act05
女の子のパワーって、本当にすごいと思う。
あたしも同じ女の子だけど、これだけは、ついていけない。
act05.感情は芽生える
記録会という名目で今日はかなり、疲れた。
走るのは、元々好きだしあたしは走る種目が専門だからまだいいけれど、跳躍と投擲は専門外だ。
いつもならほとんど使わない筋肉を変に使ったせいで、体中が、特に腕がだるい。
「つっかれたぁ」
帰り道、思わずあたしが叫ぶと、隣で歩いている舞ちゃんがくす、と笑った。
「一日で全部の記録取ると思わなかったもんね」
そんな舞ちゃんは、転んで怪我をした膝の傷が思いのほか酷くて、今日の部活は見学になっていたから、元気そのものだ。
「そうだよ。何も一日で全部やらなくたっていいじゃん」
記録を取ってくれる先輩達は、自分たちの練習の合間に付き合ってくれていただけだったから、種目ごとにとっかえひっかえだった。
あたしたちにずっと張り付いていたら、それこそ部活に来た意味がないから。当たり前なんだけど。
「男子でも最後のほうはヘロヘロしてたもんね」
「ねー。先輩達も一回やってみればいいんだよ。そしたら、専門外の種目をやるのがどれだけ辛いかわかるって」
右上腕の筋肉を揉み解しながら、密かに明日の筋肉痛を覚悟した。
「…膝、大丈夫?」
見下ろすと、舞ちゃんの両膝には大きなガーゼが分厚く貼り付けられていた。
保健室に行ったんだから、傷口の周りも、傷口も、きちんと洗って消毒してあるだろうけど、それでも痛々しい。
「あぁ、これね。まだちょっと痛いけど、見た目ほど酷くないよ」
「そっか。よかった」
「うん……ただ、右膝に、けっこう大きい砂利が食い込んじゃったみたいで」
「げ、それで酷くないの?」
「短距離って、スピードがある分転んだ時の衝撃も強いからね。さすがにここまで酷いのは初めてだけど、あたし元々よく転ぶ子だからさ」
あはは、と舞ちゃんは笑った。
「それに、それがきっかけで今日はいいこともあったし」
「いいこと?」
「篠田部長に抱っこしてもらって保健室にいけたし、保険医の先生がいなかったから手当てまでしてもらっちゃった」
えへへ、と頬を染めて話す舞ちゃんは、本当に嬉しそうだ。
篠田先輩が舞ちゃんを抱きかかえて保健室に連れて行ったのは、あたしも見ていたから知っている。
「それに、少しお話もできたし」
赤くなった頬を両手で押さえながらにこにこ微笑んでいる舞ちゃんだけど。
あたしなら、嬉しくない。
あんなツンケンした堅物と話しても楽しいことなんて何一つない。
「先輩、クールに見えて実はすっごく優しいんだよ。それで、笑うとちょっと可愛いの」
「……そうなんだ?」
「意外だよね。ファンがたくさんいるわけだよ…」
「へえ…」
それだけ聞いても信じられない。
あたしにとっての篠田先輩は、昨日の、図書室の一件以来、ものすごく嫌な人に位置づけされているんだから。
横柄で、すぐイライラして、偉そうで。
本当、嫌なやつ。
「どうかしたの、舞ちゃん?」
舞ちゃんは、さっきまでそれこそ文字通り舞い上がっていたのに、とつぜんショボンと俯いてしまった。
「……おーい?」
立ち止まってしまった舞ちゃんの、俯いた顔を下から覗き込もうとしたら。
「どうしよう。あたし、篠田部長のこと好きになっちゃったかも」
健康的に日焼けした頬を紅潮させて、舞ちゃんはあたしにの肩をぐっと掴んだ。
普段(と言っても知り合って数日だけど)勝気で爽やかに微笑んでいる目は、真剣そのものだった。
「え……」
「ファンの先輩たちの目は怖いけど…応援してくれるよね?」
