第1 衝動事件 10.
10.
十九時三十分。
県警本部捜査会議室、すでに刑事達が座っている。
事件発生後、翌日の捜査会議。
「全員、揃ったか?」入ってきた黒田が全員を見渡すように言う。横に座るのは本間だ。
「はい」一同から威勢のよい返事が返ってくる。
「起立! 礼!」柳井の声で全員が一礼をする。
「着席」
「早速だが、順に報告をしてくれ」全員が座るまもなく黒田が刑事達に向けて言う。
「はい、私から報告よろしいですか」柳井がスッと手を挙げる。
「ああ、頼む」
「害者の大洲小学校を当ってみました。校長は不在と言っていましたが、居留守でしたね。代理で教頭の大山氏と面談しました。それで分かったことですが、今年の夏辺りから虐めにあっています。とんでもないことにその状況を担任教師、教頭までもが揉み消そうとしていました。ですが、今のところそのことが直接の原因とは言えません。ただ、教頭の態度や素振りからして何か隠し持っているように思えますが」
「何かウラがありそうなのか?」
「なんとも言えませんが、ひとつ気になること情報を入手しました。教頭は結構な借金があるようですね。事件に直接の関係は無いかもしれませんが、調べてみました。それが驚くことに銀行系ではなく消費者金融に手を出しているようです。その消費者金融とは岩井組系のフロント企業で『銭富士商事』に四百万ほどのありますね。元金は二百万ほどであったようですが返済が遅れ、膨らんでおりますね。とにかくもう少し当ってみます」
「他には何かあるか?」黒田が確認する。
「いえ、ここまでです」
そこまで言うと柳井は席に着く。
「次、犯行現場。後藤警部補、頼む」
「はい、分かりました」
「じゃあ、頼む」
「もう一度、害者の自宅から犯行現場までを目撃者がいないか当ってみました。特に犯行現場中心に行いましたが、残念ながらこれといった目撃者は未だ現れていません。それから十五時から十九時の間に聞き込みを行いました。犯人らしき人物も目撃者もまったく今のところ。とにかくまったくです」
「そうか、うーん」眉に皺を寄せ、唸ると腕を組み直す黒田。
「あの公園は日頃から利用者がほとんど無いみたいです」菊池が付け足すように言う。
「でもな、いくら利用者が少ないといっても全然って訳じゃないだろ」
「ええ、そうですが」口篭る菊池。
「なら、害者が公園に来た時、犯人が公園に来た時、本当に誰も見ていなかったと言うのか? どうも腑に落ちない」
「分かりました。とにかく明日も早朝からやり直してみます」
「分かった、そうしてくれ。じゃ、次は? 赤松警部補の方はどうだ」
「ええ、まあ、なんとか」
少し面倒なものの言いが気に掛かる赤松が席を立ち、話し始める。
「はい、午後からマル害の父親の勤める病院に当ってみました。例の病院『なぎさ総合病院』です。そこで理事長の疋田氏に面談しました。まあー、何と言うか気難しい人物で、想定内のことですが話しにならないですね。単刀直入に切り出したのですが、体よくあしらわれまったくでした。しかし、事務所のほうで数名の事務員に事務長の最近の行動を聞き込みましたところ、ここ最近、私用電話や不在が目立つらしく、事務所に居ないことが多いとの事です。恐らく、外部の人間と会っていたと思われます。ただ、その相手は今のところ掴めておりませんが、まず間違いなく不審な行動と判断して良いと思います。えー、後はこれといってです」
赤松は疋田の娘から得た情報とは言わず、自分と陣屋とでネタは隠し持っている。黒田の言う隠し事せずに全ての情報を捜査会議で曝け出して共有する。捜査の進展を妨害する発言や行動も全て報告するように言うが大抵の刑事は一つや二つのネタを隠し持って暖めており、ここぞという時に手柄とする。
明らかに情報が少ないような気がする。それに内容がさっぱりと要点を掴まないと思える。赤松はどちらかというと他の刑事より多くの情報をひけびらす口調で話すことが多い。さも、優越感に浸る様相が多いのだが今日の報告は少ない。何か隠しているのか。
「なんか、赤松警部補、隠してるような気がするんですが」
「菊池、静かにしろ」眉間に皺を寄せ、小声で言う。
「おい、お前たち」突然、恫喝とも言える大声を上げる本間。
