二.
宵の宴は久方ぶりの賑わいを見せた。
都中の貴族や武官らが集まり、大声で酒盛りをしている。
静粛な祈祷などとは大違いだとヤナギは苦笑を洩らした。
先代姫巫が亡くなってからというもの、こういった催しはついぞ開かれたためしがなかったので、皆の心も躍っているに違いない。
ヤナギは口を一文字に引き結び、広間の片隅で宴の様子を観察していた。
仕立ての良い衣装は見る者全てを惹きつける。
ヤナギ様は見栄えのする容貌を持っていて羨ましいです、とチズコは小声で言う。
チズコの言葉を無視し、ヤナギは格子の向こうに広がる夜空を見ていた。
爪の形をした月の光は淡く雪を照らし、幻想的な雰囲気を造り出している。奏でられている楽の音がより一層、美しさを引き立てていた。
外の凍える美しさと反対に、広間は人でごった返しており、熱気立っている。
今回の宴の主役であるムロは、台王の座す御簾の前で皆に囲まれて祝いの言葉をかけられているようだった。
嬉しそうなムロの表情は、ヤナギまで嬉しくさせる。
「こうして宴に興じるも、悪いことではないな」
独りごちると、近くにいた貴族が愛想笑いを浮かべて頷いた。
貴族は愛想笑いを浮かべながらも、どうして姫巫が広間の端にいるのだと言いたげな表情をしている。
国の懐刀とはいえ姫巫もこういった宴の席ではただの招かれ人である。どこにいようが関係ない。しかし、名の知れた貴族や武官はヤナギのそのような考えをよしとしない。
先代は常に台王の横、もしくは一番近くに控えていた。それが彼らの頭にあるのだろう。
「ヤナギ様、ムロは立派に宣誓致しましたね。わたくしが気を揉むこともございませんでした」
チズコは誇らしげに笑顔を見せる。自分より若年のムロのことを、彼女は彼女なりに心配していたらしい。
聞けば昔、王宮の中にある童部屋で寝食を共にしていたというので、ヤナギは少々驚いた。
王宮内は広いようで狭い。誰が誰の知り合いか、皆目見当がつかない。
ムロの武官長着任の儀は滞りなく終わった。
高天原国秘蔵の八雲大蛇大剣を台王より承り、台王への忠誠を誓う。
ムロの瞳には高天原国を一心に背負って職務を全うしようという意志が感じられた。
「素晴らしい就任の挨拶だった」
多くの人々より言葉をもらっているムロに、ヤナギはそっと投げかけた。
その声は決してムロのもとには届いていないだろうに、彼はヤナギの方を振り返る。
ムロは嬉しそうに笑ってみせた。彼の笑顔は凍えるようなヤナギの心にそっと灯を与えてくれた。
◆ ◆ ◆
宴もより一層宴らしくなってくる後半、最早儀式のことなど誰しも忘れているのではと危惧するほどに皆酒に興じていた。
ヤナギはチズコに酔いつぶれたムロを部屋へ連れて行くよう命じ、自分は一人のんびりと月の光を浴びていた。
ふと台王のいる上座へ目をやると、闇者――伝達係のような者――が台王に何事か耳打ちしているのが見えた。台王の顔が喜色に染まる。あやしく思い、ヤナギは眉根を寄せる。
台王は立ち上がり、手を打った。急に広間から喧騒が止んだ。
「今日の宴にはもう一つ意味があってな。先だって我が息子が都の視察をしていた際に黄昏国より亡命してきた者どもと出会ったらしい。その者共、たいそう稀有な舞を披露したそうだ。宴もそろそろ佳境に入ってきたところ。黄昏国人の剣舞、見せてもらおうではないか」
黄昏国の舞。
そう台王が言った途端、ざわめきが起こった。
ヤナギもじかに見たことはないものの、黄昏国に古くから伝わる剣舞は、この高天の原国の剣舞と違って繊細な動きと技術を要するらしい。
しずしずと袈裟を被った男が二人、広間に入ってくる。
周囲は息を呑んだ。
