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二.


 光の中にムロはいた。一面の金色の光は、淡く波打っている。

『我の力を望むか』

 硬質な声がムロの鼓膜を震わせる。

「ああ」

 淀みなくムロは前を向いたまま答えた。

 やがて光はムロの真正面に集束してきた。

『そちは我の選びし申し子ではない。が、我の血脈に連なる者だ。今までまじないの苦痛も乗り越えてきた並外れた精神力は称賛に値する』

 ふん、とムロは挑むように光を睨みつける。

「あれぐらいの苦痛、どうともないわ」

 光が一様にさんざめく。四方八方白いこの空間は、常人ならば発狂してしまうほどに無機質だ。

『良かろう。そちに我の力の一部を貸そう。そのかわり』

 いっそう光が眩しさを増す。

『我と呪いの誓約を交わせば、そちは現の死を享受できぬぞ』

「かまわない」

 その話を、ムロはサブライに呪いを彫ってもらう際聞いていた。遥か昔、拯溟しょうみょうの呪いを彫られた子供たちは呪いによる苦痛に狂死するか、自害を選んだ。どうにか生き永らえた子供も、こうして神と誓約する段階で死を選んだ。よしんば受け入れたとしても、強大な神の力に体が耐えられずに引き裂かれるという。

 ムロは黄昏国王族の血を受け継いでいることにこの時ばかりは感謝せざるを得なかった。

『……良かろう。そちに我、地祗ちぎの加護を与えよう』

 ほのかに呪いが刻まれている部分が熱を持つ。

 心臓が大きく一鳴りし、動くことをやめた。

 ムロは不思議な気持ちで自分の掌を見つめる。湧き上がってきたのは、確かな力だった。

『さあ、誓約は交わした。我の血脈を受け継ぐ者よ、どことなりとも行くといい』

 空間は急速にムロから遠ざかって行く。いや、ムロが遠ざかっているのかもしれない。

 すっと涙が頬を伝った。

 ムロは視界に映り込むカガミとサブライの顔を見て、盛大に顔をしかめた。

「何で師範とカガミが一緒にいる。ここは一体どこだ。常世か」

 開口一番、不機嫌極まりないという表情で言い放ったムロを前にし、カガミとサブライは顔を見合わせて肩を竦めた。

 ムロは自分が倒れてから先の経緯をカガミから聞き、ようやく合点が行った。

「それは……カガミ、すまない。迷惑をかけた。サブライ師範も、申し訳ございません」

 頭を下げるムロに、カガミとクルヌイは笑顔で赦しをくれた。

「ムロ、受け入れたのか?」

 サブライの言わんとしていることを察し、ムロは強い瞳で以って答えた。

「はい」

「そうか……そうか」

 サブライの顔が崩れる。サブライが泣きそうな顔をしているのか嬉しそうな顔をしているのかは、髭が彼の口許を隠しているため定かでない。だが、ムロに後悔は微塵もなかった。呪いは首元まで広がったままだったが、苦しくもないし痛みもない。地祗が苦痛を取り去ってくれたのだろうかと思い至る。

「師範、ムロは自分が最良と思った道を行くまで。恐れも、戸惑いもない」

 言い切ったムロに対してカガミが膝を打った。

「さすがだな」

 彼もまた、迷いが晴れたような顔をしていた。

「さてと。ムロも回復したことだし、都に帰る。サブライ、世話になった」

 カガミは立ち上がり、サブライへと手を差し出した。その手をサブライは力強く握り返し、腰を上げる。

「……わしは黄昏国にも炎來国とも手を組まない。だが、この戦の行く末を必ず見守ることを約束しよう」

「ああ。しかとその目で見るがいい。黄昏国の復古を」

 こうしてムロたちはサブライの家を後にした。

「カガミ、サコの……姉として慕っていた者の墓参りだけさせてくれないか」

「構わない」

 二人は二頭の馬を連れて葦原へと向かった。一頭はカガミが乗ってきた馬で、もう一頭はサブライからもらった馬だ。サブライとともに戦場を駆けた栗毛の馬は、ムロに大人しく従っている。

 金色の葦原は、何もかも覆い尽くす勢いで地表に根を張っていた。

 ムロはここに来たのは初めてではなかった。サコの遺体――骨だけだが――をこの善灯村へ運んだのは、他の誰でもないムロだった。せめて首から下はサブライの傍で安置させてやりたかったのだ。罪人つみびとたちの遺体を収容している部屋を管理している兵の一人と仲良くなり、拝み倒してサコの遺体を取り返した。

