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僕は脇役。

夢の中で、彼女は泣いていた。


さっきまであんなに楽しそうだったのに。


夢の中で、彼女は怯えていた。


脇役の僕にはどうすることも出来なかった。


彼女の笑顔は消えてしまった。


僕が脇役だったから、かけがえのない笑顔を守れなかった。


彼女の言葉は失ってしまった。


言葉にならない声をあげ、ただただ僕に訴えかける。


彼女の心を癒やせない。


主人公ですらない脇役に、何が出来るというのだろう。


彼女の傷を治せない。


身体ではなく心が傷ついてしまっているから。


僕は主人公になれはしない。


目の前の涙を黙って見ているだけの男が、物語の中心に立つなんて許されない。


それでも僕は脇役で在ることに誇りを持つ。


どんな辛い状況でも、逃げ出してしまってもいいのだから。


僕は脇役の立場が心地よい。


どんな深刻な出来事でも、きっと誰かが知らないうちに解決してくれるはずだから。


だが僕は彼女を泣かせる者を絶対に許さない。


例え僕自身が彼女を泣かせてしまっても、僕は僕を許さない。


彼女を泣かせた者は死んで償うべきだと思うし、


彼女の命のためなら脇役の僕は喜んで死を選ぶ。



だけど、



そもそも彼女が恐怖する原因は、


彼女が泣いてしまった原因は、



突然目の前に現れた、ただの『ゴキブリ』だったのだけれど。



*****



―――そして、ここで僕は目が覚めた。


ぐっもーにん。


ベッドから上体を起こし、寝ぼけ眼で僕の自室にある壁掛け時計をぼんやりと眺める。僕が子供の頃から設置しているお気に入り時計で、暗闇でも文字盤が薄く発光してくれるのがありがたい。鳥の羽が長針と短針を模っていて、鶏がモチーフの時計が刻む現在時刻は朝の四時。


まだまだ太陽が完全には昇りきっていない時間帯。むしろ夜行性のチンピラ共が、『俺達の夜はまだまだこれからだZE~!』と、


…うん、言わないだろう。だって朝だもの。まぎれもなく早朝だもの。



この毎朝四時が僕のいつもの起床時間である。…元気な老人か、とは言わないでください。


僕はまだまだ高校生、高校二年の六月初旬、青春真っ盛りのはずである。…はず、だよね?


薄暗い自室のベッドから降り、大きく深呼吸をする。



「んー、今日も一日、脇役がんばるかー。」


僕の名前は伊野長介。自称『脇役』。高校生活をする上で、あらゆる人間に対して下手に回り、自分の存在感を薄れさせるのに尽力する脇役だ。


…別にいじめられているわけでもないし、みんなから無視されているつもりもない。


自ら望んでこの立場にいる、僕が脇役であるために意図して目立たないよう過ごしている。


僕は脇役になるためならどこまでも最底辺を目指す。それが生きがいなんだ。



「…それにしても、さっきの夢は、なんだったのだろう?」



泣いている女の子と物陰に隠れたゴキブリ。そして何もできない僕。


夢占いの本でもあれば調べてみたいけれど…。いや、別に気にしないでおこう。


あんな夢ぐらいでいちいち調べていたら、だいぶ前にみた『ゴミを漁る絢爛豪華なお嬢様に無理矢理ひたすらイソジンうがいをさせてから強引に縄跳びをさせて帰らせる浦島太郎』というカオスな夢は、誰がどう説明してくれるというのか。


多分、心の底からひねくれている僕だからこその夢だったのだろう。


…それにきっと、あの夢は昨日の事が原因だと思うし。



「…さて、どうしようか。」



昨日の事を考え始めたらきりがないので一旦頭の中をクリアにして、リセットして、全てを忘却して、記憶喪失の廃人に近い状態まで自分を追い込んでから、改めて自分の部屋を見渡してみる。


…ここはどこ?…僕は脇役?


まず目に付くのはまだテレビに接続されている忘れ去れたゲーム機本体を発見した!


学校まで時間あるし、少しくらいやろうかな…、今から学校に遅刻する寸前までひたすらゲーム、しかもRPG。…うん、悪くないかも。


と、ボーっと考える寝起き十秒間。


いやいや、ダメだ。こんな朝早くからだらだらゲームしたら何のために早朝の四時に起きたのか意味を無くしてしまう。


どうやら頭をクリアにしすぎて肝心な事を忘れて感情が赴くままに行動しようとしてしまっていた。


いけないいけない、このままでは僕は脇役失格になってしまう。そう、脇役の務めは、あくまで物語の主人公の引き立て役。その主人公の存在を無視してストーリーを始まらせず、脇役たる僕のだらだら生活で焦らすなんて言語道断!


