12
「アリスちゃ~ん。煙草の臭いなんかさせてどうしちゃったワケ~?」
午後に中学校へと戻った私を待ち受けていたのは、もはや顔の原型も分からないような化粧をした同級生たちからの呼び出しでした。
三人の妖怪たちに肩を組まれ、耳元できゃいきゃい騒がれながら歩かされた私は、いつの間にか体育倉庫に連れ込まれていました。
「最近午前しか学校来てないみたいじゃん?
「どこで煙草吸ってんの?」
「良い隠れ場所あんなら教えてよ~」
次々に喋りかけてくる彼女たちの顔からは、何が面白いのか分かりませんが笑顔が絶えません。
対する私はと言えば、しどろもどろになりながら抵抗の言葉を述べるばかり。
「これは私が吸ったのではなくてですね……」
「またまた~。しらばっくれなくてもいいのに!」
「ね~!」
私が何よりも動揺している最大の理由は、この会話が『シナリオ』内では無いということです。
あの操り人形になってしまったかのような嫌な感覚が全くせず、逆にそのせいで、彼女たちの笑顔の裏に潜む悪意をダイレクトに感じる事が出来ました。
「ここならセンコーも来ないしヘーキだって!」
「そーそー。今日からはアタシらと一緒に楽しもーよ」
彼女たちがめいめいマットや跳び箱に腰かける中、午後の授業が始まる鐘が遠くに聞こえます。
世紀末とはこのことを言うのでしょうか。
ご丁寧にも両開きの引き戸をロープで固定し、私を取り囲む彼女たちは、”そういう事”をやり慣れているのだろうと思いました。
「ほら、アリスちゃんも一本どう?」
彼女が差し出したのは最近CMでよく見る、若い人たち向けらしい煙草でした。
無論私たち中学生はそれに手を出すには若すぎるのですが、くるみさんと違って彼女たちには不思議と煙を吐き出す仕草がよく似合っていました。
恐らくはその年齢不詳というか人間かどうかも疑わしい顔面の所為なのでしょうけど。
「あの、今はお腹いっぱいでちょっと煙は吸えないんです……」
「アハハっ! アリスちゃん面白~い」
「はは……恐縮です……」
「で、アリスちゃんも一本どう?」
逃れられない無限ループに巻き込まれた私は、とうとうそれを受け取ってしまいました。
こんな小さな棒を口に咥えて火をつけるだけで、今の私は簡単に犯罪者になることが出来るのです。
「ほら早く。ライターはこっちが持ってるからさ」
「いやっ、あの……そう! そろそろ私も出席日数が危ないので、今日は授業に出ようかと思っていた次第でして……」
「何の授業~? 先生によっちゃ、ちょこっと補習受ければ赤点にはされないよ~」
「……へ? そんな制度ありましたっけ?」
「んもう、鈍いなあ。休みの日にその先生呼んで、『保健体育』の補習すんの!」
「○○ってば、おっさんみたい! まあアタシもそれやったけどさ」
「ジョーシキだよね~」
ゲラゲラゲラ、と笑いが体育倉庫にこだまします。
恐らく彼女の名前を呼んだであろう部分にノイズがかかり、私はそれを窺い知ることが出来ません。
彼女たちはこの世界においては名前すら与えられていないモブキャラ、ということなのでしょうか。
もはや私の肺は彼女たちが吐き出した煙で満たされ、むせ返るほどの息苦しさを感じます。
途端に全てがどうでもよくなりました。
何を今まで媚び諂っていたのでしょう
彼女たちは自分の利益のために、好きでもない人間に体を売りました。
私だって、本当に好きな人とだったらこの身を捧げても良いと思えるのです。それがたとえ、誰かが設定したシナリオであろうとも。
しかし私は兄が嫌いではありませんが、決して好きでもありません。もちろん身体を差し出す道理もありません。
その意志を絶対に曲げたくない。それが今こうして私が自我を持つ理由。
自分が定まった私とまるで対極に位置する彼女らとは、これからも決して相容れることはないだろう。
感覚ではなく頭でしっかりとそれを理解した時、私の足は自然と動き出していました。
「ちょっとアリスちゃん、どこ行くつもり?」
私は無言のままポケットへ煙草をしまって引き戸へ向かうと、少し太った彼女が通せんぼをするように立ち上がりました。
