第1 衝動事件 3.
3.
十月十四日、朝八時二十分。
府内あかね公園の入り口、その周囲を立ち入り禁止の黄テープが張り巡らされ、制服警官達が入れ替わり立ち代りで朝から辺りは騒然としていた。
大分市内の中心を流れる大分川。北から南へと流れる川は市内の東を新興住宅地一帯と工業地帯の西へと大きく分断するかのように生活の色を分け隔てている。川に架かる弁天大橋越え、新興住宅地へ向かう数ある公園で『府内あかね公園』がある。さほど広くはなく長方形の形状で周囲はおよそ一キロも無い。楡の木が公園を囲むように植樹され、大人が両腕で抱え込むほどに太く成長している。その楡の木と並ぶようにベンチが設置されている。ベンチは必ず同じ方向には設置されておらず、座った時の景色を意識して設置してある。とりわけ目立った遊具もなく特徴のない何処にでもある公園だ。あまり市民の評判がよろしく無い。それはこの公園が戦没者の記念塔として昭和二十八年に就任した市長により提案され建られたと言うことだが、建設後も老朽化とともに何度か造り直された。その建設途中にクレーン転倒という事故で作業員五名の死者を出したこともあり、完成後はそこそこの利用はあるものの夜になると事故死した作業員の幽霊が出るなどと噂が流れた。それ以後、薄気味悪がられ日中も閑散としている。
「第一発見者は?」嗄れ声で一言。
険しく細い目で仏さんとなるマル害を見下ろしながら手袋を嵌めると隣にいる警官に向かって質問する刑事、赤松警部補。傍で質問に答える年嵩の制服警官はこの公園から一番近い所轄署勤務の警官。通報を第一番目に受けた警官である。
「はい、この公園へ散歩に来た老夫婦ですが」
「で、その夫婦はどこにいるんだ?」
「あ、はい、今、県警本部で男性にさらに詳しく状況を訊いているはずです。女性のほうは状況を聞いている際に気分を悪くし眩暈を起こしたらしく現在、最寄りの総合病院で様子を見ている模様です」
「じゃ、まだ詳細は?」
「いえ、通報時の状況と内容は第一発見者から聞いておりますので今、私からおおよその話はできますが」
「で?」
制服警官からの通報内容によると、早朝六時十分。府内あかね公園内で公園へ散歩に来た老夫婦からの通報。公園ベンチを通りかかった時、ベンチに横たわる子供を発見。すぐに子供が死んでいると判り交番へ通報とのこと。
七十くらいの老夫婦はこの公園を散歩することが日課であり、いつもの散歩ルートで自宅からここまで徒歩十分くらいで到着する。その後、公園の正面入り口から駐車場の脇を抜け、広々とした公園内を横切る。それから奥まったところに聳え立つ楡の木の下を通過して裏手の通路へと抜ける。といった具合の老夫婦二人の散歩コースである。その通過点にある楡の木の下に設置してあるベンチで遺棄された少年の遺体を発見した。
公園に入ると鎖を引き千切らんばかりの勢いで飼い犬が首を地面に近づけ、身を低くし楡の木に向かって唸ると急に駆け出そうとした。植え込みの躑躅をすり抜け、楡の木の下に設置してあるベンチが見えるその上、毛布か何かに見えた。犬が急かすし、気になるので犬に引き摺られるように付いていった。
毛布と思っていたが子供らしきと判ると、寒いこんな朝早くから子供が寝ているなんて不自然だな、と思ました。それが死んでいるなんて思いもしなかった、と老夫婦の男性からの話。近づくにつれ、子供の顔がハッキリとみえました。横たわる子供の顔は血の気のない蒼白でとても嫌な気がしたのですが、近寄り恐る恐る子供の背中を揺すると全然反応がないので死んでいると、――とにかくその場から転げるように交番へ駆け込み通報しました。
以上、掻い摘んでの通報者の話を報告する警官。
「判った。すまんね」見下し、チラッと横目で流す。もういい、という素振りだ。恐らく詳しい内容は通報者から直接聞くつもりでいるのだろうか、赤松はそれ以上の質問はしなかった。
年嵩の制服警官は顔を少し曇らせ敬礼をし、ゆっくりとその場を後ずさる。赤松より恐らくひと回り以上は違う年齢に見える。交番勤務の巡査部長クラス、一方は警部補。例え年齢が上でも警察の階級に絶対的上下関係の服従が存在する。横柄な口ぶりの赤松警部補に対して反論はできない。
赤松は引き連れている刑事とゴソゴソと話す。なにやら指示をしている。警官が数名以外に赤松と陣屋二人の刑事、他の刑事達はまだ到着していないようだ。
