act01
憧れの高校に入って、可愛い制服に袖を通して。
ずっとずっと夢にまで思い描いていた高校生活。
それがこんなに最悪の形で幕を開けることになるなんて、思ってなかった。
act01.幕開けは最悪
「葛西。おーい、いるんだから返事しろよ葛西!!」
「んんー…」
遠くで、誰かがあたしの名前を呼んでいる。
誰が、どこから呼んでいるの? こんなに暖かくて気持ちよく寝てるんだから、邪魔しないでよ…。
「葛西依子! いい加減起きろ!!」
「…え?」
目を開けるとまず自分の手が見えた。
続けて体を起こすと、目の前には担任教師が立っていた。
「わっっ!!」
「わ、じゃねえよ葛西。どれだけ呼んだと思ってんだ」
怖い(というより呆れた)顔で、担任があたしの頭を出席簿で軽くはたく。
「いて」
「これぐらいで痛がっててどうする。初めてのホームルームで眠りこけてる奴が」
そうだった。今日の午後のホームルームは入学して初めてのLHRで、この時間に委員会や係を決めるって、今朝言ってたっけ。
「あー…」
「いい度胸だな。入学してまだ二日目なのにこんなに堂々と寝てんだから、お前はどの係になってもいいんだよな?」
さっき叩かれた場所がまだ痛む頭をさすりながら、あたしは必死の抗議をする。
「でも先生ー、この席殺人的に気持ちいいんですよ。誰だって眠くなっちゃう」
あたしの席は窓際の後ろから二番目だ。今日みたいに晴れた日は、午後になるとそれはもう日差しがさんさんと注いで、これ以上ないぐらいに気持ちいい。
「そうかそうか。先生にも気持ちはわかるぞ。だけどそれは、お前のくじ運の悪さのせいで、他の誰のせいでもない。眠いなら耐えろ」
「それは無理ぃ」
「知らんわ」
あたしと先生の掛け合いがそんなにおかしかったのか、クラス中の人がクスクス笑い出す。
酷いや。これがあたしの素なのに、そんなに笑わなくてもいいじゃん。
「んで、葛西。お前が寝てる間に他の委員会は全部決めたから」
「えぇー? ひどーい。なんで起こしてくれないの先生~」
「寝てるのが悪いんだろ」
「でも」
「でもじゃねえよ。とにかくお前は図書委員な、葛西」
そう言うと、担任はもう一度あたしの頭を出席簿で叩くと、教卓へ戻っていった。
「はぁい…って、図書委員ん~!?」
「そうだぞー。何が不満だ? 割と楽な委員会じゃないか?」
「そうですけどー」
確かに図書委員なら体力的には楽なほうだ。たぶん。
でも毎週カウンター当番やなにやらで貴重な放課後の時間がつぶされるし、その間ずっとかび臭そうな図書室で孤独に頬杖付いてなきゃいけないし、なによりあたしは本があまり好きじゃない。
図書委員なら、本好きな子がいくらでもやりたがるはずなのに、どうしてそういうのが最後に余ってるんだろう。もう、最悪~…。
「ま、頑張れよ」
時計を見ると、もうLHRの時間が終わろうとしている時間だった。
あたし、どれだけの間寝てたんだろ。昼休みが終わってからの記憶が全然ない。
しかも図書委員だなんて。
あたしの貴重な放課後が、委員会の当番ごときでつぶされるなんて。しかもこの先一年間ずっと!!
あーあ。誰か代わってくれないかなぁ…。
「依子ちゃん、よく寝てたねぇ」
休み時間になると、おなじクラスの増川悠美があたしの席に寄ってきた。
わりとおっとり目の子で、高校に入って初めて話をしたのがきっかけで仲良くなった。
「んー。だってこの席、日当たりよくて気持ちよくて」
「あはは。まぁ、気持ちもわかるけどね」
「でしょ?」
おかげで本当によく寝てしまったあげく、担任に怒られ、二度も出席簿で叩かれた。
しかも、二回目は角で叩かれたような気がする。くそぅ。ただでさえ固い出席簿の角なんかで女の子を叩くなんて。痛いんだぞ川島!!
