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第1 衝動事件 11.

11.



 十月二十三日、二十時二十分。

 事件が発生して十日経過後の週末、捜査は相変わらずの進展ない状態が続いている。関わる全ての刑事達が身を粉にして連日深夜に及ぶ捜査を行っているが、このまま二週間を過ぎるようだと、県警本部の威厳にかかわると上妻本部長から又、そんな台詞が飛び出そうな事態になりそうだ。

 黒田は刑事達の顔色を察してか、上妻本部長の激が飛ぶことは分かっていたが、このままでは捜査の進展が思わしくないうえ苛烈に攻め立てても一層捗らないと判断し、中一日の早々の帰宅を指示したのだ。

「いいか、今日は一旦捜査を切り上げ休んでくれ、それで明日からの捜査をより一層の期待したい。よってここで散会」

 連日の夜の捜査会議を夕刻に変更して早々に切り上げたにも拘らず刑事達はすぐに帰りきれず、十九時頃まで署内で調べ物や班毎で打ち合わせをしてから、ちらほらと帰宅していった。中には居酒屋へ行く者やパチンコに向かう独身刑事もいた。

 さすがに疲れが溜まっている。今日の黒田からの指示が無ければ少しばかり辛いと内心思っていたところだった。

 玄関の前に着くといつもの様に庭から見える居間は薄明り。父が息子の帰りを期待していないが予備蛍光灯は点いている。いつもこの時間くらいだと父は一人晩酌して寝こけている頃だ。既に他界した母を除いて父と息子二人で過ごすこの家はいつもだ。

 菊池は早めに何処にも寄らず帰宅をした。住まいは県警から三十分ほどで帰り着く距離。ここ数日の捜査で帰宅が深夜を回っており、幾ら若いからといっても疲労は溜まっていた。

 玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ始めようとした時、廊下の突当たりの居間で灯りが燈った。

「お帰り」

 居間から姉の留美子が眠そうに声を掛けた。

「あ、来てたんだ。おやじは?」

「もう、寝たよ」

 ネクタイを緩め、革靴を敲きに脱ぎ捨てたまま廊下を伝い居間へと向かう。

「あんた、晩御飯は?」

「いや、まだ」

「じゃあ良かった」

 留美子は台所の蛍光灯を点けると冷蔵庫からラップに包んだ小鉢を取り出し、電子レンジに入れ、次にコンロに火をつけホーローの鍋を温める。それから食器棚から茶碗、箸などと食卓へ並べ始めた。

「着替えておいで」今でも自分の家のように冷蔵庫に手を掛ける。

「あ、ああ」

 菊池は短く頷くと二階の自分の部屋へ向かった。着替えている間に留美子は手際よく食卓に煮物の入った小鉢と缶ビールを並び終えていた。

「肉じゃがと味噌汁あるから、好きにして」

 二階から降りてきたジャージ姿の菊池に向かって手短に言う。留美子は湯飲み茶碗を抱えて居間のソファーで座って言う。

「ああ、悪いな。で、麻衣子は?」缶ビールに手をかけ、訊く。

 麻衣子とは姉の一人娘で小学校三年生の姪のことだ。まさか姉一人でここにきたのではないだろう。家族三人で実家から二十分ほどで着く駅近くに出来たマンションに居を構えている。いつも生意気で大人びいた台詞を平気で言う麻衣子が一緒な筈だが。

「ああ、隣の部屋で寝ている」

「あ、そう。でも、俊彦にいさんは、大丈夫なの?」

「まあね、今日は出張で大阪に行ってる。今頃、ホテルじゃない」義兄の俊彦は市の職員で教育委員会に席を置き、真面目を絵に描いたような人物だ。時々、研修として出張がある。

 そんな旦那とは相反してあけずけな姉は物事に動じない性格、気丈なところがある。実は何よりも本当は一番に刑事になりたかった人だ。

 そもそも菊池は警察になろうと思っていなかった。多少、運動には自信があるが、公務員事態にあまり興味が湧かなかった。来年で還暦になる退職間近の父も警察との繋がりはなく、何処にでもいる普通の会社員。好きな道を選ぶ事はまったく持って問題なかった。

 それに反して推理小説や事件ドラマの大好きな留美子は警察に入ろうとしていたが、父から「女伊達らに、そんな世の中甘くない」と説得され、無理やり進路を変えさせられた。その抑えられない気持ちの矛先が弟に向けられた。まあ、そんな姉でも面倒見の良さにいつも甘えることで自分の事、職業や将来を大学卒業間近までぼんやりと決めていなかった。姉にしきりに言われる押し、別段嫌でも無く何となく言われるまま受けた警察にあっけなく採用された。気持ちがへこたれる事が幾度と無くあったが、姉の支えで頑張ってこれた。別段期待に応える訳ではないが、最初の交番勤務を経て県警本部の捜査一課と抜擢され、今に至る。何故、自分が捜査一課まで配置換えされたのかのも今ひとつ定かではないが、恐らく三年前の強盗事件での働きぶりだと今でも思っている。その時、県警本部の後藤と初めて会った。後藤に何故か心が働き懸命に働いた。

