四.
甲高い金属音が響いた。
ヤサカニとカガミの剣がぶつかり合い、その度に高い音を立てて鳴る。
大剣を操るカガミと、二つの中剣を操るヤサカニとでは根本的に特性が違う。ヤサカニは小回りが利く点でカガミに勝っているが、一太刀の重さはカガミが勝っている。
ヤサカニは二本の得物を構え、腰を落とす。
体中が悲痛な叫びを上げていた。こめかみより流れ出でる血は止まる気配もない。段々、体温が冷えてくる。
「貴方がヤナギ様の兄……? 御冗談を」
カガミは何も答えない。
ヤサカニは倒れるわけにはいかなかった。
ちら、と後ろへ目を配る。カガミに斬られた御簾の脇に、一人の少女が倒れ込んでいる。少女――ヤナギをカガミへ渡すわけにはいかない。ヤサカニは彼女のことを絶対に守ると決めたのだ。
――たとえ、かつての主に叛こうとも。
血潮が熱く滾る感覚は、ただ憎しみに駆られて生きてきたヤサカニにとって初めての経験だった。
誰かを守るために自分は剣を持っている。そう思えば、不思議とカガミに対して臆する気持ちは霧散する。
ヤサカニは長い間、カガミと戦場をともにしていたため、カガミの実力が並大抵のものでないことは十分理解している。
だからといって、ヤサカニが彼に剣で劣るかと言えばそうでもない。カガミの剣の師は、ヤサカニの父なのだ。父の剣筋のくせとカガミのくせは良く似ている。打ち込んできたあと、半歩下がって鋭く薙ぐ。そのくせは今も健在だった。
しかし、くせが分かっていると言っても、怪我を負ったヤサカニは分が悪い。
カガミの剣捌きは澱みなくヤサカニを追い詰めて行く。
戦場でルイの毒針にやられた左腕がじくじくと痛む。それでも、ヤサカニは苦悶の表情などおくびにも出さず戦っていた。
一方的な戦いになっていないのは、一重にカガミが生身の人間であったからだ。
ヤサカニは戦場で見たムロの異様とも言える雰囲気を思い出し、身震いする。
何者も近寄ることを許さない空気を纏った少年が手をかざすと、途端に稲光が高天原国軍へと落ちた。木造の家屋に雷が落ちたことで火の手が上がり、それは生きているかの如くヤサカニたちを包んだ。
前線にいた者で命があるのは、ヤサカニを含めてほんの数人だった。
せめて、宮だけは守らねばと思って奮戦したが、圧倒的な力の前に、人間であるヤサカニたちは無力だった。
ムロが神の力を使っているのは間違いなかった。
幼い頃、ヤサカニにあった力と少しだけ空気が似ていた。最も、自分にあった力は非常に微々たるものであったが。
ヤサカニは、ひゅっと息を吸い込んでカガミに突撃した。
カガミはそれを難なく流す。黄昏国の王子は、容赦なく剣をふるう。その様は鬼神のようだった。
疲労や怪我があったせいで負けた、というのは言い訳にもならない。
ヤサカニは双剣で一閃を受け止め、後ろへ飛んだ。
焔が轟音を上げて二人のいる部屋の前まで迫っている。早く片をつけなければ、ヤサカニもカガミも、そしてヤナギも死んでしまう。
一瞬の油断も見せないカガミの態度を崩すためには何が一番有効か、ヤサカニは血の気が引いていく頭で必死に思案した。
そんなヤサカニをカガミは酷く冷淡な眼差しで見つめる。
「お前の目と耳をもいだのは、キョウカだ。それでも、庇うのか」
ヤサカニは迷いなく頷く。
「俺は最初から、彼女がそうだと知っていました。今更、何を躊躇うことがありましょうか」
刹那、カガミの双眸が揺らいだ。
ヤサカニは、ヤナギが自分の左目と左耳を持って行った者だろうと何だろうと構わなかった。
憎悪と愛情は常に紙一重だ。
深い絶望を舐めたのはヤサカニだけではない。同じように、ヤナギも孤独とともに生きていた。
そんな彼女を救いたい。それしか頭にはなかった。
以前のヤサカニが今の自分を見たら、一笑にふしただろう。
娘一人に自国を裏切るなど馬鹿な男だ、と。
ヤサカニは挑むようにカガミを睨みつけ、剣を構え直す。死ぬ気でかからなければカガミに隙は生まれない。
――ヤナギ様をこの王宮から逃がすまで命があればいい。
空の左目が熱い。何かが込み上げてくる。哀しく猛る感情の渦。
もう二度と戻れない、カガミや仲間と声を上げて笑い合った日々が脳裏に浮かんでは消える。
カガミは自嘲するように笑った。
「ヤサカニ、俺はお前が心底羨ましい。それ故……」
一旦、言葉を切ってカガミは全身から殺気を放出させた。
「疎ましい」
カガミは床を思い切り蹴ってヤサカニに斬りかかってきた。大剣を振り上げた時、一瞬上半身が無防備になる。その隙をヤサカニは見逃さなかった。決死の覚悟で懐に飛び込み、心臓を狙う。カガミは舌打ちして身を翻し、間合いを取った。
ヤサカニの穴目の奥に宿った熱が暴れ出す。少しだけ目がくらんだ。
「もうじき、この宮は墜ちるぞ。生き延びたいのならば、ヤナギを俺に渡せ」
「断る」
にべもなくヤサカニはカガミの言を一刀両断した。
「ヤナギを……俺の妹を返せ!」
カガミの目に危険な色が浮かぶ。
隠し部屋全体が蒸し風呂のように温度が上昇していく。
炎は轟音を上げて目前に迫り来ていた。