第4 真実と苦悩 4.
4.
同日、十八時四十分。
後藤と菊池が取調室に入ってきた。
入るとすぐに若い取調べ警察官が席を立ち目礼してきた。後藤と菊池は軽く頭を下げながら部屋の中央に目を向ける。
狭い部屋の中央に畠山は肩の力も無く背中を丸め、無機質な机に向き合っている。俯いている姿は全身を疲れが覆っているようだ。
二人が入ってきた事はまるで気付いていないみたいだ。
菊池は畠山を見てすぐに同情すら思えた。初めて面識してから一ヶ月ほど、まるで別人と思えるほど人相が変わった。連日の取調べが彼の心をじわじわと閉ざしていく。今では誰も寄せ付けぬ気配さえ漂わせる。
「畠山さん、何故嘘を付くんですか。犯人だと、何故?」
「……」
「犯行当日の時間、あなたは病院に居た。奥さんは既に病院を出て不明になっていた。誰にでも判る様な嘘を何故付くんですか? 調べれば直ぐに判る。それを敢えて言う事はないですが、大学病院の看護婦や事務所の人間がキチンと証言してくれる。とにかく奥さんを庇っているのに何故、手を返したかのように自分が米沢さんの息子さんを誘拐して殺害したなどと嘯くのですか。これは分かりますよね」
「……」
後藤の差し出すビニール袋を見向きもしようとしない。
「そう、煙草の吸殻」
煙草の吸殻がビニール袋に入れてある。右の手でビニール袋端を摘んで見せる。
「犯行現場に落ちていた吸殻です。あなたの物ではない」
「……」
上目遣いに、それがどうしたのかいう目つきだ。
「実はあなたの会社の部下、橋本さんからの情報提供が大いに役立ちました。橋本さんって分かりますよね」
「橋本……」
「結論から言いましょう。犯行の張本人はあなたの奥さんじゃありませんよ。確かにあなたの奥さんは犯行当日の同時刻に犯行現場に居合わせた。それはあなたの勘違いであり、最大の勘違い間違いです」
「……」
「奥さんは米沢さんの息子さんを自分の手で首を絞め殺したと?」
「……」
「でも、死んでいなかった」
「え!」驚きの表情を小さく見せた。
「いえ、犯人はあなたじゃありません。それに奥さんでもありません。ただ、発作的な殺意はあったと思われますが」
後藤は畠山に向かって真摯に言い聞かせる。
「犯人は『甲斐』という男です」
「え! 甲斐? 今、たしか『甲斐』とか聞えましたが、私の訊き間違いでしょうか?」
畠山の異様なほどに落ち窪んだ目が見開いた。
「確かにあなたが営業課に所属していた時の部下です」
驚きといった表情を隠しきれず落ち着きが無く目が彷徨っている。
「『甲斐』の吸った吸殻と犯行現場に落ちていた吸殻のDNAが一致しました」
「……まさか、彼が?」動揺の声で呟く。
「十三日の夕方、別の目撃者がいました。その目撃者によると『はっきりとではないですが、大柄の男が子供に向かって首を絞めているような風に見えた』と証言がありました。それを合わせもって検証した結果です」
今日の午後、後藤は菊池と一緒に大学病院で事件が起った当日、畠山の行動の裏をもう一度取った。
十四時、大学病院を出て犯行が行われた『府内公園』に出向いた。それは特に目的を持って出向いたのではない。
そこで雨の降る公園の周辺を歩いていると偶然の発見があった。浮浪者と思しき中年の男と出会ったのだ。菊池が何気にその男に当時の事件について質問を投げてみると、俯き加減で落ち窪んだ目で菊池を見た。その表情から後藤が歩み寄り、千円札を爪の先まで小汚い手に握らせてやったところ、朴訥とした話しぶりで事件当日の事を話した。そのひょんな事実が興味深い内容であった。
