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一.


 高天原国たかまのはらこくは、数多の国々の中でも特に際立った権勢を見せつけ、世に栄華を誇っていた。その属国は百を下らないと云われている。


 都に積もった粉雪は、柔らかな日差しによって融けて川に流れる清水の一部となる。

 まだ春がやって来たとまでは行かないものの、冬の凍りつく空気は幾分和らぎ、暖かな太陽の光が射している。

 ヤナギは左手を天へかざし、束の間の休息を過ごしていた。

 代々姫巫に与えられる、梔子斎森くちなしさいのもりの一角にある神杷山しんはやま

 そこに四季という概念はない。下界と切り離されたそこは、神々の遊山場と呼ばれるほどに浮世離れしている。四季折々の花がいっぺんに咲き、冬でも雪は滅多に降らない。

 とても不可思議な場所――不安定な場所である。

「あまりゆっくりとしている暇はございませんよ」

 ぼんやりと斎庭さいにわの大石に腰かけて空を見上げていたヤナギに向かって、きびきびとした声がかかる。

 振り向くと、そこには二人の采女を伴ったチズコがいた。ヤナギは大袈裟に溜め息を吐いてみせた。

「久々の我が家なのに、一息つく暇もない、と」

「はい、ございません。よもや、姫巫に自由時間があるとでも?」

 言いながらチズコは、ずいと持っていた反物たんものをヤナギへ差し出した。ヤナギは怪訝な顔をしてそれを見る。

「これは――」

「明晩、王宮で大きな宴が催されるとのことです。姫巫も必ず出席をとの旨を先ほど臣より伝えられました」

「…………何も、このような時期に宴をせずともいいものを」

 ヤナギの呟きは最もである。今は、高天原国が真に天下を統一出来るかの分かれ目。

 宴に労力を裂くくらいならば、一人でも優秀な人材を宮へ召集して強い軍を編成した方が国のため。

 しかし、チズコは一笑した。

「このような時だからこその宴でございましょう。姫巫ご自身の休息はないも同然ですが、ひ弱な兵たちは息抜きがないと、次の行軍に耐えられないでしょうからね」

 ヤナギは黙り込んだ。

 次の戦は東方だと聞いている。東方は、地上の中でも地下の国々と癒着の強い地域だ。

 それ故、今まではおいそれと手出しをしなかったのだが、最近になって地下の国々の動きが活発化してきているので、先手を封じる意味合いも兼ねて東方を支配下にしようと台王や臣たちは考えているようだった。

 たくさんの犠牲が出るだろう。

 ヤナギは今からそのことで憂鬱な気分になった。

 東方にはまだ古き神の教えが強く残っている。高天原国にまつろわぬ土着の民の中でも特に戦闘に秀でている者たちが潜んでいるとも聞いたことがある。

 先代の姫巫でさえ、何度も遠征に赴き、何度も痛手を負って都へ帰ってきていたくらいだ。

 だからこそ、ヤナギは東方への遠征を拒否するわけにはいかない。

 先代よりも力があるとは言い難い。しかし、もう先代はこの世にはいないのだ。

 今はまだいい。他国は、新たな姫巫であるヤナギが先代よりも力が劣るのを知らない。

 それを悟られぬためにも、今回東方で完璧な勝利を収める必要があった。

(私は、先代のように大きな事象を具現化することは、できない)