圧倒的な存在感をかもし出し、異質な空気をまとっている彼らは手にした剣を鞘から抜かず、天に掲げた。
ひらりひらりと場を呑み込み、観客たちは花々が散り乱れる錯覚を覚える。
黄昏国の剣舞を披露出来る者の数は限られている。余ほどの剣の使い手でないと、舞は陳腐なものにしか見えない。
技量と器量、度胸。全てを以ってして始めて体現出来るのが剣舞だ。
黄昏国人達の舞は、場をすぐに花化粧させた。誰も声を発しない。
一しきり剣舞を舞い終わると、二人は台王の前に片膝をついた。彼らは息一つ乱している気配を感じさせない。
二人がふかぶかと被っていた袈裟を取る。
左側の男が朽葉色をした長い髪を見せた刹那、人々は大きくどよめいた。
この都の中でこうも堂々と異国人であると主張した者はかつていない。
ざわめきが幾分か収まった頃合を見計らって、朽葉の髪色を持つ男は唇を動かす。
「私はカガミと申す者。黄昏国の戦火より逃れるため、命からがら蜘蛛の廻廊を通り、こちらにおりますヤサカニと共にこの都へとやって参りました。此度の台王のご温情、並びに王子の計らいに私どもはいたく感銘を受けている次第でございます」
ヤナギは小首を傾げた。
カガミの声をどこかでつい最近、聞いたことのある気がする。
カガミと名乗った青年の横にいる黒髪の青年、ヤサカニは唇を一文字に引き結んだまま頭を上げない。彼の髪が染色されているのは明らかだ。少しだけ赤い部分が残っている。肩まである髪の隙間より見える左目につけた眼帯から、ヤサカニが隻眼であることが見て取れた。
カガミは、俯き加減で台王の言葉を待っている。
台王は扇子を広げ、口許の笑みを隠した。ひじ立てにもたれかかり、気だるげに答える。
「よいよい、わしは趣きあるものが好きでな。……剣舞は武に通ずる者にしか舞えぬ。そなたらの動向、楽しみに見守るよ」
微弱ながら棘を感じる物言いに気を悪くした様子もなく、カガミたちは面を上げた。
広間にいた女たちの甲高い声が響く。それとは別に、ヤナギの声も上がる。
女たちが声を上げたのは、まぎれもなくカガミとヤサカニが美丈夫だったからに他ならない。
しかし、ヤナギが声を上げたのは別の理由からだった。
あの日――――あの台王から逃げ出した日。
ヤナギを救ってくれた青年がいた。
朽葉色のたおやかな流れを作る長髪に鋭い輝きを灯した瞳。全てを見透かしているような超然さで、ヤナギに“ハルセ”と名乗った青年はそこにいた。
妖艶に笑むカガミとは対照的に、隣にいるヤサカニの表情がヤナギと視線が合った途端に青白く強張った。
◆ ◆ ◆
社殿へ舞い戻ったヤナギは眠りにつこうと目を閉じた。
しかし、姫巫が受け継ぐ生々しい歴史とカガミの鮮烈な瞳がそれを妨害する。
「何故…………どうして」
口をつくのはうわ言のような言葉のみ。ヤナギは額に右手を当てて、無心に天井を眺めていた。
命の恩人であるカガミに一言礼を述べたい気持ちは山々だったのだが、あの時、カガミは台王の護衛兵を幾人か殺してしまっている。
おいそれと近づくわけにはいかない。
(機会があれば、あらためて礼を言おう)
そう心の中で呟き、再び目を閉じる。
眠りの淵に立った彼女の鼻腔にかぐわしい香りが漂ってきた。
『もう、お前を守れない』
誰かは言った。
『願わくは、もう二度と今生でまみえることがないように』
懐かしい声が震えている。
『さよならだ、――』
最後の言葉は聞こえなかった。視界は朱色に転じ、体を生温い何かが伝う。生温いものに手を当ててみると、それはがヤナギの体より流れ出でた血だとわかった。
無数の声が場に響いている。
何かを訴えている――。この夢は何かをヤナギに訴えようとしている。