男の話によると、あれは十三日の夕方。いつも使っているブルーシートを公園のトイレ脇に置き忘れた事に気付き、取りに戻ろうとした時、薄ら闇に大柄な人間の影が目に止まった。ガサガサと擦れる音、恐らくブルーシートの擦れるものと直ぐに判ったらしい。咄嗟に物陰に身を隠し、その一部始終を見ていた。その影は男が身体を揺らし、圧し掛かる動きからして異常な状況と感じ取ったらしいが、自分には関係ないものと思ったらしい。如何にも世捨て人の心理だろう。
暫く待っていたが、凌ぎを削り生活の必需品となる自分のブルーシートを早々に取り返したかったらしく、物陰から身を出してワザと足音を立てた。すると大柄な男はその足音に気付いたらしく、子供を肩に背負い込みその場を後にしたようだ。
と言う男の証言が証明できるかどうか解らなかったが、その情報を基に『協和薬品』で賭けてみる事にした。
午後十五時五十分。後藤と菊池の二人は『協和薬品』の受付前にいた。菊池がハンドルを捌き、かっ飛ばしたPCで『協和薬品』の会社正面玄関に乗り付けた。そこからビルディングの常設エレベータを使うこともなく五階まで階段を駆け上がり、受付の呼び鈴を押した。すでに十六時を過ぎ、受付も今日の営業を終えようとしているのだろうか。菊池が呼び鈴を忙しく鳴らす。しつこく何度も呼び鈴を鳴らした。
するといったい何事かと、駆けつけた警備員に制されそうになったが、後藤が落ち着いて警察手帳を取り出す。大変失礼したとでもいった顔つきで代わりに備え付けの電話で内線した。
受付の後ろは高いパーティションで仕切られており、拒絶する壁のようだ。さっきまで寄せ付けない壁の扉が開くと直ぐに一人の男が飛び出してきた。
出向いた事の説明と責任者を出してもらうように指示すると、男は一旦部屋に逃げるように戻り、責任者である男と一緒に出てきた。以前に面識ある統括部長の高松だった。
彼は何事ですか、と言う形相で落ち着きなく訊いてきた。
「け、刑事さん。いったい何事ですか」
「公務だから、急いで確認した事がある。今日は書面もまだないが、積極的に協力して貰わないと大変困ることになります」
「ま、ここは、何ですからどうぞこちらへ」とそそくさに手招きして廊下から別の部屋へと促そうとした。
「じゃあ、営業部の『甲斐』さん? ここへ通して下さい」
促され部屋に入室する間際に高松に向かって菊池が言い放つ。
「え、甲斐? ですか?」
「ええ、甲斐さん、です!」
「は、解りました」合点いかない、何がどうなのか、まったく理解出来ないといった顔つきだったが、そそくさと部屋を出て行った。
二人が並んでソファーに座り押し黙り、部屋は静寂と化した。
「……」
菊池は口を開けずにただ、黙っていた。
甲斐が入室して来た。
一瞬、見覚えある男と気付いたが、それが何処でかは思い出せなかった。
「お宅が『甲斐』さんですね?」
「ええ、そうですが」
妙に紳士的な口調で返答する。
まさかこの男が、と疑うくらいの真面目な男に見えるが、先ほど手に入れた情報を利用して釜をかけてみた所、案の定何の事やらといった調子だった。後藤は溜息を短く着いてから一言言った。
「これ、あなたの吸殻ですよね」
ビニール袋に入れた吸殻を見せる。
「それが?」
「犯行現場に落ちていました。それがどういう意味を示すか、お判りですよね」
そこまで話すと表情が一瞬変わった。
「……」
「すでにDNA鑑定であなたのと一致しています。それに山村教諭も認めました。今回の一件」
「どこで……」後藤と菊池二人の刑事に睨まれ、言葉にならない。目を伏せ、視線を彷徨わせる。その表情からして如何にもといった感じが読み取れた。
以外にも呆気なく落ちた。そして行き場を失くしたようだ。
その後を境に甲斐は乱暴とも取れる開き直った口調で暴言を吐き捲くった。それは虚勢を張る素振りもなく吐き棄てるようにも、開き直るようにも見て取れた。直ぐに任意同行の許諾してもらい、後藤と菊池に挟まれるようにPCに乗り込み、警察へと戻った。直ぐに別室の取調室で事情聴取が始まっている。