 森の一角に火を起こすことくらいならば造作ない。

 しかし、先代が戦でやってのけたという敵軍を雷によって焼き払うなどという芸当は無理である。

 人にはそれぞれ巫力の限度がある。かの先代姫巫はそれが無尽蔵にあったらしいのだが、ヤナギは並み。無理をすれば人体に影響を及ぼしてしまう。

 やれやれ、とヤナギは伸びをした。背筋を伸ばすと、嫌でも気が引き締まる。

「討伐軍の大将であるはずの私が着物を羽織るというのも妙な話だが……しょうがないね」

 ヤナギの言葉にチズコも不服げに頷いた。

「全くです。わたくしとしては、おいそれと姫巫の姿を下郎に見せたくはございません。台王はこれだから……」

 チズコは後ろに控えている采女に目をやって、ヤナギの身支度を手伝うよう無言で命令する。

 チズコはたいそう厳しいと他の采女や女官らの中でも噂らしく、二人のまだ若い采女は肩を震わせ、慌てた様子でヤナギの横に立った。

 ヤナギは焦り、二人の采女とチズコを交互に見る。

「ちょっと待って。ここで身支度をするの? ここは外でしょう」

「ヤナギ様」

 チズコは渋い顔をし、腰に手を当てた。

「では中にお戻り下さい。化粧も何もしていないまま外に出られている姫巫がどこにいますか。お恥ずかしい。この反物は明晩用ですのでお召しにならなくよろしいですが、せめて寝着で徘徊はいかいされるのはやめてくださいな」

 もうすぐ、武官長様がこちらへ参られるのです、とチズコは言った。

 人がこの神杷山にやって来るのは珍しい。

 ヤナギは興味深げにその話を聞いた。どうやら、今回の宴は新しく就任することになった武官長やその他武官、護衛官長のためのものらしい。

 その新しい武官長は、宴の前にどうしても姫巫に挨拶をしておきたいと台王に頭を下げたようだった。討伐軍の指揮官である姫巫にぜひ挨拶を、と律儀に考えるところから見ると私腹を肥やしたどこぞの貴族の息子でないことは間違いない。

「新しい武官長、か」

 武官長といえば、高天原国の都を護る重要な役目を持つ、戦場に於いての最高司令官だ。

 実質、討伐軍に身を置く姫巫よりも身分が高い。

 先の武官長は高齢で、いつ引退してもおかしくなかった。ようやく役職にふさわしい人材が見つかったのだろう。

 ヤナギはしぶしぶ社殿の中へ引っ込んだ。采女二人は何も物言わずに後に続く。

 姫巫という名は人々を畏怖させ、平伏させる。ヤナギは采女たちと戯れるつもりは毛頭なく、声もかけなかった。

 チズコはと云えば、武官長をお出迎えしてきますと言い残して場を去った。

 沈黙が場に重く圧し掛かる。

(私を恐れる者と口を聞きたくはない)

 ヤナギは唇を一文字に引き結び、着物を着込む。

 終わりに萌黄色の羽織りを肩にかけると、鏡台の前に立った。

 素早く采女の一人が彼女の前へ回り込み、白粉をヤナギの顔全体に叩く。元から色白ではあるが、それによって一層白さが増した。薄紅色の頬紅を塗り、唇に真っ赤な紅を乗せる。瞼の上にも紅の線を入れられた。

 瞑っていた目を開くと、鏡の中にある顔は、先代とそっくりだった。真っ赤な口は屠ってきた魂の色を映し出したように見える。

 ヤナギは自嘲的に笑む。

「あれほど恐ろしいと思った顔が、今や我が顔か」

 思わず呟いた。

 采女たちは顔を見合わせて首を傾げる。

 ヤナギは踵を返した。

「何でもない。さあ、武官長がもう到着なされていてはまずいだろう。行ってくる」

「あ、お待ちくださいませ。姫巫様」

 大股で歩くヤナギの後ろに采女たちは慌てて続いた。


 斎庭には四季など関係なく様々な花や木が乱れているが、これ程までに美しいと思ったのは初めてだ。

 景色が澄んでいる。自然の匂いがヤナギを癒す。肌にまとわりつく空気は、初めてここに来た五年前のものと変わらず清廉だった。

 朱塗りされた橋のすぐ脇に置かれた長椅子に、長い髪を高い位置で縛った武官長とおぼしき人物はいた。

 彼は、薄い生地の着物の上から簡素ではあるが、布製の鎧とゆがけをつけている。

 前屈みになっているため顔はわからないが、そわそわと指をしきりに動かしており、緊張しているのが露骨に見て取れた。

 ヤナギは着いてこようとする采女たちを手で制し、武官長へ歩を進める。

(私を見たら、後ずさりするに違いない。いいさ、わざわざ挨拶に来ようと思った心意気だけでも買おう)