「体型にお似合いのポジショニングですね。さながら入り口を守るゴールキーパーですか?」
「……今なんつった?」
おデブさんが顔を赤くして戦闘態勢に入ったのを合図に、他の二人もリラックスムードから一転、睨むような目つきでジリジリと距離を詰めてきます。
さてここが私の大変悪い癖なのですが、このような展開を予測していたにも関わらず、私は彼女たちに対抗する手段を一切考えていませんでした。
密室において3対1という状況では普通の人でも分が悪いでしょうが、加えて相手は喧嘩慣れしていそうな三人。対する私はウサギ一匹捕まえる体力のない運動音痴。
(打つ手なし、でしょうね……)
せめて一人ぐらいとは刺し違えよう、と一歩を踏み出した瞬間、体育倉庫じゅうに金属音が響き渡りました。
何事かと思えば、鉄の扉が乱暴にノックされたのです。
「中にいるのは誰だ⁉ ここを開けなさい‼」
「やべっ、先生だ‼」
私に煙草を差し出したリーダー格と思しき女生徒が合図をすると、取り巻き二人は驚くべき敏捷さで光を取り込む窓から外へ逃げ出します。
最後に残った彼女は私を一瞥すると、続いて外へと脱出しました。
「面倒なことになりましたね……」
これでもかと面倒事を抱えている私がそう呟いても、決してバチは当たらないでしょう。
シナリオという強大な敵を前に、雑魚を相手にMPを消耗したくないのですが……。
しかし、作ってしまった敵は仕方がありません。
溜息をつきながら扉に固定されたワイヤーを外すと、怒りの形相をした先生がそこにいました。
「……吸い殻、煙、固定されたドア。何か言い逃れはあるかね?」
もはや弁明するどころか顔を上げる気力すら失った私はずっと下を向いていましたが、すっかり耳慣れてしまった、ここにいないはず人物の声が聞こえます。
「あのぉ~……私、窓から逃げていく生徒を見ましたけど……」
「何っ⁉ それは本当か⁉」
「ふぇっ⁉ は、はい‼ アリスちゃんがその人たちに連れていかれるのも見ましたぁ」
不快だったはずのあの甘ったるい声が、今は天の助けとなって私の味方をしていました。
その持ち主たる彼女は少し前まで見せていた大胆不敵な態度を引っ込め、すっかり元の優しくて少し臆病な少女へと戻っています。
先生はその報告を聞くと少し唸り、「後日詳しい話を聞く」と私に言い残して校舎の方へと去っていきました。
「くるみさん……どうしてここに……」
「はわぁ……良かったぁ~。アリスちゃんが誘拐されちゃったって聞いたから、心配だったんだよぉ?」
「……もう誰もいませんからキャラ戻して大丈夫ですよ」
「おっ、そうか?」
くるみさんはきょろきょろと辺りを見渡すと、嘆息して私の肩を小突きます。
「ったく、心配かけさせんじゃねェよ。せっかくの皆勤賞が台無しだぜ」
「それは申し訳ありませんでした。でも、ありがとうございます……本当に」
「礼なら詩織に言っとけ。アタシはセンコー呼んできただけだ。あいつらもたまには役に立つ」
「詩織さんに……ですか?」
「あいつ高校の図書室から、ここの体育倉庫に入るお前が見えたんだってよ。あのメガネのおかげで視力8.0ぐらいあんじゃねえのか?」
マサイ族かよ、と一人で突っ込みを入れて自分で笑う彼女とはとことん感性が合わないものの、先ほどまでの化物三人衆とはまるで違う、ある種温もりのようなものを私は感じていました。
それこそ「ふぇぇ」などと口走っていた頃の優しかったくるみさんと、何も変わらないほどに。
「それにしても、どうして彼女たちは私に話しかける事が出来たんでしょう? あの感じからするに、自我は持っていないはずですが……」
「よぅし、その辺は大ベテランであるところのこの由布山くるみ様が説明してやろう……と言いたいとこだが」
くるみさんは体育倉庫の物陰に向かって、「おい、出て来いよ。見てたんだろ」と告げました。
これで何度目でしょう。
「やあ」と、ひょっこり顔を出したウサギさんに殺意を抱くのはこれから何度も続く出来事なのだろう、と私はほっと嘆息したのでした。