「で、どう? その後」

「どう? って」小鉢を突付きながら答える。

「殺人事件よ。あんなにテレビや新聞で騒いでいるのに」

「あ、そうね」

「なんか気のない返事ね」

「色々とね」ビールを啜る。

「捜査は進んでいる?」

「あのね」

 やはり毎度のことだ。少し難しい事件が起きると、こうして首を突っ込む姉貴だ。

「姉貴、勘弁してくれよな。今回は不味い、今回だけは勘弁してくれないか」

「えー、だってあんたいつもじゃない『今日だけは』なんて口癖」

「いや、これは警察の守秘義務なんだから、そう訊かれても困るんだよな」

「じゃ、触りだけでも、ね!」

 缶ビールを一気に煽ると後頭部をガシガシと掻く。

「いいじゃない、いつも私のお陰じゃない。いつもね」と菊池と対面に座り、お茶をすすり言い放つ。

 暫く考え込む。煙草を取り出し咥える。参ったな、と肩で仕方なしに溜息を着く。

「ほんの少しだけ、本当にここだけの話で」

「分かってるって」そう言うと留美子は菊池のいる台所の椅子に座り直し、身を乗り出した。

「やっぱり、止めておく」

「へえー、あんた男らしくないわね」

「それとこれは関係ないだろ。何処が男らしさだよ」

 まあ、いつも姉には事件解決のちょっとした糸口を貰うことがある。ほんと推理やサスペンスドラマから得た事を現実の事件に照し合せて菊池にアドバイスする。参考になる助言を貰うことがあるから、ここだけということで。と、言いながらつい、事件のあらましを全て話していた。

「ベンチの側に転がるサッカーボールがあるからということだけじゃないけどね、犯行現場は何と言うか、犯行はその場だと思うな」留美子は腕を組んで話す。

 そんな事は既に判っている。

「それから私も後藤さんと同じだな。うん、まずほぼ同じ位置に落ちていた四つの煙草がひっかかる」

「やっぱり? でも、それだけじゃ何の証拠にはならないよ」

「なんていうか犯行現場のすぐ近くに誰かが居てさ、うーん、その少年を待ち伏。いや、待ち合わせていたとかさ。そんな感じかな」

「うん、そうだよな。でも待ち伏していたことの目的が、少年を殺害する目的なのか、どうかは断定できないだろう?」

「それは言い切れないけど。じゃ、さ。元々、殺害が目的じゃないとしたら。そう、誘き寄せた。公園でサッカーして遊ぼうかと言ってさ」

「煙草吸うほどの大人がさ、少年を誘き寄せる? それも遊ぼう! って」

「例えば少年の顔見知りで同級生か、友達とかに成り代わってさ」

「害者に連絡したときに誰からか、バレるんじゃない。声だって怪しまれるし」

「そういえば携帯電話持っていたんだよね? 害者は」

「ああ、持っていた。でも、履歴がまったくそんな内容は無かった」

「犯行後、消しちゃえばいいじゃない。メールだったら簡単でしょう」

「あ、そうだけど。でも、そうすると害者のメールアドレスを知らなきゃメール送れないけど。どうやってアドレスを?」

「そうね、害者のメールアドレスを知ってる同級生や友達、親から訊かないと分からないわよね」

「と言う事は携帯メールの通信できそうな人物を当るのも手だね」一端の刑事っぷりな口調で菊池を見る。

「とにかく、メールで公園に誘き寄せた、ってのはどう?」

「ふむ、うーん……」それから留美子は腕を組直し、思考を巡らせて唸る。

「そんな余裕があるほど冷静に行動できたとしたら、最初から計画性の可能性ありだな」

「そうね誘拐の線も有り得るね。それも目的は強請りか、何か」

「でもね、誘拐なら目的を達しないで殺すかな? 殺害して放置したら、身代金を要求することも出来なくなってしまうんだぜ」

「じゃ、少年を拉致しょうとした所、抵抗された。勢い余って絞殺」留美子は両手でワッカを作り締め付ける。

「犯人は計画が上手くいかないことに翻弄していたら余程でない限り冷静に携帯の受信メールを削除している余裕は無いんじゃないかな。それも想定内だったら、相当の人物だね。それか単純に少年に殺意を持っていた人物が誘き寄せて絞殺した。それも安直過ぎなかな……」全てにおいて納得いかない、どうもしっくり来ない、殺害された目的が。やはり、目撃者や確たる証拠が無い限り憶測の域を出ない。

「あ、もうこんな時間。麻衣子を起こさなくちゃ」留美子は慌てて隣で寝ている。姪を起こしに掛かる。

 こんな時間から娘を抱きかかえてマンションに戻るのは大変だな。


 菊池は風呂に入り、湯船で顔を擦り「ふーっ」と全身の疲れを吐き出すかのように長い息を継ぎながら天井を見上げた。

 事件や何かが始まるとどうしても目の前の事ばかりに集中して他のことに気が回らなくなる。それはすでに刑事の端くれで性なのだろう。

 しかし、どうしても殺害目的がこうなんて言うか……、判らない。証拠固めが間違いないけど推測も必要だと思う。時としてあの後藤さんだってそんな風に感じているはずだ。

 通り魔の犯行と言うより、今日日の中学生ですら煙草をすう不良もいるけど、ここは煙草を吸う大人という前提で少年を誘拐しようとした。もう一度、最初から整理しなおしてみた。それに姉貴からの助言を元に犯行に至る可能性を幾つか想定してみる。

 ――やはり、どう考えても後藤の言う線が頭から消えない。一番の犯行の可能性は誘拐目的ということ。その線から考えると誘拐とする父親か、母親に恨みを抱く人間、金目的の強請り。しかし、事務長くらいの役職でそう大した財産も持っていないだろうが、それか強請られるほどの金が動いているのか。父親が金を動かす? そういえば、『大分なぎさ総合病院』は以前、診療報酬の偽装が浮き彫りになったよな。それと父親が強請られる程の裏があるのだろうか。

 両親二人の身の回りを洗いなおしたほうが良さそうだが、なんせそちらは赤マムシの班が洗っている。手を出し難いので報告を待つしかない。

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