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四.


 清浄な風があった。

 青い竹が、ヤナギにさやさやと囁きかけてくる。

 ヤナギは竹林の中で深呼吸した。遠くから匂い立つ湧水と、平穏を象徴する木々のざわめきが耳をくすぐる。

 息を胸いっぱいに吸い込めば、現世にいたときと変わらないものに満たされていく。

 常世には全てがあった。ヤナギが望んだもの全てがあった。平穏と飢餓のない暮らし、そして人々の笑顔。

 ヤナギは漆黒の長い髪を解き放ち、天を仰いだ。黒曜石のように輝く濡れた瞳に蒼穹の空が映る。

 何十年も、同じ日常を過ごしている。山に生えた薬草や食物を採って皆で細々と寄り添って時を歩んでいた。

 一点の曇りもないまろやかな陽射しが竹の葉の間より射し込む。その光はヤナギの目を刺激する。ヤナギは緩く瞬きをしつつ、藪を掻き分けて竹林の奥へ歩を進めた。

 竹林の奥部には拓けた場所があり、野の花や薬草、そして拯溟の花が咲き誇っている一角がある。そこには高天原国の梔子斎森の如く神聖な空気を纏っており、たくさんの貴重な薬草が生えていた。ヤナギは月に一度、そこへ薬草の採取へ行っている。少しだけ、高天原国《あの国》にある竹林に似ている常世の竹林が、ヤナギの心を落ち着かせる。

 零れんばかりに拯溟の花が咲き誇っている。ヤナギは腰を下ろし、精神を和ませる花の香りを体に取り込んだ。

 拯溟はこの世とあの世を繋ぐ標花。ヤナギは拯溟の花の中、寝転んだ。

 遥か彼方に空があった。手を伸ばす。どこまでも気高く、澄み渡った空は、あの人を彷彿とさせて。

 朽葉色をしたざんばら髪と意志の強い鋭き双眸でヤナギを見透かすかの人は、最後に見た時、髪をばっさりと切っていた。瞼の裏にある残像は胸を締めつける。

(……会いたい……)

 強く思った。いつかまた、ここで必ず会えると云うチズコの言葉を笑って流しながらも、本当は信じていた。彼はきっと、ここへ辿り着く。そしてその時こそがヤナギにとって、現の終わり。そして始まり。

 ふわりと花弁がヤナギの顔に零れた。それと同時に体が浮いた。慌てて眼を開けると、そこには困ったように微笑むカガミがいた。


 ◆ ◆ ◆


 カガミのいきなり過ぎる登場に仰天したのか、いきなり体を持ち上げられたから仰天したのかは定かでないが、ヤナギは目を剥いて手足をばたつかせて強引に地面へ降り立つと、後ずさる。彼女が手にしていた竹かごが花の上に落ちた。

 幻影を見ていると思っているようだ。ヤナギはしきりに両目を擦っている。

 その様子がおかしくてたまらず、カガミは弾けるように笑った。

 ――――カガミ。

 ヤナギの声を聞いた気がして、野を越え山を越え、落葉樹の生い茂る一帯の水辺に辿り着いたカガミは、強く願った。ヤナギに会いたい、と。

 その瞬間、常闇洞泉とこやみどうせんはカガミの前に姿を現した。旅の終わりにようやくカガミは気付いた。必要だったのは、導いてくれる花と強い想いだったのだ、と。ヤナギのもとへ行けると確信したカガミは、迷いもせずに常闇洞泉へ飛び込んだ。途中、体の中から地祗の気配が消えた。かの神はカガミから手を引いてくれたのだ。不老不死の体をカガミはするりと脱ぎ捨て、洞窟の終わりに見える小さな光目指して駆けた。次第に強まる光を浴びながら、歓喜に胸を震わせる。

 胸に去来するのは、カガミを呼ぶヤナギだけ。五十年間、地上の救い手として生を貫いた青年は、ようやく自らの心を解き放った。

 そして光の先にあったのは、いつか高天原国で見た竹林の中に咲き乱れる拯溟の花と、その中に寝転び瞑目しているヤナギだった。


 ◆ ◆ ◆



 カガミは両手を広げる。

「来い、キョウカ」

 優しげな面差しは遠い昔、ヤナギが見たものと同じで。

 熱い想いがヤナギを満たした。会いたいと強く思うばかりに、もしや幻を見ているのではと自分の視覚を疑っていたヤナギは、泣き出しそうに優しく微笑むカガミが本物だと確信し、抑制していた感情の渦に呑まれた。

 ヤナギはカガミに思い切り飛びついた。

「ただいま、キョウカ」

「兄上、おかえりなさい」



 ――声がする。耳に残る響きに導かれ、カガミはようやく守るべきものではなく、守りたいもののもとへと還って来た。









 響くは始まりと終わりを告げる宿運がときの声。

 歴史に埋もれし真実はそのままに、いざ逝かん。


 導くはかなしい者の足跡。

 大地に広がりし陽光はやがて、民を救わん。

 巡りめぐった全てを抱き、ようやく帰巣せん。



 残響帰巣ざんきょうきそう。唯一無二の居場所はかの心なり。


――――――――


 響くのは物事の始まりと終わりを告げる、運命の産声。

 歴史の中に埋もれた真実は胸に秘めて、私はこの世を去ろう。


 私を導いてくれるのは、恋焦がれた者の辿った足跡。

 大地に広がった眩い太陽の光が、澱んだ空のもとにいる人々を救うだろう。

 万物を巡って繰り広げられた全てを私は受け入れ、ようやく巣へ戻った。


 耳に残る声を頼りにし、私はここへ帰って来た。この世でたった一つの私の居場所は、あなたのそばだった。




 それは古に語り継がれた伝承。太古の昔の記憶。

 結ばれることなく世を去った二人の、物語。 




    《完》

 長かった……。

 構想を練ったのが2008年の冬。書き出したのがその翌年の春。そして、修正しながら書き終えたのが今。

 物語の結末は当初考えていたものと同じです。でも、そこに至る道筋は二転三転……。自分で書きながら、「何でここでこうなる!」と突っ込みながら執筆してました。


 ヤナギの運命。カガミの運命。そして、二人を取り巻く人々。

 いくつもの偶然と必然を綴りながら、物語は完結しました。

 ヤナギとカガミは正反対の性質を持つ子でした。でも、本質は同じだった。二人ともどこか寂しげで、葛藤していて。

 逃避と向き合うことは対極にあるようでいて常に隣に寄り添いあっていると、私は思っています。

 物事から逃避すること。それは自分の中の何かを守るための行為。守ると同時に何かを喪う。ヤナギが辿った行く末。

 物事に向き合うこと。それは自分を傷つける結果を招くことがある。カガミが辿った行く末。

 似ていないようで、とてもよく似た行く末。


 この話はもともと短編用に作ったものだったんですが、せっかくだから長編で書いてみようという私の気まぐれによって、ここまでの長編となりました。

 ――疲れました。

 というのが今の心境です。

 細かい修正や矛盾点や表現の変更など、あとでチョコチョコいじりますが、一先ずここで『残響の導き』は完結です。

 ここまでご覧になって頂いた方全てに感謝致します。


 それでは、また充電し終えたらまた長編を書き散らすと思いますので、それまで皆さまお元気で。


2010.08.09〆

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