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彼と私の境界線  作者: 篠井七紗
第七章
13/21

望まぬ再会

※少しですが、暴力表現があります。

 やっとのことで奮起して気持ちを告げようとしていた勇気が、しゅるしゅると萎んでいく。ヘルは変わらず私のことを見ていたけれど、駆け寄って来た少女に腕を引かれると、渋々といったようにそちらを見下ろした。

「なに」

 昨日もヘルに会いに来ていた、ツインテールの可愛い女の子──ヘルがリネリアと呼んでいたその少女は、ヘルの腕を引きながら、可愛らしく小首を傾げた。

「あのね、もうすぐβйεμаの実技試験があるの。ヘル、氷魔法得意でしょ? Эδκを凍らせるやつ、上手く出来ないから、教えて欲しいの」

 聞き取れない単語が混ざっていたけれど、多分、魔法の名前か何かだろう。きらきらと瞳を輝かせる少女を一瞥して、ヘルはにべもなく告げた。

「やだよ」

「えー、そんなこと言わないで、お願い!」

「ルーインに頼んで」

 ルーインの名前を出すってことは、この子もルーインのことを知っているのかな。……そりゃあ、そうか。魔術師だったら、知っていてもおかしくないか。

 少女はヘルの対応に、拗ねたように唇を尖らせた。

「ヘルに教えてもらいたいんだもん」

「俺は教えたくない」

 取り付く島の無い物言いにも、少女がめげる様子は無い。少女はぐいぐいと、ヘルの腕を引く。

「おーねーがーいー。ねえ、ねえ」

 ヘルは小さくため息を吐くと、再び私を振り返った。

「ハンナ」

「へ?」

 すっかり第三者の気分で二人のやりとりを見ていた私は、突然水を向けられて、反射的にびくりと肩を震わせた。

「なにか、言いかけてたけど」

 エメラルドグリーンの瞳が、じっと私を見つめている。ちらりとその隣を見ると、アクアマリンの瞳が、まるで睨みつけるように私を見上げていた。その目には何故か、ぎらぎらとした敵意のようなものが宿って見える。そういえば、この前もこんな風に睨まれていたような気がする。

 ──……もしかして、私、嫌われている?

「う、ううん。なんでもないから、気にしないで」

 私は慌てて、顔の前で両手を振った。一度萎んでしまった勇気をもう一度奮い立たせるのは至難の業だったし、それに何より、隣にあの少女がいる状況で気持ちを告げる勇気は無かった。

 ヘルはいくらか不思議そうだったけれど、私に何も言う気が無いことが分かると、踵を返して噴水の方へと歩いて行った。勿論、少女はヘルの傍にくっついたまま、同じように噴水の方へと去って行った。


 どこか拍子抜けしたような気持ちで、ヘルと少女が遠ざかっていくのを見送っていると、徐々に我に返って恥ずかしくなってきた。

 告白するにしても、仕事中に言おうとするなんて、どうかしていた。あの女の子が来てくれて、良かったのかもしれない。いくらか冷静になった頭でそんなことを思いながら、ふと隣に目をやると、ライラはまるで睨みつけるような目で去って行く二人の背中を見つめていた。

「……一体何なの、あの子!」

 ライラはなんだか、ひどく憤慨している様子だ。

「え、えーっと、魔術師見習いの子、かな、多分」

 はっきり聞いたことは無いけれど、ヘルに魔法を教えて欲しいと頼んでいたということは、恐らくそうなのだろう。私がそう告げると、ライラはふくれっ面で私の方を見た。

「どういうつもりなのかしらね。まるで見せ付けるみたいにべたべたくっついて、いやな感じだわ!」

 見せ付けるみたいに……って、え、そうなの!? それって、私にってこと? なんで!? 愕然とする私に、ライラは呆れたように息を吐いた。

「もう、なんでそんなに呑気にしてられるの? ハンナは腹が立たないの?」

 ──あの子がヘルにくっついている姿は、正直見たくない。あの子がヘルにねえねえと呼び掛けるたびに、胸の奥にもやもやとしたものが溜まっていくような感覚を覚える。だけど、それが怒りかと問われると、何か違うような気がする。どちらかといえば、悲しみに近い。