 天弓てんきゅうの橋を渡り、彼の後ろ側から少し距離を保って声をかける。

「もし」

 武官長は勢い良く顔を上げた。髪がしなやかに波打つ。

「私に会いに来たという武官長とはそな――」

 言いつつ、武官長の正面に立ったヤナギは唖然とした。

「……ヤナギ様……。戦場で見えた時とは随分と印象が異なりますね」

 ムロは素早く立ち上がると、膝を付いて頭を垂れる。小刻みに震えているのがわかった。

「次の戦までの小休止、いかがお過ごしでしたでしょうか」

「ああ、顔を上げて。本当に、本当にそなたなのか」

 ムロはヤナギの頼みに従い、顔だけ上げる。

 ヤナギを見上げる彼の顔は、よもや十二の少年のものではなかった。

 吊り上がった双眸に意志の強そうな眉。体つきも十五のヤナギよりしっかりしている。浅黒く焼けた肌がまた、ムロの精悍さを際立たせている。

 ヤナギは酷く困惑した。つい二月ほど見ないうちに、ムロは尋常ではない成長の仕方をしていた。

 自分よりも幼かった者が何かが憑依したかのごとく大人びている。

 この事実を前に、うろたえない者はいないだろう。

「何があったの。ついこの前顔を合わせた時は、そこまで背丈もなかったし、声も低くなかった。いくら成長する時期と言っても、その変わりようはおかしい」

「や、ヤナギ様……落ち着いて。取り敢えず、椅子に腰を下ろしましょう」

 質問をぶつけるヤナギをムロが制す。

 渋々、ヤナギは長椅子に腰かけた。

 チズコが用意したのだろう茶と菓子を、ムロはてきぱきとヤナギに渡す。

 二人とも、ゆっくりとそれらを味わった。一息吐いて、ムロは口火を切る。

「ムロはヤナギ様に言わなければならないことがあります」

 開口一番にムロは頭を下げた。

 ヤナギは面食らう。何のことか皆目見当もつかなかった。

 ムロは長い睫毛を伏せて形の良い眉を寄せる。

「サコを、ヤナギ様はご存知だと思います」

「サコ……? ムロ、お前――サコを知っているのか」

 ムロは力なく笑う。

「ヤナギ様は覚えていらっしゃらないようだ。七年前、サコとともに暮らしていた同郷の子供が武官長、サブライと都を後にしたことを」

 あ、とヤナギは驚きの声を洩らした。

「あの時のわらべがそなただと言うのか」

 ムロは前屈みになり、指を組んで答えた。

「そのとおり。……サコの訃報ふほうは、遠く離れたむらに身をおいていたムロたちのもとへも伝わりました。師――サブライが何と悲しんだことか。あの時、ムロは誓ったのです。……どんなことをしてでも強くなろう、いや、サコや師のためにも強くならなければいけなかった。ただ泣くだけの幼子でありたくなかった」

