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二.


 その日は雨だった。

 謁見の間には武官や文官、女官たちがひしめいている。皆、これから始まるヤサカニへの詮議せんぎを傍聴しに来ているのだ。

 ヤサカニは死を覚悟した。彼は深く頭を下げたまま微動だにせず、ただひたすら正面上座にいる台王の言葉を待った。

「ヤサカニ」

「はっ」

 台王の呼びかけにヤサカニはすぐさま返事をする。

「ムロとカガミの裏切り……そちも知っておるだろう。あまつ、あいつらはこの宮に火をつけた」

 謁見の間の空気が凍った。皆の視線を一身に背負い、ヤサカニは伏し目がちに口を開く。

「存じ上げております」

 言った瞬間、ヤサカニの右頬を何かがかすった。杯だ。その中から少量の酒が零れ落ちる。

 ゆるゆると双眸を台王に向けると、彼の顔は真っ赤に蒸気していた。興奮しているのは一目瞭然だった。

 台王の怒りは正当なものだった。宮殿の半分はヤナギが起こした炎によって焼け落ちてしまった上、捕虜にまで逃げられてしまったのだ。なお、火の件がヤナギの仕業だとは誰も気がついていないようだった。

 台王たちはヤナギが床に就いている原因を、心の病だと思っているらしかった。

 ヤサカニは手をついて頭を垂れる。陳謝の言葉は更に台王の琴線に触れてしまうだろうと判断し、あえて口にしなかった。

 台王は自分を殺すだろうとヤサカニは考えていた。

 たとえここで殺されたとして、ヤサカニに未練はなかった。黄昏国王より頼まれたカガミの護衛は無事勤め上げたし、それに、ヤナギを窮地から救えた。

 後悔がないと言ったら嘘になるが、この戦乱の世の散り際としては上出来だと思った。

「お待ちください、父上」

 部屋のすみで黙って聞いていたクルヌイが立ち上がり、台王のそばに寄る。

「この者はたしかにカガミと共に高天原国たそがれこくへやって来ました。そして、共に黄昏国へ帰ろうとしていたかもしれません。だが……」

 クルヌイは優しげな瞳をヤサカニに向ける。その目は深い慈愛が内包されていた。まるで、必ず救うから安心しろとでも言うように。

「この者は、混乱した兵たちに姫巫が殺されようとしていたところを必死に阻止したというではないですか」

「しかし、クルヌイ王子。それは処刑を免れようとしただけやも」

 側近の意見にクルヌイは目を細めた。

「あなたは、姫巫に真名を明かしてまで、自分の身を守ろうとしますか?」

 クルヌイの問いに人々はざわめく。台王も目を見張り、クルヌイに注目する。

 ざわめきが収まるのを待って、クルヌイは静かに唇を開いた。

「その場にいた者たちが口々に教えてくださいました。『ヤサカニは姫巫に真名を教え、それを姫巫が口にした』と。さて、この場にいる者たちの中に、傀儡となってでも姫巫を守ろうとする者がいるのですか」

 場は水を打ったように静まり返った。

「証拠はあるのか。姫巫の真名縛りを受けた証拠は」

 ヤサカニは台王の問いに自らの右目を指差した。

「我が右目の虹彩こうさいはもともと地下の国に住まう者特有の、赤茶でございました。しかし、今は青みがかっております」

 ふむ、と幾人かがヤサカニの瞳を覗き込んでくる。ここぞとばかりに女官たちも間近でヤサカニの顔を観察してきた。台王も、しげしげとヤサカニの瞳の変化を見受けると、手に持っていた扇を開いて煽いだ。

「…………今回だけはそちを赦そう。姫巫を救ってくれた件もある。そのかわり、次はないと思え。さらし首だと心得ろ」

「は。ご恩情ありがたく頂戴いたします」

「ああ、父上――ありがとうございます。良かったね、ヤサカニ」

 まるで我がことのように手放しで喜ぶクルヌイにヤサカニはあいまいな笑みを返し、頭を垂れた。クルヌイの助け船がなかったら、ヤサカニはきっと処刑されていたはずである。クルヌイは高天原国王子であるにもかかわらず、出会った当初からヤサカニやカガミに好意的に接してくれていた。頭が上がらない。