僕はすぐに制服に着替えてから通学鞄を持って自室を出た。


伊野家の長男である僕は兄弟のいない一人っ子なので二階の一室が僕の部屋だ。僕の両親もこの家にいるが、さすがにまだ寝ているだろうしこの時間帯に起きてくる事は滅多にないのでそろりそろりと階段を下りて台所に行き、自分で朝食を用意してから食べて、顔を洗い、昨日から設置していた家中に百個ほどセットしてあるゴキブリホイホイの中身をチェックしてから、朝の四時半に家を出た。


…朝からゴキブリホイホイ×100のチェックは、皆さんも経験したことあるでしょうか。


…うん、よくある、よくある。わぁい!ゴキブリホイホイ祭りじゃー!と僕が子供だったら喜んでいただろうな、きっと。


…そんな圧倒的に何かが足りない子供だったんです。僕って。


さて、どうしてこんなに朝早くに登校するかについて説明がまだでしたっけね。


それは僕の通っている県立寿限無高校で部活の朝練をするためなのだけど、別に僕の部活は朝練をする義務があるわけでもなく、かといって自主的に朝練やってる生徒もほとんどいない。だからそれは、脇役たる僕の信念が関わってるコトなのだけど、それは追々またの機会にでも説明するとしよう。


とにもかくにもさっさとストーリーを始めて主人公を登場させなければ脇役失格だ。


下手したらこの脇役である僕、伊野長介が主人公なのではと疑惑が浮上するかもしれない。それはいけない、僕は脇役なんだ。


だから僕はさっさと学校に向かった。主人公の在籍する寿限無高校に。



「すたこらさっさだぜぃ。」



僕は自分の思い描く理想の脇役を思い浮かべながら、いかにもな台詞を一人呟く。



*****


県立寿限無高校の歴史は江戸時代の寺子屋の頃から始まっているらしく、遥か昔からこの地に続いている由緒正しい学校である。

創立当時の景観は知らないけれど現在の寿限無高校周辺は住宅街になっており、それゆえに生徒数も全校生徒1200人、一クラス辺り40人で各学年10クラスずつの構成になっており、大規模な高校になっている。


その寿限無高校の二年A組の脇役である僕の部活は演劇部だ。寿限無高校には運動部と文化部、合計で85にもなる部活動があり、その中でも何故演劇部を選んだのか、それはこの部活が一番脇役にふさわしいシステムになっているからだ。


まず一番舞台上で際立って目立ち、スポットライトを浴びて観客を注目させる『主役』。


その主役の隣に並び華やかさで舞台を引き立て、観客を魅了させる『ヒロイン』。


そのヒロインを狙う敵の親玉、お話の最大のラスボス、観客を不安にさせる『悪役』。


ときて、僕の舞台のポジションは、


主役の攻撃にあっさりやられたり、ヒロインの周りを奇声を放ちながら飛び跳ねたり、悪役からの理不尽な命令にも従順に従い、観客をただただ不快にさせる『悪役の手下共』、


つまりは雑魚だ。



「……………。」



…ふふん、我ながら素晴らしい脇役ぶりだ。


舞台の上では誰よりも出番が少なくて、それゆえに観客の印象にも残りにくい不遇の扱い。

どれだけ頑張って演じようとも結局は主役の攻撃にあっさりやられるため、カッコよさよりもカッコ悪いシーンの方が際立ってしまう役柄。

こうやって朝練をしてまで練習をして、誰よりも努力しているにもかかわらず、舞台の上では見せ場すらない待遇。

つまりこうやって練習していてもその努力を発揮できる場面がないし、言ってしまえば無駄な努力というべき僕の練習。


…あれ?なんでかな、目から汗が出てきた。…お、おっと、別に悔しくも何ともないさ。


くッ…!か、勘違いしないでよね。べ、別にセリフが「イー」しかないキャラにキタコレっとかおもったんじゃないんだからね!ぜ、全身タイツを着てみたいと思っただけなんだからっ!


…誰にツンデレてんだ、僕。


…まあ、そんなわけで、我が演劇部の部室に到着。

改めて、教室を見渡してみる。演劇部の部室は、何も机がない、ガラーンとした空き教室だ。あるのは、椅子くらいで、それにしたって数えるほどしかない。演劇に使われる衣装や装飾や道具類は、全て隣の空き教室に収まっている。なので、この部屋自体はこれといって説明する所がない部室である。


シンプルすぎる。


では、部活のコトだけど、もう一度言うけど、うちの演劇部には基本、朝練というのはない。

そりゃ公演が迫れば、朝だろうが夜だろうが、部員が一丸となってやるさ。しかし、先月末に、ボランティア活動として、公民館で演劇会したばかりなのだ。だから、6月1日の今日みたいな特にこれといって、予定のない日に自主的に朝練するのは僕しかいない。


…そう、脇役たる僕しか。


一人で演劇するのはむしろやりやすい。余計な人間がいないから。仮に、この場に誰か一人でもいたら、僕はそいつより目立たないようにしなければならない。それが顧問の先生でも先輩でも後輩でも赤の他人でも。他人を引き立てるのが僕の信念だからだ。脇役としての自分ルールでもある。


さて、演劇の練習と言っても次の配役のセリフは…



「イー!」


………………。



…これしかない。…どう練習しよう。


………………。


えっと、「イー!」の言い方のバリエーション、とか?