 サブライ元武官長は七年前まで武官長の座にいた人物であり、戦災孤児のサコやムロを引き取り育てた人物でもあった。

 “激昂の大蛇おろち”と呼ばれるほどに勇ましい人であったが、戦場いくさば以外では温厚な人柄だったため、皆より慕われていた。

 だがしかし、サブライは七年前のとある日、収賄しゅうわいの罪で武官長の座と都を追われた。

 その時、もう既にヤナギの付き童となっていたサコは都に残ることになった。

「サコと離れ離れになったのはまだムロが二つの時でしたが、サコのことはよく憶えています。幼いムロの手を引き、修羅のような場から連れ出してくれた」

 遠い目をしてムロは言葉を紡ぐ。

「そして、一年前……ムロはこの都に戻って来たのです」

 一年――――そんな短期間で武官長の地位まで上り詰めたというのは前代未聞の出来事だ。恐らく、高天原国の長き歴史の中でも初めてに違いない。

 ヤナギは下界に起こる出来事全てに関心を持っていなかったため、神杷山を下りる機会も皆無に等しく、そういったことさえ知る由もなかった。

 ムロは黙ったままでいるヤナギの顔を、おずおずと覗き込む。燃える夕陽が彼の左半分を赤く染める。

「立派な地位を勝ち取ってからヤナギ様にサコのことを告げようと思ってこの一年過ごして参りました。サコの代わりなどいらぬと言われるのは覚悟の上です。でも、もしも許されるならば、近くで貴女を守りたい」

「駄目」

 ヤナギはその申し出を素っ気なく拒否した。

 ムロはあからさまに落胆の気色を浮かべる。

「そなたは武官長という、国を守る地位に就いた。私だけを守るのでは役目を果たせない。サコも、そんなことは望んでいないと思う。ムロにはきちんと役割を果たしてほしいと言うはず」

 ヤナギは本心からそう言っていた。

 ムロがもしもヤナギだけを守ろうとした場合、彼が手に入れた強い発言力を持つ地位はもろくも崩れ去ってしまうだろう。

(ムロは優しい子だから、きっと私が一緒にいてほしいと言ったらここにずっといるだろう。そして、武官長の持つ役目を放り出してしまう)

 悔やんだところで、零れたものが盆にかえることはない。

「自ら選んだ道を行きなさい」

 覇気のなかったヤナギの目に、僅かながら力がこもる。

「私は自分で自分を守れるから。きっと、そなたの力は高天原国に必要な力」

「高天原国に……」

「そう、日々の小さな幸せを最もたっといものだと知る人々がたくさん住んでいるこの国を守る力。守るための強い武力は、どんなに昏き場所でも正道を行く」

 それは幼き頃、まだ王宮へ入る前にある人物から聞いた言葉だった。

 軍を束ねる者が国の行く末を決めるとも言っていたその人物の顔は残像のようにおぼろで思い出せないが、ヤナギに鮮烈な印象を与えたのは間違いない。

「わかりました。それがヤナギ様を守ることにも繋がるのならば、ムロは命を賭してでもこの道を行きましょう」

 真摯な光の宿る瞳が、ヤナギには眩しかった。

 ムロは椅子から腰を上げる。つられてヤナギも立ち上がった。

「では、また来ます。武官達の訓練もしなければならないので」

「…………都は今、冬か。たいそう寒いのでしょうね」

「はい。ヤナギ様も遊びに来てみるといい。一面の雪景色に咲く椿がとても綺麗だから。この寒空の下、子供達は裸足で駆け回っております。その笑い声がやがて、この神杷山にも穏やかな春を連れて来ることでしょう」

 ムロの口調は楽しそうだった。

 ヤナギの眼前にその光景がいきいきと広がる。寒い冬でも笑い合って生きる人々、美しく咲き誇る花。それらはとても大切なことで。

「都に下りたくなったらすぐにチズコへ伝言して下さい。飛んで参りますから」

「そうね、わかった。明日の宴には顔を出すつもりだけど、お忍びで都へ行く時はムロに言う。それにしても、そなたなら本当に飛んで来かねない」

 口元を綻ばせてヤナギは最後の言葉を呟いた。

「やっと笑ってくれた」

 ヤナギは気づいていなかったが、彼女は全く笑顔を見せていなかった。ムロに言われて初めてその事実に気が付いたヤナギは、はっとしてムロを見上げると、彼は今にも泣き出しそうだと思わせる表情を形成していた。

「戦場で誰と馴れ合うでもなく、常に笑顔もなかったのは、サコのことを未だご自分のせいだと責め続けているからですか?」

 返答に詰まった。

 そうではないと否定することは嘘を吐くことになる。

 図星と悟ったムロは、寂しげに自分の長い髪の毛先を弄った。

「本来、ムロの髪色は黒ではありません。鳶色――陽光に透ける色」

「何を」

 困惑してヤナギは声が大きくなる。

「よくよく瞳の色を見れば、誰でもわかるはず。ムロの目は芥子けしの実色をしていますから。サブライ師範の計らいによって彼に引き取られた時から今まで、常に染髪しておりました」