「う…ん、まあ、いいけど…」
圧倒的な雰囲気に押されて、あたしはつい頷いてしまった。
別にあたしまで篠田先輩が好きってわけじゃないから、いいんだけど、こういうのはいまいち苦手なんだよね…。
恋愛って、わからない。
ドラマや映画でも、小説を読んでいても、どうしてそんなに人を好きになれるのか、その気持ちが全然理解できない。
好きな人に少しでも近づきたい。好きな人のことをもっと知りたい。取られたくないから束縛して、嫉妬もする。
なんでそんな気持ちになるのか。そういう気持ちにさせるのは何なのか。
映画で俳優さんが言う甘い台詞を聞くたびに、気持ち悪いと思った。
一度、友達にそれを言うと「それだけ女優さんのことが好きってことだよ! 素敵じゃない」と一笑に付されてしまったことがあるので、それ以来、思っても言わないことにした。
そんなだから、いくら顔が良くて(あたしにだって審美眼ぐらいは備わっている)成績が良くてスポーツ万能の陸上部長とはいえ、あんなに女の人がキャアキャアいって追いかけるのか、その気持ちがわからない。
そこまでして、一人の男の人を手に入れたいと思うものなのだろうか。
「くだらない」
好きな人の前ではお化粧もばっちりして、綺麗な服を着て、少しでも可愛いと思われたいものだというけれど。今日見たギャラリーの面々ははっきり言って異常だった。
本当に同じ高校生かと疑うぐらい化粧は濃かったし、制服だって、原型はとどめているけれど着崩しすぎだと思う。
そこまでするだけの価値は果たしてあるのだろうか。
彼のことを本当に好きなら、部活のときぐらいは練習に集中できるように計らうものだと思う。あんなに騒ぎ立てて、声援を送っていたら、集中できるものもできなくなってしまうじゃないか。それに、篠田先輩はともかく他の部員の邪魔だ。
好きで始めて、高校でも続けるつもりだった陸上部に入ろうかやめておこうか、真剣に悩むぐらい、あの中で練習をするのが嫌だと思った。
一日で十分。こりごりだ。
走るだけなら、部活に入らなくてもできるのだ。わざわざ入る必要もないじゃないか。
翌朝、学校に来ると悠美が一目散に駆け寄ってきた。
「よりちゃん、おはよう! ね、どうだった、昨日の部活?」
飼い主を見つけた子犬のように濡れた目をきらきらさせて走ってくる悠美はかわいい。
世の中の女の子がみんなこれだけピュアならいいのにと思う。
「おはよ、悠美。部活? うん、普通だよ」
「そんなわけないじゃない! 部長さん格好いいんでしょ?」
バシーンとあたしの腕の辺りを平手で叩くと、悠美は頬に両手を当てて期待の眼差しを投げかけてくる。どうでもいいけど、はたかれた上腕が痛い。丁度そこは、昨日の慣れない運動で筋肉痛になった場所だった。
「えー、まあ、格好良かったけど…」
「やっぱり? あたしも見に行きたかったなぁ。そうそう、篠田先輩って、去年生徒会長もやってたんだって」
「ふうん」
そのあと、悠美はあたしが訊ねてもいないのに篠田先輩の情報を知る限り教えてくれた。
聞けば聞くほど輝かしい経歴に、あたしはもうため息しか出てこなかった。
元生徒会長で、陸上部の部長でもあって、勉強もスポーツも出来る格好いい三年生。
いかにも女の子が好きそうなものを凝り固めて作りましたといった感じだ。
餌にたかる蟻みたいに、フェンスの外に出来ていた昨日の人だかりを思い出してうんざりした。
本当は、早いうちに仮入部して、そのまま陸上部に本入部してしまおうと思っていた。今日もしっかり部活用の着替えを用意してきたけれど、やっぱり行くのをやめようかどうか迷っていた。