四.
薄い意識の中で、ヤサカニは動かなくなったヤナギを支えるカガミを見た。彼女を見つめる彼の瞳は、揺れていた。
膨大な神の力を完璧に操ったカガミ。彼の圧倒的な精神力に、ヤサカニは素直に尊敬の念を抱いた。
ヤサカニはうつ伏せだった体を仰向けに直し、自分に力を貸してくれた神に胸中で礼を言う。ヤナギから出て行った海若と同じように、ヤサカニの中から小さき光が姿を現す。その瞬間、左目の視力がなくなる。ぼろぼろの自分に手を貸すのは、神にとっても複雑だったろう。
静かに、ヤサカニは涙を流した。何より、ヤナギを喪ったことの方が彼にとって大きかった。もう、ヤナギはこの世から姿を消したのだ。
守れなかった。
ヤナギも、そして――カガミも。
実の兄に殺された妹と、実の妹を殺した兄。
二人の心を救えなかった力なき自分に不甲斐なかった。
体は限界点を越えている。息もつけない。折れた肋骨が肺に突き刺さっているようだった。
(叶うならば、どこまでもヤナギ様にお供できるよう)
決してヤナギが一人にならないよう、ヤサカニは祈りつつ瞳を閉じた。脳裏によみがえるのは、ヤナギの壊れそうな笑顔。
「あなたと、このまほろばで出会えたことに感謝する」
その言葉を最期に遺し、ヤサカニは息を引き取った。
ヤナギは深い闇の中にいた。ここが常闇洞泉だと気がついたのは、前にカガミと二人でこの道を辿ったことがあったからだ。
後ろの方から滝がとうとうと落ちる轟音が響いてくる。引き返すことは叶わなかった。死者の黄泉路であるここから、生者の住まう領域へ逆上ることは不可能だ。生きているのならまだしも、ヤナギは既に死んでいる。
ヤナギは自分がカガミに殺されたのを知っていた。彼女の他にも幾人か鍾乳洞の奥部を目指す人の姿がある。彼らの体は透けており、うっすらと発光する水晶の光に淡く照らされている。
怖くなどなかった。
「これでいい」
ヤナギは呟き、緩やかな風が吹き込む常闇洞泉の出口へ足を進めた。
「ヤナギ様」
声がかかる。横を見ると、ヤサカニがいた。ヤナギは微笑んだ。
「ほら、二人ともさっさと歩いて。あとがつっかえてるんだから」
どこからか、憤然としたチズコの声がする。じん、とヤナギの胸を温かなものが満たした。
生きている時に踏み入れた常闇洞泉は、恐怖の象徴でしかなかった。しかし、死後の人々には安らかな光を感じさせる。
再び現世に生まれ落ちるための、道。
そう思った。
ヤナギとヤサカニは、チズコの声をたよりに黄泉路を下る。
――――――。
ヤナギは振り返った。
自分を繰り返し呼ぶ、哀しい声が聞こえてくる。鍾乳洞内を反響し、涙に滲んだ声は更に歪む。
ヤナギは常闇洞泉の入り口から洩れる光に向かって、花が綻ぶように笑んで見せた。
「見渡す限り広がる大地は、貴台の前にある。どうか、高天原国のぶんまで皆が幸せであれる国を」
ヤナギを抱きしめていたカガミの頬を、一筋の涙が伝った。