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彼と私の境界線  作者: 篠井七紗
第六章
11/21

別れの言葉

 次の日の朝、ライラは幸せそうなオーラを振りまいていた。よっぽど昨日のラーネ・フェステが楽しかったのだろう。かく言う私も、ヘルと過ごすことが出来て楽しかった。昨日貰ったニーネソランの花は、チェストの上に飾ってある。今思えば、あの花の存在にエッジが気付かなくて良かった。花を貰ったことを知ったら、エッジのことだからまた何かやいやい言うに違いない。

 確かに昨日は楽しかった。すごく幸せな時間を過ごせたと思う。それなのに、その気持ちに水を差すように、エッジの言葉が蘇ってくる。


 "三つも下のガキとか、それ犯罪だから! 勘弁しろよ! だいたい、あいつ見た目からしてまだガキじゃんか!"


 ひどい言い様だとは思う。でも、エッジの言うとおりなのかもしれない。私だって、私と同年代の友人が、エッジのことを好きだと言い出したらびっくりするもの。

 やっぱり、私がヘルに対してこんな気持ちを抱いているのは、おかしなことなのだろう。本当は、さっさと諦めるべきなんだと思う。

 でも、諦めようと思って諦められる気持ちなら、とっくの昔に諦めている。いつまでもうじうじと、こんな風に悩んだりはしていないはずだ。

「ハンナは昨日、どうだったの? 結局、あの子には会えなかった?」

 お客様のいない隙を見計らって、ライラはそう訊ねて来た。私は小さく頭を振った。

「ううん、あの後で会えたよ」

 花を挿してもらったことや、一緒にケネンシェを食べたことを話したい気持ちもあったけれど、ライラにまで引かれたらどうしよう、という思いも強くて、結局何も言い出せなかった。

「良かったじゃない。それで、どうだった? ちょっとくらい話せたの?」

 何故だか興味津々といった様子で身を乗り出してくるライラに、なんて返そうかと悩んでいたら、丁度視界の隅に、歩いてくるヘルの姿が映った。私はこれ幸いと、先回りしてマスターにオーダーを通し、カウンターの前に立った。

「ごめん、お客さん来るから、後でね」

「もう、ハンナったら」

 ライラは拗ねたようにそう言った後で、ちらりと広場の方へ目を向けた。近づいてくるのがヘルだと気付くと、なんだか人の悪い笑みを浮かべて、私のわき腹を肘で小突いた。

「休憩行ってきまーす」

 気を利かせてあげるよ、ということなのだろう。なんだか恥ずかしくなって、私は裏へ下がろうとするライラの背中を軽く叩いた。ライラはくすくす笑いながら裏へ引っ込んでしまった。

 そうこうしているうちに、ヘルはカウンターのすぐ前までやって来ていた。

「おはよう、ヘル」

 私が声を掛けると、ヘルは無表情に私を見上げて、

「もう昼だけど」

 と冷たい台詞をよこした。

「えっと、じゃあ……こんにちは。今日もフルーブでいいの?」

 私がそう言い直すと、ヘルはうん、と頷いて、カウンターに銅貨を置く。先にオーダーを通しておいたフルーブは、幾許も経たない内に完成し、マスターのところから私の手元にまわってきた。それをヘルに渡そうとした瞬間、広場の方から大きな声が飛んできた。

「ヘル!!」

 その声にはっとして、私たちは殆ど同時に広場の方へと目を向ける。高い位置で二つに結った髪をぴょこぴょこと揺らしながら駆けて来たのは、見覚えのある女の子だった。

 以前、噴水のところでヘルに声を掛けていた子だ。──他人は名前で呼ばない、と言っていたヘルが、"リネリア"と、名前で呼んでいた女の子。

 ヘルは確かに彼女の姿を認めたはずなのに、すぐに関心を失ったように目線を私の方へと戻した。

「ちょっとー! 無視しないでよ!!」

 拗ねたような声を出して、少女がすぐ傍まで駆け寄って来る。彼女はヘルの腕を掴んだ。少女の胸につけられたブローチの石が、陽の光を反射してきらりと光る。

「さっきからずっと繋いでるのに、どうして開いてくれないの!」

 少女が頬を膨らませながら、意味の分からない言葉を放つ。だけどヘルは聞き返すことはせず、隣に立った少女を一瞥した。

「なんなの」

 ヘルには、少女の言葉の意味が分かったのだろうか。

「ニイがすぐお城に戻ってきてって!」

 少女がヘルの腕を引っ張ると、ヘルは少女の手を反対の手で払いながら、怪訝そうに言った。

「なんで」

「分かんない! でも、急いでって」

 少女の言葉に、ヘルは諦めたように息を吐いた。

 ニイって言うのは、一体誰だろう。

 ううん、それよりも、この少女は一体誰なんだろう。前に見かけたときには、魔法の話をしてたような気がするから、魔術師見習いなのかな。ヘルとは同僚みたいなもの、なんだろうか。