「でも、そんなに嫌だった? 図書委員」
悠美が不思議そうに尋ねてくる。
きっと悠美だったら、本が好きだと言ってたから、喜んで図書委員にもなるのだろう。
「あたしはね。あんまり本、好きじゃないし。放課後に委員会で時間つぶされちゃうのも嫌だし」
「そっかぁ」
「悠美ちゃんは、どの委員会になったの?」
「あたしも図書委員。だから、依子ちゃんも一緒だったら楽しいなって思って、推薦したんだ」
あまり悪いともなんとも思っていなそうな笑顔で、悠美は教えてくれた。
犯人はここにいたのか…。
あまりにも明快な回答に、あたしは「そっか…」としか答えられなかった。
「それにしても依子ちゃん、川島先生との掛け合い面白かったー」
「あたしは恥ずかしかったけど」
「あんなふうに気軽に先生とも話できちゃうんだから、依子ちゃんはいいな」
「そう? 普通だよ。先生だって人間だし」
「それでも、だよ。あたし人見知りしちゃうし、目上の人だと思うとどうしてもかしこまっちゃって」
「ふうん? そんなに構えなくていいと思うけどな」
確かにあたしは人見知りなんてほとんどしたことがないし、どちらかといえば「物怖じしない」とよく言われる。
教師にだって平気な顔で悪態をつくことだって、ある。
それでよく、中学時代には目をつけられて「勉強だけできればいいわけじゃないんだ」なんてお説教されたことも少なくはない。
青華高校に合格が決まって報告に行ったら、当時の担任にはものすごく感動されて「頑張った甲斐があったな!!」なんて言われたけれど。大人だって、そのときの気分によって言うことがコロコロ変わるから面白い。
でも、そもそもあたしが勉強を頑張っていたのは、この青華高校に入るためでもあったから。そうやって喜んでくれる人がいることに悪い気はしなかった。
「あ、チャイム鳴ったね」
また後でねーと手を振って、悠美は自分の席に戻って行った。
確かに人見知りではあるけれど、一度仲良くなるとまるで飼い主に懐いた子犬みたいにこちらに来てくれるから、悠美みたいな子も可愛いと思う。
私立青華高校。
ずっと憧れてきた高校だった。
学力レベルも高いし、私立名門校としてかなり有名なのに校風として驕ったところがあまりないし。
なにより、制服が可愛い。これは私立高校の特権だろう。
あたしは国語や社会よりも数学・理科のほうが好きだし得意だったから、大学は理系に行こうと決めていたから、なおさら丁度よかった。
ほとんどエスカレータ式に青華大学に進学できるから。
青華大学は、理学部、工学部の二学部しかない、ほとんど単科大学のような場所で、だからこそ理系志望のあたしには夢のような場所でもある。
とりあえず高校に入学できてしまばこっちのもの。あとはそれなりの成績をキープしておけば、よっぽどのことがない限り大学にはいけるだろう。
そんな打算もあったけれど、とにかく中学時代のあたしはこの青華高校に入りたくて、したくもない勉強を頑張ってきた。
だから、高校生活はそれなりに楽しく過ごす予定で。
勉強もそこそこするけれど、放課後に友達と買い物したり、遊んだり。恋愛したり。
中学の時から続けてる陸上も、高校に入ってもやる予定だったから、図書委員なんて本当にありえないものだった。
走るのが好きだから、毎日だって走っていたいぐらいだから、放課後の大事な時間を、部活ではなくて委員会の当番なんかに費やさなきゃいけないなんて、考えられない。
入学して二日目にして、思い描いていた夢の高校生活が消えてなくなった気がした。
現実って、甘くない。
最悪の幕開けだ。