「もう、それ以上言っては駄目。誰が聞いているともしれないのに」

 ヤナギのとがめにムロは耳を傾けようとしない。

「かまわない」

 これ以上、ムロに言わせてはならないと頭のどこかで警鐘けいしょうが鳴る。

「駄目だったら」

「――――サコもそうだった。ヤナギ様も薄々勘づいていたのではありませんか。そう、ムロとサコは地上の人ではない。黄昏国人です」

 ああ、とヤナギはうめいた。

 ムロは言ってしまった。サコが処刑台に運ばれた一番の理由を。

 疲弊困憊ひへいこんぱいした黄昏国から流れてくる人民は数多くいる。その誰もが、敵国出身だというだけで些細な罪も許されない。黄昏国出身だというだけで理不尽な扱いや仕打ちを受ける。

 地下の人々は総じて髪や目の色素が薄いため、それを隠そうと染髪したり目隠ししたりする者も多い。

 王宮など、特に黄昏国人への風当たりが厳しい場所である。黄昏国人を始めとする地下の人々は能力の高いものが多いので、それなりに重宝がられるし王宮に呼ばれたりもする。だが、それは監視の意味も込められていた。

「サコが殺されたのは台王にそむく意思を見せたからに他ならない。他国人が歯向かったらこうなるという脅しだったのです。王宮に数多くいる他国籍の者達への見せしめでもあった」

 ムロは自嘲的に笑った。

「風の噂で聞いたのですが、当時、宮中の他国籍人が蜂起ほうきくわだてていたそうです。それを抑制するには、同じ地下の国の者を裁くが最良の方法だったのでしょう。人は二種いる。同胞を殺され立ち上がる者と、怖気づく者。宮中にいる者たちは誰しも後者だった。台王は確かな目をお持ちだ。それを考慮した上の策だったのでしょう」

 ムロの瞳の奥にあるものは、悲哀の炎であった。

 思わずヤナギはムロの手首を掴んだ。ヤナギより頭一つ高い位置でムロの頭が揺れる。

「ムロ」

 名を呼んだ。

 姫巫の力が眠る自分が名を呼ぶことで、先代がヤナギにしたように誰かを縛ってしまうかもしれないという盲信じみた考えを振り払い、はっきりとムロの名を呼んだ。

 真名ではない名にその人を縛る効力などないのだ。

「ムロ、ありがとう。わかったから……わかったから、もう言わなくていい」

 ムロは虚を突かれた顔をした。そして、わなわなと唇を震わせた。

「……はい……」

 蚊の鳴く声で呟いたムロの目から大粒の涙が零れた。それは止まることを知らず、零れ落ち続ける。牟呂は慌てて乱雑にそれを拭う。

 大人びた彼を、涙は子供に戻す。

「もう泣かないと、サコが死んだと知った日に誓ったのに。ヤナギ様は酷い」

「私のせいじゃない。ムロが泣き虫なだけ」

 軽口を叩き、二人は笑い合った。

 芽吹きの時期が来たのだとヤナギは思った。

 小さく丸くなり、常闇に身を委ねているだけではいけないのだと、痛感した。

 ムロはサコが死んで五年間、血を吐くような日々を過ごしていたに違いない。武官長になるには武の才もさることながら、一定の教養も必要になる。加えて異国民であるムロが武官長になるには、通常より何倍もの努力と精神力が必要だっただろう。

「サコが願ったヤナギ様の幸せ。ムロはきっと守ってみせます」

 言い残し、ムロは踵を返した。

 その後ろ姿は凜としており、遠く沈む夕陽の赤をまとって輝いていた。

 一人斎庭に残ったヤナギは目を瞑った。


 淡い風が頬を打った。



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