act06
そんなものに踊らされるのもどうかと思うけれど。
意外と馬鹿にしていられないものだ。
act06.原因はウワサ
迷っていたけれど、結局あたしは走るのが好きだから部活には毎日出ている。
舞の足もほぼ完治して、今は他の先輩達とグラウンドを走っている。
放課後のグラウンドに行くたびに、篠田先輩目当てのお姉さま方から睨まれるのにも慣れてきた。
ほとんど会話もないし目を合わせることもないのに、大好きな篠田先輩と近い場所にいるだけでも、彼女達には許せないのだろう。
「あの人たちをうるさく思ったりしたこと、ないんですか?」
メニューどおり校庭のトラックを走った後、少し休憩と言って座ったときに、湯澤先輩に尋ねてみたことがある。
二年生の湯澤先輩は、数少ない女子部員の一人で、あたしと同じ中距離の専門だから、練習でも一緒になることが多い。まだ不慣れなあたしに色々気遣ってくれることも多い、気さくで優しい先輩だ。
「もう慣れちゃったかな。それに、どうせ見てるのは篠田先輩だけだからね。あたしたちは、目立つ所で篠田先輩に近づいたり話しかけたりしなければ大丈夫」
「目立つ所で?」
「そう。依子ちゃんも気をつけておいたほうがいいよ。新しい女の子が先輩に近づこうものなら、あの人たち黙ってないから」
「…はあ……」
グラウンドの隅で高飛びをする篠田先輩を見ると、外からつきささるたくさんの熱い視線をものともせず、淡々と優雅にお飛びになっている。
さすが有名人というべきか、特に気にした様子もなければ、そちらを向いたり手を振ったりすることもない。余裕だ。
「うちの部に女子が少ないの、気づいた?」
「言われてみれば」
元々男子の多い学校だから、あまり気にしたことがなかったけれど。確かに男女混合で行う部活にしては女子は少ない。
全体で二十人ぐらいいるのに、そのうち女子は三学年合わせても五人しかいない。一年生にあたしと舞、二年生に一人、三年生に二人だ。
「前はもっといたみたいなんだけど、うっかり篠田先輩に近づいたところをファンに目撃されて、そのあと酷い嫌がらせされて、辞めちゃった」
そう言って先輩は寂しそうに笑った。
「……」
悪質だ。そこまでしたら、ファンというような可愛いものじゃなく、迷惑な邪魔者でしかないじゃないか。
「依子ちゃんも気をつけなよ。あたし、新しく女の子が入ってきてすごく嬉しいんだから。まだ入って一週間なのにいなくなっちゃうと寂しいし」
「そうします」
「さて、休憩はそろそろ終わり。行こうか」
ジャージについた砂をパンパンと払って、湯澤先輩が立ち上がり歩き始めた。あたしもそれにならう。
そして、ただ走っているだけの先輩に飛び交う黄色い声援の発生源を眺めた。
女の人って、優しそうに見えて時に残酷で、容赦がない。
好きなことをするための部活なのに、彼女らの御機嫌や顔色まで見ていなければならないなんて、信じられないけれど本当の話なのだ。漫画の中の世界じゃない。
触らぬ神にたたりなし、だ。
この瞬間、あたしはできる限り篠田先輩に(特に人前では)近づかないことを決めた。もともとあの人が苦手だから、あたしから近づいていくことはないけれど、用心に用心を重ねておこう。
ただひたすらに目立った行動をしないように、小さく小さく。
そこまで思って、あたしは首を捻った。
もしかして、それならば先週の舞に対する篠田先輩の行動はどうなのだろうか。
よくよく思い返してみれば、怪我をした舞を先輩が抱き上げた(担ぎ上げた?)瞬間、周りからは一斉に悲鳴が上がっていた。単なる黄色い声ではなくて、驚きと非難の混じったものだった。
あのときは、あんた達そんなに篠田先輩が好きなのかい、と思っただけだったけれど、今聞いた話から考えると、先輩とあんなに目立つ形で接触した舞に嫉妬して、嫌がらせをされてもおかしくはない。
この一週間で傷も癒え、今日も元気に練習に参加している舞からは、そんな話は全然聞いたことがないけれど、もしかして影で何か言われているのかもしれない。そんな可能性に、あたしは今日初めてぶち当たった。
それにしても、道理で陸上部に入部する女子が少ないはずだった。
あたしは知らなかったけれど、篠田先輩は元生徒会長ということもあり、校内ではかなりの有名人で人気者らしい。それに付随する噂も色々と流れている。だ いたいの一年生(特に女子)は、入学する頃には同じ中学出身の先輩達に色々な噂を聞き、篠田先輩の顔は知らなくても名前や情報を知っていることが多いのだ と言う。