その声に一瞬だけ、その場にいる刑事達の顔に緊張が走った。
「あのな、もっと有力な報告はないのかね。さっきから訊いていれば、薄いんだよ。本当にやる気あるのか」先ほどからの報告に業を煮やし、痺れを切らし机を拳でドンと叩く本間。
本間の叱責で水を撒いたように会議室は静寂化となる。刑事達一同は身をジッと硬めて黙っている。だが、反省でもなくここまで言われても腹の中ではやはり一物を持った刑事達だ。言いたい事はあっても厳しく成り立つ上下関係の為、黙っている。
「事件発生後、そう時間は経っていないが捜査の進展が思わしくないように思えるが。どうなんだ、え!」更に一言追い討ちをかける。
黒田がその場の空気を読む。引き締めていた口元を緩める。
「いいか、ここにいるお前らは県警の捜査一課だ。決して派手じゃないが一番身体を張っているんだ。自負してくれ」黒田が本間の話を上手く繋ぎながら冷静な口調で言いきかせる。
本間は横目で黒田の話に耳を傾け頷いている。
「部長、申し訳ありません。ここに居る全員、私も含め改めて気を引き締めます」
黒田は本間に向かい一礼する。
「では、続けてくれ。――鑑識班、その後の詳しい検死結果出たか? 報告を!」
「はい、えーとまずは検死結果です」
田辺が席を立ち、ささっと青色のファイルを広げ話し始める。
「午後からの司法解剖の結果、真鍋医師の報告を纏めました」
頁を捲りながら、資料に目を落とし話し始める。
「まず、害者の死亡推定時刻は、十三日の十六時から十七時の間と絞り込まれました。やはり死因は咽頭喉頭部の閉塞による窒息死。子供ですから簡単に陥没します。薄っすらですが首の索条痕、やはり子供か女かで締め付けられたような感じですね。それと後頭部に軽い打撲痕ですが、致命傷となる外傷ではないようです。胃の中からは特別何も見当たりませんが、果物の繊維のみ残っておりました。缶ジュースのそれと中身の成分が一致しました。えーと、缶ジュースに付着した三つの指紋はやはり害者とそれ以外ですが、これは警察庁の指紋データベースと照合しましたが見当たりません。それからズボンの臀部辺りに付着した泥は公園での付着だと思われます。楡の木ですね、葉と樹皮の一部が泥の中に紛れていました」
「そうか、――断定して良いのだな」
「ええ、そうですね」
「他には」
「携帯電話についてはまだメーカーからの回答がきていませんので、もう少し時間を下さい」
「遅いんじゃないか」
「最近は、個人情報やら手続きに時間を要するので」
「うむ、とにかく早急に頼むぞ!」
「それから、マル者の口元、歯間に糸くずが付着していました」
「それは?」
「何かタオルみたいな物を口の中に詰め込まれたと思いますね。糸くずが歯の至る所に付着していました。恐らく首を絞められた時にもがいたと想像できます」
「と言う事は声を出さぬように殺害される時、或いは殺害後に突っ込まれた、と想像できるのか」
「断定は出来ませんが、どちらかといえば殺害時の可能性が高いでしょう。大量にこびり付いていますからね」
唸る黒田。
「以上か?」
「いえ他にも、後藤警部補が回収した証拠品と思しき吸殻も調べてみました」
今度は青色のファイルを机に置き、黒色のファイルを手に取り、頁を捲る。
「犯行現場の側にある楡の木の袂に吸殻がほぼ同じ位置に四つ落ちていました。銘柄はセブンスターですね、それは真新しく雨に降られたのですがしっかりと原型を保っていました。吸殻、それが意味する事はどのくらいの時間かは分かりませんが、同一人物がその場に居たということを推測できます。四つ全ての吸殻に付着した僅かな唾液、DNA鑑定で同一と判断できましたので間違いありません」
その報告を訊いた菊池が後藤に向かってこそっと話す。「田辺さん、正確性に欠けると言ってたんじゃないですか」菊池や後藤の前では不確かな言い方をしたが、この場では不確かなこととは伝えず、後藤の手柄のように話す田辺。
「その示す意味は?」
「もしかすると共犯者が居た、とも考えられるのでは? それも何か計画的な事がありそうだと考えられます。あくまでも推測ですが」後藤が口を挟んできた。