暫くすると他の刑事たちも到着し、現場がさらに物々しくなった。
「ちょっといいですか? ちょっとちょっと」
警察手帳をちらつかせ制服警官を掻き分けながらベンチに近づく若い刑事。その後ろに続く男は手袋を嵌めながら辺りをジロジロと訝しげな目をして歩く。
「すみません、すみません」何度も頭を下げる若い刑事は警察手帳を背広の内ポケットに仕舞うと手袋を取り出し慌てて嵌める。
小指で耳を穿りながら私服刑事へ耳打ちし話している赤松が二人に気づくと小指をフッと吹く。「やけに今日は早いお出ましだな」現着した二人に揶揄し、見下し言い放つと鼻で薄く哂う。
「あ、赤マ、ムッ」と言いかけて口を噤む菊池。思わず、赤マムシ! と言いかけた。赤松という男は狙ったらジッと獲物を逃さない。マムシのように執念深く首根っこを締め付けるように攻め落とす。相手がノイローゼになるくらいネチネチと食らい込む。執念深い嫌な男である。そもそも、赤松を赤マムシと呼ぶに相応しいのは爬虫類系の面構えであるからだ。細い目に小さな黒目、薄い唇と頬からの顔の骨格が蛇みたいと言われる由縁である。誰でもすぐに頷ける。
「おう、菊池。お前、何トロトロしてんだ。遅せーんじゃないか」赤松の横で菊池に向かってねめしあげるように嫌味をいう男、陣屋巡査部長がほざく。
この男も赤松に続くいけ好かない奴だ。なに威張ってるんだ。赤マムシに媚を売るムカつく奴。菊池は腹の中で毒づく。
「まあ、いいじゃないか。こちらさんは、忙しいんだ。最近のコソ泥騒動にかりだされ、殺しには回る時間がないんだ。――なあ、菊池」赤松が嗜めるように言う。
「いや、――そ、そんなことは」ムキになり、語気を強め詰め寄る菊池。
ここ最近、窃盗事件が続いている。不景気の影響で世知辛い世の中に蔓延る犯罪。職を失う、食うに困る、目的を失う。窃盗で捕まる大半が若い世代が多い。時代を背景にした犯罪もますます増加の一途を辿る。その歯止めを担い地域に安全を、と渇望する人たちの代表を務めるのが警察である。コソ泥を捕まえることも大事な仕事だ。だいたい赤松や陣屋の偉そうに見下すのって大人気ない。くそッ! ムカつく奴。
捜査第一課犯罪二係の菊池巡査長は先輩の後藤警部補と一緒に犯行現場へと到着したばかりの出鼻を挫かれる一言を食らわされた。
「菊池!」思わず突っかかろうとする菊池の前に後藤が制すかのように踏み出る。
「係長――」後藤の後ろで苦虫を噛む菊池。ほかの刑事や通りかかる警官もどうしたのか、といった顔をしている。
「うるさい、ここで遣り合う為にきたんじゃない」後ろで口を尖らせて鼻息荒い菊池を睨みつける。菊池のアホが。この場で騒々しいのはテレビ局のレポーター、記者や野次馬くらいなもので結構だ。相手の挑発に乗ってどうする。それも刑事達が遣り合っているのを見られては困る。テレビのネタにでもされたら堪ったものじゃない。県警のお笑い種だ。
「どうぞ、うちはもう結構。お宅ら、ゆっくりとやってくれ」赤松はニヤリとした後、首を捻り、陣屋へ目で促す。
赤松ら二人が場所を譲ると後藤と菊池がベンチに歩み寄る。後藤がベンチ正面から横たわるマル害を覗き込む。
「可哀想に。こんな子供に手をかけるなんて」少し遅れてやって来た倉田巡査長も俯き両手を合わせ拝む。
菊池も横に並び、倉田に倣って拝む。
さて、といった態度で後藤は小さく息を吐く。マル害の頭から全身を舐めるように見る。それから離れ、ベンチ全体を見渡す。もう一度、マル害の首元に視線を向け、覗き込む。険しく色々な角度から見る。左手は口から顎へと持っていき擦る。
「どうやら、絞殺だな。変色した首に細く薄っすらと跡が残る索条痕。他に外傷は見当たらない。恐らく致命傷は首を絞められ窒息死。それも両手で絞めた感じだな」マル害に触れないように気をつけ、後頭部辺りをもう一度覗き込む。
後藤はマル害から離れ、菊池に見ろと譲る。倉田は脇でマル害の所持品を検めようとしていた。
後藤の立つ足元へ枯れた葉が落ちてきた。ふと見上げるとベンチを覆うように枝を伸ばし、秋も深まるなか、聳え立つ枝ぶりのよい楡の木にはまだまだ沢山の葉がついている。色づいた葉が綻び始めることがまるでなさそうな大木だ。
周りを見回す。後ほど鑑識班が辺りをくまなく調べているが、後藤は自分の五感を大切にしている。その為か、少しでも犯行現場の状況を頭に叩き込んでおくことにしている。出来る限り時間が経たないうち、犯行状況に近い状態を頭に叩き込んでおきたい。後から犯行現場に来る時とはまるで状況が変わってしまうからだ。