だから、一年生の女子は、少しでも近づこうものなら恐ろしい先輩たちの機嫌を損ねないように、篠田先輩には極力近づかない。興味があっても遠くから眺め ている程度だ。そのなかでわざわざ陸上部に入部するということは、まさに飛んで火に入る夏の虫。噂を知らないか、知っていても無視できるほどの意志の強さ がないと無理というわけだ。
一目で篠田先輩目当てだと思われても仕方のない状況なのだろう。
噂なんて知らなかった。
あたしが陸上部への入部を決めた後、悠美にそれを聞くまでは耳にしたこともなかった。
ただ走るのが好きだから、中学校でもやっていたから、陸上部に入っただけなのに、それだけで見知らぬ人たちから嫌がらせをされてしまう対象になりかねないなんてありえない。どうかしている。
けれど、これだけの噂がまことしやかにささやかれていれば(真実ももちろん、あるだろうけど)それは、女の子はむしろ怖がって陸上部に入りたがらないわけだ。
クラスの女の子たちに何故だか熱烈に応援されてきてしまったのも頷けた。
「確かに女子少ないよね、うちの部」
「まあ、わからなくもないけどな。ギャラリーがあれじゃあな」
「絶対おかしいってあれ。アイドルじゃねえんだから」
部活が終わって、帰り道。
舞が用事があるといって、部活が終わると一人で急いで帰ってしまったので、あたしは二組の男子三人に青華陸上部について聞いてみることにした。
記録会を行った翌日に、色々考えてやっぱり入部すると言って新しく男子が二人増えて、一年生は男女合わせて七人になった。男子五人に対して女子二人というのは、やっぱり少ないよね。
「アイドルって」
実際、それに似たようなものなのだろう。校庭の周りに張られているフェンスの向こうから篠田先輩を見ている人たちの目つきはある種異常なものがある。
「や、本当に。俺、部長の近くにいるからよくわかるけど、あの人たちの目線超怖えーの。俺は男なのに、篠田先輩にそれ以上近づかないで! みたいな、なんか、気迫っていうか執念みたいなのがこもっててさ、もう…」
篠田先輩と同じ走り高跳びが専門の植村くんは、そのときの様子をまくし立てるように身振り手振りで必死に説明する。
こういう時に何と言うのかと言葉を詰まらせた植村くんに、早川くんが繋げた。
「視線が突き刺さって痛い感じ?」
「そう、まさにそれ! あんなにマジ睨みされてみろよ。けっこう堪えるぞ」
「あーはは、遠慮したい」
真剣に恐怖を訴えてくる植村くんだけど、あたしは曖昧に笑ってごまかした。もちろんキッパリトお断りの文句も入れて。
だって、そうだろう。男の子の植村くんですら、篠田先輩に近い場所にいるというだけで睨まれるのだ。そこに女のあたしが入っていけばどうなるのか、想像に難くない。
別にやましいことは何もないのに、自分は何もしていないのに、女だと言うだけで睨まれてしまう。下手をすれば、呼び出されて裏で嫌がらせをされる。そんな毎日は耐えられない。
「葛西さんも、気をつけなよね。ギャラリーの人たち、けっこう怖いって聞くし」
黙ってしまったあたしをどう取ったのか、早川くんが心配そうな顔であたしのほうにひょいっと顔を差し出した。
そんなに背も高くない彼は柔和で優しい顔立ちで、話していると癒してくれそうな安心できる空気だ。癒し系。いいなぁ。落ち込んだら彼に愚痴を聞いてもらおう。
「もちろん、気をつけるよ。嫌がらせされたからとかそんなくだらないことで、部活辞めたくないしね」
心配してくれる人がいるんだとわかるだけで嬉しくて、あたしは自然に笑顔になった。
「さすがに先輩達相手じゃ、俺らもあんまり力になれること少ないからな」
とは、同じく二組の岡崎くん。
いつもはやんちゃな彼なのに、今日は夕暮れの空を見上げながらはあ、なんてため息。彼にシリアスは似合わない。
「あはは、何、そんなに心配しちゃって。あたしは平気だよ。篠田先輩となんて話したこともないんだから」
もう、男の子って優しいなぁ。
中学生の時までの同級生の男子なんて、女子に対しては憎まれ口をたたいたりちょっかいかけたりするしか脳がないただの馬鹿なガキばっかりだったのに。高校に入った途端に、周りの男子はみんなどこか優しかった。
数ヶ月もしないうちに大人になるのか、それともこの三人が珍しい人種なのかはわからないけれど、なんにせよ優しくされて嬉しくないわけがない。
いたわりや心配の言葉は、ありがたく受け取っておくことにした。