「……ねぇ」

 ヘルとはどういう関係なのかな。繋いでるのに開いてくれないって、どういう意味だろう。訳の分からないことばかりで、何だか胸の辺りがきゅっとする。心臓を軽く掴まれたみたいな、なんだか嫌な感覚だ。

「……ハンナ?」

 ヘルは今から、この子と一緒にお城に戻るのかな。ニイって人と三人で、一体何の話をするのかな。そんなの私には関係の無いことなのに、なんだかやけに気になってくる。

 振り払われたにも拘らず、めげずにもう一度ヘルの腕を掴もうとする少女の手を、私はぼんやりと見つめていた。少し丸みの残る白くて小さなその手は、可愛らしい子どもの手だ。

「ハンナ!」

 大きな声で名前を呼ばれると同時に、手首を掴まれて、私ははっと我に返った。ヘルは怪訝そうな目で私を見上げていた。

「潰れる」

「え?」

 何が潰れるのか、と思って、はたと目線を下ろす。私の手の中で、フルーブをくるんだ紙がしわしわになっていた。いつの間にか、フルーブを持った両手に力を込めてしまっていたらしい。

「ご、ごめん! すぐに新しいの作ってもらうから」

 慌てて引っ込めようとした私の手の中から、ヘルがフルーブを攫っていく。

「いい」

 微かに触れた手にどきりとしたけれど、ヘルは平然とした顔をしている。どきどきしているのは、私だけなんだろう。

 いつものことだ。

 ──分かっているけど、少し寂しい。

「ま、待って、新しいのちゃんと作ってもらうから、それは返して」

 手の中で潰してしまったものを、お客様に渡すわけにはいかない。このフルーブは後で私が買い取ろう。そう思ってヘルの手から奪い返そうとしたけれど、ヘルはすっと手を退けて、頭を振った。

「紙だけだからいい」

「でも……っ」

 どうやら中身までは潰れていないから、これでいいということらしい。私はなおも食い下がろうとしたけれど、ヘルはさっさと踵を返して、城の方へと向かって行ってしまった。

 今日は噴水のところへ行かないようだ。少女はヘルのことを呼びに来たみたいだし、ヘルは彼女と一緒に王城に帰るのだろう。

 ヘルの隣に立っていた少女は、ふっと顔を上げると、何故だか睨みつけるような目で私を見た。その目には明らかな敵意が篭っていて、私は反射的にびくっとしてしまう。少女はふんっと言わんばかりに勢いよく顔を逸らすと、大きな声を上げながら、ヘルの後を追いかけて行った。

「ちょっと、置いていかないでよー!」

 少女はヘルの隣に並ぶと、再びヘルの腕を掴む。ヘルは今度は、その手を振り払わなかった。

「ねえねえヘル、ねえねえ、私この前言ってた防御魔法使えるようになったんだよ」

 少女は声を弾ませながら、ヘルに話しかけている。

「……暑苦しい」

 腕をぐいぐいと引っ張られたからか、ヘルは煩わしそうに少女の手を振り払った。

「暑苦しいってなに! ひどい!」

 邪険にされているのに、何故だか少女は嬉しそうに笑っている。幸せそうな顔をしてヘルにくっついている彼女は……もしかして、ヘルのことが好きなのかな。彼女の言動には、ヘルへの好意が滲み出しているように思える。

 もし、彼女がヘルのことを好きなのだとしたら、ヘルの方はどうなんだろう。ヘルは彼女のことをどう思っているんだろう。ヘルよりも背が低くて、小さくて、可愛らしい女の子。他人は名前で呼ばないと言っていたヘルが、名前で呼んでいた女の子。

 以前常連のお客さんが言っていた、「あの子は彼女かしら」という言葉が、頭の中をぐるぐると回り出す。もしもヘルと並んで歩いているのがあの子だったら、花売りの少女だって、迷わずにバスケットを持って近寄って来るのだろう。きっと誰の目にも"可愛らしいカップル"に見えるに違いない。以前、私自身が口にしたその言葉が、胸に突き刺さってくるようだった。

 私とヘルが並んで歩いていても、カップルには見えない。友人どころか──、姉と弟にしか見えないだろう。当たり前だ。私たちは、三つも歳が離れているのだから。

 どうして。

 どうして私は、ヘルよりも年上なんだろう。

 どうして私は……、ヘルのことを好きになっちゃったんだろう。

 何度考えたって答えなんか出るはずも無いのに、気付けばまたそんなことを考えていた。




 休憩の後戻ってきたライラに、ヘルとは何か話が出来たのかと聞かれたけれど、私は別に何も、というのがやっとだった。今日は噴水のところにいないのね、と不思議そうにしているライラに、仕事があるみたい、と答えると、ライラはどうやら忙しくて話も出来なかった、というように解釈してくれたようだった。それが間違いとも言い切れないので、私は否定しなかった。

 本当は、全部話してしまいたいような気もした。苦しいこの胸の内を、聞いて欲しいような気がしたのだ。でも、ヘルのことが好きだということすら話せずにいるのに、幼い女の子相手にやきもちを妬いて苦しくなった話なんて、出来るはずも無かった。

