第1 衝動事件 7.
7.
同日、十五時十二分。
柳井警部補は相方と一緒にマル害である少年の通っていた大洲小学校の校長室に通され、三人用の黒々とした革張り応接長椅子に座り、両足を揃え落ち着かない素振りの校長代理として応対する教頭の大山と向き合っていた。
衝撃の事件が発生して翌日ということもあり、授業らしい授業が行われず生徒達を早々に帰宅させている。職員室では教職員達が全員集まり、昨日の事件の応対等で大慌てしており、ざわついていた。
校長の三ヶ尻は大分市の教育委員会へ出向き、状況報告と今後の対策を講じる為に留守だった。いや、恐らく居留守だと推測している。教頭の大山が校長不在を下手な嘘で弁明しているのが手に取るようにすぐに分かった。
先ほど職員室の窓越しにテレビ局の取材陣が校庭の木陰でカメラを固定し始めていた。事態の変化を待ち構えているようだ。
校長室に通されてから大山は要らん世間話をもったいぶって話す。本題に入ることを拒むのかのように自分のペースで話し、なかなか本題に入ろうとしない。
痺れを切らした柳井がいい加減に切り出す。
「この度は――」柳井が言いかけた時、「で、刑事さん。米沢君は本当に殺害されたのですか?」白々しく話す大山。話を遮り、訊こうとしない。
「いえ、今のところはまだ、なんとも」
「そうですか。早く犯人を見つけて下さい。米沢君のご両親の気持ちを考えると無念でなりません。本校並びに父兄を代表してよろしくお願いします。我が校の生徒がこんな形で知れ渡るたことにおいても」大山は他殺と決め込んでいるようだ。それに煩わしくせっかちな男だ。子供が殺されたと言うのに自分の立場を気にしている事も気に食わない。
「はい、わかりました。――で、米沢君の日頃の様子はどうでしたか? 何か変わったことなどなかったですか?」
柳井は警察手帳を捲り、大山の話を待っている。
大山はお茶を啜ると両肘をソファーに置き、真摯な目つきをして、いや、目つきの振りをしてだろう。
「ええ、担任の山村教諭から報告では、誰にでも好かれ、成績も良い生徒でした」横に座る山村に確認するように話しかける。
「まあ、うちの学校は歴史有る学校で、米沢君もその優秀な生徒の一人です」
このような状況でも学校の立場しか頭にないのか。
「そうですか。じゃ、山村先生は何か気付かれたことないですか? 些細なことでも結構です」傍らにいる山村へと柳井は質問をする。
「え、そうですね……」
「何かあったかね」覚束無く口を開こうとする山村を覗き込みながら大山は割って入る。
「いえ、特にこれといった、思い当たる事はなかったと思います」ボソッと言う。
「刑事さん。ね、特に何も無いでしょ」大山が念を押すように復唱する。
「では、他の生徒の変化や会われた父兄とか、ここ最近気付かれた事は?」
「いや、何も無いと思いますが……」少し間があってチラッと横目で大山を見てから返事をする。
この教諭、教鞭をとるにしては歯切れの悪い曖昧な返答をする人物だと思った。いや、教頭の顔色を気にしながら返答しているのがありありだ。
「そう、私も特にこれといった事は何も無かったですね。PTAや父兄も教育委員会にも別段無いと思いますがね」
またしても何もない、と連呼する大山。
「そうですか」柳井は山村に目を遣り確認するように頷く。
「刑事さん、米沢君に関わるような事は学校内では全くないですよ。それは担任の山村先生と私が保証します。ましてや小学生で人からの恨みも虐められているなど決して有り得ませんね」
山村は黙ってうんうんと小さく頷くだけだ。
「あの、教頭先生」柳井は眉を顰める。
「ええ、はい。何か?」
「米沢君が虐めにあっているとは一言も言ってませんが、それらしい事があるのですか?」
「そんなことある訳じゃないですか。うちの学校に限って」大山は、短く息を呑むのが解かった。
大山は今の発言を別の話題とすり替えるように長々と学校に関する歴代校長の話から市、県での表彰歴も付け加え自慢げにペラペラと話した。
「教頭先生、ありがとうございました。歴史ある大した学校で御見それいたしました」柳井は嫌味っぽく付け加えた。
「あ、そうだ。先ほど虐めとか、何とか言ってませんでした?」思い出したように探る。
「え、あ、いえ、そうですか」つい、気を許して口走ったといった感じだ。
「確か、御校の話の前にそんなことを言いませんでしたか?」
「いえ、まあ、そうでしたか」しどろもどろになりかかる大山。
「じゃ、虐めがあった、――と言うことですか?」
「いえ、まあ、そんな事は無かったと思います。その辺は担任が、ただ……」しどろもどろに答える。