 第一、あの子がヘルにくっついていようが、二人が親しくしていようが、第三者である私に、腹を立てる権利など無いのだ。


 その後、ヘルと少女は暫く広場で話していたようだったけれど、そのうちに少女はいなくなり、ヘルはいつものように、一人で魔術書を読んでいた。

 そしてヘルは日が傾いた頃にはもう、広場から姿を消していた。以前なら城に帰っていたのと同じような時間帯に、帰ってしまったのだ。

 昨日、明日から一人で帰れる、と言われていたから、分かりきっていたことだ。それなのに、人の居なくなった噴水の辺りに目をやると、なんだか寂しいような切ないような、なんとも言えない気持ちに支配されたのだった。




 閉店後、ライラはどこか気遣わしげに「あの女の子のこと、気にしない方がいいわよ」と声を掛けてくれた。ライラが心配してくれているのが嬉しくて、私は笑って大丈夫だよ、と返した。気にならないと言えば嘘になるけれど、ヘルと彼女の関係に、口を挟む権利なんて私には無いのだ。

 私は誰も居なくなった広場を見て、小さくため息を吐いた。それから、重い足取りで家に向かって歩き出す。昨日まではあっという間のように感じられた家路は、きっと今日からは長く感じることになるのだろう。

 もう一度ため息を吐き、家に向かう角を曲がる。

 その瞬間、私は驚きのあまり引きつった声を上げた。

「ひっ!」

 正面に、仁王立ちの女の子が立っていたのだ。高い位置で二つに分けて結われた、キャロットオレンジの柔らかそうな髪は、風にふわふわと揺れている。勝気そうなアクアマリンの瞳は、私をきっと睨みつけている。

 ──そう、ヘルがリネリアと呼んでいた、あの子だ。

「ちょっと、お化けでも見たみたいに、変な声出さないでよ!」

 少女は挑むような目で私を見据えると、むっとしたように言った。

「あなた、ヘルのなんなの!?」

 なんなのって言われても、答えようが無い。もう他人では無いと思うんだけど、友達……なのかな? それともヘルの中では、今でもただの店員と客……?

「知り合い……かな?」

 悩んだ挙句にそう答えると、少女は馬鹿にされたとでも思ったのか、ぐっと眉根を寄せた。

「そんなことは分かってるの! ねえ、なんでヘルに名前で呼ばれてるの!?」

「なんでって言われても……」

 親しくなったから、ってことだよね、多分。でも、彼女がそんな答えを求めている訳じゃないことは、火を見るより明らかだった。確か、彼女自身もヘルに名前で呼ばれていたような気がするけれど、自分以外の女の子が、ヘルに名前で呼ばれているのが気に食わない、ってことだろうか。

「ヘルはあなたのことなんて好きじゃないんだから!」

 彼女は突然、泣き出しそうな声でそう叫んだ。急に大きな声を出したものだから、通りすがりの人々が、ぎょっとしたように私たちの方を見やる。

 なんだか、目立っている。少女もどうやらそのことに気がついたようで、さっと頬を赤らめると、私の腕をぐいと掴んだ。

「ちょっと来て!」

 私を引っ張るようにして少女が向かったのは、人気の少ない道だった。以前私が近道として使っていた道で、あの二人組みに声を掛けられた場所でもある。その場所に着くなり、ルーインの言葉が脳裏を過ぎったけれど、結局あの人たちは人攫いじゃなかった訳だし、別段ここが危険なわけでもないだろう。

 ──でもやっぱり、あまり人気の無いところにいるのは良くないかもしれない。

「ねえ、えーっと……、話があるならうちで聞くから、ここは離れない?」

 私がそう口にすると、彼女は気分を害した様子で声を荒げた。

「なんで!? なんで私があなたの家に行かなきゃいけないの!?」

 大声を張り上げる彼女の眦から、涙がぽろぽろと零れ落ちていく。い、いきなり泣き出しちゃったのはどうして? 家に呼んだのがまずかったの? 戸惑う私をよそに、少女は乱暴に目を拭いながら、大きな声で言った。

「私の方がずっとヘルのこと好きだったんだから! 第一あなたは、もうおばさんじゃない! ヘルとは全然、全然、つりあってない!」

 その言葉は、ぐさりと私の胸を貫いた。

 ──おばさん、か。そっか、そりゃあ、そうだよね。十二歳くらいの子から見たら、私なんかおばさんに見えるんだろう。

 やっぱりヘルの目にも、私はそんな風に見えてるのかな。

「私の方があなたより、ずっとヘルに──」

 ふいに、少女の言葉が途切れた。少女は口を開きかけた状態のまま固まるようにして、私の背後をじっと見ている。彼女の目線を追うように振り返った私は、いつの間にか背後に立っていた人影を見上げて、小さく息を呑んだ。