「それに吸殻に付着した唾液から得たことに、性別は男ですな。吸殻のDNA判定された型に適合すると思われる人物は今のところ不明です。まだ比較する材料を採取は出来ていない」田辺が続ける。
「おい、待てよ。索条痕は細く小さいのだろ? 女や子供と考えられると言っていたよな。計画性やら男とか、今のところ推測するのはどうなんだ?」
「ええ、そうです。確かに推測では考えにくいです。ですが、一人でもなく、共犯者がいるでもなくです。それは犯人の特定が少し難しくなったと言うことです。これはまだ、推測の域にいると言うことですが、マル害はもともと殺害される予定ではなく、計画的な犯行。そうですね、例えば誘拐とか」
「何を根拠に? 今のところ何故、殺害されたのか、犯人の動機が掴めないとこではあるが、後藤警部補がいうそれを裏付ける根拠と証拠はあるのか?」
「いえ、それはまだ、何とも……。ですが、殺害された根拠がないのなら、ありとあらゆる角度から可能性の有る捜査をしていく方がこの場合は必要かと。実際、事件発生から数日経っていますがたいした収穫も無いようですから、ここは視野を広げることも必要ではないかと」
珍しい、係長が憶測で発言するなんて。いつも憶測で物事を言うなよ、と言う係長だが、時として直感が刑事の経験から湧き出てくるのも否めない。経験の浅い菊池とは違った方向性、あらゆる憶測で物事を言う後藤や他の刑事がいるのも事実である。
「捜査の進展を妨げない視野での捜査ならその線も吝かではない。とにかく衝動的殺害と計画的殺害、二面性の角度での捜査としてくれ。いいか、会議での内容はくれぐれも外部には漏らさぬようにしてくれ。今のところ確定できないものにはな」黒田はそこまで言うと腕を組み口籠もった。何か面倒な状況といったところだ。
「それから今日までの捜査会議での進捗を上妻本部長へ報告する。マスコミにももう一度正式公表しなきゃならん。よって、各自今日までの捜査報告を私までに提出するように」
毎日、出席しない上妻本部長に現況報告をしなければと本間からの指示で黒田の作業が増えるが止むを得ない。上妻本部長の性格を察している本間は黒田のことを思って示唆している。ただ、その薄い捜査報告では黒田が困るので本間は恫喝とも言える口調で刑事達を煽る。
どこまで刑事達に本田の気持ちが響いているのか分からないが、黒田は現状を報告する材料がないことの歯がゆさがある。
「では、散会」
「起立、礼、解散」
刑事たちは会議終了するとほぼ全員がそそくさと会議室を退室していった。
席を立ちその後姿を見送る菊池だが、席についたまま後藤は腕を組んで考え込んでいた。
「なあ、菊池。今から現場にもう一度行ってみないか、嫌なら俺一人でも行くが」
「え、今からですか。いえ、とんでもないですよ。私も行きます」
「そうか、ならPCを回しておいてくれ」
「分かりました」
書き物を終えた菊池は手帳を懐にしまっていた。
何が分かる訳ではないが、後藤はじっとしてられない焦りがあった。自分だけが報告するまで何もネタが無いことの苛立ちでもなく、何か見えない胸騒ぎを覚えた。
後藤と菊池の並ぶ席に倉田が歩み寄る。年嵩の刑事倉田は山下、郷地、吉川と引き連れて後藤を囲むように立つ。
「係長、行きますか」倉田が後藤の顔を覗き込みながら短く言う。続いて山下、郷地、吉川も後藤を見ている。
「ああ、そのつもりだが」後藤が上目遣いで返事をする。
「じゃ、お先に行ってきますわ」山下が郷地に顎で指示して二人会議室を出て行く。
「自販機業者の責任者が今日は出張から帰ってくると聞いていますので、もう一度話を聞いてきますよ。行こうか」倉田は吉川の肩をポンと叩くと、芳川は倉田に続いて二人出ていく。
「菊池、行くか」席を立ちながら菊池に目を遣る。
小さく頷く菊池がネクタイを締めなおした。
後藤率いる班、兄貴分肌の山下とパソコンが得意な郷地、後藤より年配の倉田の相棒で実直な吉川、それに菊池らは後藤を信頼しており、だいたい思うところが通じるメンバーだ。だから、後藤の言いたいことを先読みしている。いつもキンキンに突っ張った現場にいる奴らは極限にいるからお互いの腹の底まで読み取る。それが警察で言う信頼と仲間意識、ある種の凄みだと言われる所以だろう。
二人は会議室を出ると地下の駐車場に向かった。