後藤は又、冷静な口調で付け加えるように話し始めた。
「それから、大学病院であなたのことを調べて判った。自分の病……」と言いかけたところで、畠山は「刑事さん」と大声で後藤の話を遮った。
その時、取調室のドアがカチャリと開き、赤松がタイミングよく入ってきた。
折角、畠山は何かを話そうしたところなのに、と菊池が苦虫を噛む。
「おうおう、今日もご丁寧に何か御用かな」
二人を見る赤松がまったくもう、と嫌味タップリな口ぶりでゆっくりと部屋を見回す。
ややしてから後藤が机に両手を着き、ソロリと席を立つ。
赤松に頭を下げ、どうぞといった表情で身を引きながら出て行く。菊池は半身で赤松を避けながら後藤を追いかける。
すると赤松が背広の襟をただし、後藤に入替りゆっくりと席に座りる。改めて両腕を組み畠山と対面する。
赤松は暫く向き合ったまま、二人は対峙する様に机に向き合う。
咳払いを一つついた赤松は腕組みを解き、身を乗り出す。
「畠山さんよ。もう、いいんじゃないか?」トントンと机を小突く。
「……」
暫く沈黙が続く。鋭い視線が次第に緩み、呆れたかのように短く鼻を鳴らす。
「なあ」と言ってから、ふうーと深く長い溜息をゆっくりと着く赤松。
「……」
畠山は一瞬、赤松の言っている意味が分からなく困惑した表情になる。
すると突然、ギギーっと椅子がすびく音がする。赤松は立ち上がり机を拳で勢いよく、ドンと叩く。
「もう、いい加減にしろ。見くびるな! 俺を笑いものにする気か?」
「ハッキリ言おう、お前は犯人じゃない。嘘をつくのはもういい!」赤松が畠山を指差し、大声でハッキリと言い切った。
突然の発言に陣屋が背筋をピンと伸ばし、赤松に目を遣る。
今まで畠山を犯人に仕立て上げるような取調べで進められていた。それが一変し、手のひらを返すような発言だった。
「そんな……」
畠山は弱々しく息切れしながら言い返す。
「お前、さっきあの刑事に言われたんじゃねーか! ふざけやがって。『甲斐』だろ! あの男が口を割ったよ」
赤松は畠山を刺す様に人差し指を突きつけた。
ここに来る前に課長から訊いた。全て何もかもだ。それを知った以上馬鹿馬鹿しくて遣ってられない。この畠山を無理やり犯人にでっち上げる様なアホ刑事になり下げられるものか。
「それから、昨日言ったあんたの『妻が電話して呼び出したんです』という事だが、呼び出したのは小学校の担任教諭、山村だ。ま、そっちも口を割った。だから、そんな見え透いた嘘、もういい」
畠山が吐いた嘘も当然赤松には引っかかっていた。
「……」
「お前の自首は、テメエの息子を殺したことが犯罪だ。障害を持つ親として最低だが、敢えて選択したにはそれなりの理由があるんだろう。解らんでもないが、――お前の犯した最大の罪を自分でケジメ着けな。俺はそれ以上知らん」
「うっ、うっ、うおー」
突然、畠山は泣き崩れると机にひれ伏せ、何度も何度もゴンゴンと鈍い音をたてながら頭を机に打ち付けた。
そこまで赤松は話を続けると席を立ち、天井を見ながら小指で耳を穿った。
「おい、後藤警部補を呼んでこい」赤松が陣屋に顎で指示をした。
赤松と目が合うと直ぐに陣屋が部屋を出て行き、戻って来るのにそうたいした時間は掛からなかった。
陣屋に続き、後藤と菊池二人が取調室に入室して来た。
赤松は後藤に向き直り、見据えて言った。
「後藤さん。ここからはあんた等で取調べを頼む」
憐憫の情らしく赤松は一言だけ伝えると、顔を逸らしそそくさと部屋を出て行く。一礼して追いかけるように陣屋も出て行った。
ふと、見下ろすと畠山は机に顔を押し付け、大きく背中が揺れていた。声にならない声で唸るように泣いている。
後藤と菊池はただ、ただ、見下ろしているだけでタイミングを探していた。




