act02
どこでどんな人と出会うのか、いつも予測できない。
素敵な人との出会いはいつでも大歓迎だけど、そうじゃないときは、はたしてどうする?
act02.出会いは偶然
図書委員の初めての会合は、委員会決めをした翌日だった。
自己紹介とか、仕事の内容の説明とか色々やったのだろうけど、実のところあまり覚えていない。
とにかくあたしの当番日は火曜日の放課後、というところだけ覚えて帰ってきた。
「依子ちゃんと当番別の日になっちゃったね」
残念、と言って少し肩を落とす悠美だったけれど、あたしも残念だった。
悠美がいれば、時々ならあたしが当番をサボっても快く受けてくれるはずだったから。
委員会だからしょうがないけれど、それよりも部活に専念したかった。
次の火曜日。
初めてカウンター当番をする日が来た。
図書室のカウンターからは、運がよいのか悪いのか、校庭全体をいい感じで見渡せる。
陸上部の人たちが早くも着替えてウォーミングアップを始めているのを横目に、あたしは改めて司書さんから仕事のやり方を教わっていた。
司書さんは優しそうな三十台ぐらいの女の人で、初めて図書委員をするというあたしのために、本の貸し出しや返却処理を一から教えてくれた。
けれど、それが終わると「ごめん、今日はどうしてもこの後予定があるの!」と言って、申し訳なさそうに帰ってしまった。
本当はもう一人、火曜日の放課後に当番になった人がいたはずなのに、まだ来ない。
と言っても、とっくに帰りのホームルームが終わっているはずの三時半だ。もう、今日は来ないだろう。
もう一人の人(どのクラスの誰なのかわからないけれど)が、悠美みたいな本好きな人なのを期待してたのに、初日からサボるような人だったらまず無理だろう。
あーあ、本当に運がない。
ぼんやり、頬杖をついて、校庭で練習を始めた陸上部を眺める。
いいなあ、あたしも早くああやって走りたい。
昨日の仮入部で久々に少し走ったの、気持ちよかったなぁ。
「あの」
突然、横から声を掛けられた。
「えっ?」
頬杖をついたままずっと横を向いていたから、カウンターの前に人が来たのに気づかなかった。
振り向くと、大人っぽい男の人がカウンターの前に立っていた。
手元には、何冊か本を持っている。
「…はい?」
「これ、借りたいんだけど」
カウンターにいる人としては間の抜けた返事をしてしまったからか、男の人はちょっと憮然とした様子で本を差し出してきた。
「あぁ、はい」
とりあえず受け取って、さっき教わったばかりの貸し出し処理をしようとする。
けれど、あまりにも予想外に声を掛けられてびっくりして、教わった手順を思い出せない。
なのにわたわたと手だけが動くものだから、きっと目の前の人も不振に思ったのだろう。
「…学生証なら本の上にあるし、貸し出しカードにももう名前書いてある」
頭上から聞こえてくるのは少しイラついた声で、そっと見上げると、さも早くしろよとでも言いたげな瞳とぶつかった。
おまけに必要な項目をぺらぺらと挙げてくれたおかげで、あたしは余計に焦って頭の中が真っ白になってしまった。
「はあ」
「とりあえず学生証。確認したなら返して」
高圧的な態度に圧倒されて、思わず手に取って見つめてしまっていた彼の学生証を返した。
どうやら三年生らしいことだけ、わかった。どうりで大人っぽいはずだ。
「……」
「大久保さんは?」
「…おおくぼさん?」
「司書の」
司書のお姉さん、大久保さんっていうのか。知らなかった。
「あぁ…司書さん、今日は用事があるとかって、さっき帰っちゃいました」
「そう。ならいいや。とりあえずこれ、早く貸して」
「…非常に申し上げにくいのですが」
この人、なんか急いでるみたいだし。
だからこそ逆に怒られちゃうかもしれないけど、ここは正直に言っておいたほうがいい気がする。
「何」