暫く無言になる大山。
「ただ、どうしました?」
返答に困りかける大山の横で上村は尻のポケットからハンカチを取り出し額と首辺りを拭う。
「教頭先生、もう少し詳しく先ほどの『虐め』らしからぬお話を」
柳井は大山を見据える。
大山は喉に唾が絡むような粘りっぽい咳払いをした。
柳井は上村の口が開く事はなさそうなので、大山へと視線を向けたまま口を開くのを待っている。言わないとこの場からは決して離れないぞ、といった視線で威圧する。蛇が蛙を睨みつけるような眼光で。
「ただ、山村先生からは校舎の裏で同級生に囲まれている米沢君を見かけたらしい、とか言ってましたか、な……。以前訊いた事があるような、無いような。――うほん」よそよそしく話をはぐらかそうと咳払いをして口を開く。
「それは何時の話ですか?」
「たしか……、今年の夏頃ですか、ね。まあ、解決ですよ、解決」また呑気な口ぶりになる。まるで他人事のような口調で答える。お宅の生徒が殺されたというのに、学校の立場を気にしているより、自分の将来を気にかけているのが本音だろう。ほんと惚けた男だ。
本当に大山という男は教頭の威厳も無く、ダサい男だ。柳井本人、刑事である以上私情を挟む事はあってはならないが、この手の男はいけ好かない。墓穴を掘るような事をボロボロと言うのも情けない。よくもまあ、これで教頭が務まるものだ。だが、こちらとしてはこの手の男は好都合。この調子で捜査報告になる土産話を持ち帰りたいものだ。では、とくと話して貰うとするか。
「教頭先生、校長先生も居ないことだから、そこの所もっと詳しく話していただけませんかね。大丈夫です、ここでの話は事と内容によっては考えてみますよ」駆け引きしなくても少し脅せば良いが、柳井は冷静かつ、丁重に訊いてみる。
少し考え込んでいる大山はどうしたものか、と躊躇している様子だ。
大山の表情を逃さない柳井は記録していた警察手帳を閉じ、ペンを胸のポケットにしまった。その後、横にいた刑事にも目配せした。横にいた刑事も咳払いをして左の額をポリポリと掻いた後、柳井に倣って警察手帳を閉まった。
「それから、山村先生ももう一度、改めてお話をお聞きしたいと思います。宜しいですよね」軽く念を押す。
「それ以上何もないですよ。本当に」それでも否定する大山。
「隠しても判ることですよ、教頭」
「いや、別に、そういう事はなにも」
柳井は大山を見据える。大山の薄汚れた黒目の奥深くに隠し持っていることを。
大山の横に座る山村の息継ぎが聞こえるほど部屋は静寂した。暫く対峙したままだったが、大山は溜息を吐き捨てるような仕草をすると観念して口を開く。
「解かりました」
柳井の視線に仕方なくソファーに座りなおしてテーブルの温くなったお茶を一口啜った。
「では」
大山本人、やっと口を開いた。
「実は、二学期に入った辺りから米沢君に虐めの件を山村先生から報告を受けました。その時の判断で事が外部に知れると不味い。そんな事で我が校の名前に、――苦しい決断でした」横にいる山村へ視線を向け、同意を求めるながら話す。山村は身を引きながら頷く。
この男は苦渋の表情を露にした芝居で話す。どうかしている。何がそんな苦しい決断だ。そんな大切なことを揉み消そうとする輩の集団か、ここに居ない校長も教員も揃いも揃ってこの男は歪んでいる。腹の中で毒づく柳井。それでも黙って訊く。
「虐め、いや虐めらしきは今年に入ってからだと報告を訊いています。一度、保健室に米沢君を呼んで山村先生と一緒に診てもらった保健婦の話ですと背中や太もも辺りに無数の痣と切り傷を確認したと聞きました。もしかするとご両親からの虐待とも考えられるので、とにかく事を穏やかに解決しようと内部で山村先生と決めました。その時、警察へ報告するまでも無く、登校で解決できると思いましたからね。大丈夫です。教育の現場で熟練の先生方が登校に抱えています」まるで校長気取りで話をする。話し始めると気を大きくしているようだが、警察の人間を前にしてここまで言うか。
「では、その後如何でしたか?」それでも冷静に質問をする。
「一応の事は終息を確認しております。山村先生からの報告もありましたし」
大山は山村をチラッと横目で確認する。
本当に最後まで確認を取っているのだろうか? 適当な判断で勝手に虐めは無くなったと決め込んでいる。虐めはそんな簡単なことではない事ぐらい教育者でなくても世間も知っている。常に社会問題になっていることも当然理解しているはずだ。担当教諭に責任を擦り付け、そんな悠長なことを言っている教育者につくづく呆れる。
