも謝らずにはいられなかった。


 何処までも冷たく体温を拒み続ける鉄杭に、手足を穿うがたれて十字架にはりつけられることにより、自由を奪われ、絶え間なく痛みを与えられて、絶えず鮮血が滴り落ち既に赤黒く染まった石畳が乾くことはない。


 わずかにでも動くと、杭とその周りの砕けた骨がぶつかり合い、カチカチと耳障りな音を立てる。


 髪は振り乱れいたるところに血糊が張り付いている。少し前までは黒かったが、今となっては色素が抜け落ち白く変色してしまっている。

 瞳は赤く充血し隈ができていて、さらにかつてはそこに宿していた光と意志は等に消え失せている。

 それだけで尋常ではないほどの狂気を感じるが、これは右眼の話だ。左眼は瞑っているようだが、その上に刻まれた真新しい傷が中にあるはずの眼球の現状を物語っている。


 彼が張り付けられている広場には昼間になると人だかりが出来ていた。老人は手を合わせ膝をつき神への祈りと、孫であった名前を口にしている。

 女性は赤子を抱き夫だった名前を叫び、彼を睨みつけている。

 男性は、恋人だった女性に贈る予定だった指輪を手に握りしめて泣き叫んでいる。

 少年は周囲に同調して、彼を蔑む言葉を口にしている。

 少女は痛ましそうな、心配するような表情で彼を見つめていたが、近くにいた母親に耳打ちされて感情の消えた冷たい底冷えるような表情に変わった。なんとも無情な事だった。

 全員に共通していることは、彼への憎悪、拒絶、殺意。それらがすべてむき出しにされていた。


 傍にいる鎧に身を包んだ兵士は、彼に試験管の中身の薬を飲ませようと口に押し付けるが、頑なに拒み続ける。やがて諦めて彼の体に慎重に試験管の中身をかけていく。

 その手つきは慎重だが丁寧とは言い難い。その薬を彼の体の辛うじて無事な箇所に掛けて、決して傷にはかけようとしないからだ。

 むしろ、その為に丁寧になっていた。つまり、彼は死ぬことも出来ずにいるが、かと言って生きているとも言い難い姿である。


 痛みと渇きと飢え、何よりも人々から発せられる彼をさげすむ言葉によって生と死の間で生きているかのような。生きているが死んでいる。そんな矛盾した状況で、見るに堪えない姿を晒されている。


 彼がここにはりつけられて二日がたとうとしている。意識は朦朧もうろうとして今にも落ちようとしているが、それを人々が投げつける石と、それを辛く苦しい言葉や悪意によってここに引き留められているのは、非情な事だった。


「どうして、こうなってしまったんだ。あいつが言った通り僕がバカだったのか。僕が何も気づけず、何もできずにいたばっかりに……。貴方の願いを叶えてあげたかった、貴方のために全力を尽くしたかった。僕はただあなたの事が……」


 彼はこの世界にきてからずっと自分を助け続けてくれた人に、贖罪を求めて言葉を発し続けた。たとえ届いたとしても自分を責めることはせずに、慰められるだけだろうと思っていたにもかかわらず口にしてしまったのは、自責と後悔による自己嫌悪のせいだ。

 

 もはや相手などどうでもよかった。誰でもいいから訴えたかっただけである。


 彼の心は既に崩壊寸前だった。同情でも、冷たい反応でもいいから自分のことをしっかりと見て欲しかった。声に耳を傾けて欲しかった。しかし彼の嘆きは人々の声にかき消され誰一人として耳にした人は居らず、与えられるものは一方的な侮蔑だけだった。


 やさしさはもう、奪われていた。

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