いちいち睨むのは、やめて欲しい。
「あたし、初めて図書委員になって、初めての当番で、貸し出しの仕方さっき教わったんですけど…どうやるのか忘れちゃって」
「……あ、そう。わかった」
一瞬、かなり呆れた顔をした先輩は、ひょいっとカウンターの中に入ろうとした。
「え、ちょっと」
あんまり図書委員じゃない人をカウンターに入れるな、と司書さんも言っていたし(こういうことだけはよく覚えている)どうにか行く手を阻もうとしてカウンターの入り口まで行って両手を広げてみた。
「いいから」
先輩はあたしの手などものともせず、肩を掴んで簡単にあたしをどかせると、さっきまであたしが座っていた椅子にどかっと腰掛けてしまった。
掴まれた肩が、微妙に痛い。
「あんたは図書委員だけど貸し出しの方法がわからない。おれは図書委員じゃないけど、何回も本を借りてるし、貸し出し方法だって知ってる。おまけに急いでる」
回転椅子ごとくるりと振り向くと、先輩はあっけに取られてるあたしを指差してそう言った。
「俺はさっさとこの本を借りて図書室を出て行きたい。それなら俺が自分で貸し出し処理をしたほうが何倍も早いし効率的だ。だから黙って見てて」
「……はあ」
言うことだけ言うと、先輩はカウンターに向き直っててきぱきと手を動かし始めた。
その手元はやたら慣れた感じがしていて、図書委員じゃないとは思えない。
けれど、この間の委員会の集まりにはこんな人、いなかった。いたら顔ぐらいは覚えているはずなのに、いなかったということは、この人は確かに図書委員じゃないのだろう。
黙々と作業を進める先輩の手は綺麗だった。
ちょっと男の人とは思えないほどほっそりしていて、でも骨ばっていなくて、指も長い。こういうのを芸術家の手と言うのだろうと思う。
俯いている横顔をちらりと覗き込むと、やっぱり目に付くのはほっそりとシャープな頬のラインだ。
髪の毛は今時珍しく全然染めていないのか、真っ黒だ。すっきりした、きつい印象の一重の目は今は伏せられている。
外見だけ見ると、格好よくないわけじゃない。
ただちょっと神経質そうで、あたしとは真逆のタイプなのだろう。
「終わり」
ぼんやり先輩を見つめているうちに、先輩はいつの間にか貸し出しの処理を終わらせて椅子から立ち上がった。
この人、背も高い。
あたしも低くはないはずなのに、間近にいるとかなりの角度で見上げなきゃ顔が見えない。
「あとはこのカード、しまっといて」
「あ、はい」
差し出されたカードには、先輩のクラスと名前が、やっぱり神経質そうな字で書き込まれていた。
「…三年二組、十五番、篠田瑞樹?」
思わずカードに書き込まれた内容を読み上げてしまってからはっとした。
たぶん、カウンターの中の人が、人の個人情報をこんなに大きな声で読み上げてはいけない。はず。
「人の個人情報をそんな簡単にばらすな」
鼻の頭にしわを寄せて、先輩がまたあたしを睨む。
「ごっごめんなさいっ」
「しかも呼び捨て」
はー、と、大きなため息がプラスされた。
「…ゴメンナサイ」
「もういいけど。次までにもっとマシになっとけよ図書委員」
最後に少しだけ笑って、篠田先輩はカウンターから出て、本を持ってさっさと図書室から出て行ってしまった。
よい印象の人、とは言えなかった。
カウンターにきた当初からイライラしてるし、勝手にカウンターの中に入ってくるし、初対面なのに睨んでくるし。
けど、あたしが忘れてしまった貸し出し処理を自分でやるといわれたときには少し安心もした。
確かに背が高くて格好良かったといえなくもないけれど、神経質そうだし、少なくともああいう人を彼氏にはしたくないと思った。根本的に合わなそうだ。
なのに、気になって仕方なかった。
その日、カウンターに来たのは篠田先輩一人だけだったから、ぼんやりと校庭を眺めながら考える時間だけはたっぷりあったんだ。