…そ、そうだ!このキャラには戦闘シーンがあったんだった。


…べ、別に後先考えずにただの脇役を選んだわけじゃないんだからね!

誰も選びそうにない配役だったから、あえて真っ先に名乗り出ただけなんだからっ!


だから、誰にツンデレてんだ、僕。


しかし、…ああ、…眠い。


こんなことならもう少し寝れば良かった。誰だよ、こんな朝早くから練習しようと言ったのは…。


…僕しかいなかった。


セルフツッコミは脇役たる僕のスキルさ。


しかし戦闘シーンといっても、雑魚戦なので、特に観客を盛り上げるためのパフォーマンスを、

一人でいくつもする必要性はない。


むしろ、脇役よりも、主役の方が練習を増やすべきかもしれないのだけど、今回、主役に選ばれたあの子にはそれは期待できない。


主役を演じる子は毎日なんて練習できないくらいに、日常的に忙しいみたいだからなぁ。


それはさておき、一人一芸だけで十分な脇役だが、それでは僕は満足しない。

普通の脇役では満足なんかできない。脇役を極めてこその僕だ。とことんやっとかないと、後悔する。



なのでとりあえず、真っ黒な全身タイツに着替えてみた。



「イー!」



誰もいない空き教室で朝っぱらから全身タイツで奇声を放ち続ける僕。



と、とりあえず、形から入ってみたわけだ。うん、若干動き辛い気もするが、大丈夫。


…へ、変態なんかじゃないんだからねっ!


うう…、この格好は嫌いじゃない。むしろ脇役としてまっとうな衣装と言っていい。


ただ、評判が悪い。すこぶる悪い。


どうしても他の衣装には出来ないらしく、つまりは、脇役は脇役らしく、目立つな。あまりしゃべるな。主役よりカッコ悪くしろ。ということらしい。


ま、まあ、望むところですよ?これで乗り切ってみせますよ?


…でも、評判が悪い。残念ながら、やろうというヤツは僕しかいない。



「くっ……。」



こうなれば見せてやろう。見せて魅せて観せてやろう。脇役の真髄を。

こうして、僕は脇役の練習をひたすらに励んだ。


練習内容は、ひ・み・つ☆


[三時間後☆]



僕「…ぐ、…がふ!」


…全身打撲になった。顔以外のあらゆる箇所がアザだらけになった。

主人公の攻撃を想定したダイナミックぶっとばされアクションを一人で延々と続けたため、空中でいかに雑魚っぽく無様に飛ばされるかを極めていたのだが、着地だとか受け身なんて生ぬるい事は一切無視したので、当然の結果としての全身打撲だった。


…ふふ、膝が笑ってやがる。まるで産まれたての子鹿じゃないか…。

…ククク、この技をマスターしたら僕は、世界一の脇役になる!まだまだ先は長いぞ?伊野長介。


「ふふふ、やってやる、やってやるさ。」



ふと、時計をみる。やべ、もうこんな時間だ。後片付けをして、部室を出る。

僕が家を出た時間は四時半、徒歩で登校して学校に着いたのがちょうど30分後の五時。それから部室に籠って三時間たったから午前八時。この時間になるともうすでに半数以上の生徒達が自分の教室に集まっているはずなので、僕も二年A組の教室に向かう。

クラスメイトとの朝の会話は、僕にとって結構重要だったりもする。誰かの噂話だったりとか、昨日に起こった事件、ニュースなどを毎朝情報収集するのが僕の日課だ。しかし、情報を集めるにあたって、僕は新聞やテレビ、携帯端末などには頼らない。必ず人との会話でのみに絞り情報を得るのだ。

脇役たるモノ、学校の情報に詳しくなければならないが、クラスメイトの会話も重要なので、最初は聞き役に徹して色んな人物から話を聞き、情報が出揃った時に満を持してとある人物に噂として流すのだ。

そう、脇役の僕が信仰する主人公へと。


というわけで、もうすぐ物語の主人公がやってくる。今日のストーリーが動きだすわけだ。

ならば、脇役は主役に学校に流れる噂、重要情報などを流さなければならない。


僕は急いで教室に行く。が、


ああ、そうそう。改めましてもう一度、僕の自己紹介をしておこう。


僕は、伊野長介。寿限無高校二年A組2番。



この世界の『脇役』だ!!

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