刑事に成り立ての頃、初めてついた先輩刑事から叩き込まれたことだ。それでも後藤の感性とも言うべきやり方でもある。その刑事もすでにこの世には居ないが、その時習ったことをとても大切にしている。できれば、菊池にもこのことを引き継ぎたいとは思っているが、この感覚を彼が理解してくれないことには話しにならない。もう少し、彼を教え込まなければ。
振り返り、赤松を探す。案の定、姿はもうなかった。
赤松はすでに鑑識に任せたのだろう。犯行現場には陣屋と二人の姿は見当たらないのは捜査本部が設置される前までに単独行動をし、少しでも独自に行動しておくつもりだろう。現場の細かいことは鑑識に任せ、後でその詳細を捜査会議で訊けばよい。なんせ、帳場が立つと指揮官の指示の下、思うような希望担当になるか分からない。その為、自分らが有意義な情報を持つことで優位な担当に就ける。当然、自分らの手柄が欲しいからだ。あの男は、要は出世がいつも視野にある。とにかくすでに動き始めている。
後藤はゆっくりと辺りを隈なく見ながら歩く。ほかの刑事達も同様に歩く。
地面が少し湿っている。朝露ではなく、昨夜の雨のせいだ。降りだしたのが深夜で明け方には降り止んでいたことだろうか、泥濘ができるほどではない為、現場の足跡やらの判別が難しいと考えた。
何気に楡の木を見上げながらベンチを離れ楡の木の麓へ歩く。裏手に回り、辺りを見回して地面を左右にみる。よく見ると煙草の吸殻が二つ転がっている。少し違和感を覚えた。一つくらいなら通りすがりに投げ捨てたとも考えられるが、二つほぼ同じ場所にころがっているのが気にかかる。視線をその木の下向けると二本ほどほぼ同じ場所に転がっている。計四つ、それは同じ人間がここで吸ったとも考えられる。幸いに昨夜降った雨は木の下はあまり湿らせていなかった。これなら割としっかりとした証拠品の候補になるのではと。
後藤は木の陰から出て、鑑識班を探す。自分たちよりいつも遅れて着く監視班。毎度のことだが、警官、刑事と続き鑑識班と順番にやってくる。これからが彼らの出番だ。
だが、今日も少し遅れているようだ。
もう一度戻り、身を屈め低い姿勢で煙草の吸殻以外に不審な物は無いものかと目を凝らす。やはりそれ以上のものは見当たりそうにない。溜息を着くと起き上がる。こめかみ辺りを人差し指で掻きながらもう一度、鑑識班を探す。やっと通りかかった鑑識班の若い奴を呼び止め、煙草を回収して調べてもらうように指示した。
それから他に何か見当たらないか、探しながらその場を離れた。
「係長、すみません。ちょっといいですか?」
菊池が楡の木の下で腕を組む後藤に向かって叫ぶ。こっちこっち、と頭を下げる。
ここの場所には何もないと判断して菊池のほうへと向かう。
「これどう思います?」
「ん?」
菊池が差し出す。
「これは?」
「携帯電話です」
「分かってる。だから、それがどうした?」
「いえ、マル害の所持品。いや、特に、これ、といって……」
「なんとも言えんが、今時の小学生でも持ち歩いている子はいるんじゃないか。特別何か決め手になるか、だな」
「ま、そう、ですね」
「一応、鑑識にまわして言っておいてくれ。メール、着信履歴や発信履歴なんでもすべて」
「しかし、携帯電話も持ち歩いているのに犯罪に巻き込まれちゃ意味ないですよ」
「そうだな、道具に頼るからそうなるんだろうな。昔は近所付き合いで声を掛け合っていたからな」
「他になにか?」
「いえ、他にはまだ。でも、なんで殺されたんですかね」
「そうだな」
「可愛そうですね」
「そうだな。わかるが、あまり同情せんようにせんとな。俺たちに私情は禁物だからな。それじゃ、県警本部に帳場が立つ前にこの辺りに目撃者が居ないか早速……」と後藤が言いかけた時、背広の内ポケットがブルブルと振動した。携帯電話を取り出すと液晶表示に見慣れた電話番号が並ぶ。
早速、お呼びか。
「はい、後藤です。――あ、はい。分かりました」
手短に用件を聞くと通話ボタンを押し会話を終える。
「みんな、戻るぞ」携帯電話を元の内ポケットに終いながら菊池に呼びかける。
「ええ、了解しました」
後藤は手袋を脱ぎながら、その場を後にする。追いかけるように刑事達と菊池が後藤に続く。