「さあ、詮議は終いじゃ。皆、解散」

 台王が手を打ち鳴らすと皆すぐさま席を立つ。中には不服げにヤサカニを睨みつける者もいたが、ヤサカニをよく知る女官や護衛官、武官たちは笑顔を見せてくれた。

「ヤサカニ、これから何か用事はある?」

「いえ、特には」

 本当はヤナギの様子を見に行きたいと思っていたが、クルヌイ王子にそれを率直に言うほどヤサカニは馬鹿ではない。

 クルヌイは満足げに頷いた。

「じゃあ、わたしの部屋へ行こう。他国からの献上品の中でおいしい菓子があったんだ。一緒に食べよう。よいですね、父上」

 念を押すように台王の方を見るクルヌイを、台王はうっとうしげに手で払った。

「よし、じゃあ行こう。ほら、早く早く」

 さっさと謁見の間より退室したいのかクルヌイはヤサカニの背を押す。

 クルヌイの部屋へ着いた途端、ヤサカニは待ち構えていたらしいクルヌイの護衛兵たちから囲まれた。彼らは皆、顔をくしゃくしゃにしてヤサカニの肩を何度も叩いた。

「あんたが殺されるんじゃないかってみんな気が気じゃなかった」

「最初は黄昏国の奴だし、警戒してたけど……お前はいつも職務に誠実だったからさ。処刑されることになったら反論しようって決めてたんだぜ」

「カガミのことは残念だが、ヤサカニは姫巫様を守ったんだ。誰かが悪し様に言ってきても堂々としてろよ」

 口ぐちに護衛官たちは言った。思いやりに富んだ言葉たちがヤサカニの胸を熱くした。

 彼らはヤサカニのことを微塵も疑っていない。その事実に少しだけ罪悪感がうずいた。

 クルヌイは苦笑して、部屋の戸口前に控える女官に合図を送る。それに応えて女官はすぐさま部屋より出て、菓子を持ってきた。

「さあ、ヤサカニ。さぞかし緊張しただろう。これでも食べて気分を休ませるといい。……大丈夫、皆の分もあるから。今日は特別だ。酒も持ってこさせよう。ヤサカニが無事に戻った祝いだよ」

 クルヌイの粋な計らいに護衛官たちは浮足立った。

 居心地悪そうに部屋のすみに移動したヤサカニは、女官から差し出された菓子を一つ手に取る。うぐいす色の皮にかじりつくと、ほのかに桜の芳香が漂う。桜が練り込まれているのだろうか。甘く、それでいて少しだけ塩辛い。

 張り詰めていた気が緩まる。ふと他の者たちに目をやると、既に宴会が始まっていた。酒の飲み比べをしている。

「ヤサカニ、お前もまじれよ」

「あ、ああ」

 護衛官たちに引っ張られて強引に中央へと引き立てられる。困惑してクルヌイを見ると、王子は柔らかな表情をして自らも杯を手に取った。そして、ヤサカニの隣に座って杯を高々と掲げた。

「わたしたちの仲間の釈放に」

「はいっ」

 クルヌイの言葉を皮切りにして皆酒を飲み始めた。王子も味わうように酒を飲んでいる。ヤサカニは周囲の者たちに次から次へ杯に酒をつがれて辟易する。それでももらった酒を残すというのは礼儀に反すると、一気に酒をあおる。そのヤサカニの様子に護衛官たちはいっそう盛り上がって自分たちも飲むぞと、それこそ浴びるように酒を酌み交わす。

 終いには泥酔して眠りこける者も出る始末だった。

 元来、酒に強いヤサカニはそうでもなかったが、他の者たちは気分が悪いのかクルヌイに一言告げて部屋を出て行く。

「やれやれ、気分が悪くなるまで飲まずとも良いのにね」

 上機嫌でクルヌイは立ち上がる。彼は格子近くによって、杯を傾ける。王子はあまり速度を上げずに飲んでいたので悪酔いしていないようだった。

「眠っている者たちは私が責任を持って屯所までかついでいきます」

 律儀に言うヤサカニにクルヌイは首を横に振った。

「眠らせておいていい。僕は君に、訊きたいことがある」

「はい、なんなりと」

 クルヌイはヤサカニから視線を外し、雨が降りしきる庭を眺める。格子ごしの庭は雨のせいで色あせて見える。

「…………カガミは、黄昏国へ帰ったんだね」

 クルヌイの呟きを聞いて、ヤサカニは心臓が破裂するかと思う程に動揺した。

 しかし、クルヌイはそれを咎める様子もなく、じっと外の景色を見ている。

「…………〝神の腕〟と呼ばれる黄昏国の王子、ハルセ」

 ヤサカニは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「貴殿は、全て知っておおせか」

 クルヌイは微笑んだ。

「いいんだ。僕は、全てわかっていて君たちをこの王宮へ入れたんだから」

 何故、とヤサカニは訊いた。何故だろうね、とクルヌイは受け答えた。

「多分、このままでは世が終わってしまうと思ったから、かな」

 ああ、雨は美しいねと格子の外を見ているクルヌイの表情をヤサカニが窺い知ることはできない。



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