自分の息子は今年から中学校に上がったが、この学校でなくて良かった。校区外の小学校で良かったと思う。しかし、この話を父兄や外部の人間が知ったら抗議の問い合わせが殺到する。今ここでの話は今回の事件でマル害の虐めを警察が調べなくてもマスコミが勝手に取り上げてくれる。警察はマスコミより先に情報を仕入れなくてはならない。警察の面子もある事からして逆に虐めの事が外部に未だ漏れていないことは幸いだ。知れ渡ってなくこの情報、今は貴重な報告となる。何もない事より、事件の裏に大きな情報があれば事件解決に繋がる速度の要素は大きい。まずはひとつ、分かった。
「それでお終いですか? 本当に他に何かありませんか?」
柳井が問いかけた時、ドアを叩く音がした。
その音に反応した大山は首を捻る
「なんだね」
急に落ち着き払った口調で訊く。
「すみません」ドア越しに篭った声が廊下から聞こえる。
ドアが薄く開き、女性が「失礼します」と聞いていた。
「あの、教頭先生……」
「なんだね?」首を捻りながらドア越しの女性に答える。
「よろしいですか?」
「ああ、いいよ」
「上丘小学校の校長先生がお越しになられていますが」中の様子を探るように薄く開いたドア越しに言う。
「あ、そうか。もうそんな時間か、あ、そうだそうだ、今日だったな」壁掛けの時計を見遣りながら何度も頷く。
柳井も一緒に壁掛け時計を見る。時計の針は十六時五分を指している。
「刑事さん、もうこれくらいでいいでしょうか?」大山の目が鈍く光る。鼻の鼻腔がかすかに開き、薄く厭らしい口元が歪む。
「あ、失敬。失礼しました。他に思い当たることを思い出したら連絡を下さい。又、お伺いすると思います」
「いや、もうこれと言った事はありませんね」先ほどとは打って変わり、余裕のある口調と横柄な上目線で柳井を見遣る。
柳井は直視し、大山の目をねめし上げる。大山のここへはもう来ないでくれ、と言わんばかりで警察は煩わしいだけだ。お前らみたいな国の飼い犬とは違う、と言いたげだ。
いったいあの動揺ともいえる発言は芝居だったのだろうか、このタイミングで部屋のドアを叩かせるのもそうなら相当の古狸だ。先ほどの話はなかったかのような素振りだ。
「では、お時間を取らせました」
柳井と刑事二人は校長室を出て職員室を抜けると校庭の脇に停めておいたPCへと乗り込んだ。まだ残っている児童に注意を払いながらゆっくりと校庭から出て行った。
PCを走らせるとすぐに柳井は運転する刑事にそこの道路脇に停車するように指示した。
「少し、ここで待っておいてくれないか」
「柳井警部補、何処に行かれるのですか? 単独行動はルール違反ですが」
「いや、ちょっと、もう一度校庭を見て来るだけだ。ものの数分だけだ」
「そうですか」
柳井は出てきたばかりの小学校の校庭に戻ると木陰で構えていた取材陣の中に顔見知りが居たと瞬時に見ていたので、その男を探すと手を揚げる。
「よう、神谷。何か良いもの撮れたか?」テレビカメラを抱えた小太りの男の側にいる無精髭を顎に生やした男に柳井は声を掛ける。神谷は地元の新聞社で報道部に所属しているが、変わった男だ。型破りの行動でいつも上の連中が手を焼いているらしい。それでもいくつか事件をスッパ抜いた実績を買われている。大体にして刑事はこの手の男を嫌がるのだが、柳井は過去にいくつかの事件に係わったことで何となく馬が合うというか、気があうので時々こっそりと情報交換している。
「いやー、まだこれと言って。それより柳井さんこそ、美味しい情報下さいよ」
「なかなかね、でも、あの教頭、見張っていたら何か面白いものが撮れそうな気がする。だけど俺達の邪魔はしないでくれよ」神谷の肩に腕を回して柳井は耳打ちする。
「へえー、そうなんですか?」
「ああ、ところでここで張っていてなにかありそうなのか? マル害の通っていた学校に朝からずーっとじゃないのか」
「ええ、まあね。そりゃ、何もないのにここにいてもね。柳井さん、知ってます? ここの教頭、結構な借金を拵えているという噂ですよ」
「そうなのか」
「まあ、今回の事件とは関連性は無いのかしれませんが、ね」
「ああ。で、他に何かあったら教えてくれ。いいだろ。じゃ、これで」と背中をポンと叩くと手を揚げてその場を立ち去る柳井。
なんとなくここの校長はきな臭いな。教頭は借金を拵えているのも気にかかる。そのことが事件に直接関係ないかもしれんが、何かしら気にかかる。神谷に一応の条件で情報交換であれば、効率よく捜査出来るかも知れん。
「はいはい」神谷が生返事を返す。
柳井は校庭の外に待たせてあるPCへ乗り込み、刑事に顎で発車を指示した。