 その後、私は何度も広場の噴水のところを確認したけれど、ヘルが戻ってくる気配は無かった。閉店の準備を始めるような時間になっても、ヘルが姿を見せることは無かった。

 今日はもう戻って来ないのかもしれない。カウンターを拭きながら、無意識のうちにため息を零す。ヘルはまだあの女の子と一緒にいるのかな。二人は一体、何をしてるんだろう。二人が一緒にいる姿を想像したら、それだけでまた胸が締め付けられるように苦しくなった。

 閉店の作業を終え、ライラと別れて帰路に着く。未練がましく、最後にもう一度広場の方に目を向けたら、ヘルはまるで何事も無かったかのように、いつもの場所に座って魔術書を読んでいた。

 びっくりして一瞬硬直したものの、迎えに来てくれたんだ、と気付いた瞬間、心の中がふんわりと暖かくなっていく。胸の中のもやもやしたものが一気に晴れたような気分になって、私は小走りで駆け寄った。

「ごめんね、来てくれたんだね」

 ヘルの前に立ってそう声を掛けると、ヘルは何も言わず、いつものようにぱたんと本を閉じて立ち上がった。私は歩き出したヘルの隣に並ぶ。

 ヘルの様子は、いつも通りだ。まるで今日もいつものように、昼からずっと噴水のところに座っていたみたい。でも、ついさっきまでそこにいなかったことを、私は知っている。

 ここまでヘルを迎えに来たあの子とヘルは、どういう関係なんだろう。あの後、一体何をしていたのかな。聞きたいことはいっぱいあったけれど、そんなこと聞けるわけも無かった。

 他に何か、無難な話題は無いだろうか。必死で探すのに、頭に思い浮かぶのはあの少女のことばかりで、何一つ話題が出てこない。私はもう諦めて、ただ黙っているしかなかった。

 相変わらず、ヘルの方から話題を振ってくれるようなことは無い。私たちは無言で歩き続けて、いつの間にか私の家の前まで着いていた。

「ごめんね。ヘル、ありがとう」

 いつものように、送ってくれたことへのお礼を告げる。それから、いつもならふいと背を向けたヘルが去って行くのを見送るのだけれど、ヘルはいつもと違って背を向けず、私の目を見ておもむろに口を開いた。

「──捕まったって」

「へ?」

 捕まったって、何が? 疑問符を浮かべる私をよそに、ヘルは目線を斜めに逸らすと、無感動に告げた。

「明日から一人で帰れる」

 明日から一人で帰れるって、どういう意味? 送ってくれるのを、止めるということ──?

 一瞬疑問に思った後で、もしかして、と唐突に理解する。

 もしかして、以前私をナンパしてきたあの二人組みの男性が、捕まったということだろうか。もしそうなら──彼らが捕まったということなら、良いことだ。喜ぶべきことだと思う。なのに、私の胸には、じわじわと悲しみが広がっていった。

 そもそもヘルが私を家まで送ってくれるようになったのは、彼らがヘルや私を逆恨みして危害を加えてくるかもしれないから──という理由からだった。彼らが捕まったということは、ヘルが毎日私を送ってくれていた理由が、失われてしまったということだ。ヘルにかける負担が無くなることは嬉しいことのはずなのに、私の気持ちはどんどん沈んでいく。

「……そうなん、だ、良かった」

 浮かべた笑顔は、きっととてもぎこちなかっただろう。けれど、私の顔をじっと見たヘルは、何も言わなかった。ただ一つ頷くと、あっさりとした別れの言葉を口にした。

「うん。......じゃあね」

 それから、踵を返して去って行く。

 いつだって黙って去って行くヘルが、別れの挨拶を口にしたのは、それが初めてだった。

 もしかしたら、ヘルにとっては深い意味は無かったのかもしれない。だけどその言葉が、私には重く圧し掛かってくるようだった。

 これからもう送ってもらう必要が無いということは、私とヘルとの繋がりが一つ、切れてしまったということでもあるのだ。

 これからもヘルは、フルーブを買いに来てくれるかもしれない。

 だけど、もう帰りに待っていてくれることは無いのだ。まともに会話なんてしてくれないヘルと、店で会うだけの短い時間のやりとりで、一体これ以上どうやって仲良くなればいいのだろう。

 ──私達の関係は、今までのことなんて何も無かったみたいに、またただの店員と客に戻ってしまうのかな……。


 考えただけで、心臓を握りつぶされたみたいに苦しくなる。

 そんなの、嫌だ。絶対に、嫌だ。


 でも、その方がいいのかもしれない。

 関わりがなくなってしまったら、今度こそ諦められるかもしれない。ううん、かもしれない、じゃなくて、いい加減諦めなくちゃならないんだ。

 これはもしかしたら、今度こそきっぱり諦めろって、女神ラーネ様が仰っているのかもしれない……。

 私は去って行くヘルの後姿を見つめながら、ヘルに笑いかける、幼い少女の姿を思い返していた。

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