 そして、この見晴らしの良い葦原の最果てに彼女の墓を立てたのだ。

 ムロはサコの墓前で彼女の冥福を祈り、摘んできたしろつめ草を供えた。

「…………サコは、ヤナギ様の付きわらわをしていた」

 後ろに控えているカガミに聞こえるか聞こえないかくらい小さな声でムロは呟いた。

「付き童?」

「巫の世話をするわらべのことだ。姫巫に仕える采女のような者だな。サコはヤナギ様とたいそう仲が良かった。――サコと俺は、ヤナギ様と同じ日に宮殿へ来たんだ。あのお方は俺たちにとてもよくしてくれた。よく、泣いていたら慰めてくれて。……カガミ、ヤナギ様は無事だろうか」

 葦原が東風こちにしなる。

 淡い色合いの空は、落ちてきそうなくらい低く感じる。

「これは、黙っておこうと思っていたんだが」

 神妙にカガミは切り出した。

「ヤナギと会った」

 ムロは高く結い上げた黒髪をなびかせてカガミを振り返った。ムロの芥子の実色をした目に驚色が宿る。

「ヤサカニとともにサコの墓参りに来たと言っていた。束の間しか話せなかったから、あれだが」

 カガミは口を濁して視線をさ迷わせる。

 ムロの唇が微かに震える。

「ヤナギ様は、どこも怪我などされていなかったか」

「ああ。少し痩せていたが、見た限りはどこも怪我していなかった」

 そうか、とムロは俯く。

「…………ムロ、ヤナギのところへ戻りたいなら戻れ」

 カガミは優しさからそう言っているのでないことくらい、ムロにもわかった。彼はヤナギのことを思ってムロが揺らぐことを危惧しているのだ。

 ムロは波立つ心を平常に戻し、決然とした面持ちでカガミを見据えた。

「何を馬鹿なことを」

 カガミは風にあおられる朽葉色の前髪を鬱陶しげに払いながら、「いっそ、馬鹿正直に生きれたらいいのにな」と呟いた。



 カガミとムロが黄昏国の都へ帰った後はたいへん慌ただしかった。

 高天原国との決戦に備えて兵たちは士気を高め、軍師たちは地図を広げて軍略を練る。

 日々はあっという間に過ぎ去り、季節は秋となった。

 カガミは鎧を着込むと、大きく息を吸い込んだ。カガミの周囲にいるムロやバショウたちもおのおのの戦装束に着替えを済ませている。

「ついに、この時がやって来たのですね。高天原国との決戦の時が」

 バショウは緊張した声でそう言った。彼の緊張をほぐさんとしてユウラクがおどけて見せる。

「なあに、いざとなったら逃げ帰って形成を立て直せばいい」

「ユウラク様、此度の戦はそう甘いものでは……」

「おうおう、バショウはわしがおまえのために軽口を叩いているのもわからんのか」

「そう、だったのですか。申し訳ありません。つい」

 バショウとユウラクが会話している横で、ルイは何も言わずに黙々と槍と剣を磨くムロを遠巻きに眺めていた。そして、彼女は意を決したのか拳を握りしめて、つかつかとムロの前に仁王立つ。鷹揚なルイの態度にムロは不快感を露わにして睨み上げた。

「……ご武運を、指揮官様」

 精一杯の皮肉を込めたルイの物言いに、ムロは切れ長の双眸を細めて口角を持ち上げた。

「お前もな、副指揮官」

 ムロが黄昏国王族の者だと知った当初、ルイは今後どう接すればいいか随分と思い悩んでいた。しかし、今回の戦でいつも任されていた指揮官――先陣を取り仕切る者――の座をムロに奪われたことで、何かが吹っ切れたらしい。ムロが王子だと知る前の尊大な態度でルイは彼に接していた。

 ムロは己の正体に戸惑いながらも、カガミが指揮官に任じると拒絶することなくその役割を受けた。

 黄昏国王は何度もムロを一目見ようと兵たちの訓練場に足を運んでいたが、ムロは訓練の邪魔だと言って王を遠ざけていた。カガミはそれを横目見て、ほとほと王のムロに対する執着に感心していたのだった。カガミに対して黄昏国王がそれほどまでに興味を示したことはついぞなかったのだ。

「カガミ様、最終確認の時間です」

 マチが声をかけてきた。彼は筋肉隆々な体つきに見合ったゆがけをかけている。腰に差している剣が抜かれることは、ほぼない。マチはこてに仕込んだ暗器で相手を倒す。

「わかった。行くぞ」

 カガミの号令に皆つき従った。




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