 そこに立っていたのは、以前ここで私に声を掛けてきた、あの二人組みだった。

「──おい、やっぱりそうだ。こいつ、この前の女だよ」

 男の一人が、吐き捨てるように言った。なんだか嫌な予感がした私は、咄嗟に少女の腕を引いて、大通りに向かって走り出そうとする。けれど目に涙を浮かべたままきょとんとしている少女は、私の思惑を理解してはくれなかった。走り出そうとしない少女を引っ張るよりも早く、黒髪の男が私の腕を掴む。

「あの時の礼がまだだったよな? 壁に打ち付けた背中の痣、まだ痛むんだけどよ、どうしてくれんだよ?」

 やっぱり、あの時の二人組みで間違いなかったみたいだ。男は憎しみの篭った目で、私を見下ろしている。

 ひっ、と怯えたような声を上げた少女が、緩く掴んだままだった私の腕を振り払い、逃げ出そうとする。けれどそれよりも早く、もう一人の赤毛の男が少女の両腕を掴んでいた。

「おっと、逃げんなよ」

 腕を掴まれた少女は、怯えた目で男を見上げている。私は思わず、空いている方の手で赤毛の男の手をはたいた。

「ちょ、ちょっと! その子は関係無いんだから、離して!」

「っ、触るんじゃねえ!」

 赤毛の男は大きく舌打ちし、私を突き飛ばした。よろけた私を、黒髪の方の男が受け止める。

「どうする、この女。殴れば気ぃ済むか?」

 殴る、って──。

 びくっとして肩を震わせた私を、黒髪の男は睨みつけるような目で見下ろしている。

「いや、俺、いい使い道を思いついたんだ」

 赤毛の男は、ちらりと少女を見下ろすと、

「お前、魔術師だろ」

 と問い掛けた。少女は一瞬目を泳がせたものの、すぐに首を縦に振った。

「やっぱりな。……この女、この前見かけたときも、あの魔術師のガキ連れてたんだ。きっとイイトコのお嬢様だぜ」

「は?」

 私を拘束している男が、呆けたような声を上げた。そのままさっと私の全身を見下ろすと、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「こいつのナリを見ろよ、どこをどう見ても、垢抜けないただの町娘じゃねえか」

「いや、そういう振りに違いない。々《・》の生活でも体験して楽しんでるんだろ。じゃなけりゃ、いつもいつも魔術師を連れて歩いてる説明がつかねえ」

 ど、どういうこと? 私のことを、貴族か何かのお嬢様と勘違いしてるっていうこと? 見当外れな言葉の意味が理解できない。ただただ呆然としていると、少女の腕を掴んだままの赤毛の男は、唇の端を歪めて笑った。

「こいつを誘拐して、こいつの生家に身代金を要求してやればいいんだ」

 えっ───!?

「ち、違う! 私、貴族のご令嬢なんかじゃない! 離して!」

 私の腕を掴んだままの手を、振り払おうともがくけれど、男の手はびくともしない。

「こいつが金持ちのお嬢様、なあ。とてもそうは見えねぇけど」

 私を見下ろした黒髪の男は、馬鹿にしたような口調で言った。

「違ったら、そのときはそのときだ。売り飛ばしたら高級食用鳥(ペーオン)の一匹くらいは買えるだろうよ」

 赤毛の男は、世間話をするような気安さでそう告げた。私はぞっとして、身体がぶるりと震え上がるのを感じた。

 どう、しよう。

 どうしよう。

 どうしたらいい? どうしたら助かる? 逃げられる?

 ふっと顔を上げたら、怯えたような目で私を見ている少女の姿が目に入る。彼らの狙いは、私への復讐だ。だったらせめてどうにかして、彼女だけでも逃がしてあげないと……!

 私は意を決すると、震える唇を開いた。

「わ、分かった。あなたたちについて行く、から、その子は離してあげて。その子は私とは、関係無いの」

「うっせえな、お前の意見なんざ聞いてねえんだよ。黙ってろ」

 二人の男は、私の言葉を無視して、私と少女を引きずるようにして歩き出す。このまま大人しくついて行ったら、本当に売り飛ばされてしまうかもしれない。

 やけになった私は、腕を掴む男の手を思いっきり噛んだ。

「……っ! 何しやがる、このクソが!」

 黒髪の男が、舌打ちとともに振り返る。それと同時に、お腹に衝撃を感じた。みぞおちを殴られたのだ、と理解するよりも早く、私の意識は闇に飲み込まれていった。

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